高売布神社(三田市酒井字宮ノ脇)〈『延喜式』高賣布神社〉

高賣布神社(たかめふじんじゃは 推古天皇の頃の創立と伝えますが明らかでない 神社の後方に独立丘は 古の齋場の跡とされ 土俗は酒井の斎さま(さかいのいつきさま)と称し 勧請の昔は齋女が神の意を伝えた古代の様子を今に伝えている 延喜式内社 攝津國 河邊郡 髙賣布神社(たかひめふの かみのやしろ)です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

高賣布神社(Takamefu shrine

通称名(Common name)

・酒井の斎さま(さかいのいつきさま)

【鎮座地 (Location) 

兵庫県三田市酒井字宮ノ脇50

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》下照比(しもてるひめのみこと)

《配》天稚比古命(あめのわかひこのみこと)

《合》応神天皇,倉稲魂命,闇山祇神,国玉姫命,菅原道真,市杵島姫命,大年命,若年命,

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

高売布神社(たかめふじんじゃ)

 古代から祀られ平安時代の『延喜式』に記載された式内社。中世には多田源氏の高平地域の惣社とされ、近世には摂津麻田藩領になり藩主青木氏の祈願所とされた。

 拝殿上の京都宝鏡寺門跡尼より寄進された社号額には「正一位荷月大明神」と書かれており崇敬を集めていたが、江戸時代中頃幕府寺社奉行の命を受け延喜式内社を調べた儒学者並河誠所により誤りが訂正され、鳥居横に「高売布社」と刻まれた新社号石が建つ。

 本殿は檜皮葺一間社流造(国重文)、永正十年(一五一三)に再興上棟。草花を主題にした優れた彫刻装飾のある貴重な建築物。木造狛犬(国重文)はカヤの一木造で永仁五年(一二九七)の墨書がある。拝殿に奉納された絵馬は保存状態よく、三十六歌仙絵額、神功皇后遠征図、遷宮図など多彩である。

祭神
 下照比売命、天稚比古命

文化財
国指定木造狛犬 本殿
市指定千本搗き

祭日
 一月九日 頭神事
 七月八日 夏祭
 十月七日~九日 例祭(千本搗き)

三田市観光協会

現地案内板より

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由緒

 推古天皇の頃の創立と伝えられているが、明らかでない。
しかし、古くから格式の高い神社であったことは、摂津國延喜式内社の一つに数えあげられていたことで明らかである。
のち多田源氏の祖 満仲がこの地方に広大な荘園をもってからは、荘内鎮護の神として崇敬をあつめた。近世に入っては麻田藩主青木氏代々の祈願所となった。
明治末に酒井・十倉・田中・川原・布木・末吉各村の神社を統合し、合祀した。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由  (History)】

『有馬郡誌』上,昭和4年に記される内容

【抜粋意訳】

高賣布神社 高平村酒井にあり

【祭神】下照比賣命、天稚比古命を祠る

【由緒】上棟文に永正十年越前守小野時家修補すとあり本社は通稱 荷月山と云ひしが 元文元年 徳川吉宗 高賣布社の社號を書し 儒者管廣房をして石に樓し之を社前に建て以て社號の誤を正す。毎年十月九日を大祭とす。神事のーとして十月七日千本塢の古例あり。本殿は明治卅七年二月十八日特別保護建築物に狛狗一對彫刻木造は國實に指定せらる。

  明治四十年二月及四月 本村に下村 久服神社 酒井辨財天神社 稻荷神社 田中大歳神社 布木八幡神社 川原大歳神社 浦黑神社 同四十四年四月 杉宮神社 十倉今宮神社を合祀す。

高賣布神社

在高平谷阪井村、今稱 總社、上梁文云永正十年越前守小野時家修補、

【祭神】賣布神社 在米谷村 高賣布の神と同神

〔舊事記〕建新川神弟 大咩布命者若湯坐連等祖
〔姓氏 )攝津國神別 若湯坐宿備 石上朝臣同祖 神饒速日命六世孫 伊香色雄命之後也
〔三代實錄〕貞観五年八月八日攝津國川邊郡人散位正六位上 若湯坐連宮足云々

