玉作湯神社は その名のとおり 古代から勾玉や各種玉類の一大生産地で 且つ・1300年を遡る「神の湯・美肌の湯」といわれる玉造温泉の地に鎮座しています 御祭神は・玉作の神「櫛明玉神( kushi akarutama no kami)」・温泉の神「大名持神(onamochi no kami) 少毘古那神(sukunahikona no kami)の2柱の神」を祀ります
目次
- 1 【神社にお詣り】(Pray at the shrine)
- 2 【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)
- 3 『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る
- 4 『出雲国 式内社 187座(大2座・小185座)について』に戻る
【神社にお詣り】(Pray at the shrine)
玉造温泉駅から 県道25号経由 約2.7km 車7分程度
玉湯川を上流へ 川沿いの玉造の温泉街を抜けてすぐ この地の守り神が鎮座します
鳥居横に駐車場があります
玉作湯神社(tamatsukuriyu shrine)に到着
一礼して 一の鳥居をくぐります 扁額に「玉作湯神社」とあります
左手に社務所があります
「神陵之社」碑の横に 二の鳥居 くぐります
石段の左手に 自然石に刻まれた社号標「式内 玉作湯神社」
上の境内へと続く石段参道を上がります
石段の中ほどに大きな石灯篭が対であり
その横が 「玉祖神御神蹟 古代玉作之処」「玉作湯神社 出雲玉作跡出土品収蔵庫」
上の境内に上がると 目の前に拝殿があります
右手に手水舎があり 清めます
参道をすすみ拝殿へ
扁額には「縣社 玉作湯神社」とあります
祀られています御祭神について 案内板を確認します
《主》櫛明玉神( kushi akarutama no kami)
・八坂瓊勾玉(yasakani no magatama)等 宝玉 御制作の祖神
《主》大名持神(onamochi no kami)
《主》少毘古那神(sukunahikona no kami)
・当地温泉御発見・温泉守護・温泉療法・薬・秘呪(まじない)の祖神
《配》五十猛神(itakeru no kami)合祀(同社坐 韓国伊太氏社)
・山林育成・植林・植林・産業繁栄の祖神
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿左手から 神楽殿 神饌殿
向かって左手より本殿を仰ぎます
本殿裏手より仰ぎます
「御仮殿建立之御座地」
「縣社 昇格記念碑」
本殿右手より仰ぎます
社殿の右手 境内の右手一段高いところ 境内社があり お詣りです
境内の「真玉」(まだま=「願い石」)です
温泉街にある神社ですので 観光客の方々が沢山参拝されて「願い石」にも熱心にお願い事をされていました
(まだま=「願い石」)の願い方や
境内社については 記事「前編」をご覧ください
社殿を見ながら 参道へ戻ります
境内を後にします
石段を戻ります
鳥居をくぐり 振り返り一礼
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【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)
それぞれの文献では 次のように伝承しています
『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』意宇郡 条 忌部神戸について 記される伝承
意訳
『 忌部神戸(imbe no kambe)
郡家の正西21里260歩の所にあります国造(kokuso)が 神吉詞(kanyo goto)を唱えに朝廷に参上する時に 潔斎に用いる清浄な玉を作る地です だから 忌部(imbe)といいます
ここの川のほとりに 温泉(yu)が湧いています
それで 男も女も老人も子供も あるいは道路を行き交い あるいは海中を浜辺に沿って行き 毎日集まり 市がたったような賑わいで 入り乱れて宴をして楽しみます一度温泉を浴びれば たちまち姿も麗しくなり 再び 浴びれば どんな病気もすべて治ります
昔から 今に至るまで 効き目が無いということはありません だから 土地の人は 神の湯と言っています玉作山(tamatsukuri yama)
郡家の西南22里の所にあります 社(玉作湯社)があります 』
『原文』参照 国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲國風土記』
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用
『雲陽志(unyo shi)』意宇郡 玉造 にある伝承
『雲陽志(unyo shi)』では
現在の「玉作湯神社(tamatsukuriyu shrine)」が
「湯舩明神(yuhune myojin)」として記され
現在の「同[玉作湯]社坐 韓國伊太氐神社
(onajiki yashironiimasu karakuniitate no kamino yashiro)」が 元の鎮座地「天神(tenjin)」として記されています
意訳
『 玉造 湯舩明神(yuhune myojin)
櫛明玉命(kushi akarutama no mikoto)を祀る
風土記に載る玉作湯社(tamatsukuri no yu no)yashiro 一座とあるはこれなり古語拾遺(kogo jui)に出雲の国玉造と記するは ここの所なり 温泉まで1町あって 東の方は樹木鬱蒼としている
本社1間の1間3尺 西向き
永禄元年(1558)より貞享年中(1684~1688)まで 建立棟札あり
祭日9月9日なり ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・天神(tenjin) 』
※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835] 『原文』参照 国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用
同[玉作湯]社坐 韓國伊太氐神社
(onajiki yashironiimasu karakuniitate no kamino yashiro)
の元の鎮座地とされている 「玉造天満宮」の記事もご覧ください
『出雲国式社考(izumo no kuni shiki no yashiro ko)』意宇郡 にある伝承
意訳
『 玉作湯神社(tamatsukuriyu no kamino yashiro)風土記に玉作湯社(tamatsukuri no yu no)yashiro とあり
今 玉造村 湯舩明神(yuhune myojin)という これなり
大名持命(onamochi no mikoto)を祭る 祭日9月9日なり
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
玉作は 古語拾遺(kogo jui)に 櫛明玉命(kushi akarutama no mikoto)
出雲国忌部玉作の祖なりとあり・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
同[玉作湯]社坐 韓國伊太氐神社
(onajiki yashironiimasu karakuniitate no kamino yashiro)この社は 湯神社で 今は併せ祭りなりけり 風土記の由布社(yu no) yashiroとあり これなり
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
※『出雲国式社考((izumo no kuni shiki no yashiro ko))』[選者:千家梅舎/校訂者:岩政信比古]写本 ,明治02年(1906)
『原文』参照 国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国式社考』写本 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000040615&ID=&TYPE=&NO=画像利用
玉造はその名のとおり 古代から勾玉や各種玉類の一大生産地・1300年を遡る「神の湯・美肌の湯」といわれる温泉の地に坐ます
玉作湯神社(tamatsukuriyu shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
「記事 前編」もご覧ください
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玉作湯神社(松江市玉湯町玉造)【前編】
玉作湯神社(たまつくりゆじんじゃ)は その名のとおり 古代から勾玉や各種玉類の一大生産地で 且つ・1300年を遡る「神の湯・美肌の湯」といわれる玉造温泉の地に鎮座しています 御祭神は・玉作の神「櫛明玉神( kushi akarutama no kami)」・温泉の神「大名持神(onamochi no kami) 少毘古那神(sukunahikona no kami)の2柱の神」を祀ります
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『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る
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