御嶋石部神社(みしまいそべじんじゃ)は 石部公の祖 久斯比賀多命を祭神として祀ります 御祭神が天下を平治し 越後国に趣かれ 八石山の麓 石部平(現在の清水尻)に鎮座と伝わる 延喜式内社 越後國 三嶋郡 御嶋石部神社(みしまのいそへ かみのやしろ)の論社です 昭和40年(1965)現在地の丘陵地に遷座しています

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
御嶋石部神社(Mishima isobe shrine)
【通称名(Common name)】
・鹿島大明神(かしまだいみょうじん)
【鎮座地 (Location) 】
新潟県柏崎市大字北条字清水尻304-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》久斯比賀多命(くしひがたのみこと)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
延喜式内 御嶋石部(みしまいそべ)神社(旧村社)
鹿嶋大明神 御鎮座由緒之事鎮座地
新潟県柏崎市大字北条字清水尻参千四拾番地之壹
祭 神
久斯比賀多命(くしひがたのみこと)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)由 緒
皇孫降臨の際、祭神天下を平治し越後国に趣かれ八石山の麓 石部平に鎮座された(現在改めて清水尻と云う)
神祇志其の他にも見ゆる如く「石部公の祖、久斯比賀多命を祀る」となす。命は神武天皇の皇后 媛蹈鞴五十鈴姫(ひめたたらのいすずひめのみこと)の兄君にして事代主神(古事記には大国主神とせり)と三島の祭神(柏崎市の県社 三島神社)の女君との側に生させ給へるなり。出雲大神の経営しる三島神族の開拓するの地に命の祠ある因より由縁あり「御嶋は即ち三島の郷に鎮座する故なり」
白雉年中(六五〇年)に三輪頼明、神主が神社に奉仕せる由の社伝も明確であり 三輪氏は大国主神裔であり、神社には子孫代々奉仕するが故例である。
又 当神社は初め鹿嶋宮大神宮と称え来た、以来 其の神に因み此の里を鹿嶋と唱えるようにもなった。
又 現在 八石山麓の山々にも次の由来から唱えられたる地名が残っている。祭神が残挙を御征伐の砌 此の東の峯に陳鎌を置給われた峯を「鎌あけ」と云う。烏帽子を置かれた所を烏帽子と称し、御腰をかけ給える処を「腰かけ石」と申し今是「御石」と云う 神馬の鞍を置き給える処を「神の鞍」「現在八石かめのくら)と云い。大神山々に走り向せえる処を「春日人」と云う、又社の山に大石一ヶありこれを「要石(かなめいし)」と云われ地震、山崩あらゆる災害を鎮める石と古来より伝えられ現在なお山の下段に安置されている。この他此の里に古跡数多くあるが今これを略す。次に本神社の宮司 五十嵐氏は前述の如く旧 三輪氏と唱えたが大水年中(一五一〇年)現在の南蒲原郡下田村(旧鹿峠村)古くは五十嵐庄より五十嵐小文治吉辰なる城主落城致し京に上る途上 当社に身置き当家引立て縁あり養子となり、時あたかも武家の盛んな時代だけに私姓 三輪氏から五十嵐と改め 以後現在に至る。郡内数多く五十嵐姓はあるが皆之当家のわかれなり。現に五十嵐の元たる書類 明白に所持せり(古文書宝物あり)
明治の廃藩置県までは十万石の格式と家代士族として現代まで存続し 五十嵐家の現在の建物は四百年近くたっており、庭園は室町時代作と伝えられている。又「大鹿嶋」と云う屋号を申すことも諸人今唱え来るところ鹿嶋大明神に由来するところなり。現在 県庁神社明細帳に祭神「武甕槌命」とあるのは、本社は久斯比多命を奉祀せるもこれは鎌倉時代以後 武士の勢力強くなるをもって、一つは武家の崇敬を得んがため、又一つは武士の狼藉掠奪を免れんがために鹿嶋大明神を配神したものである。
創立以来 左記年譜に記した如く 古くは源義家卿 始め諸々の古城主 又 江戸時代には領主から数々の御墨印鎮守神宝の御寄進のあることは古来より霊験顕にして灼にして国造 領主 武将の帰依至って厚く崇敬祷給く神威赫灼として広大無辺なること仰がるものなり。
神社より頂戴した由緒書きより抜粋

