月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
・月讀宮(つきよみのみや)
・月讀荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)
・伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)
・伊佐奈彌宮(いざなみのみや)
【通称名(Common name)】
・月讀宮(つきよみのみや)
【鎮座地 (Location) 】
三重県伊勢市中村町742-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
月 讀 宮 《主》月讀尊(つきよみのみこと)
月讀荒御魂宮《主》月讀尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)
伊佐奈岐宮《主》伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊佐奈弥宮《主》伊弉冉尊(いざなみのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 4つの宮はともに 皇大神宮(内宮)別宮
【創 建 (Beginning of history)】
『神宮摂末社巡拝 下』
【抜粋意訳】
月讀宮(つきよみのみや)
四列してゐる中で、向って右から二番目の御社が一番大きい。これがこの四祉の中て中心をなしてゐる月讀宮である。御祭神は月讀尊(つきよみのみこと)と申し ,天照大神の御弟神に當らせらる。又月の神として、月の世界の支配神とせられる。月は水の干満(みちひき)を支配するを以て、農耕信仰の上からは ,水利農業の神として、昔から信仰が寄せられてゐる。奈良時代には月讀社(つきよみのやしろ)と稱されてゐたが(績日本紀、神護崇雲三年二月の條)平安初期の桓武天皇の延暦儀式帳には既に月讀宮として、宮號宣下の御尊崇を受けてゐる。
皇祖大神の御弟神として、皇室より特別の御崇敬を受けるに至ったことを意味するものである。
後宇多院御製とこやみを照すみかげのかはらぬは今もかしこき月よみの神
月讀荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)
本社は月讀宮の東で、向って最右端の宮である。御祭神は月讀尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)と申上げる。月讀宮の御祭神を月讀尊和御魂(つきよみのみことのにぎみたま)とするのに対して、本社はその荒御魂(あらみたま)を御祭り申し上げたものである。これは皇大神宮の御本宮を和御魂宮とするのに対してその荒御魂宮として、荒祭宮のあるのに倣ったものといふことが出來よう。奈良時代の寶龜三年八月 (績日本紀)に荒御玉命(あらみたまのみこと)を官社 (國家公認の官幣供進社のこと)に列し、次いで延曆儀式帳時代には宮號を加へられるに至った。戰國時代一時、造替遷宮行はれず、ために長い間、月讀宮の中に、合祭せられて來たものであるが ,明治六年に至り、舊に復するに至った。
月讀宮を本殿と稱するのに対して、月讀荒御魂宮を小殿ともいってゐる。伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)
四社の中、向かって右から三つ目の社が、伊佐奈岐宮である。御祭神は天照大神の御父神の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を御祭り申上げてゐる。延曆儀式帳によると本社の御鎭祭は奈良時代で、同時代の終り、光仁天皇の寶龜三年(ー四三二年)に、官社に列せられた。次いで、平安中期 清和天皇の貞観九年 (一五二七年)に宮號宣下のことあり、こゝに始めて伊佐奈岐宮と稱するに至つたのである。
伊佐奈彌宮(いざなみのみや)
四社の中で向って最左端 (西)の社が伊佐奈彌宮である。御祭神は天照大神の御母神の伊弉冉尊(いざなみのみこと)を御祭り申上げてゐる。伊佐奈岐宮と同じく、奈良時代の鎭祭にかかり、宝龜三年に官社に列し、貞観九年に宮號宣下あらせられてゐる。思ふに両社合せて、皇大神宮の御両親の大神にましますを以て、皇室より特別に御尊崇あらせられたことによるものである。伊佐奈岐宮を大殿、伊佐奈彌宮を小殿と稱してゐる。後、戰國時代に造替遷宮のこと行はれず、伊佐奈岐宮の中に合祭されてゐたが、明治六年舊に復するに至つた。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
月讀宮以下四別宮
御祭神
月讀宮(つきよみのみや)月讀尊 (つきよみのみこと)