・・・以下略

【原文参照】

有馬郡 [編]『有馬郡誌』上,有馬郡誌編纂管理者,昭和4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1174068

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

〇兵庫縣 攝津國 有馬郡高平村大字酒井字宮ノ脇

郷社 高(タカメフノ)神社

祭神
 下照比賣(シモテルヒメノ)命 天稚比古(アメノワカヒコノ)

合祭
 倉稲魂(ウカノミタマノ)命 (オウジン)天皇
 闇山祇(クラヤマヅミノ)神 市岐島(イチキシマノ)
 玉姫(クニタマヒメノ)尊 若年(ワカトシノ)

 本社はと惣社ともす、〇神名帳考証創立年月詳なら〇明細帳但摂津群談に多田満仲公 草創の姓神たりと見えたり、延喜の制小社に列せられ、(本社地 舊郡に属す、明治の初年 有馬郡に変更さる)永正年、越前守小野時家修補せしと云ふ、〇考証所引梁文神社覈録に祭神不詳とあり

又 神祇志料には、
「按 舊事本紀、伊香色雄命の子 大咩布命 若湯坐連等祖、新撰姓氏録に、若湯坐宿禰伊香色雄命之後也とみえ、
三代實禄貞観月戊辰のに、摂津郡人 若湯坐連宮足等本居を改る事あり、又本郡に此神  賣布神社とあるは、思ふに大咩布命を其氏人の祭れる社にはあらじ歟、附て考に備ふ、」
とあり、

明治月郷社に列す、明治四十年稲荷神社四社を合併せり。
社殿は本殿、殿、神楽所、神輿庫を備へ、境内地は千五百三十坪(官有地第一種)あり。

境内神社
 蛭子神社 神武天皇遥拝所〔明治十三年四月創立許可〕

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

高賣布神社 社殿

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高賣布神社 拝殿

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・〈社殿向かって右 境内社〉2社

・戎神社《主》蛭子命
・稲荷神社《主》倉稲魂命

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・鳥居

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・社頭

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・社号標

江戸時代中期の延喜式内社を調べた儒学者 並河誠所が 式内社を比定した時の記念に建立された

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・遥拝鳥居

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・大船山〈遥拝鳥居の向いている山〉

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・神社後方の独立丘 古の齋場の跡酒井の斎さん(さかいのいつきさん)

『有馬郡誌』上,昭和4年に記される内容

【抜粋意訳】

齋さん

 高平村洒井に高賣布神社あり。式内社なり。土俗は酒井のイツキサマと稱せり。
イツキは齋女のことにて、神勧請の昔は、齋女が神の意を傳へたるものにて、古代の樣のままを傳へたるものなり。今神社の後方に獨立丘あるは、古の齋場の跡と見ゆ。
酒井は境にて、古代の郡境に齋ひ祀れる古社なるべし。

【原文参照】

有馬郡 [編]『有馬郡誌』上,有馬郡誌編纂管理者,昭和4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1174068

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)摂津國 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)郡 7座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 賣布神社
[ふ り が な ]たかひめふの かみのやしろ
[Old Shrine name]Takahimefu no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「(ひめふの かみのやしろ)」について

八社があり それぞれの式内論社について

延喜式内社 尾張國 中嶋郡 賣夫神社(大貞)(めふの かみのやしろ)

・賣夫神社(稲沢市平和町嫁振)

・天神社(一宮市萩原町西宮重東光堂)

延喜式内社 攝津國 河邊郡 賣布神社(たかひめふの かみのやしろ)

・高賣布神社(三田市酒井)

延喜式内社 攝津國 河邊郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)

・賣布神社(宝塚市売布山手町)

