椿岸神社(つばききしじんじゃ)は 椿大神社境内の別宮 椿岸神社です 元々は 旧三重郡 椿尾山にあったが 毎年椿社祭祀の日に 神輿をその社頭まで昇って行く例でしたが 一里餘の遠程であったので ここに遷座したと云う 延喜式内社 伊勢國 三重郡 椿岸神社(つはききしの かみのやしろ)の論社てす
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
椿岸神社(Tsubakikishi shrine)
【通称名(Common name)】
・天之鈿女命本宮(あめのうずめのみこと ほんぐう)
【鎮座地 (Location) 】
三重県鈴鹿市山本町1871〈椿大神社境内〉
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主神》天之鈿女命(あめのうずめのみこと)
《相殿》太玉命(ふとたまのみこと)
天之児屋根命(あめのこやねのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・「鎮魂の神」「芸能の祖神」として 俳優(わざおぎ)芸事をはじめ あらゆる芸道の向上 また 縁結び・夫婦円満の守護に霊験あらたか
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
延喜式内 椿岸神社 由来
椿大神社別宮 天之鈿女命本宮
主祭神 天之鈿女命
相 殿 太 玉 命
天之児屋根命当社の主祭神 天之鈿女命は天の岩戸開きの神話の中で御活躍された神様として知られ、天孫(天照大神の御孫)瓊々杵尊が日本国土に天降り給う時供奉し、天孫一行を天之八街に出迎えた地祇猿田彦大神(椿大神社の主祭神)と共に日向の高干穂峯に導き、我が国肇国の基を築かれた神様であります。
その後、猿田彦大神と夫婦の契を結ばれ、相共に此の伊勢国、鈴鹿椿ケ嶽高山短山の霊地にお帰りになり、猿田彦大神の妻神、椿岸大明神として鎮祭され、今日に至っております。鎮魂の神、芸道の祖神として 其の霊働は脈々と輝き、芸能を始め茶道、華道、書道と凡ゆる技招ぎの向上、また縁結び、夫婦円満の御守導、霊験あらたかで古釆より信仰されております。
当社に伝わる「椿岸神社縁起」によれば、この別宮を猿田彦大神を祀る本社「上椿社」に対し「下椿社」と称し 垂仁天皇の御代二十七年本社御創立と共に秦齋された延喜式内の古社であります。
秋の例大祭には本社より神輿(猿謙田彦大神)の渡御(神幸祭)があり、鈿女本宮に卸旅をされ、翌日には還御(遷幸祭)が行なわれます。
一、当社には聖武天皇勅願による日本最古の獅子神御祈祷神事(獅子舞)が伝承され、神面は猿田彦大神、獅子頭は天之鈿女命の化身として、三年に一度各地を巡舞し奈良朝以来千三百年の伝統を今に伝えております。この神事は地元氏子神役により神勤奉仕致しております。 (県無形文化財)
一、室町時代謡曲「鈿女」が当社に伝わり演能されておりましたが中絶、後四百年ぶりに金剛流宗家によって神事能「鈿女」とし復曲され、毎年春の例大祭に演能されます。
伊勢国一之宮椿大神社 神世相伝 山本神主記
現地案内板より
【由 緒 (History)】
別宮椿岸神社御祭神 天之鈿女命の御神徳
別宮・鈿女本宮(延喜式内椿岸神社)の祭神である天之鈿女命(天之宇受売命)は、 天孫降臨の際に、瓊々杵尊に従って天降られ、天孫一行を天の八衢に出迎えた猿田彦大神とともに日向の高千穂の峰に導き、 わが国肇国の任務を無事終えられた後、猿田彦大神と天之鈿女命は夫婦の契を結ばれ相共に伊勢国鈴鹿の里にお帰りになり、 鎮祭されたのです。
天之鈿女命は、「鎮魂の神」「芸能の祖神」として、俳優(わざおぎ)芸事をはじめ、あらゆる芸道の向上、また、 縁結び・夫婦円満の守護に霊験あらたかとして、古来より信仰されています。
椿大神社公式HPより
https://tsubaki.or.jp/yuisyo/
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・社殿
・神門
・かなえ滝
・扇塚
〈芸道の神にふさわしく 古来、神を招ぎ奉る儀式・舞などに用いる扇の扇塚があります〉
扇塚(おおぎづか)
儀式・舞などに用いる扇は、古来、神を招ぎ奉るものとして芸道を志す者の心の寄り処とされ、一段一段と芸を磨く上達の過程には必携のものであります。
芸の道に終り無き如く、扇に感謝と慰霊を込めて此の扇塚は建立されました。
芸の道に御精進されます方々、常に新たな気分で芸の修行・稽古に励み、古くなった扇は感謝を込めて此処に納め、新しい扇にて芸道の祖神天之鈿女命の神智霊能を戴かれて更なる末広の上達を乞い願って御参拝下さい。
現地立札より
・招福の玉
招福の玉(しょうふくのたま)
幸せは日々の感謝の心を持って自分の使命に邁進するとき喜びが訪れます。
縁結び、夫婦円満、招福みちびきの玉としてこの玉を三回撫でながら「祓へ給へ、清め給へ、六根清浄」と三度唱えてお祈り下さい。心の中に幸せを招き念願が叶えられます。
現地立札より
・〈椿大神社の拝殿前から続く〉参道
・手水舎
・朱色の両部鳥居
・表参道
・社頭
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