月讀荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)月讀尊荒御魂(あらみたま)伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊佐奈彌宮(いざなみのみや)伊弉冉尊(いざなみのみこと)『日本書紀』「古事記』によると、伊弉諾尊・伊弉冉尊は天より降って、国生み、神生みをされた神で、天照大神(あまてらすおおみかみ)と月讀尊の御親神(みおやのかみ)です。火の神を生んでみまかられた伊弉冉尊を追って黄泉の国へ行き、地上に戻られた伊弉諾尊がみそぎをされた時、左目より天照大神が、右目より月讀尊がお生まれになりました。伊弄諾尊は、姉神の天照大神に高天原を、弟神の月讀尊に夜之食国(よるのおすくに)をお治めになるようご委任されました。月讀尊はその光彩(こうさい)が天照大神に次ぐものとされ、太陽に次ぐ月になぞらえてお讃えしたものといわれます。
月讀荒御魂宮には月讀尊の荒御魂がお祭りされています。荒御魂とは、神さまの御魂のおだやかな御姿を和御魂(にぎみたま)と申し上げるのに対して、時に臨んで格別に顕著な神威(しんい)をあらわされる御魂のお働きです。
この四別宮の御神名には尊の文字が用いられていますが、これは『日本書紀』において神々の御名を述べるにあたり、「至って尊きを尊(みこと)といい、その他を命(みこと)という」と注記されているのに従っています。
ご鎮座の由緒と歴史
月讀宮の創始についての詳細は不明ですが、その由緒は古く、奈良時代には月讀社と称され、平安以前に月讀宮の宮号を有していたと考えられます。延暦二十三年 (八〇四 )に撰述(せんじゅ)された『皇太神宮儀式帳』には「月讀宮一院」とあり、つづいて「正殿四区」と記され、一つの囲いの中に現在と同じ四柱の神がお祭りされていたと考えられ、総合して月讀宮とお呼びしていたことが分かります。
宝亀三年 (七七二 )、月讀尊の神威を畏み、荒祭宮に準じて毎年九月に幣馬(へいば)が奉られることになり、月讀尊荒御魂、伊弉諾尊、伊弉冉尊が官社(かんしゃ)に列せられました。仁寿三年 (八五三 )、大風洪水により月讀宮と伊佐奈岐社が流され、斉衡二年 (八五五 )に現在地に遷座されました。それ以前は諸説ありますが、この地の近く、もう少し五十鈴川に近いところにお祭りされていたと考えられています。
貞観九年 (八六七 )の『日本三代実録』には、伊佐奈岐社が独立して宮号宣下(きゅうごうせんげ)され、殿舎が増作されたという記録があります。延長五年 (九二七 )に上奏された『延喜式』には、伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院をなし、月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院をなしていたとあり、月讀尊荒御魂社と伊佐奈彌社はそれぞれ「小殿(おどの)」と呼ばれていたようです。明治六年に現在のように四院それぞれー院をなす形となりました。
月讀宮以下四別宮パンフレットより抜粋
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・月讀宮
・月讀荒御魂宮
・伊佐奈岐宮
・伊佐奈彌宮
・古殿地
・葭原神社(月讀宮の神域 南端)〈内宮域外の末社〉
《主》五穀豊穢の神〈・佐佐津比古命(ささつひこのみこと)・宇加之御玉御祖命(うかのみたまのみおや)・伊加利比売命(いかりひめのみこと)〉
・葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 皇大神宮(内宮)の域外にある別宮
・皇大神宮(内宮)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『續日本紀(Shoku Nihongi)』〈延暦16年(797)完成〉に記される伝承
宝亀三年 異常風雨を占ったところ 伊勢月讀神〈月讀宮〉の祟りであるとわかり 毎年が荒祭神〈月讀荒御魂宮〉に馬を奉る とあり
又 荒御玉命〈月讀荒御魂宮〉伊佐奈伎命〈伊佐奈岐宮〉伊佐奈美命〈伊佐奈彌宮〉が 官社に列した旨が記されています
【抜粋意訳】
宝亀三年(七七二)八月甲寅〈己酉朔六〉
○八月甲寅
幸難波内親王第 是日異常風雨 抜樹発屋 卜之 伊勢月讀神為祟 於是 毎年九月 准荒祭神奉馬
又 荒御玉命 伊佐奈伎命 伊佐奈美命 入於官社
又 徙度会郡 神宮寺於飯高郡度瀬山房
【原文参照】
『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承
伊勢大神宮の別宮〈荒祭 月讀 瀧原 伊雜 高宮〉の神宮内人五人に初めて把笏(はしゃく)が預ったこと が記されています
※参考として 『太神宮諸雑事記』によれば 天平神護二年(766)に伊勢大神宮の禰宜(ねぎ)が把笏を許されています〈禰宜より身分の上位者は それ以前〉
【抜粋意訳】
卷九 天安元年(八五七)九月壬寅〈八日〉
○壬寅
在
加賀國 正六位上 治田 若御子神 授從五位下
伊勢國 荒祭 月讀 瀧原 伊雜 高宮等 神宮内人五人 始預把笏
【原文参照】
