石部神社(四日市市朝明町)〈『延喜式』石部神社二座・(合祀)太神社〉

石部神社(いそべじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 朝明郡 石部神社二座いそへ かみのやしろ ふたくらの論社です 明治末期の神社合祀令により 延喜式内社 伊勢國 朝明郡 太神社(おほみわのやしろ)を大正5年(1916)合祀しています 太神社は昭和22年(1947)石部神社から(北野山の現在地)に分祀されています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

石部神社(Isobe shrine

通称名(Common name)

田の宮(たのみや)

【鎮座地 (Location) 

三重県四日市市朝明町 512

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》屋根命(あめのこやねのみこと)
   天照大御神(あまてらすおほみかみ)

《合》応神天皇(おうじんてんのう)
   保食神(うけもちのかみ)
   素盞嗚命(すさのをのみこと)
   大山祇命(おほやまつみのみこと)
   天目一箇命(あめのまひとつのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

・生活の守護神.農業工業商業の発展繁栄.金属工業守護.商売繁盛.開運招福.必勝祈願.家内安全.安産.学業成就.入試合格.出世開運.厄除け.心願成就

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

石部(いそべ)神社

 ご祭神は、主祭神の天屋根命(あめのこやねのみこと)の他、天照大神(あまてらすおおみかみ)・応神天皇(おうじんてんのう)・保食神(うけもちのかみ)・素戔鳴命(すさのをおのみこと)・大山祇命(おおやまずみのみこと)・天日一箇命(あめのまひとつのみこと)である。

創祀年代は詳らかでないが「延喜式神名帳」(廷長年・九二七年)に記載されていることから、約千百年以前にはすでに祀られていた。

当社は、明治の合祀令により、朝明町・北山町・西大鐘町・札場町(山城町・大鐘町の氏神は戦後の分祀)の氏神として現代に至っている。

「石部」の由来は、下野の歴史の中で「新宮御領荘園目録」に下野御薗(岩田御厨)の名がみられ、新宮との関係がたいへん深く、当時新宮の神主で勢力を持った「族」が統括そして繁栄し、氏族と由縁の深い神々をお祀りされたものと考察される。

下野地区史跡委員会

現地立札より

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【由  (History)】

由緒

 当社は鈴鹿山系の朝明渓谷に源を発する朝明川の辺、下野地区は朝明町に鎮座し、旧下野三郷(中里・北山・山城)の氏神であったが、明治の合祀令により、朝明・北山・西大鐘・札場(山城・大鐘の氏神は戦後に分祀)の氏神として現在に至っている

 創祀年代は詳らかでないが、「延喜式神明帳」に記載されていることから、約1200年前には既に国家の待遇を受けている
「石部(いそべ)」の由来は、下野の歴史の中で、「神宮御領荘園目録」に下野御園「岩田御厨」の名が見られ、神宮との関係が深く、当時神宮の神主で勢力を持った「石部一族」が統括そして繁栄し、氏族と由緒の深い神々をお祀りされたものと考察される。

 <特殊神事> 

 当社は神宮に奉る供物を調達する御園(田畑)を守る守護神として祀られ、古くから“田の宮さん”と親しく呼ばれて崇拝されて来た。その貴い由緒を稲作りを通じて後世に残し伝える為「一坪神田」がある。わずか一坪ではあるが、祈年祭の鍬入れの儀から、御田植祭、夏祭の虫送りの儀、収穫祭の抜穂の儀、新嘗祭の新穀感謝祭に至るまで、一年間の祭典と一連の稲作りの係わりを啓蒙教化していくには意義深いものがある。尚、この神田で取れた初穂は、“新嘗の初穂”お守りとして氏子授与されている。

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会HPより
https://jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63638

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・〈境内社〉水神社

ご祭神 弥都波能売神(みづはのめのかみ)

ご神徳 水の守護神

 井戸・水口(みなくち)の神 天地自然の水の恵みに感謝いたしましょう。

現地案内板より

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・太神社(四日市市大鐘町)

延喜式内社 伊勢國 朝明郡 太神社(おほみわのやしろ)

