埼玉県

横見神社(吉見町御所)〈『延喜式』横見神社〉

横見神社(よこみじんじゃ)は 社伝に創建は和銅年間(708~715年)・平安時代末~中世には吉見氏の居館゛吉見の御所゛があり゛御所゛が地名となった 中世~有力農民層の管理に移り〈穀霊信仰により〉飯玉氷川明神社と社号改称 その後 延喜式内社 武蔵國 横見郡 横見神社(よこみの かみのやしろ)の論社として社号を戻したとある

氷川神社(吉見町上細谷)〈『延喜式』横見神社〉

氷川神社(ひかわじんじゃ)は 細谷郷〈細長い谷という意から名付けられた郷〉の惣鎮守 飯玉氷川神社〈式内社に比定される横見神社〉から分霊を受けたものと思われますが 延喜式内社 武蔵國 横見郡 横見神社(よこみの かみのやしろ)の論社とする説もあります

吉見神社(熊谷市相上)〈『延喜式』横見神社〉

吉見神社(よしみじんじゃ)は 景行天皇56年 東国統治を命じられて善政をしいたとされる御諸別王(みもろわけのみこ)が 天照大神を祀ったのが創基とされ 以来 御諸別王の子孫が代々神主として奉仕しています 現在は大里郡に鎮座しますが 延喜式内社 武蔵國 横見郡 横見神社(よこみの かみのやしろ)の論社ともされています

久伊豆社(鴻巣市笠原)

久伊豆社(ひさいずのやしろ)は 延喜式内社 武蔵国 足立郡 足立神社(あたちの かみのやしろ)の論社とも云われ 鎮座地の゛笠原゛は 古墳時代後期 豪族〈笠原氏〉の本拠地で 『日本書紀』安閑天皇元年(534年頃)の条に「武蔵国造の乱」〈武蔵国造の笠原使主と同族との内乱〉として 大和朝廷も重要視する お家騒動として記されており これは当時 東国の蝦夷(えみし)への前線 武蔵國が朝廷の重要な拠点であったことを示すものとされます

加茂神社(さいたま市北区宮原町)

加茂神社(かもじんじゃ)は 江戸時代までは 加茂大明神と呼ばれていました 勧請の年代は不詳ですが その昔 京都の上賀茂神社を勧請したもの と伝えられます 一説に 延喜式内社 武蔵国 足立郡 足立神社(あたちの かみのやしろ)の論社ともされています

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