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
第56代 清和天皇の勅によって゛伊佐奈岐・伊佐奈彌神゛の両神に゛宮を称すこと゛が許され 月次祭に預ります
【抜粋意訳】
卷十四 貞觀九年(八六七)八月二日〈戊辰〉
○八月丁卯朔 二日戊辰
勅め 伊勢の國 伊佐奈岐・伊佐奈彌神 改て社を稱宮と 預に月次祭に 并せ 置くに内人一員を
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次祭
月次祭(つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め三〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」
大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています
【抜粋意訳】
月次祭(つきなみのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並大社 一百九十八所
座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、
前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に、
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭
新嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り
式内大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われ
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する
【抜粋意訳】
新嘗祭(にいなめのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所
座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座。
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社
度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社
山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社 右諸社,並預祈年、神嘗祭。以下略
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式(Engishiki)』巻八 神祇八 祝詞(ノトコト)
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
二月祈年、六月・十二月月次祭
天皇が我御命以て氐,度會の乃宇治の乃五十鈴川上の乃下津石根に爾,稱辭竟奉る流皇太神宮の能太前に爾申く久。常も毛進る流二月祈年,【月次祭唯以六月月次之辭相換。】大幣帛を乎,某官位姓名を乎為使て天,令捧持て氐進給ふ布御命を乎申給くと久止申。
豐受宮
天皇が我御命以て氐,度會の乃山田原の乃下津石根に爾稱辭竟奉る流豐受皇神前に爾申く久。常も毛進る流二月祈年,【月次祭唯以六月月次之辭相換。】大幣帛を乎,某官位姓名を乎為使て天,令捧持て氐進給ふ布御命を乎申給くと久止申。
四月神衣祭【九月准此。】
度會の乃宇治五十鈴川上に爾大宮柱太敷立て天,高天原に爾千木高知て天,稱辭竟奉る留天照坐皇太神の乃太前に爾申く久。服織、麻續の乃人等の乃,常も毛奉仕る留和妙、荒妙の乃織の乃御衣を乎進事を乎申給と止申。荒祭宮にも爾毛如是申て天進と止宣。【禰宜、內人,稱:「唯。」】
六月月次祭【十二月准此。】
度會の乃宇治五十鈴の乃川上に爾,大宮柱太敷立て天,高天原に爾千木高知て天稱辭竟奉る留,天照坐皇太神の乃太前に爾申進る留。天津祝詞の乃太祝詞を乎神主部、物忌等諸聞食と止宣。【禰宜、內人等,共稱:「唯。」】
天皇が我御命に爾坐,御壽を乎手長の乃御壽と止,湯津如磐村常磐堅磐に爾,伊賀志御世に爾幸倍給ひ比,阿禮坐皇子等をも乎毛惠給ひ比。百官人等、天下四方國の能百姓に爾至まで萬天,長平く久作食る留五穀をも乎毛豐に爾令榮給ひ比,護惠ひ比幸給と止,三郡國國處處に爾,御調絲,由貴の能御酒、御贄を乎,如海山置足成て天。大中臣、太玉串に爾隱侍て天。今年六月十七日の乃朝日の乃豐榮登に爾稱申事を乎。神主部、物忌等諸聞食と止宣。【神主部共稱:「唯。」】荒祭宮、月讀宮にも爾毛,如是く久申進と止宣。【神主部亦稱:「唯。」】
九月神嘗祭
皇御孫命御命以,伊勢の能度會五十鈴河上に爾,稱辭竟奉る流天照坐皇太神の能太前に爾申給く久。常も毛進る流九月之神嘗の乃大幣帛を乎,某官某位某王、中臣某官某位某姓名を乎為使て氐。忌部弱肩に爾太襁取懸,持齋はり波理令捧持て氐。進給ふ布御命を乎申給くと久止申。