椿岸神社は 椿大神社境内の別宮です
・椿大神社(鈴鹿市)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)三重郡 6座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 椿岸神社
[ふ り が な ](つはききしの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Tsuhakikishi no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 伊勢國 三重郡 椿岸神社(つはききしの かみのやしろ)の論社
・椿岸神社(四日市市智積)
〈七郷の総社〉
・椿岸神社(鈴鹿市山本町)
〈椿大神社境内 別宮 椿岸神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
新名神高速道路 鈴鹿PAスマートIC から西へ約2.2km 車5分程度
椿大神社(鈴鹿市山本町)に参着
・椿大神社(鈴鹿市)をお参りします
椿大神社の拝殿のすぐ東側の境内に 別宮椿岸神社が祀られています
招福の玉 が置かれている参道を進むと
椿岸神社(鈴鹿市山本町)に参着
ふたたび手水舎で清めます
境内の゛かなえの滝゛では 心が清まります
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 参道を戻ります
境内には 芸道の神にふさわしく 古来、神を招ぎ奉る儀式・舞などに用いる扇の扇塚があります
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 椿岸神社について 所在は゛智積村に在す゛〈現 椿岸神社(四日市市智積町)〉と記しています
【抜粋意訳】
椿岸神社
椿岸は都婆岐志と訓べし
○祭神 天鈿女命、〔頭注〕
○智積村に在す、〔考証、俚諺〕
○神鳳抄云、智積御厨、
○大安寺資財帳云、三重郡河内原六十町云々、四至東椿社、南鎌山登道、西山、北牧木之限、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 椿岸神社について 所在は゛今 鈴鹿郡椿大神社の東北旅所森御與宿殿の北にあり、舊三重郡椿尾山にありしを此に移すといふ゛〈現 椿岸神社(鈴鹿市山本町)〈椿大神社境内 別宮 椿岸神社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
椿岸(ツバキキシノ)神社
今 鈴鹿郡椿大神社の東北旅所森御與宿殿の北にあり、舊三重郡椿尾山にありしを此に移すといふ、〔式内検録〇按 社を移す年代詳ならねど、椿社祭祀の日 神輿を其社頭まで昇行く例なるに、一里餘の遠程を以て此に移せるなりとそ〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 椿岸神社について 祭神は不明として 所在は゛今 鈴鹿郡椿大神社の東北旅所森御與宿殿の北にあり、舊三重郡椿尾山にありしを此に移すといふ゛〈現 椿岸神社(鈴鹿市山本町)〈椿大神社境内 別宮 椿岸神社〉〉と記しています
又 諸書が記している゛智積村に在す゛〈現 椿岸神社(四日市市智積町)〉という説は゛皆附會の妄談なるのみ゛と強く否定していて その詳細も記しています
【抜粋意訳】
椿岸神社
祭神
祭日
社格所在
今按るに 傍注考證以下の諸書 智積村の神明社に配す勢陽雑記獨采女村日の宮に填つ智積村は神鳳鈔に内宮 智積御厨〔百八十町十石 口入加地子廿石〕とある地にして 即ち神明を所奉祀なり
寛文三年元祿四年等の棟札に天照皇大神宮とも神叫廟と記したるか如し 然るに寛保二年の札に始て椿岸神社神明宮と錄したり其頃の所作なるにや永録三年十ー月の札ありて云く奉再建智積七郷總社椿岸大明神仰本社云々 其其同手に出つるか
永祿四年正月神主近藤忠胤の撰せしといふ椿岸神社の傳記あり 舊とは河北之小山椿生と呼ぶ處に享祿二年冬兵火に罹る 故に永祿三年智積村内に再建し 神明八幡をも勧請合祭して椿岸神社と號すと云へり 今の社地の形容永禄遷移すの景況に非す 舊古奉祀の神明祠たる事 土俗も神明と稱して著明なるを主客を倒して式社に牽味するなり信受しかたし 又椿尾と呼ふ地は 智積村の管内西極の山陴にて椿神社の獅子頭の四年毎に共坂路を越る時 歌舞すと謂ふは峠神に奉樂するにて本社に関係する事に非す 勿論其地は神社のあるへき地勢にあらず 皆附會の妄談なるのみ
依て考ふるに鈴鹿郡椿大神社略記云 本社より八丁東に攝社椿岸神社有 毎年八月朔日より本社の神霊を椿岸社に神幸なし泰り 三日還幸の例なりと載せたり 其椿岸神社き舊と北方若干里を隔て 三重郡内に在たるに毎年 遠路を神幸するに風雨の煩あるを以て 近く今の處に遷轉すと口傳す 大平二十年大安寺資材帳三重郡内河内原六十町 四至東椿社 南鎌山登道 西山 北牧木之限とある 椿社は本社を謂あなるへし 三國地志に鎌嶽水澤薦野の上方にあり 河内原按下河内村あり此邊なるへしと云へるか如く山の坊谷村水澤等の地 河内原ならむ近年まで山の坊の一村 獨椿社の氏子たりし由なるを見れは 本社の奮地は山之坊村にやあらむ
【原文参照】