神社より頂戴した由緒書き
【由 緒 (History)】
『越後刈羽郡神社考』に記される内容
【抜粋意訳】
御島石部神社
延喜式内の御島石部神社は北條村なる石部山に鎭ります村社御島石部神社是なりと神祇志其他に見ゆ、而して神祇志に「石邊公の祖 久斯比賀多命(くしひがたのみこと)を祀る」となす 命は三島神社の條に聊か記せしが如く 神武天皇の皇后媛蹈鞴五十鈴姫の兄君にして、事代主神 (古事記には大國主神とせり)と三島の神の女君との間に生れさせ給へる也。
出雲大神の經營し三島神族の開拓せる此地に命の祠ある固より由緣あり (御島は即ち三島にて三島の郷に鎭ります故しか申すなり)
本社社掌 五十嵐氏舊三輪氏、大永年中 五十嵐と改む (舊蹟志)白雉年中 三輪賴明奉仕せし由の社傳もあり、三輪氏は大國主神裔也、神社には子孫奉仕するが故例也、
尚又 三島郡に式内 桐島石部神社あり、其附近に命の陵墓と稱するあり、西頸城郡に式内 水島石部神社 佐渡に式内 熱串彦神社、越中國射水郡にも式内 磯部神社、加賀國能美郡にも式内 石部神社あり、いづれも同じく命を祀れり、されば本社 久斯比賀多命を奉祀せるや疑ふべからず、
然るに明細帳 (縣廳にあるもの)に祭神 武甕槌命(たけみかづちのみこと)とあり、命は天孫の為に出雲をして國讓せしめし武神に坐す、これ鎌倉以後 武士の勢力強大なるを以て、一は武家の崇敬を得んが為に、一は武士の狼藉掠奪を免れんが爲めに、古社の漸く祭神不明なるに乘じ、武神鹿島明神を配祀せしが、いつしか主神となりしならむか、天正十三年の棟札に「御島石部神社 鹿島大明神」とあり、天文五年北條城主毛利高廣より神領三千刈、寬永元年領主松平家より高六石一斗七升六合寄進あり、「古き祭器神實色々ありと」と風土記に見ゆ、以て古社なるを知るべし。
石地町にも村社 御島石部神社あり、祭神 大己貴神 (明細帳)これ久斯比賀多命に祖神 大己貴命を配神せしが、いつしか主祀となりしか 社傳には式内の社にして神代 大己貴命 居多より船にて神幸の遺跡なりと、中古以來 末社 二田神社を合祀せしより、兩神社相混じ 御島二田神社と稱す (社傳 )天正十一年の制札、應永十五年の棟札あり(舊蹟志)天和三年幕府檢地の際には除地高七石二斗八升
【原文参照】

中西利徳 著『越後刈羽郡神社考』,小林尚文館,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/905252

中西利徳 著『越後刈羽郡神社考』,小林尚文館,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/905252
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・稲荷神社《主》倉稲魂神

