延喜式神名帳
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広高神社〈若宮八幡宮 境内社〉(瀬戸内市邑久町)〈『延喜式』美和神社〉
廣高神社(ひろたかじんじゃ)〈若宮八幡宮 境内社〉は 美和神社 (広高山)〈延喜式内社 備前國邑久郡 美和神社(みわの かみのやしろ)の論社〉の本宮との説があります 元は 神坂(みわさか)〔現 才崎〕の巨岩の上に 才崎宮として鎮座していましたが 現在は若宮八幡宮の境内に広高神社として祀られています
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美和神社〈多賀神社 境内〉(瀬戸内市長船町磯上)〈『延喜式』美和神社〉
美和神社(みわじんじゃ)〈多賀神社 境内〉は 寛文6年(1666)寺社整理令により式内論社 福里美和神社を含む52社が合祀された 磯上の多賀神社境内の寄宮です 寛延2年(1749)福里美和神社は地元の願いを受け再興され 多賀神社境内には「古の美和神社の古跡」〈延喜式内社 美和神社(みわの かみのやしろ)〉の碑が残ります
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美和神社(瀬戸内市長船町福里)〈『延喜式』美和神社〉
美和神社(みわじんじゃ)は 延享3年(1746)寅12月18日 延喜式内社 備前國邑久郡 美和神社(みわの かみのやしろ)であると再興上願 延享4年(1747)3月御聞届 寛延2年(1749)社殿成神霊ヲ奉遷スとあり 福里へ奉遷 明治維新まで延喜式内社とされたが 後 明細帳編成の際 式外と改められました
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美和神社(長船町東須恵 字 広高山)〈『延喜式』美和神社〉
美和神社(みわじんじゃ)は 勧請年代は明確ではありませんが この地に7世紀前後に移住してきた須恵器の陶工集団と深い関係があり 鎮座する広高山は三和の峰とも呼ばれ 大神神社(奈良県桜井市)を勧請したと云う 延喜式内社 備前國邑久郡 美和神社(みわの かみのやしろ)の論社です
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夜比良神社(たつの市揖保町揖保上)〈『延喜式』阿波遲神社・夜比良神社〉
夜比良神社(やひらじんじゃ/やひろじんじゃ)は 御祭神 大国主命が出雲国を開拓され 因幡国を経て播磨国に入り 伊和神社(一宮町)に鎮座された後 揖保川に沿って南下され粒丘に足を留めて この地方を開き災禍を祓い除かれたと伝わる〔夜比良神社(やひらの かみのやしろ)阿波遲神社(あはじのかみのやしろ)〕二つの式内論社です





