天健金草神社(隠岐の島町 都万)

天健金草神社あまたけかなかやじんじゃは 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載されている古社です 伝説によれば 延喜6年(906年)には「台風をおこして新羅の船を退けた」と伝え また第96代 後醍醐天皇が 隠岐在島中に使いを立てて還幸を祈願したところ 脱出がかなったといわれる由緒ある神社です

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

天健金草神社(Amatake kanakaya Shrine)
 (
あまたけかなかやじんじゃ

 [通称名(Common name)]

八幡宮(hachiman san)

【鎮座地 (location) 】

島根県隠岐郡都万村大字都万4245-3

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大屋津媛命(oyatsuhime no mikoto)
   抓津媛命(tsumatsuhime no mikoto)
   應神天皇(ojin tenno)

《配》息長足媛命(okinagatarashihime no mikoto)
   玉依媛命(tamayorihime no mikoto)
   塩土老翁(shiotsuchi no oji)
   建御名方命(takeminakata no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社

【創 建 (Beginning of history)】

第46代孝謙天皇の御代 天平勝寶7年(755年)

天健金草神社 由緒略記

一、 社格、社號、鎮座地、
村社 天健金草神社 穩地郡都万村大字都万靈亀山鎮座

二、 祭神、
大屋津媛命 抓津媛命 應神天皇
息長帯姫命 玉依姫命 塩土老翁 建御名方命

三、 由緒沿革、
當社は 延喜式神名帳に隠岐國郡三座と列記せられたる中の天健金草神社として 人皇46代孝謙天皇 天平勝寶7年 八幡原に神社を建立す
今より1200有余年是則ち本社の創立なり

祭神 大屋津媛、抓津媛二神は素盞鳴尊乃御女にして御兄五十猛命と共に八十木種を植ゐしめて 此國土を開拓し給ひて 終に大屋津媛命は大屋仙洞に座し抓津媛命は狹山涌泉に座すと、依りて地號を都萬院と稱す、
旦 狹山涌泉わ神仙院霊沼と号して毎年幣帛を奉る 流水漲漾りて大屋の仙洞に通ふと神代より今日まで及んで、未だ不乾国土旱すれば必ず神仙院に祈る有霊験土俗呼んで幣之御池と云う。

四、 神階、
人皇56代清和天皇 貞観13年閏8月29日授 隠岐國從五位上天健金草神從四位下
人皇58代光孝天皇 仁和元年授 隠岐國從四位下天健金草神從四位上
光嚴院御宇 正慶2年癸酉 後醍醐天皇 御座當嶋時依還幸丹祈特當社、祷于當社而女神二座に贈正一位

五、 祭祀、祭日、
古来より 當社恒例の最も重き祭祀は御幸祭、百手的祭、放生会の三大祭にして 御幸祭は往古の寛弘3年3月に始りしも一時中断せしを明治維新の際、再興し 本村大字蛸木津戸都万那久油井の五大字にて舉行せしも 其後分離して現今大字都万崇敬者にて執行せり 放生会は明治初年より秋大祭と改稱し今尚ほ續行せり
祈年祭 3月 1日 例 祭 4月15日
秋祭  9月15日 新嘗祭12月1日

大正13年4月15日 社掌 謹誌

境内 由緒記より

【由 緒 (history)】

天健金草神社 Amatakekanakaya shrine

天健金草神社は、延長5年(927)成立の延喜式神名帳に記載されている古い神社です。

強い神威を持つとされる神社で、神功皇后が三韓出兵時、暴風を避けた際に参拝した伝説があるほか、新羅船を大風で退かせたという託宣(平安時代の歴史書『扶桑略記』に記載)により朝廷から数度にわたって神階が上げられました。
また、元弘の乱で隠岐へ配流になっていた後醍醐天皇は、この神社に脱出祈願を行い、それがかなった後に正一位を贈っています。

本殿は、元治元年(1863)の建築で、形式は流造です。平面プランは、玉若酢神社や水若酢神社とほぼ同じで、屋根の形式の相違はありますが、隠岐造三間社の成立と関係があると考えられています。

主祭神である抓津媛命、大屋津媛命の神名は「都万」や「大屋」など地名となっていて、古くは都万、那久、油井、津戸、蛸木の5か村で造営する大きな神社でした。毎年の例祭は、以前は大規模なもので、玉若酢神社御霊会風流のように神馬八頭を神社境内へ馳せ入れたり、流鏑馬なども行われていたようです。

隠岐の島町 教育委員会

境内案内板より

【境内社 (Other deities within the precincts)】

・武内神社(takeuchi shrine)
《主》武内宿禰(takenochi no sukune)
   真人神(mahito no kami)
   春日大神(kasuga no okami)

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

元宮

・幣之池神社(shidenoike shrine)
 《主》抓津媛命(tsumatsuhime no mikoto)

弊之池水口祭(shidenoike mizuguchi matsuri)(旧暦)3月13日

元宮とされる・幣之池神社(shidenoike shrine)の記事をご覧ください

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)隠岐国 16座(大4座・小2座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)穏地郡 3座(大2座・小1座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社名 ] 天健金草神社
[ふ り が な  ](あまたけかなくさの かみのやしろ)
[How to read ](amatakekanakusa no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

