多氣神社・坂本神社(安芸郡奈半利町)〈『延喜式』多氣神社・坂本神社〉

多氣神社・坂本神社(じんじゃ さかもとじんじゃ)は 二つの延喜式内社 土佐國 安藝郡 多氣神社(たけの かみのやしろ)・坂本神社(さかもとの かみのやしろ)の合殿です 合祀の経緯については「昔時 坂本神社は多氣神社の東南町の地に鎮座ありしを 何時の頃にか多氣神社の合殿となれり」と伝わっています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

多氣神社・坂本神社(Take shrine Sakamato shrine

通称名(Common name)

多気坂本神社(た さかもとじんじゃ

【鎮座地 (Location) 

高知県安芸郡奈半利町字広岡乙3855番地

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

多氣神社
《主》武内宿禰 (阿支奈臣の祖)

坂本神社
》葛城襲津彦命 (布師臣・坂本臣の祖 武内宿禰の子)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・ 国史に記載される神社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『土佐の史蹟名勝』〈昭和12年(1937)〉に記される内容

【抜粋意訳】

多氣神社、坂本神社

奈半利町(なはりまち)字 廣岡(ひろおか)に在り。

延喜式社にして郷社である。祭神は多氣神社は武內宿禰(たけのうちすくね)、坂本神社は葛城襲津彥命(かつらぎのそつひこのみこと)である。
延喜式神名帳には、土佐國安藝郡三座とあるが、其の内
 坂本神社は鎭座地不明となって、實永の頃、多氣神社に併せ祭ってあったが、その後 和食郷(わじきがう)金岡山(かなおかやま)鎭座 坂本權現であることが明かとなって、現在の地に正式合併奉齋することとなったものである。
この地方には古來武内宿欄の後たる、布師臣(ぬしのおみ)、坂本臣(さかもとのおみ)の子孫が繁衍したために、その祖神を齋き祀ったものであることが窺はれる。

【原文参照】

武市佐市郎 著『土佐の史蹟名勝』,日新館,昭12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1172787

【由  (History)】

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

高知縣 安藝郡 郷社

○高知縣 土佐國 安藝郡奈半利村大字中里字左古谷口

郷社 多氣(タケノ)神社 坂本(サカモトノ)神社

祭神
 武内宿彌(タケシウチノスクネ)(多氣神社)
 葛城襲津彥命(カツラギノオソツヒコノミコト)(坂本神社)

社記に云 御神は各花形の御と、但 身體記云、多氣大明神、坂本大明神、神 本地不動沙門とあり、創立年月を詳にせ雖も、延喜の制 兩社共に式の小社に列し、當國廿一座の内たり、

三代實に云く、
「清和天皇 貞觀八年五月乙壬 正六位上 坂本神に従五位下を授けらる。」神祇志料云、○按ニ 書(三代實録、集國史)并に坂本を帰嵜本に作るもの誤れり、故今 延喜式、神階譜に據て之を訂す云々)
兩社 共に當 著姓 支奈臣 幷 坂本臣の遠祖を祀れる所とす、

土佐國式考云、
「多氣神社在 奈半利村、按 國安藝郡有 多家神社、正與 此同神也、國造本紀、安國皆作 岐國、順和名鈔 當郡 奈半郷、姓氏曰、支奈臣、武内宿禰男 葛城豆比古命之後、〔中略〕豊得非 阿支奈姓祖神 武内宿禰、今俗稱 嶽社、亦依通訓也。」

「坂本神社、姓氏録、坂本臣、建内宿禰男 紀角宿禰男 白城宿禰三世孫 建日臣、因 居賜姓坂本臣、又、布師臣、坂本朝臣同、建内宿禰男 葛城襲津彦命之後、和名鈔、安藝郡布師、重謂、坂本不詳 古在 何地併ニ 坐多氣社中、蓋多氣坂本共一姓神、而當郡著姓之遠其坐 於同社、恐非 偶然、今 土佐郡有 布師田村、此地未聞 布師之緣、蓋逸之耳。」

