神功皇后

爾自神社(壱岐市郷ノ浦町有安触)

爾自神社(にしじんじゃ)は 神功皇后が三韓征伐の時 壱岐の島まで軍を進め〈対馬へと渡る為には東風が不可欠〉風待ち停泊した時 東風石(こちいし)と呼ばれている巨石に東風の順風祈願をした すると石が二つに割れて さわやかな東風が吹きおこり 順調に三韓に渡航して戦勝した 帰朝の際 ここに風の神を祀られたと伝わります

志々岐神社(壱岐市石田町南触)

志々岐神社(ししきじんじゃ)は 『壱岐国神社誌』に鎮座地名 印通寺(いんどうじ)の由来が記されます「昔 神功皇后が三韓征伐の為 西海に赴いた時 十城別王(ときわけのみこ)〈日本武尊の御子〉が臆して退いたので 歎いた皇后が矢を手にとり投げて十城別王の背中を射通した その射通し(ヰトホシ)が訛り 印通寺(いんどうじ)と云う」

本宮八幡神社(壱岐市勝本町本宮西触)

本宮八幡神社(ほんぐうはちまんじんじゃ)は 社縁起に兵主神社であり八幡宮と称すとあり 聖母縁起に 本宮八幡宮は 中住吉大明神 左誉田尊 右息長帯姫尊を祭る 神功皇后 三韓退治の時 住吉大明神の出現ありて神力を添へ給ふ故 当社住吉大明神を兵主神社と称す也とあり 式内社 兵主神社であると有力視されています

月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)

月讀神社(つきよみじんじゃ)は 延寶4年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者 橘三喜の式内社調査〉により 里人が鎮座地の「清月(きよつき)」を「ふかつき」〈深淵 ふかふち〉とも呼んでいたことに因り 式内社 月讀神社(名神大)(つきよみの かみのやしろ)と比定されましたが この比定は誤りとする説が有力視されます 延寶の調以前は「山の神」と称されていた云われます

箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)

箱崎八幡神社(はこざきはちまんじんじゃ)は 相殿に天月神命と高皇産霊神が祀られます 式内社・月讀神社(名神大)・高御祖神社の両社は 同じ所に鎮座したと伝わり 当社がそれとされます 故に祭神 天月神命(あめのつきかみのみこと)は『日本書紀』顕宗天皇三年の段に記される壱岐の「月神」〈高皇産霊命を祀れと憑依神勅をした〉であると伝わります

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