水島磯部神社〈青柳神社〉(上越市清里区青柳)〈『延喜式』水嶋礒部神社〉

青柳神社(あおやぎじんじゃ)は 『坊ケ池誌』に「神殿正面に「水嶋磯部神社(みずしまいそべのかみのやしろ)」の御霊代を その左脇に「弁財天神社」祭神の御霊代 その右脇に「諏訪神社」の祭神の御霊代を安置し奉った」とあり 坊ケ池の弁天島に祀られていた祠を 明治27年(1894)溜池改修工事により現在地に移して改称したものです

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

・青柳神社(Aoyagi shrine)

通称名(Common name)

・弁財天宮(べんざいてんくう)

【鎮座地 (Location) 

新潟県上越市清里区青柳 坊ヶ池湖畔の丘陵上

〈旧 中頸城郡 清里村青柳〉

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

〈青柳神社〉〈明治二十七年(1894)溜池改修工事により坊ケ池の弁天島から 現在地に移設〉

・「水嶋磯部神社」の御霊代
・「弁財天神社」祭神の御霊代
・「諏訪神社」の祭神の御霊代

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『式内社調査報告』

由緒等不詳。『越後頸城郡誌稿』に「武士郷青柳村坊ヶ池ノ邊ニ鎮座アリ、其礎石後世ニ遺セリ、故ニ此所ト云説アリ(略)然シテ青柳池ハ山水幽邃ニシテ、泉清ク山秀テ池 中ニ小島アリテ、當郡ノ名區ナリト雖トモ、其池長四丁餘、 横二丁餘ノ小池ニシテ、山間・湖水・水海ナト云如キ磯邊 等アル池ニアラス、故ニ水嶋磯部ナト事々シキ名稱ヲ付ス ヘキ名所ニアラス」とある如く、式内水嶋礒部神社に比定することには疑義がある。

『式内社調査報告』より抜粋

【由  (History)】

弁財天

弁財天沿

 古代より坊ケ池は、水争いが絶えない池であり、それを鎮めるため七福神の一人である「弁財天」を池の西南隅にある弁天島に祀り大切に守ってきた。その後たびたび水不足にみまわれ明治二十七年溜池改修工事を実施するにあたり、満水時に弁天島が埋没することがわかり、これを現在地に移設する事になった。

 坊ケ池誌によると、神殿正面に「水嶋磯部神社」の御霊代を、その左脇に「弁財天神社」祭神の御霊代、その右脇に「諏訪神社」の祭神の御霊代を安置し奉った。そしてこの社を青柳神社と名付け、青柳他水下十一ヶ村で「神社維持規約」を制定し、この氏子がそれぞれ出資して、神社維持原資とし、現在に至っている。

 毎年五月八日には弁財天祭りを執り行い多くの参拝者が訪れている。又、古代ロマン漂う伝説も多く残っており、周辺の山荘京ケ岳・星のふる里館との散策コースにもなっている。今後も周辺の環境整備に力を注ぎ、地域の宝として大事に守っていきたい。

坊ケ池土地改良区

現地案内板より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

水島磯部神社〈青柳神社〉本殿

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

坊ヶ池

水島磯部神社〈青柳神社〉は 坊ヶ池ほとりの丘の上に石の祠があります

坊ヶ池「竜神伝説の池」として有名で 坊ヶ池の名は 伝説に登場する竜神の子ども「坊太郎」からきています
平成22年3月25日には 農林水産省の「全国ため池百選」に選ばれました

山頂付近にありながら 干ばつの年でも水の涸れることのない不思議な池とされています

全国ため池百選の坊ヶ池

坊太郎伝説  昔々、青柳村の山あいに仲睦まじい夫婦が住んでたとさ。ある 女房のおつう池のほとりにたたずんでいる、金色に輝く龍神が現れました。いつの間にか籠神とともに雲の上にいたおつう。やがて、おつう夫婦には子が生まれ、その子を坊太郎と名づけました。

 あるとき坊太郎は、「ぼくの寝床を覗かないで」と言って寝入りました。しかし、夫婦は覗いてしまったのです。すると寝床には満々と水がたたえられ、龍神の子が眠っているではありませんか。

 見られた龍神の子は、たちまち姿を消してしまいました。それから幾十年も過ぎ、誰言うともなく、村人は坊太郎が池の主になつたと信じ、この池を「坊ケ池」と呼んだとさ。

 平成二二年十月 坊ケ池土地改良区

現地案内板より

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越後國 56座(大1座・小55座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)頸城郡 13座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 礒部神社
[ふ り が な ](みつしまいそへの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Mitsushima no isohei no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ類社について