豐受宮同祭
天皇が我御命以て氐,度會の能山田原に爾,稱辭竟奉る流皇神前に爾申給く久,常も毛進る留九月之神嘗の能大幣帛を乎,某官某位某王、中臣某官某位某姓名を乎為使て氐。忌部弱肩に爾太襁取懸,持齋はり波理令捧持て氐,進給ふ布御命を乎申給くと久止申。
同神嘗祭
度會の乃宇治の能五十鈴の乃川上に爾大宮柱太敷立て氐,高天原に爾千木高知て天,稱辭竟奉る留天照坐皇太神の乃太前に爾,申進る留天津祝詞の乃太祝詞を乎,神主部、物忌等諸聞食と止宣。【禰宜、內人等,共稱:「唯。」】
天皇が我御命に爾坐,御壽を乎手長の乃御壽と止,湯津如磐村常磐堅磐に爾,伊賀志御世に爾幸倍給ひ比,阿禮坐皇子等をも乎毛惠給ひ比,百官人等、天下四方國の乃百姓に爾至まで萬天,長平く久護惠美幸ひ比給と止。三郡國國處處寄奉れる禮留神戶人等の能,常も毛進る留由紀の能御酒、御贄,懸稅千稅餘五百稅を乎,如橫山く久置足成て天,大中臣,太玉串に爾隱侍て天,今年九月十七日朝日豐榮登に爾,天津祝詞の乃太祝詞辭を乎稱申事を乎,神主部、物忌等諸聞食と止宣。【禰宜、內人等稱:「唯。」】荒祭宮、月讀宮にも爾毛,如此く久申進と止宣。【神主部共稱:「唯。」】
齋內親王奉入時
進神嘗幣詞申畢,次即申云。辭別て氐申給く久。今進る流齋內親王は波,依恒例て氐,三年齋ひ比清まはりて麻波理氐,御杖代と止定て氐進給事は波,皇御孫之尊を乎天地日月と止共に爾,常磐、堅磐に爾平けく氣久安く久御座坐しめむと志米武止,御杖代と止進給ふ布御命を乎。大中臣茂桙中取持て氐。恐美恐美も毛申給くと久止申。
遷奉太神宮祝詞【豐受宮准此。】
皇御孫の能御命を乎以て氐,皇太御神の能太前に爾申給く久。常の乃例に爾依て氐,廿年に爾一遍ひ比,大宮新仕奉て氐。雜御裝束物五十四種,神寶廿一種を乎儲備て天,祓清め賣持忌はりて波理氐,預供奉辨官某位某姓名を乎差使て氐,進給狀を乎申給くと久止申。
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273537/1/17
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
①伊佐奈岐宮二座
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小44座)
[名神大 大 小] 式内大社
[旧 神社 名称 ] 伊佐奈岐宮二座(伊佐奈彌命一座・並大 月次 新嘗)
[ふ り が な ](いさなきのみや ふたくら)
[Old Shrine name](Isanaki no miya futakura)
②月讀宮二座
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小44座)[名神大 大 小] 式内大社
[旧 神社 名称 ]月讀宮二座(荒御魂命一座・並大 月次 新嘗)
[ふ り が な ](つきよみのみや ふたくら)
[Old Shrine name](Tsukiyomi no miya futakura)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
・内宮・外宮の別宮・摂社・末社について
・お伊勢さん125社について
内宮 別宮(べつぐう)10宮
別宮とは ゛正宮のわけみや゛の意味
神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされます
①荒祭宮(あらまつりのみや)〈内宮域内の別宮〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 荒祭宮(大 月次 新嘗)(あらまつりのみや)
・荒祭宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》天照大御神荒御魂
②月讀宮(つきよみのみや)(伊勢市中村町)〈内宮域外の別宮〉
③月讀荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)〈内宮域外の別宮(月讀宮境内)〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 月讀宮二座(荒御魂命一座・並 大 月次 新嘗)(つきよみのみや ふたくら)
・⽉讀宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》⽉読尊
・⽉讀荒御魂宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》⽉読尊荒御魂
④伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)〈内宮域外の別宮(月讀宮境内)〉
⑤伊佐奈彌宮(いざなみのみや)〈内宮域外の別宮(月讀宮境内)〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 伊佐奈岐宮二座(伊佐奈弥命一座・並 大 月次 新嘗)(いさなきのみや ふたくら)
