➄根堅州國(ねのかたすくに)の試練

葦原色許男神(あしはらしこをのかみ)は 女性に好かれ 試練を乗り越える力を持つ神として描かれる

大穴牟遅神が〉根堅州国(ねりかたすくに)到着すると すぐに須佐之男命(すさのをのみこと)の女(むすめ)須勢理毘売(すせりびめと恋に落ち 結婚をします

〈須勢理毘売(すせりびめ)〉「麗しい神大穴牟遅神が来られました」と報告をする 父の須佐之男命(すさのをのみこと)は これを見て「これは 葦原色許男(あしはらしこを)という神ぞ」と言われ 数々の試練を与えます しかし 妻の須勢理毘売に助けられて その試練を乗り越えます

・那賣佐神社(出雲市東神西町)《主》葦原醜男命須勢理姫命

『出雲国風土記』には
大国主命が 須佐之男命の御子で この里の岩坪で生誕せられたという須勢理姫(すせりひめ)命を娶り 通(かよ)い坐(まし)ました所〉と記されます

・岩坪明神〈神霊は 平安時代 那賣佐神社に合祀〉岩坪明神の旧鎮座地

スポンサーリンク

『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承

Please do not reproduce without prior permission.

【抜粋意訳】 

〈大穴牟遅神が〉言われたままに 須佐之男命(すさのをのみこと)の御所(みもと)参(まい)りました

すると その女(むすめ)須勢理毘売(すせりびめ)が 出て姿を見て 互いに目を合せ そのまま結婚されました

須勢理毘売(すせりびめ)が帰って その父〈須佐之男命〉に麗しい神が来られましたと言いました 

その大神(おほかみ)〈須佐之男命〉 出て見て「れは 葦原色許男(あしはらしこを)というぞ」と言われました

やがて 御殿に呼び入れて の室〈部屋に寝かせました

妻の須勢理毘売命(すせりびめのみことは 蛇比へびのひれ)を授けて その夫に言いました
その蛇が うとしたら この比ひれ)を三度(みたび)振(ふり)いたまえ
教えのとおりにすると 蛇は自(おの)ずとまり それで平穏に寝て出られました 

また 次の日の夜は 呉公(むかで)と蜂(はち)室〈部屋に入れられましが また 呉公(むかで)と蜂(はち)のひれ)を 授け教えられたので 平(やすく)られました 

また〈須佐之男命が〉鳴鏑(なりかぶら〈鏑矢〉 大野〈大きな野原〉の中に射りて その矢を取って来いと命じました
大穴牟遅神が〉矢を求め その野に入ると
須佐之男命が〉火を放ち その野を焼き廻らしたので
大穴牟遅神が〉そこから出る所を知らず 困つている時

(ねずみ) 来て 云(い)うには
「内うち 富良富良(ほらほらそと 須夫須夫(すぶすぶうので
大穴牟遅神が〉そこを踏むと 落ちて隱れ入りました この間に 火は焼け過ぎていきました
その鼠(ねずみ) その鳴鏑(なりかぶら〈鏑矢〉を咥えて出て来て 奉りました その矢の羽はね (ねずみ)の等(こども) 皆食べておりました 

その 須勢理毘売(すせりびめ)は 喪具葬式の道具を持て泣きながらやって来られると その父の大神須佐之男命〉も すでに死んだとお思い その野に出てみると 

大穴牟遅神が〉その矢を〈須佐之男命に〉奉りました 

その時に須佐之男命が〉〈大穴牟遅神を〉家に引き入れ 八田間大室(やたやのおおむろや〈とても大きな部屋〉に呼び入れ その頭の虱(しらみ)を取らせました さらに 頭を見ると 呉公(むかで)がいっぱいおりました 

ここに
その妻須勢理毘売 牟久(むく)の木の実 赤土  その夫大穴牟遅神に授けました
その木の実を いやぶり赤土を口に含んで吐き出すと その大神須佐之男命は呉公(むかでいやぶり吐き出していると思い 御心(みこころ) 愛(いとしく)なられ 寢てしまわれた 

【原文参照】 

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

⑥大国主神(おおくにぬしのかみ)と名乗る に進む

スポンサーリンク

”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)
『古事記』に登場する神話の舞台 に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-神話の舞台
-

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.