明治末期の神社合祀令により 大正5年(1916)太神社旧跡は 石部神社に合祀されまし 昭和22年(1947)石部神社から(北野山の現在地)に分祀されています

・一目連神社跡(西大鐘町)

〈明治末期の神社合祀令により 〈太神社 旧鎮座地〉太神社跡(四日市市大鐘町)に合祀 その後 大正5年(1916)太神社と共に石部神社に合祀された 一目連神社の鎮座地跡〉

一目連神社跡

 『日本書記』は、大物主神の帰順(国譲り神話)に際して、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)を「作金者(かねたくみ)と」と記している。

 一目連神社は、天目一箇神を祭神とする。金属工業の神として事業の繁栄を、さらに、風や雨を支配することから農業・水産の神、雨乞いの神として民間の信仰は篤い。

 西大鐘の一目連神社は、文政年(一八二六)月に、庄屋の門脇氏が洪水や干害の数多く発生したこの地の五穀の豊穣を祈願して多度大社から勧請(かんじょう)した。
また、古代に伊勢国の金作部(かねつくりべ)が置かれていた「大金郷」に属し、「金打」という地名の残るこの地に有縁(うえに)を求めたものとも思われる。

 明治二十三年(一八九〇)の『社寺所有地調』によれば、当時、2反4畝24歩の社地の中に4尺5寸四方の神殿と、正面2間3尺5寸奥行9尺5寸の拝殿があった。
現在、祭神は石部神社に祀られている

下野地区史跡委員会

現地立札より

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

石部神社(四日市市朝明町)は 二つの式内社の論社です

①延喜式内社 伊勢國 朝明郡 石部神社二座〈本社〉
②延喜式内社 伊勢國 朝明郡 太神社〈大正5年(1916)石部神社に合祀された太神社(四日市市大鐘町)〉

①延喜式内社 伊勢國 朝明郡 石部神社二座〈本社〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)朝明郡 24座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 石部神社
[ふ り が な ]いそへ かみのやしろ ふたくら
[Old Shrine name]Isohe no kaminoyashiro

②延喜式内社 伊勢國 朝明郡 太神社〈大正5年(1916)石部神社に合祀された太神社(四日市市大鐘町)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)朝明郡 24座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 太神社
[ふ り が な ](おほみわのやしろ)
[Old Shrine name]Ohomiwa no yashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

石部神社(四日市市朝明町)は 二つの式内社の論社です

①延喜式内社 伊勢國 朝明郡 石部神社二座〈本社〉
②延喜式内社 伊勢國 
朝明郡 太神社〈大正5年(1916)石部神社に合祀された太神社(四日市市大鐘町)〉

①伊勢國 朝明郡 石部神社二座(いそへの かみのやしろ ふたくら)の論社

・石部神社(四日市市朝明町)

・石部神社(いなべ市大安町石榑南)〈参考論社〉

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『延喜式神名帳』所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社について

『延喜式神名帳』に所載される各々の「いそへのかみのやしろ」は 古代の氏族・「石邊公」「石部氏」に関係する神社 又は 海人族の「磯部氏」に関係する神社とも云われ 数多く分布しています

音は「いそへ」と同じでも その要因は 様々な要素から成り立っていて 特定は非常に難しく その為 各々の神社を検証してみます

②延喜式内社 伊勢國 朝明郡 太神社(おほみわのやしろ)の論社について

・太神社旧跡(四日市市大鐘町)
〈旧鎮座地(東大鐘村字大坪)〉

・石部神社(四日市市朝明町)
〈大正5年(1916)太神社旧跡は 石部神社に合祀された〉

・太神社(四日市市大鐘町)
〈昭和22年(1947)石部神社から(北野山の現在地)に分祀〉

・大神社(いなべ市大安町)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

三歧鉄道 山城駅から朝明川を渡り北方向へ約1.4km 車での所要時間は4~5分程度

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田の中に東を向いて境内があります

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石部神社(四日市市朝明町)に参着

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社頭で一礼をしてから 鳥居をくぐり抜けて境内参道へ

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すぐ左手には゛延喜式内 村社 石部神社゛と刻字された社号標があり その奥の手水舎にて清めます

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よく見ると 鳥居の右手にも社号標がありました

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参道を進み

拝殿にすすみます

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拝殿の前には 二の鳥居が建てられています

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拝殿の御神紋

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 漆喰の白壁に囲まれた神域があります

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中には 最も奥に玉垣に囲まれて本殿が祀られています

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社殿に一礼をして 境内参道を戻ります

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東向きの参道 おそらくは夏至の日之出道か?