・伊佐奈岐宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》伊弉諾尊
・伊佐奈弥宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》伊弉冉尊
⑥瀧原宮(たきはらのみや)(度会郡大紀町)〈内宮域外の別宮〉
⑦瀧原竝宮(たきはらならびのみや)〈内宮域外の別宮(瀧原宮境内)〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 瀧原宮(大 月次 新嘗)(たきはらのみや)
・瀧原宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》天照大御神御魂
⑧伊雑宮(いざわのみや)(志摩市磯部町上之郷)〈内宮域外の別宮〉
延喜式内社 伊勢國 答志郡 粟嶋坐伊射波神社二座(貞・並大)(あはしまのます いさはの かみのやしろ ふたくら)
・伊雜宮(志摩市磯部町)志摩国一之宮
《主》天照大御神御魂
⑨風日祈宮(かざひのみのみや)〈内宮域内の別宮〉
・風日祈宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》級長津彦命 級長戸辺命
⑩倭姫宮(やまとひめのみや)(伊勢市楠部町)〈内宮域外の別宮〉
・倭姫宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》倭姫命
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載のある゛月讀神゛に関連する社について
壱岐島(いきのしま)に祀られる 式内社 月讀神社(名神大)(つきよみの かみのやしろ)
神社考に曰く、顯宗天皇三年二月、天月神命の神託に依り 壹岐縣主先祖押見宿禰の祭る所にして 月讀神社には 高皇産靈尊の裔 天月神命を祀り 高御祖神社には 天月神命の祖 高皇産靈尊を祀る 云々
延寶4年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉では 月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)を式内社と比定しました これは里人が鎮座地の「清月(きよつき)」を「ふかつき」とも呼んでいたことに因ります
しかし「ふかつき」の語源は「深淵 ふかふち」橘三喜の比定は誤りで 式内社の月読神社は箱崎八幡神社とされています
・月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)
・箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)〈月讀宮〉
・男嶽神社(壱岐市芦辺町箱崎本村触)〈箱崎八幡神社の旧鎮座地〉
壱岐島(いきのしま)に祀られる 式内社 髙御祖神社(たかみおやの かみのやしろ)
神社考に曰く、顯宗天皇三年二月、天月神命の神託に依り 壹岐縣主先祖押見宿禰の祭る所にして 月讀神社には 高皇産靈尊の裔 天月神命を祀り 高御祖神社には 天月神命の祖 高皇産靈尊を祀る 云々
・高御祖神社(壱岐市芦辺町諸吉仲触)
・箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)
山城國 葛野郡 葛野坐月讀神社(名神大 月次 新嘗)(かとのにます つきよみの かみのやしろ)
『日本書紀』顕宗天皇紀にある 山背国葛野郡歌荒樔田(ウタアラスダ)に奉られた〈月の神〉〈現 月読神社(京都市西京区)〉
・月読神社(京都市左京区)
山城國 綴喜郡 月讀神社(大 月次 新嘗)(つきよみの かみのやしろ)
・月讀神社(京田辺市大住池平)
伊勢神宮の別宮として祀られる式内社
伊勢國 度會郡 月讀宮二座(荒御魂命一座・並 大 月次 新嘗)(つきよみのみや ふたくら)
・⽉讀宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)
・月夜見宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄鳥羽線 五十鈴川駅から御幸道路側〈北側〉の鳥居までは650m程 徒歩でも9分程度です
境内の南側 参拝者駐車場には 約1.4km 車5分程度で至ります
境内の南側の参道より
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉に参着
一礼をして 白木鳥居をくぐり境内に進みます
御敷地は
南向きの四つの宮が並列している為か 内宮・外宮を含めた他の宮のように 社殿のすぐ隣〈東西に隣接〉に 古殿地が置かれておらず
御敷地が 南北に離れて二つあり 式年遷宮ごとに 南北の二つの敷地が入れ替わるようになっています
写真のように 現在は 北側が古殿地 南側が御敷地です