延喜式内社 丹後國 竹野郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)

・賣布神社(京丹後市網野町木津女布谷)

延喜式内社 丹後國 熊野郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)

・賣布神社(京丹後市久美浜町女布初岡)

・布森神社〈布杜神社〉(京丹後市久美浜町女布)
〈賣布神社の神幸時の御旅所〉元宮であるとも云う

延喜式内社 但馬國 氣多郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)

布ヶ森遺跡公園(豊岡市日高町祢布)
〈賣布神社の当初の鎮座地〉
・賣布神社跡地(豊岡市日高町国分寺字山ノ脇)
〈令和元年(2019)荒神神社に合祀〉

・荒神神社(豊岡市日高町国分寺)
・〈中世~文久二年(1862)までの賣布神社の鎭座地 中世の鎮座地〉
・〈令和元年(2019)荒神神社に賣布神社を遷座合祀 現在の合祀先〉

延喜式内社 出雲國 意宇郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR三田駅から県道37号経由で北上 約11kmm 車での所要時間は18~20分程度

羽束川が造り出した谷間の平地を進みます

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県道37号が羽束川に架かる高平橋の手前に 神社案内の標識があり 羽束川に沿うように北上していきます

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社頭は東を向いています

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高賣布神社(三田市酒井字宮ノ脇に参着

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一礼をして 鳥居をくぐり抜けて 境内に進みます

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社殿 境内 鳥居は東を向いていて 東には 大船山があります

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拝殿にすすみます
拝殿の向かって左側には 境内社が祀られています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 振り返ると 鳥居の先に大船山があります

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鳥居を抜けると 北方向100m程に鳥居が建っています

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鳥居の建つエリアは 生垣で囲まれていて 鳥居の先には石が置かれています

どうやら 遥拝所でしょうか ?

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そのさらに奥には やはり大船山があります
当社の記録を見る限り 大船山との関連は書かれていませんが きっと何かあるのであろうと想われます
こちらから見ると 円錐形の神山の様に見えています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 高賣布神社について 所在は゛高平谷坂井村に在す、今 惣社とす、゛〈現 高賣布神社(三田市酒井字宮ノ脇〉と記しています

【抜粋意訳】

高賣布神社

高賣布は多加女不と訓ベし

○祭神詳ならず

○高平谷坂井村に在す、今 惣社とす、

【原文参照】

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『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 高賣布神社について 所在は゛ 高平谷坂井村にあり、惣社といふ、゛〈現 高賣布神社(三田市酒井字宮ノ脇〉と記しています

【抜粋意訳】

高賣布(タカメフノ)神社、

 高平谷坂井村にあり、惣社といふ、〔攝津志、名所圖會、〕
〔〇按 舊事本紀、伊香色雄命の子 大咩布命 若湯坐連等祖、新撰姓氏録に、若湯坐宿禰伊香色雄命之後也とみえ、
三代實禄貞観月戊辰のに、摂津郡人 若湯坐連宮足等本居を改る事あり、又本郡に此神  賣布神社とあるは、思ふに大咩布命を其氏人の祭れる社にはあらじ歟、附て考に備ふ、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 高賣布神社について 所在は゛酒井村(有馬郡高平村大字酒井)゛〈現 高賣布神社(三田市酒井字宮ノ脇〉と記しています

【抜粋意訳】

高賣布(タカメフ)神社

祭神 高賣布命

 今按 舊事記 火明命七世孫 大咩布命 若湯坐連等祖 纒向珠城宮御宇天皇御世  爲侍臣供奉とある大咩布命を祭れるなるべし
社傳に高賣布命とあるによらば大も高も共に稱言(タタヘ)にて同義にやあらむ

祭日 九月九日
社格 郷社

所在 酒井村(有馬郡高平村大字酒井)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

高賣布神社(三田市酒井字宮ノ脇 (hai)」(90度のお辞儀)

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摂津国 式内社 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)について に戻る

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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