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 石部神社二座について 祭神所在は゛祭神在所等詳ならず゛〈祭神・所在とも良くわからない〉と記しています

北勢古志』の説として゛石榑村に在とのみ云るは委しからず゛〈現 いなべ市大安町にあるとは あやしい〉〈現 石部神社(いなべ市大安町石榑南)〉とも記しています

【抜粋意訳】

石部神社二座

石部は伊曽倍と訓べし

○祭神在所等詳ならず

 北勢古志云、此神社は、古谷草子、俚諺抄、また或書にも、石榑村に在とのみ云るは委しからず、抑此村は、石榑北村、同南村、同東村、同下村とて四村あるが中に、神社は、云々、総て十七社あれば、今いづれをそれとさせるにかあらんいとおぼつかなし、猶よく考べて定むべき事也、
其中に北村なる神明社は、熊谷権現と神明と合せ祭るよし里人云り、もしくは是にもあらんか、こは外々の社に、二柱なるは聞えぬを、是のみ然るか、二座とあるにかなへれば、こゝろみにおどろかしおく也、

 又祭神を古谷双紙には天日鷲命と云、或書には天日方奇日方命也と云り、共に詳ならず、將二座とあるにも叶ひ難し、

類社

 近江国愛智郡石部神社二座、同國蒲生郷、趣前国今立郡、加賀國能美郡、伺國江沼郡菅生、越後國古志那桐原、同國三嶋郡御嶋、但馬国出石郡、同國朝来郡刀我、同国同郡朝来、播磨国賀茂郡石部神社、各一座
加賀国江沼郡宮村、丹波國氷上郡、同國船井郡出石鹿、丹後國與謝郡阿知江岩部神社、各一座
越中国射水郡、越後邦頚城郡水嶋磯部神社、各一座
近江国野洲郡馬路石邉神社

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 太神社について 所在は゛片樋村膳森に在す、゛〈現 大神社(いなべ市大安町)〉と記しています
其の他の説として゛考証に、東大鐘村産社゛〈現 太神社旧跡(四日市市大鐘町)〈旧鎮座地(東大鐘村字大坪)〉〉も挙げています

【抜粋意訳】

大神神社

 大神は於保美和と訓べし

○祭神 大己貴命風土記残缺〕

○片樋村膳森に在す、俚諺、古志今三輪大明神とす、

 北勢古志云、此神社は片樋村に在て、世に膳森と唱ふるもの也、抑此森は、風土記にも、膳森、此森在靹尾村西一里、雖森無樹木、唯有一廟、祭大己貴神也、土民毎年落梅之時、供神膳、此四時無蚊蛇、とある森也、

○考証に、東大鐘村産社此歟、と云るは論に足らず、

類社
 大和國城上郡 大神大物主神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 石部神社二座について 所在は゛員辨郡石榑南村にあり、゛〈現 石部神社(いなべ市大安町石榑南)〉と記しています

【抜粋意訳】

石部(イソヘノ)神社二座

今 員辨郡石榑南村にあり、〔神名帳考証、神名帳検録、〕石邊公祖神 大物主命 久斯比賀多命 及 山末之大主命を祀る、〔新撰姓氏録、本社傳説〕

式内社 太神社について 所在は゛今 大鐘村にあり゛〈現 太神社旧跡(四日市市大鐘町)〈旧鎮座地(東大鐘村字大坪)〉〉と記しています

【抜粋意訳】

太神社

今 大鐘村にあり、〔神名帳考証、式内社検録、〕〔〇按 検録、社の近傍に、大坪 大橋 大門など、大と唱ふる地名おほし、

盖 多朝臣祖 神八井耳命を祀る、〔延喜式、姓氏録大意、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 石部神社二座について 祭神所在は記入なく〈祭神・所在とも良くわからない〉と記しています

