杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ) は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社「杉桙別命神社」です 本殿横の「大クス」は 昭和11年 国天然記念物に指定された目通り周14m高さ24m樹齢1000年以上といわれる巨木のご神木です
目次
- 1 1.ご紹介(Introduction)
- 2 【境内社 (Other deities within the precincts)】
- 3 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
- 4 【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
- 5 神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
- 6 神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
- 6.1 『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
- 6.2 『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承
- 6.3 『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
- 6.4 『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
- 6.5 『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
- 6.6 『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承
- 6.7 杉桙別命神社(Sugihokowake no mikoto Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
- 7 伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
杉桙別命神社(Sugihokowake no mikoto Shrine)
(すぎほこわけのみことじんじゃ)
[通称名(Common name)]
川津来宮神社(かわづ きのみや じんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
静岡県賀茂郡河津町田中154
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》杉桙別命(Sukihokowake no mikoto)
《配》五十猛命(Itakeru no mikoto)
少彦名命(Sukunahikona no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
家内安全 海上安全 商売繁盛 病気平癒 身体健康 良縁祈願 災難除 学業成就 安産祈願 等
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳 当地 開闢の際の鎮座なり と伝え
和銅年間(708~715)に再建された と云う
【由 緒 (History)】
杉桙別命(すぎほこわけのみこと)神社の大クス
昭和11年12月16日
国指定天然記念物杉桙別命神社(来宮神社)は、平安時代につくられた『延喜式(えんぎしき)』という書物の中にも記されている古く格式のある神社である。
このクスの木は、県下でも有数の巨木として知られ、昭和11年、国の天然記念物に指定された。目通り周14m、高さ24mあり、樹齢は千年以上といわれている。「来の宮様の大クス」とよばれ、古来より御神木として崇められてきた。河津には、江戸時代から明治時代中頃まで「河津 七抱七楠(ななかかえななくす)」とよばれるクスの巨木が7つあったが、その中で、現存する唯一の木である。
当社は「鳥精進(とりしょうじん)・酒精進(さけしょうじん)」の行事があることでも有名である。氏子は毎年12月18日より23日まで禁酒し、鳥肉・卵を食べない。これを破ると火の災いがあるという。
その由来は、祭神 杉桙別命が 酒に酔い野原に寝ていたところ野火が起き、火に囲まれてしまった。そこへ羽に水をふくませた小鳥たちが飛来し、水を降らせて火を消し、野火から命を守ったという。「鳥精進、酒精進」の行事は、現在でも町内の氏子はもとより、町外の氏子や多数の崇敬者に守り伝えられている。
河津町教育委員会
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【境内社 (Other deities within the precincts)】
・山神社・秋葉山神社と小祠〈大楠神社か?〉 小石祠5宇ほど
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
所管社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の
式内社「佐々原比咩命神社」の比定社とされていて 昭和38年(1963)に杉桙別命神社に合祀され その後 平成14年(2002)再建 鎮座
・姫宮神社〈笹原明神〉(河津町笹原)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 杉桙別命神社
[ふ り が な ](すきほこわけのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Sukihokowake no mikoto no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載 式内社「杉桙別命神社(すきほこわけのみことの かみのやしろ)」の論社