古殿地(こでんち)
社殿の隣の敷地 古殿地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所が 次の式年遷宮を待つように休んでいます〉
古殿地の奥には 心御柱(しんのみはしら)が立つ処に 覆屋の小さな社が四つ〈向かって左から・伊佐奈彌宮・伊佐奈岐宮・月讀宮・月讀荒御魂宮〉が並んでいます
社殿にすすみます
四宮が並び建つ珍しい形式になっていて 立札に書かれていた 参拝の順序は
一 月讀宮〈向かって左から3番目〉
二 月讀荒御魂宮〈向かって左から4番目〉
三 伊佐奈岐宮〈向かって左から2番目〉
四 伊佐奈彌宮〈向かって左から1番目〉
順番に お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
白玉石が敷き詰められた御敷地
四つの各宮の前には 各々白木鳥居が建ち 拝所 社殿が建ちます
各々の社殿は 内宮に準じ 屋根には(内削ぎ)の千木 6本で偶数の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面
四つ宮とも同じで それぞれ瑞垣(みずがき)で囲まれています
鳥居と瑞垣には 榊(さかき)が祀られています
宮と宮の間には 注連縄が張られて結界とされています
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 伊佐奈岐宮二座について 所在は 月讀宮地内 西の方に在す〈現 伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉としています
式内社 月讀宮二座について 所在は 宇治郷河原田村 今中村と云〈現 月讀宮・月讀荒御魂宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉と記しています
【抜粋意訳】
伊佐奈岐宮二座 伊佐奈彌命一座 並大月次新嘗
伊佐奈岐、伊佐奈彌は假字也、
○祭神明か也
○月讀宮地内 西の方に在す○日本紀、神代巻上 次有神伊弊諾尊、伊弊册尊、』
一書曰、此二神、青橿城根尊、惶恨尊別名 之子也、』儀式帳云、奈良朝庭御世定祝、内人、物忌定供奉、
○神名秘書云、東月読宮、西伊佐奈岐宮、各南向坐、神名略記云、在ニ月読宮地内西、太神宮式云、去大神宮北三里、儀式帳月読宮の下に載す、
類社
大和國 添下郡 伊射奈岐神社、大月次新嘗 同國葛下郡、同國城上郡 伊射奈岐神社、各一座
若狭國 大飯郡 伊射奈伎神社、
出雲國 出雲郡 同社、神伊佐那伎神社、
阿波國 美馬郡 伊射奈美神社、宮號 祭祀 社職
三代實録、貞観九年 長勘勘文十年に作る 八月二日戊辰、勅、伊勢國 伊佐奈岐、伊佐祭彌神、改社称宮、預月次祭、并置内人一人、月讀宮二座 荒御魂命一座 並大月次新嘗
月讀は 都岐與美と訓べし、
〇祭神 月夜見尊、荒魂命、
○宇治郷河原田村 今中村と云 に在す、神名略記
大神宮式云、去太神宮北三里、
○日本紀、神代巻上 生日神、次生月神、
一書云、月弓尊、月夜見尊、月読尊、其光彩亜日、可以配日而治、云々、』
儀式帳云、稱ニ月読命、御形馬乗男形、着紫御衣、金作帯太刀佩之、中略 内人、物忌定供奉、類社
当郡 月夜見神社、
山城國 葛野郡 葛野坐月読神社、名神大月次新嘗
同 國 綴喜郡 月読神社、大月次新嘗
壹岐國 壹岐郡 月読神社、名神大宮號
神名秘書云、貞観九年八月、改社稱宮、三代實録には漏たり把笏
文徳実録、天安元年九月壬寅、伊勢國 月読神宮内人、始預把笏、〈前件四宮 及 瀧原並宮、風宮、両社は式外也 志摩國 伊雑宮 式云、粟島坐伊躬波神社二座、等を大神宮別宮七処と稱す、〉
〇造替、神寳、社職等の事繁多なれば、今これを悉さず、大神宮式、儀式帳、同解、其外神宮の諸書を見るべし、
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 伊佐奈岐宮二座について 所在は 三重縣宇治郷中村 月讀宮域内〈現 伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉としています
式内社 月讀宮二座について 所在は 三重縣宇治郷中村〈現 月讀宮・月讀荒御魂宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉と記しています
【抜粋意訳】
伊佐奈岐宮二座 伊佐奈彌命一座 並大月次新嘗
祭神 伊邪那岐命
伊邪那美命祭日 祈年 二月無定日 月次 六月十二月十九日 神甞 九月十九日
社格 内宮所攝 別宮七所之一
所在 三重縣宇治郷中村(度會郡四郷村大字北中村月讀宮域内)月讀宮二座 荒御魂命一座 並大月次新嘗
祭神 月讀命
月讀命荒魂祭日 同上
社格 内宮所攝 別宮七所之一
所在 三重縣宇治郷中村(度會郡四郷村大字北中村)
【原文参照】
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)