表記「石部神社(いそへのかみのやしろ)」の社号を持つ神社

伊勢國 朝明郡 石部神社二座

・石部神社(四日市市朝明町)
・石部神社(いなべ市大安町石榑南)〈参考論社〉

近江國 蒲生郡 石部神社

・石部神社〈磯部大明神〉(蒲生郡竜王町七里)
・石部神社(近江八幡市安土町下豊浦)

近江國 愛智郡 石部神社二座

・石部神社 下社(愛知郡愛荘町沓掛)
・石部神社 上社跡(愛知郡愛荘町石橋)〈御旅所〉

越前國 今立郡 石部神社

・石部神社(鯖江市磯部町)

加賀國 江沼郡 菅生石部神社

・菅生石部神社(加賀市大聖寺敷地)〈加賀國二之宮〉

加賀國 能美郡 石部神社

・石部神社(小松市古府町)

越後國 古志郡 桐原石部神社

・桐原石部神社(長岡市上桐)
・桐原石部神社(長岡市寺泊下桐)

越後國 三嶋郡 御嶋石部神社

・御嶋石部神社(柏崎市北条)
・御島石部神社(柏崎市西山町石地)

但馬國 朝來郡 朝來石部神社

・石部神社(朝来市山東町滝田字マリ)
・熊野神社(朝来市山東町塩田)

但馬國 朝來郡 刀我石部神社

・石部神社〈刀我石部神社〉(朝来市和田山町宮)

但馬國 出石郡 石部神社

・石部神社(豊岡市出石町下谷)

播磨國 賀茂郡 石部神社

・石部神社(加西市上野町)

 表記「部神社(いそへのかみのやしろ)」の社号を持つ神社

加賀國 江沼郡 宮村部神社

・宮村部神社(加賀市宮町)

丹波國 船井郡 出石鹿部神社

・何鹿神社(船井郡京丹波町曽根竿代)
・岩山神社(船井郡京丹波町塩田谷岩山)
〈出石鹿部神社の旧鎮座地との説あり〉

丹波國 氷上郡 部神社

部神社(丹波市氷上町石生字剣璽山)
・柏原八幡宮(丹波市柏原町柏原)

丹後國 與謝郡 阿知江部神神社

雲岩稲荷神社(与謝野町岩屋)の辺り〈阿知江磯部神社 旧鎮座地〉
・阿知江磯部神社(与謝野町岩屋)
・須津彦神社・須津姫神社(宮津市須津)

表記「礒部神社(いそへのかみのやしろ)」の社号を持つ神社

越中國 射水郡 礒部神社

・磯部神社(氷見市磯辺)
・神明宮(氷見市磯辺 上宮)〈礒部神社の元鎮座地〉

越後國 頸城郡 水嶋礒部神社(みつしまの いそへの かみのやしろ)

水嶋磯部神社(上越市清里区梨平)

・水嶋礒部神社(糸魚川市筒石)

・水島磯部神社〈青柳神社〉(上越市清里区青柳)

表記「石邊神社(いそへのかみのやしろ)」の社号を持つ神社

近江國 野洲郡 馬路石邊神社

・馬路石邊神社(守山市吉身)

延喜式神名帳に所載の「いそへのかみのやしろの社号を持つ類社について

延喜式内社「いそへのかみのやしろ」について 詳しくは下記の記事を参照

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR上越妙高駅から県道198号経由で東方向へ約18.6km 車での所要時間は30~35分程度

櫛池川に沿って県道198号を 上越市清里の田園を抜けて行きます

少し山間に入りかけた辺り 坊ヶ池湖畔の案内板があり その上に左折方向に水嶋磯部神社の案内がありました

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水嶋磯部神社(上越市清里区梨平)についてはこちらの記事を参照

坊ヶ池湖畔に着くと 池の東岸に「京ヶ岳城跡」のある丘への登坂口があります

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坊ヶ池湖畔から見て 左側が「京ヶ岳城跡」のある丘 右側の丘には弁財天宮とあり ここが神社への入口となります

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案内板の矢印に従って 参道らしき道を上がります 参拝日は6/2でしたが 参道には草が覆っていました

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湖畔の丘を上がって行くと

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湖畔に石碑が建っています
あとで見てみると「坊ヶ池改修記念碑」でした

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江戸期にかんがい用ため池として築堤された坊ヶ池は 明治期の坊ヶ池改修によって 現在でも 上越市の上水道の水源地として 頚城平野の水田をうるおす灌漑用水として 役割を果たしています