御祭神「大屋津媛命(oyatsuhime no mikoto)・抓津媛命(tsumatsuhime no mikoto)」の2柱について

御祭神の2柱の姫神は 素盞鳴尊(susanowo no mikoto)の御子神で 五十猛命(itakeru no mikoto)の妹神にあたります
兄神と共に樹木の種を諸国に植えた神々とされています

隠岐島は 太古には 日本海の中心地でした この2柱の姫神の滞在した伝承が 島に残っていることは興味深い事です

隠岐の伝承によれば

神代の昔
大屋津姫は 都万村の大津久(ozuku)の海岸に上陸して そこにあった洞窟に住んだ それで「大屋のわんど」といっている
抓津姫は 佐山の湧泉「幣(shide)の池」のほとりに居を構えた

「都万(tsuma)村」の村名は 「抓津(tsuma tsu)姫」の名にちなむと云われていて
のちに この2柱の姫神は 砂子谷(sakodani)にある霊亀山に合祀されたとされていて これが 現在の天健金草神社です

御祭神の「抓津姫命(tsumatsuhime no mikoto)」は 当初 狭山涌泉に鎮座したとされていて
式内社調査報告によれば 狭山涌泉は現社地の東北北約2kmのところにある「幣池(shidenoike )」とあります

水源地(湧水)に鎮座しています
元宮・幣之池神社(shidenoike shrine)の記事をご覧ください

・幣之池神社(天健金草神社の元宮) 

隠岐の式内社〈16座〉について

隠岐国には16座(大4座・小2座)の式内社があります
その論社も含めてご紹介します

スポンサーリンク

神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

西郷港フェリーターミナルから 県道44号経由 15.4km 車25分程度
都万川を渡ると鳥居までは 田園が広がり 丘陵地の南面に石段が真っ直ぐに延びていて社殿が微かに覗けます

天健金草神社(amatake kanakaya shrine)に到着

鳥居の扁額には「天健金草宮」とあり 右後ろに建つ社号標には「縣社 天健金草神社」とあります

一礼して 鳥居をくぐり抜けて石段を上がります

石段の中程には 注連縄が掛かる木製の「二の鳥居」が建ちます 静寂の中 御神威を感ぜずにはいられません

古木に囲まれた参道に 隋神門が建ちます

隋神門の中には 大正13年4月15日 社掌(旧制の神職の称)による手書きの由緒書きがあります
詳細は【創 建 (Beginning of history)】の蘭を参照ください

木々に囲まれた石段を上がると 出雲式の狛犬が とても低い体制で身構えています

社殿は目の前に建っています 拝殿は瓦屋根です

拝殿にすすみます 

扁額には黒地に白文字で「天健金草神社」と書かれています

賽銭をおさめ お祈りです 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

社殿向かって左手には 神饌所?と 拝殿の後ろに「隠岐造」の本殿が建ちます

本殿の屋根は 元々は「茅葺き」であったものを銅板で覆っています

本殿向かって右側には 境内社

・武内神社(takeuchi shrine)
《主》武内宿禰(takenochi no sukune)
   真人神(mahito no kami)
   春日大神(kasuga no okami)

お詣りをします

正面右側から「隠岐造」の本殿を仰ぎます

社殿に一礼して 境内を後にします

低く身構える狛犬に会釈して 石段を下ります

隋神門 鳥居をくぐり抜けて 振り返り一礼します

スポンサーリンク

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』貞観13年(871年)閏8月29日の条 に記される伝承

貞観年間(859~877)は 日本全体に地震や噴火が相次いだ時期です

貞観11年5月(869年)には 貞観大地震が起きた時(空を)流れる光が(夜を)昼のように照らしたとあります
貞観13年(871年)5月には 出羽国の鳥海山が噴火します

災害を予知するとされていた流星に敏感になっていた時期に 8月流星があり
後に『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に掲載される隠岐の神々に神階が陞叙されています

島後「天健金草神社(amatake kanakaya shrine)」・・従五位上の「天健金草神」を従四位下
島前「比奈麻治比売命神社(hinamachihime no mikoto shrine)」・・「比奈麻治比賣神」を正五位下

島後「玉若酢命神社(tamawakasu no mikoto shrine)」が「正六位上 蕤若酢神(zui wakasu no kami)」であるとされていて
境外社の日乃賣神社(hinome shrine)「無位 日乃賣神」とともに 神階を従五位下へ陞叙すると記されています

意訳

8月29日 壬申の夜

流星があり 東南より出でて 羽林に入りき 星の大きさ柚子の如く 青くして光ありき

隠伎国に授ける 従五位上の「天健金草神」を従四位下
従五位上の「比奈麻治比賣神」を正五位下
正六位上の「蕤若酢神」と無位の「日乃賣神」を並びに従五位下

・・・・・・・・・・・・

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』貞観13年(871年)閏8月29日の条 に記される伝承

仁和元年閏3月10日(885年)に神階を上げています

意訳

隠伎国に授ける 従四位下の「天健金草明神」を従四位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

天健金草神社(amatake kanakaya shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』貞観13年(871年)閏8月29日の条で 神階を授かる
島後「玉若酢命神社(tamawakasu no mikoto shrine)」の記事もご覧ください

元宮とされる・幣之池神社(shidenoike shrine)の記事をご覧ください

隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

error: Content is protected !!

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.