延喜式神名帳
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高河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉(月夜見宮 域内)
高河原神社(たかがわらじんじゃ) は 豊受大神宮(外宮)の摂社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 伊勢國 度會郡 川原坐國生神社(かわはらのます くなりの かみのやしろ)とされます その後 応永26年(1419)に焼失し 近世には社地不明となりましたが 寛文3年(1663)現社地(月夜見宮 域内)に再興されました
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月夜見宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉
月夜見宮(つきよみのみや)は 古くは 高河原(たかがわら)と呼ばれ 農耕の神を祀る神社であったと云います 延喜式〈927年12月編纂〉式内社 伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)の時は 外宮摂社の首位でした その後 土御門天皇の承元四年(1210)土宮の嘉例に淮じ豊受大神宮(外宮)の別宮に昇格しました
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朝熊神社&朝熊御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
朝熊神社(あさくまじんじゃ)&朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ)は 五十鈴川と朝熊川の合流する東岸丘にあり 垂仁天皇27年(BC3)倭姫命が石と化した大歳神(おほとしのかみ)を祀ったのが創祀と伝える 皇大神宮(内宮)の27摂社の内 第1摂社です『延喜式神名帳』では 伊勢国 度會郡 朝熊神社(あさくまの かみのやしろ)と記されています
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多賀宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉
多賀宮(たかのみや)〉は 今から約1500年前 第21代 雄略天皇22年 天照大御神の御神勅によって豊受大御神が丹波の国から御饌都神として迎えられ 豊受大神宮が創立されたのと同時に創建されたと伝えられています 豊受大神宮(外宮)には・多賀宮・土宮・月夜見宮・風宮の四別宮があり その第一の宮とされます
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定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)
定神社〈佐田神社〉(さだじんじゃ)は 明治44年 地域の神社を荻原神社に合祀 佐田神社と改称 昭和28年 宮川ダム築造でダム湖に沈む集落の地より現在地に遷座゛定神社゛と改称 前身の成立ちは・奥定(榎村神社)・中定(中の宮)・口定(定古清宮・萩原神社)の三神社で その内の・奥定(榎村神社)は榎村神社・口定(定古清宮・萩原神社)は荻原神社と 二つの式内社論社です
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荻原神社(大台町江馬)
荻原神社(おぎはらじんじゃ)は 明治40年(1907)合祀令により 荻原村に鎮座する81社を現在地〈宮川の上流域の大台町江馬〉に合祀したもので 中心となった神社〈江馬八柱神社(創建月日不詳)〉は 今から千数百年前(平安時代)茂原区に祀られていた゛延喜式内社 伊勢國 度會郡 榎村神社(えむらの かみのやしろ)゛であると伝わります
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堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
堅田神社(かただじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 垂仁天皇25年(BC5)二見の地に巡幸された倭姫命に 佐見都日女命(さみつひめのみこと〈地主神〉)は 黙して堅塩(かたしお)を奉った これを祝して倭姫命は当地に堅田神社を定めたと創建伝説に云う 二つの式内社〈①大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)②榎村神社(えむらの かみのやしろ)〉の論社となっています
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宇治山田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 那自賣神社〈内宮 末社〉)
宇治山田神社(うじようだじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)の論社となっています 御同座に 那自賣神社(なじめじんじゃ)〈内宮 末社〉が祀られ 2社ともに 倭姫命が定めた神社であるとされています
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國津御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 葦立弖神社〈内宮 末社〉)
國津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 御同座に葦立弖(あしだて)神社〈内宮 末社〉が祀られます 式内社 伊勢國 度會郡 國津御祖神社(くにつみおやの かみのやしろ)とされ 同じく式内社の大土御祖神社〈内宮 摂社〉境内に鎮座します 隣接地には 倭姫命ゆかりの橡楠尾神社が鎮座し 神社の南東には 新嘗祭で神宮への奉納米を奉る神宮神田があります
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大土御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 宇治乃奴鬼神社〈内宮末社〉)
