大膳神社(佐渡市竹田)〈『延喜式』御食神社〉

大膳神社(おおぜんじんじゃ)は 正殿に御食津神 左殿に日野資朝卿 右殿に大膳坊賢榮を祀ります 勧請創始については諸説があり 一説には この正殿の御食津神が 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 御食神社(みけの かみのやしろ)ないかとする説もあり 式内論社となっています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

大膳神社(Ohzen shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

新潟県佐渡市 竹田 561

〈旧住所〉佐渡郡真野町大字竹田561番地

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》御食津神(みけつのかみ)

《配》日野資朝(ひの すけとも きょう
   大膳坊賢榮(だいぜんぼうけんえい)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

大膳神社縁起

左殿 日野資朝卿
正殿 御食津大神
右殿 大膳坊賢榮

 正殿 御食津大神は農業食饌の祖神 豊穣の守護神で 古来当地のうぶすな神として尊崇敬慕されている その勧請創始については諸説があり 一説には式内社当国九社の一つとも言われるが なお詳らかではない

 正中の変の折 日野資朝卿 当国に配流され 一子 阿新丸(くまわかまる)は父子対面を求めて遥々都から下向したにも拘らず 遂に許されぬ儘 父刑死の無念を霽らすべく城主 本間山城守の館に潜入し その弟三郎を斬って本懐を果した
この間 大膳坊賢榮は真の敵は鎌倉なりと阿新丸を諭したがその孝心の已み難きに感動してこれを扶け 更に迫り来る討手窮追の危機の中に阿新丸を守護し無事死中を脱して帰京せしめた

 山城守は激怒し大膳坊を処刑したが その後大いに悔い畏れて 日野資朝卿と大膳坊を当社に合祀してその霊を崇め奉ったと伝えられている

昭和五十一年四月
 宮司 日野典二 撰文
    本間守拙 揮毫
 寄進 土屋増右衛門

現地石碑文より

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【縁起補記】

 当国式内九社の一つに「御食神社」というのがあり、その所在について永年の間 議論のあったところですが、近年(昭和六十一年)、式内社研究の専門家グループの調査によって、当神社が「式内・御食神社」であろうと確認されました。御食神社がどうして大膳神社に社号を変えたのかについては、当神社の別当であった大膳坊賢栄の合祀が深く関わっていると考えられますが、なお考察を要するところです。
※「式内社」…平安時代の「延喜式」神名帳に名が記されている神社

神社配布資料より

【由  (History)】

大膳神社

大膳神社は、御食津神を正殿に、日野資朝を左殿に、大膳坊を右殿に祀る。延喜式内社「御食神社」は、この社でないかとする説もある。正中 日野中納言資朝 佐渡流罪、元徳年、資朝の子 阿新丸が渡島する。

地頭本間山城守は対面を許さず、資朝を処刑、阿新丸は山城守の太刀取り、本間三郎を討ち帰京する。

阿新丸の逃亡を助けた山伏 大膳坊は処刑される。城主が大膳坊の怨霊を鎮めるために勧進した社と伝える。境内に能舞台を有する。

佐渡市教育委員会

現地立札より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

大膳神社 社殿

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大膳神社 拝殿

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・能舞台

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県指定文化財(有形民俗文化財)

佐渡大膳神社能舞台(さどだいぜんじんじゃ のうぶたい

 素朴で美しい佐渡能舞台の代表的な遺例で、弘化3年(1846)に再建されました。

 舞台は、寄棟造茅葺(よせむねづくり かやぶき)で、本舞台と後座(あとざ)からなり、鏡板には日輪と松の絵、天井には演目「道成寺」で使用する鐘穴があります。常設の地謡座(じうたいざ)は近年の増築によるもので、鏡の間はないものの、腹式の橋掛(はしがか)りに裏通路が付属し、舞台裏の楽屋へと通じています。