平成22年3月25日 農林水産省の「全国ため池百選」にも選ばれ 山頂付近にありながら 干ばつの年でも水の涸れることのない不思議な池とされています

この坊ケ池の弁天島に祀られていたのが 『坊ケ池誌』によると「神殿正面に「水嶋磯部神社」の御霊代を その左脇に「弁財天神社」祭神の御霊代 その右脇に「諏訪神社」の祭神の御霊代を安置し奉った」とあり 明治27年(1894)溜池改修工事により現在地に移して青柳神社と名付けたものです

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斜面を上がると 左手に石祠が見えてきました

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水島磯部神社〈青柳神社〉(上越市清里区青柳)に参着

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の左手には 眼下に坊ヶ池があります

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社殿に一礼をして 参道を下ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 水島磯部神社について 所在は゛梨平村に在す、今 鹿島明神と稱す、゛〈現 水島磯部神社(上越市清里区梨平)〉と記しています

又゛謂に 青柳明神゛〈現 水島磯部神社〈青柳神社〉(上越市清里区青柳)〉とも記しています

【抜粋意訳】

水島磯部神社

水島磯部は 美都志麻乃伊曾倍と讀り

〇祭神 譽津津別尊 謂ニ 青柳明神、〔風土記節解〕

〇梨平村に在す、今 鹿島明神と稱す、〔案内〇節解云、在ニ水島里、 考証云、在ニ里五十君、今案内に従ふ

〇當國 古志郡 桐原石部神社、三島郡 御島石部神社もあり、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 水島磯部神社について 所在は゛ 梨平村水島里にあり、鹿島大明神といふ、゛〈現 水島磯部神社(上越市清里区梨平)〉と記しています

【抜粋意訳】

水島磯部(ミツシマノイソベノ)神社

 梨平村水島里にあり、鹿島大明神といふ、

五月十五日、十月朔を以て祭を行ふ、〔越後名寄、式社考証〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 水島磯部神社について 所在は゛梨平村(中頸城郡櫛池村大字梨平)゛〈現 水島磯部神社(上越市清里区梨平)〉と記しています

その他の説について
筒石村の由緖書は後人僞作にてとるに足らず゛〈現 水嶋礒部神社(糸魚川市筒石)〉
青柳村には證とすベきものなし゛〈現 水島磯部神社〈青柳神社〉(上越市清里区青柳)〉

【抜粋意訳】

磯部神社

祭神

 今按 社傅に祭神 譽屋別尊 相殿 武甕槌命 經津主命とある 屋別尊は新撰姓氏録に磯部臣 仲哀天皇 皇子 譽屋別尊之後也とある磯部臣に思ひよせて云る説にて 信難しさろは同書に布留宿禰云々 天足彦國押人命七世孫 米餅搗大使主命之後也 男木事命 男市川臣 大鷦鷯天皇御世遷幸於 倭賀布都努斯神社 於石上郷布瑠村高庭之地 以市川臣爲 神主四世孫云々 武藏ノ臣 齊明天皇御世 宗我蝦夷大臣號 武蔵臣曰 物部首  神主首云々とあるは垂仁紀に三十九年太刀一千口を石上神宮に藏めし時 言(ノリママヒキ)に春日臣族〔春日臣は布留宿禰と同祖なり〕名市河令メヨト 治是 今物部首之始祖也とみえたる同氏にて世々 石上にます布都努斯神に仕奉りしが 此族に磁部君ありて上野に遷り住て 石上神宮と同神なろ貫前神社に仕奉り磯部君姓を賜はりし 故に後世に至りても 其神主は磯部朝臣と云ひし事 績日本紀 上野 神龜三年碑羅山文集等にみえたれば 比越後の礒部神も譽屋別命にはあらずして 相殿にます武甕槌命 布都努斯命なるべき事 社殿と前件の故實に徵して著く 又 舊神官の磯部臣と云も いと明かなるを思ふべし

祭日 七月二十七日
社格 村社

所在 梨平村(中頸城郡櫛池村大字梨平)

 今按 筒石村 青柳村にも水島磯部神社ありと云へど
 筒石村の由緖書は後人僞作にてとるに足らず
 青柳村には證とすベきものなし
 唯 梨平村には古額三面あり 一而は水島磯部神社と記せるあり 又 磯部山と云あり 社地のある里を水島の里と云ひ  舊神官 綿貫氏にて磯部臣と稱するなど證とするに足れり仍て之に從ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

水島磯部神社〈青柳神社〉(上越市清里区青柳) (hai)」(90度のお辞儀)

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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