と、昔時 坂本神社は多氣神社の東南町の地に鎮座ありしを、何時の頃にか多氣神社の合殿となれり。

記云、當社は二社共に延喜式内のにして坂本神社は今の社より六丁位に小五六(コゴロク)と云所の少し東、山の麓に有りしを何の頃にかありけん、多氣の神の御子と申すを以て 多氣神社へ遷座し奉れり、故に本殿棟にして二社の社名あり云々」
神名帳考證云「坂本神社、元在 多氣近地、今在 多氣社 同殿隔 壁云々、

古来より當村の内 上長田、下長田、樋口、中里、車瀬、百石部落の産土神にして、多氣神社は通稱 嶽明神 又は今嶽明神、坂本神社は坂本権現としたりしも、明治元年 現今の社名に改め、同五年郷社に列す。

社殿は本殿、中殿、拜殿、御輿殿等を具備し、境内一千五百六十七坪(内二百二十九坪 社地千三百五十七坪社林にして樹木繁茂し、地種目は官有地第一種たり、其四周は平垣なる耕地にして人家諸所に點在せり、又寶物は神三面、金幣五垂、刀一口等とす。

 附言、神祇志料は式の坂本神社は當 和食村金岡山上となせども信じ難し、右は郷社 宇佐八幡宮の境内神社として在せり。

例祭日 七月廿六日 十月廿六日

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313

由緒

 当社の御祭神は、多気(たけ)神社は武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)で 坂本神社は、葛城襲津彦命(かづらぎのそつたのみこと)である。

共に延喜式内社であり両者は宝永の頃に合祀りされたと伝えられる。延喜式内社とは、醍醐天皇の御世撰上された延喜式神名帳に登載される古社の事である。
 武内宿禰袮命は第八代孝元天皇の御孫にして、永く朝政に参興し、樞機に興り、其の歴任は実に景行、成務、仲哀、應神、仁徳、の五朝の久しきにわたり長寿の仁と称さる。又 御懐妊中の神功皇后を補佐し、應神天皇の御養育につとめられた事は、今も人口に膾炙されている。
 葛城襲津彦命は、武内宿袮命の御子である。仁徳天皇の御製に、魂きはる宇智の吾兄汝こそは世の長人そらみつやまとの國にかりこむと聞くやと、御言葉があるによっても、長命であった事がうかがわれる。葛城襲津彦命も武内宿禰袮命の御遺徳をつがれよく仁政を補弼された。

 命の息女、磐之媛は履中、反正、允恭、各天皇の御生母である。ご祭神の子孫は蘇我氏であり、其の一族 布師臣、坂本臣、等が土佐の國にも点住し各地を開発し文化をひろめ産業をおこし租神を奉齋して地域の守護神として祀った。一千有余年の鎮守の森は現在奈半利郷分七ヶ部落の総氏神であり、延喜の古社のご神徳は広く内外からの崇敬を多しとしている。

 「神は人の敬によって威を増し、人は神の徳によって運を添う」と云う。産業、文化、延命長寿、安産育成。数々のご威徳は此の地に参ずる人々の、悪を抜い 寿を増し 命を延べてご守護下さる。遠い遠い古代から神人共に生きぬき尚永久に続く信仰の有難さは、何ものにも増して強く清く尊いものである。

 伝説、土佐の國の古名を建依別と云う、多気神社は土佐の國の國魂であろう「讃岐國宮社考」神武天皇の御東征は日向から瀬戸内海を通過されたと歴史上の通説になっている。しかし天皇の御通路は瀬戸内海ではなく土佐の沿岸だといわれる、日向から高岡郡宇佐に着かれて安芸の多祁理の宮(多気神社鎮座地)に御滞在になり、諸準備を整え阿波を経て、やまとに向かわれたと伝えられる。「古事記に」阿岐國之多祁理宮7年坐と記す。広島県安芸郡府中に多家神社あり。

古事記に匂う、安芸の地名や多気の御社名と共に、古代の人々が神武天皇ゆかりの伝説を今に伝えてくれし事に、云いしれぬ心の温もりを感ず。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

は誤りで〈坂本神〉であるとされています

【抜粋意訳】

卷十二 貞觀八年(八六六)五月廿二日乙丑

○廿二日乙丑

(さずく)に
佐ノ
 從五位下 殖田 從五位上
 正六位上 殖田上 岑坂本神〉 祈年に 從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

