金富神社(きんとみじんじゃ)は 当初は「矢幡(ヤハタ)」と呼ばれ 大分県宇佐市に鎮座する「宇佐神宮」の元宮とされています 宇佐神宮は 全国にある八幡宮の総本社ですので その元宮にあたる金富神社は 八幡神(ヤハタノカミ・ヤワタノカミ・ハチマンノカミ)の元宮となり 「八幡神顕現の霊地」と呼ばれていて 原始八幡神創祀遺跡(学説)もあります
目次
- 1 1.ご紹介(Introduction)
- 2 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
- 3 宇佐神宮(usa jingu)の創建由来にかかわる「元宮・祖宮&奥宮」について
- 4 神社にお詣り(Pray at the shrine)
- 5 神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
金富神社(kintomi shrine)
(きんとみじんじゃ)
【鎮座地 (location) 】
福岡県築上郡築上町湊392-2
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》応神天皇(ojin tenno)
《配》仲哀天皇(chuai tenno)
神功皇后(jingu kogo)
木花佐久夜姫命(konohanasakuyahime no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・宇佐神宮の元宮
【創 建 (Beginning of history)】
社伝では 神亀元年(724年)創建
(724年)宇佐に八幡神を祀る神殿(宇佐神宮)を造営するにあたり 神託で当地にて斧立神事を行い「仲哀天皇・応神天皇・神功皇后」の3柱の神を勧請
それ以前からも 宇佐八幡宮の元宮であった もしくは霊地であったという説もあります
【由 緒 (history)】
金富神社(きんとみじんじゃ)
社伝
聖武天皇(しょうむてんのう)の神亀元年(724年)豊前守男人、藤井連毛(ふじいのむらげ)が勅を奉じて宇佐小倉山に神殿造営の命を受けた。この時 神託によって築城郡安岐之水戸(赤坂湊(あかさかみなと)=湊)の金富の岡に神幸されることになり、三間の仮殿を造り榊山(さかきやま)に滞在されて、斧立の儀を修した。そして、本庄村(築城町)で杣立(そまたて)の儀を修して 再び当社に還行された。
そのことがあってから宇佐の大神首人が来て、この地に社殿を建立し、八幡を勧請し奉った。これが「日本勧請之最初也」といわれ それ以来 宇佐神宮の神殿再興の節は当社に行幸になることが旧例となっている。
社名は 創祀の頃は 矢幡八幡と呼ばれ、次いで湊八幡、絹富八幡と変わり、江戸時代になって金富八幡となり 今日では金富神社と称せられるようになった。榊山(さかきやま)神事
当社では、毎年二月の初卯の日に行われ初卯祭ともいわれる。前後に担ぎ棒を付けた台に神籬(ひもろぎ)を立て、これを奉じて村内をねり歩く。氏子の家ではこの日、赤飯を炊いて祝う。
椎田町教育委員会 椎田町文化財研究協議会
境内案内板より抜粋
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・菅原神社(tenjin sama)
《主》菅原道真公(sugawara no michizane ko)
・貴船神社(okibune san)
《主》高龗神(takaokami no kami)
・須佐神社(gion sama)
《主》素戔嗚尊(susanowo no mikoto)
・厳島神社(benten sama)
《主》市杵島姫命(ichikishimahime no mikoto)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
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宇佐神宮(usa jingu)の創建由来にかかわる「元宮・祖宮&奥宮」について
金富神社は 宇佐神宮の八幡神の元宮と伝わっています
【元宮と云われる】(八幡神)
・金富神社(kintomi shrine) (矢幡八幡宮 福岡県築上郡築上町)
詳しくは 金富神社の記事もご覧ください
【祖宮と云われる】(八幡大神)
・薦神社(komo shrine) (大貞八幡宮 大分県中津市)
詳しくは 薦神社の記事もご覧ください
【奥宮と云われる】(比売大神)
・大元神社(omoto shrine)(大元神社 大分県杵築市)
詳しくは 大元神社の記事もご覧ください
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
椎田駅から 南東方向へ1.2km 徒歩約15分 R10号沿いに鎮座
車 R10号沿いに鎮座
湊公民館が建っていて
「八幡神顕現の霊地 金富八幡宮」の看板がありますのすぐにわかります
金富神社(kintomi shrine)に到着
公民館の駐車場に停めさせて頂くと案内板があり 読み耽ります
すぐ横の入口から 一礼して 境内に入ります
境内は 広く平らで 白い小砂利が敷き詰められていて手入れがされています
右手に鳥居が見えますので そちらに向かいます
すぐ右手に境内社があり お詣りです
・菅原神社(tenjin sama)
《主》菅原道真公(sugawara no michizane ko)
社殿方向を見ると 立派な拝殿とその奥に大きな本殿の屋根が見えます
改めて
一礼して鳥居をくぐり抜けます 鳥居の扁額には「八幡宮」とあります
社殿の右横から向かう感じです 手前には神札授与所があります
拝殿にすすみます
拝殿には 注連縄が張られて 金富神社と銘入りの提灯
この注連縄は 五月の神幸祭の山を引く縄を奉納したものと説明書きがあります
拝殿内には 絵馬が掛けられていて 扁額には「八幡神社」とあります
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿を左から望むと 奥の本殿には知被けませんが その脇に境内社が見えます
境内社にお詣りです
本殿の向かって右側の境内社
・貴船神社(okibune san)
《主》高龗神(takaokami no kami)
本殿の向かって左側の境内社
・須佐神社(gion sama)
《主》素戔嗚尊(susanowo no mikoto)
池の中の小島の境内社
・厳島神社(benten sama)
《主》市杵島姫命(ichikishimahime no mikoto)
境内には庚申塔が沢山祀られています 礼をしながら境内を後にします
鳥居をくぐり抜けて 振り返り一礼します
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
社名の由来について 「原始八幡神創祀遺跡(学説)」では
創祀の頃は 「ヤバタ」「ヤハタ」と呼ばれていて
神仏習合が始まったとされる9世紀頃からは「八幡(ハチマン)」とも読むようになっていき「矢幡八幡(ヤハタハチマン)」と呼ばれます
当社「金富神社(kintomi shrine)」は その八幡神の古宮趾とされています
当初は「矢幡(ヤハタ)」と呼ばれ 大分県宇佐市に鎮座する「宇佐神宮」の元宮とされています
金富神社(kintomi shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)