健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉(竹田市神原)

健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉は もともとは 祖母山の神・山の上宮遥拝所の下宮穴森神社神幸所でした 國幣小社への昇格の為 昭和9年(1934)相応規模の社殿が建築され とても立派な里宮の形式をといます 終戦により計画は中断し 神幸所として現用されています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉Takeoshimokorihiko Shrine Satomiya
たけおしもりひこじんじゃ さとみや〈しんこうしょ〉

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

大分県竹田市神原1765

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》健男霜凝日子神Takeoshimogorihiko no kami〈比古
《配》豊玉姫命(Toyotamaheme no mikoto)〈比咩神
   彦五瀬命(Hikoitsuse no nikoto)
   大太夫夫婦Daidayufufu)
   花乃本姫Hananomotohime)

〈合祀神〉

明治41年(1908)合祀 山神社(神原字山ノ神  鎮座)〉
《合》大山祇命,奥津彦命,奥津姫命,少名毘古那神,猿田彦命

明治41年(1908)合祀 天神社(中角字田久保 鎮座)〉
《合》菅原道真,木花咲夜比売命,大己貴命,面足尊,惶根尊

昭和2年(1927)2月21日合祀 穴森神社

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

晴雨風雪等 天候の守護神

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

式内 建男霜凝日子神社
   穴森神社(宝永3年より) 神幸所


当社は 上宮、下宮、神幸所あり
上宮は 神代より祖母山頂に鎮座し 健男霜凝日子神として奉祀す
下宮は 当所より西方500mの岩窟内に鎮座し 白雉2 建立豊玉姫命 彦五瀬命 鵜鵜葺不合合祀す、
当所は 國幣小社 昇格の為 相応規模の社殿を昭和9年建築せるも終戦により中断し神幸所として現用す、
社頭の案内掲示より

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【由  (History)】

由緒

延喜式神名帳曰く 豊後國 直入郡 一座 建男霜凝日子神社とあり
續日本紀 仁明天皇記に曰く 承和10年9月 豊後國 无位 建男霜凝日子神社 奉授 従5位下
三大実録 陽成天皇記に曰く 元慶7年9月2日 従5位下 建男霜凝日子神社 授 正5位下とあり
明治12年11月県社に列せられる。
晴雨風雪等 天候の守護神として近郷信仰篤し

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)豊後国 6座(大1座・小5座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)直入郡 1座(小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 建男霜凝日子神社
[ふ り が な ]たけをしもこりひこ かみのやしろ)
[Old Shrine name]Takeoshimokorihiko no miko no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
豊後國 直入郡 健男霜凝日子神社」の論社について

・建男霜凝日子神社 上宮(祖母山 山頂)

・健男霜凝日子神社 下宮(竹田市神原)

・健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉(竹田市神原)

・穴森神社(竹田市神原)

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

祖母山北麓の神原地区に鎮座する「健男霜凝日子神社 下宮」鳥居から450m程西 県道から下り 神原川の分流に架かる神橋を渡ると 神楽殿が建っていて 祭事の広場となっている 神幸所の社頭になります

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川沿いに広々とした整備された境内が続き 大木も茂り 威厳を感じる社です
健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉Takeoshimokorihiko Shrine Satomiyaに参着

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社頭の石段を上が境内に進むと 「地神塔」とされた石碑が建ちます

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石灯籠と鳥居が建ち 扁額には「縣社 健男霜凝日子神社」と刻まれています
一礼をして 鳥居をくぐります

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参道の左手には 老木の大木 大分県指定天然記念物御神木 トチノキ」が生えていて 思わず立ち寄り お祈りをします

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御神木 トチノキ」について案内板があります

県指定天然記念物
神原のトチ

指定年月日 昭和35年3月22日

トチノキ科の植物は、丘陵地域から低山地の谷林を植生域とし、大分県内の各地に点在しているが、分布量は少ない。

 このトチの木は、胸高直径7.2m、樹高は約42mを測り、樹齢は550年とも言われ、周辺に自生樹が確認されないことから植栽されたものと考えられている。

5月から6月に薄い紅色の花が葉の間から現れ、初秋に種子を落とす。種子は、クリに似ているが、丸い形をしており、砕いて粉として古くからトチ餅などとして食されてきている。

