延喜式神名帳

稲荷神社(浜松市浜北区小林)〈『延喜式』猪家神社〉

稲荷神社(いなりじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 明徳年間(1390)足利義満の時代に改造の記録があります 寛政8年9月 稲荷大明神を稲荷神社と改称 明治12年8月26日村社に列格 延喜式内社 遠江國 長下郡 猪家神社(ゐけの かみのやしろ)の論社でもあります

椎ヶ脇神社(浜松市天竜区二俣町鹿島)〈『延喜式』猪家神社〉

椎ヶ脇神社(しいがわきじんしゃ)は 延暦二十年(801)征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征伐のため下向の折 天竜川が氾濫し大海となり 東岸に渡ることも出来ず困っていた時 土人が筏を作り将軍を渡し 大変喜ばれこの地に減水を祈り「闇淤加美神」を祀ったと伝わる 延喜式内社 遠江國 長下郡 猪家神社(ゐけの かみのやしろ)の論社

蒲神明宮(浜松市中央区神立町)〈『延喜式』大歳神社・朝日波多加神社・子倉神社〉

蒲神明宮(かばしんめいぐう)は 『三代實録』蒲太神とする説があり これによって三つの式内社〈①遠江國 長上郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)②遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひたのの かみのやしろ)③遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)〉の論社となっています

大歳神社(浜松市中央区天王町)〈『延喜式』大歳神社〉

大歳神社(おおとしじんじゃ)は 延喜式内社 遠江國 長上郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)を合祀しています 元来「天王宮」「天皇宮」「大歳神社」の三社に別れてご鎮座になっていたが 後に合祀され 更に当神社氏子四町の氏神を合祀し現在に至ります

等乃伎神社(高石市取石)〈『延喜式』等乃伎神社(鍬靫)・〈合祀〉大歳神社(鍬)〉

等乃伎神社(とのきじんじゃ)は 古代の太陽信仰と密接な関係があり『古事記』下巻 仁徳天皇の段には「巨木伝説」が伝わり 又『続日本紀』天平勝宝4年(752)「中臣殿来連竹田売」と記載の中臣氏一族 殿来連が祖先神 天兒屋根命を当社に奉祀した 式内社 等乃伎神社(鍬靫)で 明治期に式内社 大歳神社(貞・鍬)を合祀しています

舟寄神社(賀茂郡松崎町江奈)〈『延喜式』伊那下神社〉

舟寄神社(ふなよせじんじゃ)は 社伝に「初 古代 嶋にありしを此の地に遷座すと云ふ」とあり 地名の江奈は伊奈の轉訛とし 往古 此地の総称と聞え 中川村の下流にあり伊奈下の称に適すとして 『伊豆神階帳』「從四位いなし利の明神」・『延喜式』伊豆國 那賀郡 伊那下神社(いなしもの かみのやしろ)であると伝えます

仲神社(賀茂郡松崎町那賀)〈『延喜式』伊那上神社・仲神社・仲大歳神社〉

仲神社(なかじんじゃ)は 社記には もと仲神社と称し 中古 伊那上神社(松崎町宮内)に合祀して高根名神社と改称 後 本地に遷祀して 旧仲神壮に復称したとあり 現在は三つの式内社〈①伊那上神社(いなかみの かみのやしろ)②仲神社(なかの かみのやしろ)③仲大歳神社(なかをほとしの かみのやしろ)〉の論社です

伊那上神社(賀茂郡松崎町宮内)〈『延喜式』伊那上神社・仲神社・仲大歳神社〉

伊那上神社(いなかみじんじゃ)は 社伝には 第52代 嵯峨天皇弘仁2年(811)伊豫國越智郡三島より遷座と伝えられ 又一説に弘仁8年(817)伊豆國府三島より遷座とも云う 三つの式内社〈①伊那上神社(いなかみの かみのやしろ)②仲神社(なかの かみのやしろ)③仲大歳神社(なかをほとしの かみのやしろ)〉の論社です

伊志夫神社(賀茂郡松崎町石部)〈『延喜式』伊志夫神社〉

伊志夫神社(いしふじんじゃ)は 創建について 石部の神田の地にある石火石から遷座と云う 往昔 磐座であった「石火石」の頂上部の窪みに 火を燃やして海上交通の目印と交通安全を祈っていたとされ やがて神社を建立したのであろうと伝わる 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 伊志夫神社(いしふの かみのやしろ)の論社です

