赤崎神社(あかさきじんじゃ) は 豊受大神宮(外宮)の末社です 建久年間(1190~1199年)の皇太神宮年中行事〔贄海神事 六月十五日條〕に゛悪志(アクシ)・赤崎(アカサキ)加布良古(カブラコ)明神を祭る゛と記されています 御祭神は 荒崎姫命(あらさきひめのみこと)贄海〈海の海産物を捧げる〉の守り神とされています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
赤崎神社(Akasaki shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県鳥羽市鳥羽5丁目2
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》荒崎姫命(あらさきひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・〈豊受大神宮(外宮)末社〉
【創 建 (Beginning of history)】
『神宮要綱』〈昭和3年〉に記される内容
【抜粋意訳】
赤崎神社
鎭座地 三重縣志摩郡烏羽町大字鳥羽
殿舎
正 殿 神明造、板葺、南面・・・壹宇
玉垣御門 猿頭門、扉付・・・壹間
玉 垣 連子板打・・・壹重
鳥 居 神明造・・・壹其
右神宮司廰造替赤崎(アカサキ)神社は儀式帳の一本に見ゆ。其の社地、類聚神祇本源所載長徳檢錄及び神樂歌に、志摩國 智久利島(チグリジマ)に在りとす。神名略記之を鳥羽 藤之郷(フヂノガウ)に擬し、志陽略誌同船倉の南赤崎海濱とす。是れ現今の社域なり。今の鳥羽町は往昔伊勢・志摩の國境にして、町内を橫断する處の小流 妙慶(メイケイ)川を以て両國を分てることを傳ふと雖も、現今の赤 崎神社の社域は町の南端に在りて、地勢上全然志摩に属すべき所なり。故に伊勢度會郡内なるべき両宮攝末社の、此の處に在るべき謂れなし。一説同町の産土神 賀多(カタ)神社を以て、本社の遺地ならんと云ふものあり。然れども本社の鎭座地なる智久利島は、加茂村大字 安樂島(アラシマ)の地域に属せるによれば、本社を烏羽町内に擬せるは當らざるに似たり。祭神明かならず。建久の皇太神宮年中行事六月十五日贄海神事の條に、悪志(アクシ)・赤崎(アカサキ)加布良古(カブラコ)明神を祭ること見ゆ。明治二十七年上地官林一段九畝七步を復舊して、現狀を爲せり。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『大神宮叢書』前篇〈昭和7-9年〉に記される内容
【抜粋意訳】
赤崎神社
此社は帳に赤崎神社とあり。赤崎は地名なり。祭神は外宮の書にいへる事なければ、詳かならざれど、内宮古行事記〔贄海神事、六月十五日條、〕詔刀に、惡志赤崎加布良古明神とあれば、此神を祭るなるべし。〔此加夫良胡明神は志摩國一の宮といへる神にて、船祭に祭るといへり。内宮田社荒崎神社の條に云り。〕
社地は神祇本源に智久和島にありといへり。〔神名秘書にも同じさまにいへり。されど此島はいづくならん。今の世に傳はらず。〕神境紀談に、志摩國答志郡鳥羽藤郷に在て、赤崎大明神といへるよし見えたり。〔今按ふに、赤崎村は鳥羽城の南にありて、藤の郷に近ければ、かく傳へしなるべし。今も此地に赤崎社ありといへり。〕猶此神の事は、上〔内宮攝社考荒崎社、また詔刀考の両條、〕に云べし。
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
赤崎神社は 豊受大神宮(外宮)の末社です
・豊受大神宮(外宮)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
内宮・外宮の別宮・攝社・末社・所管社について
お伊勢さん125社について
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
赤崎神社 (あかさきじんじゃ)〈外宮域外の末社〉の所在について
赤崎神社の旧鎮座地については諸説〈・智久和島(智久利島)にあり・賀多神社が旧跡である等々〉があり 定まっていません
『鳥羽誌』〈明44年〉に記される内容
赤崎神社について 詳細な説明の後「或は曰ふ 日和山の南麓に在る賀多神社の森は此の社の舊地なり」と賀多神社が旧跡であると記しています
【抜粋意訳】
▲赤崎神社
藤の郷字赤崎 (舊船倉の南海岸)に在り、豊受大神宮の攝社にして、荒崎媛命を祭る、境内千廿二坪、樹木鬱蒼、前面は則ち烏羽浦にして安樂島、村山、坂手の白石濱を望める佳景の地なり、夏時納凉の客多し、(赤崎は土赤きを以て名く、是れ地下の黃銅礦が大氣の作用を受け、酸化鐵となりて地上に暴露したるもの、俗に此土をヤケどと稱し此土あれば必らず地下に礦脈あるを稱せり)、もと赤崎明神といひ、神祇本源に「赤崎明神在知久私島」止由氣太神宮儀式帳及び長徳檢錄に「赤崎社」建久内宮年中行事六月十五日贄海(にへのうみ)神事の祝詞に「惡志赤崎加布良古(あくしあかざきかぶらこ)の明神」と記すもの即ち是なり、或は曰ふ日和山の南麓に在る賀多神社の森は此の社の舊地なりと、此社神宮の攝社なるを以て神宮より祠官來りて二月二十二日新年祭、六月二十二日月次祭、十月二十二日神嘗祭、十一月二十八日新嘗祭、十二月二十二日月次祭を行ひ、尚ほ舊慣として藤の郷の者七月一日を以て私祭を行ふ、是れ烏羽に於ける大祭の最終なりとす。
【原文参照】
・赤崎神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉《主》荒崎姫命(あらさきひめのみこと)
・賀多神社(鳥羽市鳥羽)
〈赤崎神社の旧鎮座地〉
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄志摩線 志摩赤崎駅から 加茂川を下るようにR167号を北東へ約450m 徒歩6分程度
赤崎神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉に参着
一礼をして 参道石段を上がります
手水鉢には 清水が溢れていますので 清めます
石垣で築かれ 整然としている境内 正殿にすすみます
お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
境内に「お伊勢さんファミリー表」なる番付表のようなものがあり中々面白いので
社殿に一礼をして 参道石段を戻ります
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【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式外社 赤崎神社について 所在は志摩國 答志郡鳥羽藤郷に在す〈現 赤崎神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉〉と記されています
【抜粋意訳】
赤崎神社
祭神詳ならず
〇今 志摩國 答志郡鳥羽藤郷に在す、神名略記、
〇神祇本源云、在に智久私島」
内宮年中行事云、贄海神事、到に着河原木神崎、先祭に崎々神々、詔刀云、悪志赤崎加布良古明神、
【原文参照】