諸説として゛傍注には大矢智村に在とし 考證には小向村に在とす 共に無證の説にて信するに足らず゛〈証拠なく ともに信頼が出来ない説と記し〉
諸書は゛石榑村゛を推しているが 石部の石字に附會するのみ〈現 石部神社(いなべ市大安町石榑南)〉とも記しています

又゛忍藩明細帳には中里村 或は北山村 或は山城村に在とす 此三村は舊と下野村といふ一村なるを後に三分せしなり゛〈現 石部神社(四日市市朝明町)〉も挙げています

【抜粋意訳】

石部神社二座

祭神
祭日
社格
所在

 今按るに 傍注には大矢智村に在とし 考證には小向村に在とす 共に無證の説にて信するに足らず

 又 按内記には石榑とす 以後の諸書從て 石榑村のいしか社に配し 或は石榑北村の神明社に塡つ
 桑名藩取調書には石榑南村の山王社配して云く 此地今は員辨郡なれとも 往古は朝明郡の管内也 勢桑兄聞略志に寛永十二年より實永七年まで桑名領郷村帳 朝明郡 宇賀 石樽 片樋とありと載せ にも康平天仁の棟札 古文書 石部神社  寺にあり 民の家に蔵す各朝明郡 石部神社 朝明郡石榑等の文なりと云へれと山王祠に棟札あ事なく  片樋は員辨郡たるへき事 應安貞治の舊證丹生川村にすされは 古昔の郡界は宇賀村の北な字賀川を以て限つらむ に石榑村は其河北に在り旦いしか社と倭名郡に石加〔以之加〕郷あなるへけれは 石榑は員辨に属すへき事必せり を石字に拘泥して 本社を其村に牽強するは從かたし

 又 忍藩明細帳には中里村 或は北山村 或は山城村に在とす 此三村は舊と下野村といふ一村なるを後に三分せしなりとそ 其三村の 總産神中里の北畝中に在る春日明神 又 北山の岩田明神にも配せれと 共に新社にして明證なし 石榑も岩田も石部の石字に附會するのみ 猶 眞偽を考索すへし

式内社 太神社について 所在は゛大鐘村 (三重郡下野村大字束大鐘 )゛〈現 太神社旧跡(四日市市大鐘町)〈旧鎮座地(東大鐘村字大坪)〉〉と記しています

別説として゛一説 片樋村の三輪明神゛〈現 大神社(いなべ市大安町)〉を挙げています

【抜粋意訳】

太神社

祭神

 今按 神名帳の中 大神社 或は大神神社とありて おほむわ 又 おほみわ と訓するもの諸国にあれど 太神社に作るは本社のみなり されば 本社は おほのかみのやしろ と訓て 太朝臣の氏神社とみるべきか 奄藝郡 大乃己所神社 和泉國大島郡 石津太神社 河内國讃良郡 高宮大社祖神社などある太ノ字と同趣の大神なるべし

祭日
社格 村社

所在 大鐘村 (三重郡下野村大字束大鐘 ) 

 今按 一説 片樋村の三輪明神と云ひ 今字に鈴置場 猿樂場 木綿木中納言田 大和田 土器井あり 又 御手洗池あり御供田あり 神宮寺の基址もあり舊神官もありて 古へは大祭ありしさまにみえ 今は員辨郡につきたれど 寛永十二年の郷村帳に宇賀村 石持村 片樋村いづれも朝明郡の分に記された

りと云れど 今地勢を實践するに片樋村は丹生川の上中下の三村 久保村等同郷たるベき趣にて 員辨に属すること古今不易の地なるべし

 されば大鐘村の産神 今云 諏訪明神とすべし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

石部神社(四日市市朝明町) (hai)」(90度のお辞儀)

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伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る

 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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