神明神社(京都市左京区大原草生町)〈『延喜式』大柴神社〉

神明神社(しんめいじんじゃ)は 飛鳥時代に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる天台宗の尼寺寂光院(じゃっこういん)の裏山中腹〈北西〉鎮座します 延喜式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社(おほしはの かみのやしろ)の論社ともされます

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

神明神社(Shinmei shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

京都府京都市左京区大原 草生(くさお)町

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天照皇大神(あまてらす すめおほかみ
   豊受大神(とようけのおほかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

『五畿内志』上巻 に記される内容

延喜式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社(おほしはの かみのやしろ)について 論社として 神明神社(京都市左京区大原草生町)を挙げています

【抜粋意訳】

五畿内志 巻第五 山城國之五 愛宕郡【神廟】

大柴神社

在に大原 草生村 今稱に 神明宮

【原文参照】

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛岩郡 21座(大8座・小13座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 大柴神社
[ふ り が な ](おほしはの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ohoshiha no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社(おほしはの かみのやしろ)の論社について

・神明神社(京都市左京区大原草生町)

・岩戸落葉神社(京都市北区小野下ノ町)

・岩上神社(京都市上京区大黒町)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

叡山電鉄 宝ヶ池駅からR367号経由で北上して約10km 車での所要時間は21~25分程度

飛鳥時代に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる天台宗の尼寺寂光院(じゃっこういん)」を目指します

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寂光院(じゃっこういん)の裏山中腹〈北西〉鎮座します

神明神社(京都市左京区大原草生町)に参着

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鳥居の手前で通行止めなのか 竹柵で通路塞がれています

竹柵ですので 無理に通り抜けることもできますが 何らかの事情があると想われますので
ここより お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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来た道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

延喜式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社について 祭神・所在は゛祭神在所等詳ならず゛〈良くわからない〉と記しています

一説として
下小野、俗稱ニ 落葉宮゛〈現 岩戸落葉神社(京都市北区小野下ノ町)
元祿五年 神樂岡東に移されし芝藥師゛〈現 岩上神社(京都市上京区大黒町)〉

【抜粋意訳】

大柴神社

大柴は於保之波と訓べじ

○祭神在所等詳ならず

 山城志云、在 大原草生村、今稱ニ 神明宮、」
 考証云、今在 下小野、俗稱ニ 落葉宮是乎、」連胤按るに、落葉宮は志に葛野郡 堕川神社なるよし云り、抑今は洛中なる上立大宮に柴大宮町といふ小名あり、其邊の町々柴某と皆柴の宇を付たり、
名跡志に、元禄 神樂岡の東に移されし芝薬師も、往昔 に在しといへり、中川親成が、彼邊一條より以北なれば、昔は洛外なりし事明らか也、されば彼に坐し故、大柴といふにやあらんといへるも一説也、猶考ふべし、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

延喜式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社について 社号のみを記しています

【抜粋意訳】

大柴神社

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

延喜式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社について 所在について 説をいくつか挙げています

大原草生村 今稱 神明宮゛〈現 神明神社(京都市左京区大原草生町)〉
下小野 俗稱 落葉宮゛〈現 岩戸落葉神社(京都市北区小野岩戸)〉
元祿五年 神樂岡東に移されし芝藥師゛〈現 岩上神社(京都市上京区大黒町)〉

【抜粋意訳】

大柴(オホシバノ)神社

祭神
祭日
社格

所在

山城志に在 大原草生村 今稱 神明宮
考證云 今在 下小野 俗稱 落葉宮 是乎
神社覈錄に 落葉宮は志に葛野郡 墮川神社なる由云り 抑今は洛中なる上立賣大宮に柴大宮町と云ふ小名あり 其邊の町は柴某と皆柴の字を付たり
名跡志 元祿五年 神樂岡東に移されし芝藥師も往昔 此邊に在しと云り 中川親成が彼邊一條より以北なれば 昔は洛外なりし事明らか されば彼邊坐し 故大柴と云にやあんと云るもー設なり 猶考べしと云り 附て参考に備ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

神明神社(京都市左京区大原草生町) (hai)」(90度のお辞儀)

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山城国 式内社 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)について に戻る

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