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手水舎があり その先の境内は さらに一段高くなっていて 二の鳥居として石造りの両部鳥居が建っています 一礼をしてくぐります

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社殿の建つご神域は 更に高い社地になっていて 透塀で囲まれています 階段の手前には 狛犬が座し 社地の入口には神門が建てられています

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拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿は 奥から 本殿 幣殿 拝殿なっていて 昭和9年(1934)國幣小社の昇格を期して建築されたことが窺えます 戦時中に建設された山間の神社としては立派なものです 

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参道を戻り 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承

健男霜凝日子 比咩神(タケオシモコリヒコ ナラビ ヒメノカミ)として ヒコ神とヒメ神の2柱に 神階の奉授が記されています

【意訳】

承和10年(843)9月 甲辰の条

始置(ハジメテオク)に
陸奥国(ムツノクニ)鎮守府(チンジュフ)に
掌一員を令に 帯びるて 刀(ツルギ)を把笏(ハシャク)せなり

対馬島(ツシマシマ)
(ムイ)雷命神(イカヅチノミコトノカミ)


豊後国(ブンゴノクニ)
(ムイ)健男霜凝日子 比咩神(タケオシモコリヒコ ナラビ ヒメノカミ)

無位(ムイ)早吸比咩神(ハヤスヒメノカミ)

日向国(ヒュウガノクニ)
無位(ムイ)高智保皇神(タカチホノカミ)
無位(ムイ)都濃皇神(ツノノカミ)

(ナラビ)に(タテマツ)れ (サヅク)に 5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』〈延喜元年(901年)成立〉に記される伝承

凝神(タケオシモコリノカミ)に神階の奉授が記されています

【意訳】

元慶7年(883)9月2日の条

・・・・・
・・・・・
授(サズク)に
豊後国(ブンゴノクニ)
従5(ジュゴイウエ)
凝神(タケオシモコリノカミ)

早吸咩神(ハヤスフミノカミ)
宇奈支比咩神(ウナギヒメノカミ)

 並(ナラビ)に 5位下(ショウゴイゲ)を

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

神階と鎮座地について記しています

【意訳】

建男霜凝日子(タケヲシモコリヒコノ)神社

続日本後紀 承和10年(843年)9月 甲辰の条・・5位下
日子神  比咩神 二座 

三代実録 元慶7年(883)9月2日の条・・正5位下

 

九重(クジュウヤマ)に坐す

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

社家注進には 上宮の所在を嶽山(ウバダケヤマ)〈祖母山(そぼさん)〉と記しています

【意訳】

建男霜凝日子神社

建男霜凝は 多祁袁志毛呉利訓ずべし 日子は仮字なり
〇祭神 明らかなり 咩神相殿に坐すべし

嶽山(ウバダケヤマ)に在す 社家注進
嶽明神と称す 今 上宮 下宮 2所に奉祀す

神位
続日本後紀 承和10年(843年)9月 甲辰の条・・5位下
三代実録 元慶7年(883)9月2日の条・・正5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

鎮座地として 下宮を記しています

【意訳】

建男霜凝日子神社

祭神 彦五瀬命 旧 嶽明神(ウバダケミョウジン)

神位
仁明天皇 承和10年(843年)9月 甲辰の条・・5位下
陽成天皇 元慶7年(883)9月2日の条・・正5位下

祭日 6月26
社格 郷社(縣社)
所在 井手上村(明細帳神原村字下宮とあり)(直入郡 嶽村 大字 神原

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承

様々な書伝記載せ 豊后國志に一書 彦五瀬命となすは、嶺南に五固川あるに附会せるもののみ、最も洞察を要す」とも記しています

【意訳】

大分豊後国 直入(ナホイリ)郡 嶽村 字 神原 字 井手ノ上

縣社 建男霜凝日子(タケヲシモコヒコノ)神社

祭神 建男霜凝日子(タケヲシモコヒコノ)
   豊玉(トヨタマヒメノ)
   彦五瀬(ヒコイツセノ)