 演能は現在も盛んで、4月18日の祭礼には奉納能、6月には能と鷺流狂言(さぎりゅうきょうげん)(県指定無形文化財)が薪能として上演されています。

平成25年2月 佐渡市教育委員会

現地案内板より

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・〈土蔵〉神庫・本殿覆い屋

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・〈土蔵〉神庫・行啓記念碑

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・行啓記念碑・社務所

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・〈境内社〉金刀比羅社

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・境内

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二の鳥居〈木製の両部鳥居〉

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・手水舎

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・参道

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈社頭の石碑〉法榮山 圓隆寺宝塔

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・〈神社裏手からの北側の眺望〉佐渡最高峰の金北山

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)佐渡國 9座(並小)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)雑太郡 5座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 御食神社
[ふ り が な ](みけの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Mike no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載「御食神社(みけの かみのやしろ)」について

延喜式内社 伊勢國 度會郡 御食神社(みけの かみのやしろ)の論社

・御食神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

延喜式内社 佐渡國 雑太郡 御食神社(みけの かみのやしろ)の論社

・御食神社(佐渡市宮川)

・大膳神社(佐渡市竹田)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

佐渡汽船 両津港から県道65号経由で南下 約16.9km 車での所要時間は26~30分程度

神社の裏手〈北側〉に車の入口があり 入口には゜県指定文化財(有形民俗文化財)佐渡大膳神社能舞台゛の案内や゛大膳神社の案内板゛が設置されています

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ここに駐車場が整備されていて 駐車場からは 佐渡最高峰の金北山が見えます

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神社の南側に廻り込むと社頭があります

大膳神社(佐渡市竹田)に参着

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一礼をして 鳥居をくぐり参道を進むと手水舎があり 清めます

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すぐに 二の鳥居〈木製の両部鳥居〉があり 鳥居をくぐれば境内です

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境内は芝生で覆われていて ゴミ一つ無く きれいに手入れがされています

正面に社殿 向かって左〈西側〉には 佐渡で最も古いと云われる能舞台があります

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県指定文化財(有形民俗文化財)佐渡大膳神社能舞台です

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能舞台の正面辺り 境内向かって右〈東側〉には〈境内社〉金刀比羅社が祀られています

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして境内を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 御食神社について 所在は゛後山村に在す゛〈現 御食神社(佐渡市宮川)〉と記しています

【抜粋意訳】

御食神社

御食は美氣と訓べし

○祭神 御食津神歟

○後山村に在す、〔略風土記〕

例祭
八月十六日、

類社
 伊勢國 度會郡 御食神社

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 御食神社について 所在は゛後山村にあり、゛〈現 御食神社(佐渡市宮川)〉と記しています

【抜粋意訳】

御食神(ミケツカミノ)社、

 後山村にあり、〔佐渡風土記、神名帳〕

 御膳津神を祭る、〔参酌延喜式、及祝詞〕

凡 八月十六日祭を行ふ、〔神社覈録

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 御食神社について 所在は゛後山村(佐渡郡畑野村大字後山)゛〈現 御食神社(佐渡市宮川)〉と記しています

又゛竹田村大膳の社゛〈現 大膳神社(佐渡市竹田)〉との説も紹介しています

【抜粋意訳】

佐渡國 賀茂郡

御食神社

祭神 大御食持命

祭日 八月十六日
社格 村社

所在 後山村(佐渡郡畑野村大字後山)

 今按 佐渡志に木村に神祟あるよしにて形ばかりの小祠あり 修驗某いつき奉ると云へり されど元祿撿地帳に見えざれば如何あらん  同郡竹田村大膳の社  御食神社なりと古き物に記したり 古へ通はして大膳神とも云たるを後に御食の名を失ひて大膳明神とのみ稱しけるにやと云る 大膳明神こそ御食神社なるべけれ されど今 佐渡志にも明細帳にも後山村と云へければ姑く之に從ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

大膳神社(佐渡市竹田) (hai)」(90度のお辞儀)

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