多氣神社・坂本神社(安芸郡奈半利町)は 二つの式内社の論社となっています

土佐國 安藝郡 多神社
土佐國 安藝郡 坂本神社

土佐國 安藝郡 多神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)土佐國 21座(大1座・小20座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)安藝郡 3座(名鈔)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 神社
[ふ り が な ](たけの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Take no kaminoyashiro

土佐國 安藝郡 坂本神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)土佐國 21座(大1座・小20座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)安藝郡 3座(名鈔)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 坂本神社
[ふ り が な ](さかもとの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Sakamoto no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 土佐國 安藝郡 多氣神社(たけの かみのやしろ)

・多氣神社・坂本神社(安芸郡奈半利町)

延喜式内社 土佐國 安藝郡 坂本神社(さかもとの かみのやしろ)

・多氣神社・坂本神社(安芸郡奈半利町)

・王子宮(安芸郡芸西村馬ノ上)《参考》

・宇佐八幡宮 境内社 坂本神社(安芸郡芸西村和食)《参考》

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線〈阿佐線〉奈半利駅からR493号経由で北方向へ約1.9km 車での所要時間は5~6分程度

当日は 高知空港から右手に太平洋を眺めながらR55号を南下しました

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南方向を向いて 一の鳥居が建ちます

多氣神社・坂本神社(安芸郡奈半利町)に参着

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石橋があります

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案内板があり

「大正時代の石橋と手水舎」多氣(たけ)坂本神社

多氣神社の御祭神(ごさいじん)は武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)、坂本神社の御祭神は葛城襲津彦命(かつらぎのそつひこのみこと)であり両社は 宝永(1704-10)の頃に合祀(ごうし)されたと伝えられる。

延喜式内社とは、醍醐(だいご)天皇の御世に撰上(せんじょう)された延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)※に登載される古社のことである。

神輿橋(みこしばし)は境内入り口にあり、大正5年に藤村捕鯨株式会社により奉納された石製の橋である。

また、参道右側には手水舎があり亀の形をした石製の手水鉢がある。これは大正9年(藤村製糸の創業時)に藤村製糸株式会社および藤村捕鯨株式会社の両社が奉納したものである。

※延喜式神名帳:延喜5年(905)に編纂開始、延長5年(927)に完成奏上

現地案内板より

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石橋を渡ります

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石橋を渡ると鳥居があり 一礼をして鳥居をくぐり抜けます

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鳥居の扁額には「式内社」の文字と 二つの神紋か?

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拝殿にすすみます

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社号標には「延喜式内社 多氣 坂本 神社」と刻字されています

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拝殿の扁額にも「多氣 坂本 神社」と記されています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿内に〈境内社〉壹伎(イキ)神社 破損して 多気神社の脇殿に仮奉祀とのこと

案内板が設置されていました

壹伎(イキ)神社

御祭神 壹伎直真根子命(イキノアタエ マネコノミコト)

武内宿禰(たけのうちすくね)(多気様)の冤罪(えんざい)を晴らさんと身代りとなりて自刃(じじん)せる赤誠(まこと)の仁(ひと)なり。

神社創立

 宝永年間と伝えられる。

建坪十六坪の社殿は永年伊勢神宮の遥拝としても信仰厚かりしが、風雨による破損あり、多気神社の脇殿に仮奉祀する。

 平成十三年十一月吉日、有志の浄財と奉仕により現在地に改築、遷宮(せんぐう)する。

現地案内板より

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社殿は 拝殿の奥に幣殿 本殿の覆い屋が一体となつています

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 多氣神社について 所在は゛奈半利村に在す、今 嶽明神と稱す、゛〈現 多氣神社・坂本神社(安芸郡奈半利町)〉と記しています