大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 御同座に宇治乃奴鬼(うじのぬき)神社〈内宮 末社〉が祀られます 式内社 伊勢國 度會郡 大土御祖神社(おほつちのみおやの かみのやしろ)とされ 境内には同じく式内社の國津御祖神社〈内宮 摂社〉と御同座する葦立弖神社(内宮末社)が鎮座 隣接地にも 倭姫命ゆかりの橡楠尾神社が鎮座し 神社の南東には 新嘗祭で神宮への奉納米を奉る神宮神田があります
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月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています
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葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉
葭原神社(あしはらじんじゃ)は 『日本文徳天皇實録』天安2年(858)2月に官社に預った記録がある古社で 皇大神宮(内宮)の末社16社のうち 第3位の末社です 『延喜式神名帳』所載 伊勢國 度會郡 荻原神社(貞)(をきはらの かみのやしろ)の論社ですが 中世に廃絶しました 明治6年(1873)現在地〈内宮の別宮゛月讀宮゛境内〉に再興されました
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瀧原宮・瀧原竝宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
瀧原宮(たきはらのみや)・瀧原竝宮(たきらのならびのみや)は 二つの内宮の別宮が並列して鎮座します 御船倉を有するなど他の別宮と異なる点が多々あり゛大神の遥宮(とおのみや)゛として大きな信仰を集めます 倭姫命の創建で 元伊勢とも伝えられ 内宮を連想させる神域内の樹齢数百年を越える杉の木立の参道と谷水の流れる御手洗場は太古の信仰へと誘います
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荒祭宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
荒祭宮(あらまつりのみや)は 『皇太神宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』に「荒祭宮一院 大神宮の北にあり 相去ること二十四丈 大神宮の荒御魂宮と称す」とあり『延喜太神宮式〈延長5年(927)〉』に「荒祭宮一座 大神の荒魂」とも見える古社です 天照大御神の荒御魂を祀り 内宮に所属する十所の別宮のうち 第一に位しています
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豐受大神宮〈外宮〉(伊勢市豊川町)〈伊勢神宮〉
豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は 今から約1500年前 内宮の御祭神 天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)として 丹波国から現在の地にお迎えされました 御饌殿では 今日も神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています 内宮に対して外宮と並び称され 衣食住 産業の守り神としても崇敬されています
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皇大神宮〈内宮〉(伊勢市宇治館町)〈伊勢神宮〉
皇大神宮(こうたいじんぐう)は 私たち日本人の総氏神「伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」と全国の人々で賑わう伊勢詣が有名です 通称を゛伊勢の内宮(ないくう)゛鎮座は゛垂仁天皇26年〈今から2000年前〉 御祭神は゛皇祖神 天照大御神゛御神体は皇位のしるし三種の神器の一つ゛八咫鏡(やたのかがみ)゛です
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咸古神社(富田林市龍泉)〈弘法大師空海が 加持祈誓し龍神を呼んだ社〉
咸古神社(かんこじんじゃ)は 『龍泉寺縁起』弘仁14年(823)この地を訪れた弘法大師空海が加持祈誓し 龍が再来 池が戻り3つの小島が現れた・弁財天・聖天・吒天を祀り 牛頭天王を鎮守社としたのが創建と云 江戸時代には鎮守社 牛頭天王社 明治に咸古神社と改称 明治42年(1909)相殿に式内論社 咸古佐備神社が合祀された
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事代主神社(阿波郡市場町大字伊月字宮の本)〈延喜式内社〉
事代主神社(ことしろぬしじんじゃ)は 『日本書紀〈養老4年(720)〉』神功皇后紀に此の神の事が記載されているので それ以前からの鎮座と伝わる古社です 鎮座地の伊月(いつき)は 事代主神を斎(いつき)祀る所から来ているとのこと 延喜式内社 阿波國 阿波郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)であるとされます
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蛭子神社(勝浦町沼江一楽)〈大将軍神社の境内社〉
蛭子神社(えびすじんじゃ)は 大将軍神社(勝浦町沼江一楽)の境内に祀られています 勝浦町沼江地区には 二つの゛ゑびすさん゛を祀る神社があり 二つ共に延喜式内社 阿波國 勝浦郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)の論社とされていて その内の一つになります
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生夷神社(勝浦郡勝浦町大字沼江字田中)〈延喜式内社〉
生夷神社(いくいじんじゃ)は 『新撰姓氏錄』゛長公(おさのきみ)は 大奈牟智神兒 積羽八重事代主命之後也゛と記載されている 長の地は 阿波国 那賀郡の地に由縁があるので その氏人〈長〉の祖神として祀られたものであろうとされています 延喜式内社 阿波國 勝浦郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)の論社です