創建年代詳ならすと雖も、
神名帳考証に云、「建男霜凝日子神社、大八洲霊、古事記云、波邇夜須毘古神、大和國健土安神社、日本紀云、処々小島皆是潮沫凝成者矣、按霜輿島言通、霜凝日子者洲壌之霊乎」と見え、
神社覈録に云建男霜凝は多祁袁志毛呉利と訓べし、日子は假字也、祭神明か也(比咩神も相殿に坐すべし)嫗嶽山に在す、嫗嶽明神と称す、今 上宮 下宮 二所に奉祀す。神位、続日本後紀、承和109月甲辰、無位 建男霜凝並比咩神 奉授 從五位下、三代実録、元慶792日乙丑、授 豊後國 從五位上 建雄霜起神 正五位下とあり、
神祇志料に云、建男霜凝子神社、今 大田郷 井手上村 神原山の嫗嶽にあり、嫗嶽大明神と云、建男霜凝日子及比咩神を祀る(按、豊後国志云、彦五瀬命、豊玉比咩命を祭ると云へり、然れども文書の他に徴する者なきを以て、其果して然るや否を決め難しと雖も、其日子比咩二神を祭る事、続日本後紀と自ら符合るに似たり、故今附て考に備ふ云々と見え、共に直入郡式の小社に列せり、社記に依れば、孝徳天皇 御宇 白雉2年の艸創なりと云」、又
豊後國志に「在 入田郷 神原村山中、延喜神祇式曰、健男霜凝日子神社 即是、以 豊玉媛命、配祀 彦五瀬尊、爲 嫗嶽神、故称 嫗嶽明神、孝徳天皇 白錐2年所創、続日本後紀曰、承和109月甲辰 無位 健男霜凝日古並比咩神、奉授日從五位下、三代実録 元慶792日乙丑、授豊后國 從五位上 健男霜起神 正五位下、其爲山、素翠蔚云々、巨岩窟中、有祠、嫗嶽本祠也、祠傍有路、達嫗嶽之嶺々有一石祠、后世所造、天正中廃、寛永中再修、里人以称上宮、以本祠爲下宮、又下隔一渓、曰波具合村有叢祠、名穴森、昔者有巨蛇潜焉、平語、盛衰記、以爲嫗嶽明神誤矣、豊以淫神事、涜明神徳哉」
と云へり、而して 亀山随筆にも「此白雉2 創造の由棟札に明かなり、又 白雉の旧材今も残れり、比咩社は 下宮の御神 五瀬尊の御組母神 豊玉姫を祀る、故に神を比咩神と申し 山を嫗嶽と云、と見え、而して 神徳の顯著なるは「此社の神宝に鰐口あり、銘に永和4年正月吉辰、願主 神孫 日向國 臼杵郡 三田井小太郎十三歳敬白」とあるを以て知るぺし、又 亀出随筆に、神田一段二畝は領主 中川家より寄附し、神官 相馬氏なりとあるを以て、如何に士民崇敬の厚きかを察すべし、
地名辞書に云く、「嫗嶽神社、神祇志料は 以て 霜凝日子神社に充つ、或は云此山即ち 高千穂峯なり」、と云ひ、
かくて豊后國志に、「按嫗嶽を豊玉媛を祀ると云、其所以たきに非ず、此山九州の大嶽にして臼杵の高千穂とも称す、降臨の霊跡を伝へ豊玉媛を祀れる歟、而して 豊後國 志肥後志並此祠を以て 延喜式 霜凝日古神となす、男女の相異あり、続紀に拠れば 本来古比咩二神鎮座し 天孫に坐しますと、推想すれば火々出見尊、並豊玉媛命なるべし、一書 彦五瀬命となすは、嶺南に五固川あるに附会せるもののみ、最も洞察を要す」と云へり、
記して後考に備ふ、先是 文禄3 中川秀成 入封 以後 崇敬も厚く、数次社殿を修築し 該て 神領若干を寄附し、維新の際に迫るまで以て恒例とす、明治6年郷社に列し、同12 縣社昇格す。
社殿は 本殿・幣殿、拝殿、神楽殿、渡殿、社務所等にして、境内311坪(官有地第一種)あり、老木森々社域神厳なりと云ふ。

例祭日 9月13

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』1 『明治神社誌料』2

健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉Takeoshimokorihiko Shrine Satomiya (hai)」(90度のお辞儀)

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豊後国 式内社 6座(大1座・小5座)について に戻る 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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