【抜粋意訳】

多氣神社

多氣は假字也

○祭神詳ならず式社考云、武内宿禰、此候古云、大己貴命、〕

○奈半利村に在す、〔式社考、神社記、〕今 嶽明神と稱す、

 式社考云、姓氏錄、阿支奈臣、武内宿禰男 葛城豆比古命之後也、〔中略〕豈 非ニ 阿支奈 祖神 武内宿禰乎、

類社
 伊勢國多氣郡 竹神社の修見合すべし

式内社 坂本神社について 所在は゛奈半利村 多氣社相殿に在す、゛〈現 多氣神社・坂本神社(安芸郡奈半利町)〉と記しています

【抜粋意訳】

坂本神社

坂本は佐加毛登と訓べし

〇祭神詳ならず

〇奈半利村 多氣社相殿に在す、式社考、神社記、〕

〇姓氏錄、〔左京皇別上〕坂本朝臣、紀朝臣同祖、紀角宿禰男 白城宿禰之後也、」
同、〔攝津國皇別〕坂本臣、紀朝臣同祖、彦太忍信命孫 武内宿禰命之後也」
同、〔和泉國皇別〕坂本朝臣、紀朝臣同祖、建内宿禰男 紀角宿禰之後也、男白城宿禰三世孫建日臣、同 居賜ニ 姓坂本臣、

 式社考云、姓氏錄曰、布師臣、坂本朝臣同祖、建内宿禰男 葛城襲津彦命之後也、
和名鈔曰、安藝郡布師、重遠謂、坂本不詳ニ 古在ニ 何地、今併ニ 坐多氣社中、蓋多氣坂本共一姓神、而當郡著姓之遠祖也、其坐ニ 於同社 恐非ニ 偶然候、今土佐郡有ニ 布師田村、此地未 聞ニ 布師之縁、蓋逸之耳、

類社
 近江國高島郡 坂本神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 多氣神社について 所在は゛ 奈半郷奈半利村に在り、嶽明神と云ふ゛〈現 多氣神社・坂本神社(安芸郡奈半利町)〉と記しています

【抜粋意訳】

多氣(タケノ)神社

奈半郷奈半利村に在り、嶽明神と云ふ、〔土佐國式社考、神名帳考証、神名帳打聞、〕

式内社 坂本神社について 所在は゛ 和食郷金岡山上に在り、坂本權現と云ふ、゛〈現 宇佐八幡宮 境内社 坂本神社(安芸郡芸西村和食)〉と記しています

【抜粋意訳】

坂本(サカモトノ)神社

 和食郷金岡山上に在り、坂本權現と云ふ、〔慶長十三年梁文、土佐國式社考書入、〕

盖 坂本朝臣の祖 葛城襲津彦命を祀る、〔新撰姓氏録、参取和名鈔、○按 布師臣、坂本朝臣と同祖にして、本郡に布師郷あり、其族人の祭を取なる事著し、〕

清和天皇 貞観八年五月乙丑、正六位上 坂本神に從五位下を授く、〔三代実録、類聚國史、○按二書並に坂本を嵜本に作るもの誤れり、故今 延喜式、神階記に據て之を訂す、〕

凡 十月二十五日祭を行ふ、〔高知縣神社取調帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 多氣神社について 所在は゛奈半利村〔左近谷口〕 (安藝郡奈半利村)゛〈現 多氣神社・坂本神社(安芸郡奈半利町)〉と記しています

【抜粋意訳】

多氣神社

祭神  嶽明神

 今按 式社考に當郡を安藝と云ひ 姓氏錄 阿支奈臣武內宿禰男葛城曾豆比古命後也とあるによりて 祭神 武内宿禰ならんと云れと 安藝郡の安藝と阿岐奈と同じく 嶽明神の嶽と武内宿禰の武と通訓と云るも信がかし

祭日 九月十六日

社格 郷社

所在 奈半利村〔左近谷口〕 (安藝郡奈半利村)

式内社 坂本神社について 所在は゛和食村〔金岡山上〕 (安藝郷知食村 郷社 八幡宮の境内)゛〈現 宇佐八幡宮 境内社 坂本神社(安芸郡芸西村和食)〉と記しています

【抜粋意訳】

坂本神社

祭神

 今按 式社考 姓氏錄 布師臣 坂本朝臣 共に武内宿禰  葛城襲津彦命之後なるに 和名抄 本郡布師郷ある此に由あり盖 當郡著姓の遠祖と云るが如く 坂本朝臣の族 布師臣 此地に住て 其 祖を祭れるにやあらん

祭日 九月十六

社格  (無社格 )

所在 和食村〔金岡山上〕 (安藝知食村 郷社 八幡宮の境内) 

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

多氣神社・坂本神社(安芸郡奈半利町) (hai)」(90度のお辞儀)

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土佐国の式内社 21座(大1座・小20座)

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

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