大井神社(おおいじんじゃ)は 渡月橋の北の詰にあり 大堰神社とも称し 大堰川の守り神として『三代実録』貞観十八年(867)山代大堰神と記載があります 又『延喜式』山城國 乙訓郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の式内論社ともされています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
大井神社(Ohoi shrine)
【通称名(Common name)】
・大堰神社(おおぜきじんじゃ)
・大橋神社〈大橋明神〉
【鎮座地 (Location) 】
京都府京都市右京区嵯峨天竜寺造路町36
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》宇賀霊神(うがみたまがみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・大堰川の守り神・商売繁盛の神
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
延喜式内社 大井神社
御祭神 宇賀霊神(うがみたまがみ)
大堰川の守り神、また商売繁盛の神として 古来住民の信仰が厚い。また、秦氏や角倉了以の信仰も厚いものがあった。
創立年月日は未詳であるが、延喜式神名帳 (九二七年)や「三代実録」貞観十八年(八七六年)七月二十一日条(山代大堰神、並従五位下)に 記載がある。おそらくは秦氏の葛野大堰造営(八世紀初頃)と密接な関係があろう。
明治十年三月二十六日に村社に列格され 今日に至っている。現在の社殿は野宮神社の旧社殿を移築したものである。
大井神社宮司 懸野眞文
現地立札より

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【由 緒 (History)】
『都のいぬゐ』〈明治29年(1896)〉に記される内容
【抜粋意訳】
大橋明神
渡月橋の北の詰にあり、大堰神社とも稱す、三代實錄に云、貞觀十八年七月廿一日授ニ 山代(やましろ)大堰神 從五位下云々
【原文参照】

小林吉明 著『都のいぬゐ』,山鹿祭次郎,明29.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765979
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
現在の大井神社の本殿は 野宮神社(京都市右京区嵯峨天龍寺立石町)の旧社殿を移築したとのこと
・野宮神社(京都市右京区嵯峨天龍寺立石町)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
山代大堰神に 従五位下の神階が授けられた と記しています
【抜粋意訳】
卷二十九 貞觀十八年(八七六)七月廿一日丙申
○廿一日丙申
授くに
加賀國 正六位上白鳥神 郡家神 山代大堰神 並びに從五位下を
是日 卯時一刻 大極殿を作り始む 土木の工夫 並びに從事す
申の時 天に雲無して 雷す
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)乙訓郡 19座(大5座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大井神社
[ふ り が な ](おほゐの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ohoi no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
「大井神社(おほゐの かみのやしろ)」と『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の式内社と論社について
延喜式内社 山城國 乙訓郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の論社
・大井神社(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)
・綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)
延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ ふたくら)の論社
・関神社(亀山市関町)
〈明治42年(1909)関神社に合祀された大井神社(亀山市関町古厩)〉
・大井神社の遺跡(亀山市関町古厩)
〈大井神社の旧鎮座地(明治42年(1909)関神社に合祀)〉
・大井神社(鈴鹿市山辺町)
・江神社(亀山市下庄町)
延喜式内社 尾張國 山田郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の論社
・大井神社(名古屋市北区如意)
延喜式内社 常陸國 那賀郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の論社
・大井神社(水戸市飯富町)
・大井神社(笠間市大渕)
延喜式内社 丹波國 桑田郡 大井神社(をほゐの かみのやしろ)の論社
・大井神社 (亀岡市大井町)
延喜式内社 出雲國 秋鹿郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の論社
・大井神社
・五十田神社
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
京福嵐山本線 嵐山駅から渡月橋方面 南へ約140m程 徒歩での所要時間2分程度
大井神社(おおいじんじゃ)は 大堰神社とも称し 大堰川の守り神として『三代実録』貞観十八年(867)山代大堰神と記載があります その大堰川です

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鎮座地は 渡月橋の北の詰にあります

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細い路地のような参道が南に延びています
大井神社(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)に参着

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社殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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本殿の脇には〈境内社〉一宇 祀られています

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 大井神社について 祭神。所在は詳らかではない と記しています
所在について考証しています
゛沓掛村 今稱ニ 千兒明神゛〈現 大枝沓掛町から遷座した 児子神社(京都市西京区大枝塚原町)〉
゛松尾神社の末社 堰神゛〈現 大井神社(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)〉
【抜粋意訳】
大井神社
大井は於保爲と訓べし
○祭神在所等詳ならず
山城志に、在ニ 沓掛村、今稱ニ 千兒明神と云り、然れども他書にかくいへるものなく、もとより地名なるべきに、此邊に大井てふ名の殘れる所もなけれぱ、今從はず、
〔連胤〕按るに、こは葛野郡 松尾神社の末社 堰神を祭れるより〔堰神は今も大井社と稱して、即ち大井川の北臨川寺の西に在す、〕その號を稱したるにて、當郡の地名にはあらざるべし、故に廢れたるならむ、
類社
伊勢國鈴鹿郡 大井神社二座、尾張國山田郡、常陸國那賀郡、丹波國柴田郡、出雲國秋鹿郡 大井神社、各一座〔連胤〕按るに、各國祭神詳ならずといへども、かならず水神なるべく、かつ神號より地名に押移れるもあるペし、御井神は御井神社とあれば名別なるべし、
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 大井神社について 社名のみ 記されています
【抜粋意訳】
大井神社
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 大井神社について 所在は無記入ですが 考証がされています
゛綾戸(アヤトノ)宮゛〈現 綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)〉
゛沓掛村 今稱ニ 千兒明神゛〈現 大枝沓掛町から遷座した 児子神社(京都市西京区大枝塚原町)〉
゛松尾神社の末社 堰神゛〈現 大井神社(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)〉
【抜粋意訳】
大井ノ神社
祭神
祭格所在
今按 明細帳 上久世 綾戸(アヤトノ)宮を大井神社にあてたれど 大井と云べき由縁をのせず されど京都府考に其社傳に云 綾戸大明神 祭る所 三座大綾津日神 大直日神 神直日神 是也と此 三座は祓除の神にまし 古へ大井川の祓除ありしにも由あり 此社の大井川末流にあるも由ありて聞ゆと云り 是式社ならん歟
神社覈録云 山城志に在ニ 沓掛村 今稱ニ 千兒明神と云り 然れども他書にかく云るものなく 素より地名なるべきに此邊に大井てふ名の殘れる所もなければ 今従はず
〔連胤〕按るに こは葛野郡 松尾神社の末社 堰神を祭れるより〔堰神は今も大井社と稱して 即ち大井川の北臨川寺の西に在す〕其號を稱したるにて當郡の地名にはあらざるべし 故に廢れたるならむと云り 故今定めがたし姑附て考を俟つ
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
大井神社(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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