国史記載社
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筑紫神社(筑紫野市原田)〈『三代實録』筑紫神『延喜式』筑紫神社〔名神大社〕〉
筑紫神社(ちくしじんじゃ)は 延喜式内社 筑前國 御笠郡 筑紫神社(名神大)(ちくしの かみのやしろ)です 筑紫の国号の起源説話が伝わる由緒ある古社で 奈良時代に書かれた『御笠郡筑紫神社縁起』には「筑前国と筑後国の境に荒ぶる神がいて 往来のものの命を奪うので困り果て 筑紫神として祀り これを鎮めた」とあります
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霧島東神社(高原町祓川)〈『續日本後紀』霧嶋岑神・『延喜式』霧嶋神社〉
霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ)は ゛天之逆鉾゛を社宝とし〈高千穂峰の山頂の天孫降臨伝説の地〉第10代崇神天皇の御代 霧島山を信仰する社として創建と伝わる 延喜式内社 日向國 諸縣郡 霧嶋神社(きりしまの かみのやしろ)の論社で 天暦年間(947~957)性空上人が別当寺 錫杖院を建立し 霧島六社権現の一つとなった
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羽束師坐高御産日神社(京都市伏見区羽束師志水町)(『三代實録』羽束志神)
羽束師坐高御産日神社(はづかしにます たかみむすひじんじゃ)は 社伝によれば 創建〈雄略天皇21年丁己(477)〉と伝わり 京都でも古社となります 高皇産霊神(たかみむすひのかみ)を祀る 延喜式内社 山城國 乙訓郡 羽束師坐高御産日神社(大月次新嘗)(はつかしにますたかみむすひの かみのやしろ)です
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兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)〈『延喜式』兵主神社〔名神大〕〉
兵主神社(ひょうすじんじゃ)は 元々は日吉山王権現と称し奉っていた 延宝四年(1676)〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉により 当社を聖母神社と査定・聖母神社〈現 聖母宮〉を日吉山王権現と査定・その後 この処置が誤りであると藩も認め 聖母宮は元に戻り 当社は 式内社 壱岐郡 兵主神社 名神大と比定されています
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天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町田中触)〈壱岐嶋一之宮〉
天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)は 鎌倉時代の元寇により荒廃 その後廃絶し 所在も不明となっていました 延宝4年(1676)平戸藩主の命により藩の国学者 橘三喜が 現地の地名「たなかを」から(たながお)推定し比定したものです それ以前は 天手長男神社の由緒は無いとされていた 櫻江村 若宮と云われた式外社でした
