延喜式神名帳

出雲國 式内社 187座(大2座・小185座)について

出雲國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている当時の官社です 出雲國には 187座(大2座・小185座)の神々が坐します 現在の論社についても掲載しています

阿吾神社(斐川町阿宮)

阿吾神社(あぐじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に記されている4つの神奈備山の一つ 仏経山の東南に鎮座します 出雲郡 神祇官社「阿具社(あぐ)のやしろ」とされ 出雲郡 不在神祇官社「支比佐社(きひさ)のやしろ」も合祀されています

伊波神社〈上直江八幡宮の境内社〉&上直江八幡宮(斐川町上直江)

伊波神社(いはじんじゃ)は 元々は西方の岩野山上に鎮座されていたが 寛延年間(1750年頃)今の上直江八幡宮(かみなおえはちまんぐう)境内に移転鎮座となったと伝わります 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「伊波社(いわ)のやしろ」の論社です 

波知神社(斐川町三絡)

波知神社(はちじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「波禰社(はね)のやしろ」・『延喜式神名帳927 AD.』所載の出雲郡「波知神社(はちの かみのやしろ)」とされます 江戸時代には「須多禮(すだれ)大明神」「八社明神」とも呼ばれていました

伊佐賀神社(斐川町大字出西)〈伊保神社〉

伊佐賀神社(いさかじんじゃ)は 阿菩大神(あぼのおおかみ)が 大和三山の争いを聞かれ”自分が行っていさめよう”と旅立れたが 播磨国の揖保(いぼ)まで行かれたとき 争いが止んだと聞かされ いぼをふられた(不満に思う)ので 伊保神と伝わります 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「加佐伽社(かさか)のやしろ」です

伊甚神社(松江市宍道町伊志見)

伊甚神社(いじんじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「伊自美社(いしみ)のやしろ」です もとは今の神社より西南の奥にあったが 古く他の二つの社を合わせて三社明神と名づけ 今の社地に移したものと伝わります

鳥屋神社(出雲市斐川町鳥井)

鳥屋神社(とりやじんじゃ)は 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「鳥屋社(とや)のやしろ」とされます  かつては 建御名方命(タケミナカタノミコト)が 投げられた千引きの岩が内海に立ち そこへ多くの鵠(白鳥)が群った その岩の上にご鎮座されていたとの事

加毛利神社(出雲市斐川町神氷)

加毛利神社(かもりじんじゃ)は カニモリ(蟹守)の子孫神が 日向の宮崎から船で当地の船子山に着き 宮崎大明神としてお祭りしたのが始まりと伝わり 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「加立利社(かもり)のやしろ」 『延喜式神名帳927 AD.』出雲郡「加毛利神社」とされます

奥宇賀神社(出雲市奥宇賀町)

奥宇賀神社(おくうがじんじゃ)は ・奥宇賀 和田に鎮座「美奴麻神社」・奥宇賀 布勢に鎮座「布勢神社」・奥宇賀 池田に鎮座「伊勢神社」の三社を 明治十五年(1882)に合祀して「奥宇賀神社」と称したものです 『出雲國風土記』の「彌努婆社」「布世社」「布西社」に該当します

宇賀神社(出雲市口宇賀町)

宇賀神社(うがじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「守加社(うか)のやしろ」とされ 境内社 子安神社に合祀の彌努波社は「彌努婆社(みぬば)のやしろ」「彌努波社(みぬは)のやしろ」の論社です 大己貴命が 綾門姫命を窺(うかが)い捜し 宇賀(うか)となったと伝えられます

賀茂那備神社(隠岐 隠岐の島町加茂)

賀茂那備神社(かもなびじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載の隠岐国  周吉郡「賀茂那備神社(かもなひの かみのやしろ)」です 鎮座地の加茂は 隠岐の島〈島後〉南部の深い入り江の奥にあり かつて本土との表玄関として栄えた場所で 別雷神(わけいかづちのかみ)が到着された港と伝わります

来阪神社(出雲市矢尾町)

來坂神社(きさかじんじゃ)は 主祭神は素戔嗚尊 來成天王(きなしてんのう)と呼ばれていました いつの頃かは不明ですが・海代日古尊・海代日女尊を合祀したと伝わり『出雲國風土記733 AD.』「来坂社 (くさか)のやしろ」の論社とされています

久佐加神社(出雲市日下町)

久佐加神社(くさかじんじゃ)は 由緒書に『出雲国風土記733 AD.』の「久佐加社」・『延喜式神名帳927 AD.』の「久佐加神社」とあり 御祭神は当地を御領地とした「大穴持命」です その御子神「・大穴持海代比古命・大穴持海代比女命」が合祀され 当地を開拓した日下部一族が祖神「日子坐王命」を祀る 由緒ある古社です

斐代神社(出雲市唐川町)〈韓竈神社の境外末社〉

斐代神社(ひしろじんじゃ)は 御祭神は「味鋤高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)」を祀ります 韓竃神社に合祀されましたが 現在は 旧鎮座地に遷座しています 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「斐提社(ひて)のやしろ」・『延喜式神名帳927 AD.』所載の「斐代神社」の論社です

曽枳能夜神社(出雲市斐川町神氷)

曽枳能夜神社(そきのやじんじゃ)は 延喜式内社で『出雲国風土記』には「神名火山(中略)曽枳能夜社に坐(ま)します 伎比佐加美高日子命社 即ちこの山の嶺(みね)に在り 故(か)れ神名火山と云ふ」と記されます 御祭神は 出雲国造 第14代 伎比佐加美と同神であるといわれ 出雲大社とは関係深い社とされます

久武神社(斐川町出西)& 出西八幡宮

久武神社(くむじんじゃ)は 素盞鳴尊が詠まれた最初の和歌「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに・・」この湧きたつ雲から別名を「雲神社」とも云います 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「牟久社(くむ)のやしろ」とされ 同じ境内には 出西八幡宮(しゅつさいはちまんぐう)も祀られています

縣神社(出雲市国富町)

縣神社(あがたじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の社が 4社あります 本殿には「(あがた)のやしろ」が3つ〈・本殿「阿我多社」・合祀「縣社」の神祇官社2つ ・合祀「縣社」の不在神祇官社1つ〉 さらに境内社には 1つ「(いには)のやしろ」〈「不在神祇官社一つ「伊爾波社」」〉が鎮座します

垂水神社(出雲市河下町)

垂水神社(たるみじんじゃ)は 社殿によれば文明十三年(1481)現社に建立し 垂水四郎を祀り「垂水明神」と号したとあります 近世になってから『出雲國風土記733 AD.』所載「意保美浜(おほみのはま)」に鎮座する出雲郡 神祇官社「意保美社(おほみ)のやしろ」に充てる説があります

意保美神社( 出雲市河下町)

意保美神社(いほみじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』の「意保美浜(おほみのはま)」に鎮座したとされる出雲郡 神祇官社「意保美社(おほみ)のやしろ」の論社です 江戸時代には「烏姫明神 (おほひめみょうじん)」 と称したと伝わります

都我利神社(出雲市東林木町)

都我利神社(つがりじんじゃ)は 2つの式内社〈本社(都我利神社)と合祀社(伊佐波神社)〉とされます 又 出雲郡 伊努(いぬ)郷の「伊努社(いぬ)のやしろ」に係る二つの社が東西の林木町にあって 里人は 都我利神社(東林木町)を「東の宮」と呼び 伊努神社(西林木町)を「西の宮」と呼んでいます

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