宿那彦神像石神社〈旧鎮座地 神像石〉(七尾市)御神体の「神像石(カムカタイシ)」は縦七尺二寸 下幅三尺八寸 上幅二尺五寸の巨石と伝わります

宿那彦神像石神社(旧鎮座地)神像石(カムカタイシ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の論社の旧鎮座地です 古老の云うところには 少彦名命(スクナヒコナノミコト)が 海から依り憑き 阿良加志比古神(アラカシヒコノカミ)と協力して 郷民を害す 毒虫 及び妖鳥を亡ぼして この地方の平定を成し遂げたと伝わり その神「少彦名命(スクナヒコナノミコト)」の上陸の地に一種の神像に代わる霊石として祀られたのが御神体の「神像石(カムカタイシ)縦七尺二寸 下幅三尺八寸 上幅二尺五寸の巨石とされます

目次

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

宿那彦神像石神社(Sukunahikokamukataishi Shrine
〈旧鎮座地 神像石〉〈Old enshrined place, god statue stone〉

(すくなひこかむかたいしじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

石川県七尾市黒崎町関へ

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》少彦名命(Sukunahikona no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社 旧鎮座地

【創  (Beginning of history)】

創祀年代は不詳

※神社は 元々は 富山湾沿いの海食崖に鎮座していたが 明治42年(1909)鎮座していた諏訪神社を合祀して その後現在地に遷座しました
御神体の「像石(カタイシ)」は その後も旧地に鎮まっていたが 1964年に国道の新設に伴い 現在は国道沿いの祠に鎮まっています

【由  (History)】

勧請暦不詳なるも、延寳5 神主家明細お届書に據れば、
天平宝字8 勅使 藤原永平、口能登大呑熊郡別山東(ワカヤマサキ)邑に熊武都(クマブツ)の長者(タケヲ)と諱(イミナ)賜比祀らる。
大呑熊六合郷里大(ト)宮にと玖郎前関(クラウサキセキ)に坐す貞宿那彦神像石社とに神鏡弐面を賜り 再興会宣旨を給うと所載されている。

延長弐年、藤原忠平撰集「延喜式巻第十」府能登郡17座末行 阿良加志比古神ノ社末筆貞宿那彦神像石社登録す 122 明治天皇14 辛巳(カノトミ)歳遷暦「大解除式(オホハラヘのノリ)」第20回解齋とあるを逆算すれば初回は 聖武帝 神亀天平13年辛巳(カノトミ)歳「蔵闢良岐(クラビラキ)」されたこととなる。

亦、奈良正倉院の御物、丹物の調庸銘が当大宮の鎮座地名に合致。
萬葉集の國守、家持卿の出擧の歌3881珠洲能宇美(スヅノウミ)に朝闢(アサビ)らきして榜(コ)ぎ来れ波奈我濱の浦に月照りに家里右、治布に遷(カヘ)る時、之を作る。
註に、治布は大沼郡(オホヌミヤコホリ)(元の郡名)今、大呑熊郡別山東邑(ワケヤマサキムラ)宇治布夫(ジブデ)の地名、其れならむ。神護院霊夢山眞吾布陀樂寺別当舎跡地波治布大門なり。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照項目あり

現在の神社の所在について

・宿那彦神像石神社(七尾市)

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)能登国 43座(大1座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)能登郡 17座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 宿那彦神像石神社(貞)
[ふ り が な ]すくなひこのかみのかたいしの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Sukunahikonokami no kataishi no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

スポンサーリンク

能登国を平定した 2柱の大神〈大国主神 少彦名命〉を像石(カタイシ」として祀る神社が 能登国にはあります 

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
能登國 能登郡 宿那彦神像石神社(貞)」の論社は 4神社あります

・宿那彦神像石神社(中能登町)

・宿那彦神像石神社(七尾市)

・宿那彦神像石神社(旧鎮座地)神像石(七尾市)

・阿良加志比古神社(七尾市)

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
能登國 羽咋郡 大穴持像石神社」の論社は 4神社あります

大穴持像石神社(羽咋市)

身代神社(羽咋郡志賀町)〈大穴持美代神社〉

八千鉾神社(羽咋郡志賀町)

天神神社(羽咋郡志賀町)

スポンサーリンク

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

七尾駅から R160号を約17kmほど南下 車25分程度
黒崎の宿那彦神像石神社から 1.4km程南下した熊淵川の傍 R140号の道端に祠が鎮座しています

Please do not reproduce without prior permission.

宿那彦神像石神社(Sukunahikokamukataishi Shrine
〈旧鎮座地 神像石〉〈Old enshrined place, god statue stone〉に参着

御神体の「像石(カタイシ)」は 大きさについて
七尺二寸(約218.72㎝) 下幅三尺八寸(115.15cm) 上幅二尺五寸(75.75cm)の巨石と伝わり
祠にすすみます 

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

傍を流れる熊淵川を遡ると 少彦名命が海から依り憑き 協力して この地方平定を成し遂げたとされる阿良加志比古神を祀る神社があります

・阿良加志比古神社(七尾市)

神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承

官社に列したと記されています

【意訳】

貞観2年(860)6月9日 戊子の条

能登国(ノトノクニ)
大穴持神(ヲアナモチノカミ)
宿那彦神石神(スクナヒコノカミカタノイシノカミ)
二前 並び於いて 官社に列す

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

Please do not reproduce without prior permission.

宿那彦神像石神社(Sukunahikokamukataishi Shrine
〈旧鎮座地 神像石〉〈Old enshrined place, god statue stone〉 (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

能登国 式内社 43座(大1座・小42座)について に戻る        

 

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.