伊那下神社(賀茂郡松崎町松崎)〈『延喜式』伊志夫神社・伊那下神社・仲大歳神社〉

伊那下神社(いなしもじんじゃ)は 三つの式内社〈伊豆國 那賀郡① 伊志夫神社(いしふの かみのやしろ)②伊那下神社(いなしもの かみのやしろ)③仲大歳神社(なかをほとしの かみのやしろ)〉の論社です 又 三韓征伐の時 この国の人が神功皇后の御船を守り 長門豊浦から松崎に来て唐(新羅)征討の住吉三神を祀り俗に唐大明神と称します

神明神社(賀茂郡西伊豆町中)〈『延喜式』仲大歳神社〉

神明神社(しんめいじんじゃ)は かつて火災に遭って多くの記録を失い 創建年代等は不祥 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 仲大歳神社(なかおほとしの かみのやしろ)の論社です 毎年十一月の秋祭りに奉納される三番叟は初演が享保年間即ち1700年代と伝えられ 三世紀に渡り伝承される貴重な民俗文化財です

大歳神社(橿原市石川町)〈『延喜式』大歳神社 二座〉

大歳神社(おおとしじんじゃ)は 創建年代は不明ですが 創祀について鎮座地の石川村を開発した人物「石川楯〈雄略天皇の臣下〉」であると推測されています 延喜式内社 大和國 高市郡 大歳神社 二座(おほとしの かみのやしろ ふたくら)の論社で 中世両部習合神道から大山咋命を主神として社名を山王社と云ったと棟礼にみえています

大歳神社(美方郡新温泉町居組字宮ノ前)〈『延喜式』大歳神社〉

大歳神社(おおとしじんじゃ)は 貞観3年(861)の創立と伝える 延喜式内社 但馬國 二方郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)とされます 所藏の棟札によれば 足利時代の永享2年(1430)11月 足利義教の時に社殿の再建とあり 中世この地は 延喜式の大歳神社がここに鎭座するを以て 大歳莊と呼ばれたと云う

本宮神社〈本殿合祀or境内社 八面神社〉(三瓶町上山)〈『延喜式』佐比賣山神社〉

本宮神社(もとみやじんじゃ)は 宝亀三年(772)創建 この地の豪族 矢野隆義が紀州熊野本宮神社の分霊を勧請したと伝わります 又 〈本殿合祀or境内社〉八面神社(やおもてじんじゃ)は 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社でもあります

三瓶山神社(大田市三瓶町小屋原)〈『延喜式』佐比賣山神社〉

三瓶山神社(みかめやまじんじゃ)は 承暦永保(1077~1084年)の頃 三瓶山麓に野獸が多く村民が苦しんだので 源頼義の臣の平吉義が農鎌を以て退治し この鎌を神體として熊野三社を勧請鎮祭し 鎌は今でも殿内に奉遷と云う  延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社でもあります

八面神社(大田市三瓶町志学ロ)〈『延喜式』佐比賣山神社〉

八面神社(やおもてじんじゃ)は 三瓶山〈佐比賣山〉の山麓に八ヶ所の湧水があって 湧水ごとに八つ集落があり 三瓶山〈佐比賣山〉を祀る八つの神゛八面神社゛が創建された〈寛平年間(889~898年)〉と伝わっています 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社です

高田八幡宮〈相殿 佐比賣山神〉(大田市三瓶町池田)〈『延喜式』佐比賣山神社〉

高田八幡宮(たかたはちまんぐう)は 寛喜二年(1230)山城國 綴喜郡 男山八幡宮より勧請したと云う 又 相殿に祀られる佐比賣山神は 明治四十年(1907)四月 佐比賣村 同大字の佐比賣山神社が本社に合併されたもので 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社とされます

佐比賣山神社(大田市鳥井町鳥井)〈『延喜式』佐比賣山神社〉

佐比賣山神社(さひめやまじんじゃ)は 寛平3年(891)美濃国石破郡石破関より勧請され 元々は 大字烏井字杵島山に鎮座し厳島大明神と云ったとある 明治四十年(1907)海岸の丘上〈現在地〉に奉遷 八幡宮へ合併し社号を佐比賣山神社としました 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社です

大歳神社(浜田市三隅町下古和)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉

大年神社(おおとしじんじゃ)は 創建年代はあきらかでないが 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社の一つとされています 明治期に地域の神社を合祀しています

大年神社(浜田市国分町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉

大年神社(おおとしじんじゃ)は 景勝地として知られる石見畳ケ浦の入口にあたる唐鐘漁港の高台に鎮座します 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』に石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)とある古社の論社の一つです

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