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈境外社〉十二社《主》大山祇神
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越後國 56座(大1座・小55座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)三嶋郡 6座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 御嶋石部神社
[ふ り が な ](みしまのいそへ かみのやしろ)
[Old Shrine name](Mishima no isohe no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
越後國 三嶋郡 御嶋石部神社(みしまのいそへ かみのやしろ)の論社
・御嶋石部神社(柏崎市北条)
・御島石部神社(柏崎市西山町石地)
『延喜式神名帳』所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社について
『延喜式神名帳』に所載される各々の「いそへのかみのやしろ」は 古代の氏族・「石邊公」「石部氏」に関係する神社 又は 海人族の「磯部氏」に関係する神社とも云われ 数多く分布しています
音は「いそへ」と同じでも その要因は 様々な要素から成り立っていて 特定は非常に難しく その為 各々の神社を検証してみます
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR信越本線 北条駅からR291号を北上 約270m 車での所要時間は1~3分程度 徒歩での所要時間は4~5分程度
神社の西側の一般道から 参道の入口へ進む所には 鳥居等は無く 少しわかりづらいです
田の畦道のような所を入ります

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森の中に入ると すぐに社号標゛式内 御嶋石部神社゛と鳥居が建ちます
鳥居の扁額には゛鹿嶋大明神 御嶋石部神社゛と刻字があります
鹿嶋神を祀る神社でもあります
御嶋石部神社(柏崎市北条)に参着

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神社は「北條村なる石部山に鎭ります」とあるように 八石山の麓 石部平(現在改めて清水尻と云う)に鎮座されたとあり これは現在地の裏山のこと その後 昭和40年(1965)信越本線改修・道路の整備の為社殿を解体し 現在地の丘陵地に遷座しています 丘陵を石段で上がりますと 石段の途中に朱色の両部鳥居があり 二の鳥居となります

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二の鳥居の扁額には「鹿嶋大明神」と記されています
ここまで上がってくると 境内の社殿が見えてきます

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石段の脇には〈境内社〉稲荷神社《主》倉稲魂神

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石段を上がり切ると 狛犬が座している石畳みの参道の先に拝殿があります
石畳みの参道は わずかに折れていて 参拝者が正中を歩まないように配慮されています

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参道の脇には 苔むした手水鉢と石灯籠があり 昭和40年に遷座したばかりですが まるで古社のような佇まいを漂わせています
拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿は 拝殿の奥に本殿が祀られています

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社殿に一礼をして 境内の参道を戻ります

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狛犬に会釈をして 参道の石段を下ります

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二の鳥居・一の鳥居を戻ります

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ここから一般道までは 細い参道となります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 御嶋石部神社について 所在は゛八石山麓北條村に在す、今 鹿島明神と稱す、゛〈現 御嶋石部神社(柏崎市北条)〉と記しています
【抜粋意訳】
御嶋石部神社
御嶋石部は美之末乃伊曾倍と訓べし
〇祭神 久斯比賀多命〔風土記節解〕
〇八石山麓北條村に在す、今 鹿島明神と稱す、〔名寄案内〕
〇當國頸城郡 水島磯部神社、古志郡 桐原石部神社もあり、
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 御嶋石部神社について 所在など無記入です
参考として゛狩羽郡黒姫山の東に、礒の部村あり゛〈現 刈羽黒姫山(柏崎市折居)の東に礒の部村〉と記しています
【抜粋意訳】
御嶋石部(ミシマノイソベノ)神社
〔〇按 越後國圖、狩羽郡黒姫山の東に、礒の部村あり、蓋此地なり、〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 御嶋石部神社について 所在は゛石地村〔〇今属 刈羽郡石地町大字石地〕゛〈現 御島石部神社(柏崎市西山町石地)〉と記しています
その他の説として゛同郡鹿烏村の社なり゛〈現 御嶋石部神社(柏崎市北条)〉ほを挙げています
【抜粋意訳】
御嶋石部神社
祭神 大巳貴命
今按 新撰姓氏錄 石邊公 大物主命 男久斯比賀多命之後也とあるによらば桐原石部神社の如く 奇日方命なるべけれど 其遠祖を祭るも亦由あれば 今社傅に從ふ
祭日 三月七日 六月七日
社格 村社所在 石地村〔〇今属 刈羽郡石地町大字石地〕
今按 同郡鹿烏村の社なりと云へど こはもとより鹿島の神なるべし
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
御嶋石部神社(柏崎市北条)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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