・川津来宮神社〈杉桙別命神社〉(河津町田中)
・来宮神社(伊豆市八幡)
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
河津駅から西北へ約1.3km 徒歩15分程度
駅前通りを進むと 案内看板があり そのまま直進
参道に一の鳥居が建ち 石柱に「式内社顕彰地」とあります
杉桙別命神社(Sugihokowake no mikoto Shrine)に参着
一礼をして 一の鳥居をくぐります 参道に張り出すように楠木の巨木があります 立札があり「国指定天然記念物 「杉桙別命神社の大クス」は神社の左手奥にあります 河津町教育委員会」とあり この大きな樟は大楠ではありませんと記されています
塀沿いにさんどうを進むと 二の鳥居が建っています 一礼をして御垣に囲まれた境内地に入ります
石畳みの参道は 僅かに右に折れて 正中を歩まぬように配慮されています
拝殿の前には 南伊豆らしく棕櫚の木が植えられています
拝殿前には 年代物の狛犬が座しています
屋根瓦にも獅子狛犬がおります
拝殿にすすみます 扁額には「杉桙みこ神社」
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の向かって左手には「大クス」と境内社が鎮座しています
拝殿の奥は 大きな本殿の覆い屋
その横には御神木「大クス」
すぐ横の境内社にお詣りをします
改めて 御神木と御本殿に祈りを捧げます
境内参道を戻ると東南の表参道の鳥居とは別に 手水舎の隣から北東に出る鳥居があり こちらから出ます
参道の畑寄りに翁の像「鈴木久五郎翁」キノミヤ講に関わるらしい
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
川津17村の総鎮守で 来宮明神と称していると記しています
【意訳】
来宮明神 田中村
五十猛命を祀る 或いは 杉桙別命なりと
川津17村の総鎮守
一説曰く 伊豆山の地主 白道明神なり これ神権現を高麗に迎えし時 酒に沈酔して期を愆る(あやまる) 故に今 祭りの時 社人社僧 12月朔日より24日迄 禁酒す
郷中17村 8日の間 酒及び鳥肉を禁ずと 古は社人12戸 郷中に分居して 祭礼を勤めしが 今その裔なりとて 民家に45人ありて預 神事に社僧云う 扉背に書す為 浅草晃玄孝の当社一宇奉る 再興と寛永慶長の札 及び金鼓等に木野大明神と記す 祠傍の古樟樹13抱許り 又 膽は大樹2株あり末社に 小鳥伝あ伊豆納符
〇山ノ神〇熊野
【原文参照】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承
社号の変遷 杉桙別命神社⇒ 川津木ノ宮 ほこわけの明神 木野大明神⇒ 近世 来宮明神⇒ 明治2年社号を今の号「杉桙別命神社」に改め戻す
【意訳】
静岡縣 伊豆國 賀茂郡 下河津村 大字 田中字宮ノ脇
郷社 杉桙別(スギホコワケノ)命神社
祭神 杉桙別(スギホコワケノ)命
相殿 五十猛(イタケルノ)命
少彦名(スクナヒコナノ)命元と杉桙別命神社と称す
後ち 川津木ノ宮 ほこわけの明神 木野大明神とも称せしが 近世 来宮明神と称す
来一に木に作る 旧社地付近を木野と称するに因すと 創建年代詳らかならず
但し 伝え云う 当地 開闢の際の鎮座なりと 明細帳に見えたり
延喜の制 小社に列し
神位は 当国神階帳に 従4位上と見えたり
降って 建久4年 源頼朝 社領を寄進し 後ち 足利頼経 同義植相次いで社殿を重修す 当時頗る大祠にして 社家12戸ありしが 天文7年 社殿焼亡 尋いで同13年火災に罹り 以来 社頭衰退 社家離散の止む無きに至る
然れども 文禄3年 検地の際は尚 境内は除地たりしと 古来 川津17ヶ村の総鎮守にして 遠近の崇敬厚かりしが
明治2年社号を今の号に改め 同6年9月郷社に列す社殿は 本殿 幣殿 拝殿 その他 太鼓殿 社務所等を備え 境内は842坪あり 祠傍に古樟樹あり 径13抱許 膽八の大樹2株ありと伊豆納符に見えたり
因みに記す 当社主神を五十猛と称するもあれども 特選神名牒これを否定して云く
「今按〈今考えるに〉云々 木宮と云うよりの謬なるべし 云々 只 杉桙別命は ほこわけの明神と心得て妨げあるべからずと云えるは穏なり 思うにこも 三島神の御子なるべし」境内社 道祖神社 宇賀神社 稲荷神社 天神社 水神社 熊野神社 小島神社 歳之神社 産霊神社 大楠神社 塞神社 山神社
例祭日 10月15日
【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』1 『明治神社誌料』2
式内社の杉桙別命神社(すきほこわけのみことの かみのやしろ)の伝承について
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社の杉桙別命神社の所在について 田中村に来宮明神〈現 川津来宮神社(河津町田中)〉と八幡(ハツマ)村に 木ノ宮明神〈現 来宮神社(伊豆市八幡)〉の2つを挙げて 八幡(ハツマ)村は 田中村から遷したのではないかと推論を 記しています
【意訳】
杦桙別(スキホコワケノ)命神社
杉古本作スギ
〇出雲風土記 須佐能宇命 御子 衝桙等乎而角比古命
志 当郡 田中村に来宮明神有り 五十猛命を祀る 或いは云う 杉桙別命なりと 川津17村の総鎮守なり
慶長の札に木野大明神とあり 祠傍の古樟樹13抱許 又 膳八の大樹2株あり 末社に小島と云うあり
当社の名「伊豆納付」にも出たり
又 当郡 佐々原比咩神社の坐す 篠原村に蔭山明神あり 衣冠の古神像あり
慶安の札に当所鎮守 木宮大明神 類眷属120社なりとあり 今 蔭山堪解由を祀ると云う 後世 配祀するにや とあり今参考の為にあつめて記す
又 同郡 八幡(ハツマ)村に 木ノ宮明神あり 大見16村の総鎮守 相伝を式内 杉桙別命なりと 正保2年の札に云う 貞和中 藤原朝臣祐義公 新宮殿造立〇信友按るに
この札の文によれば 貞和年中(1345~49)の新建にて 田中村の来宮を遷せるなるへし 又 那賀郡 熱海村にも 木ノ宮明神あり 或いは云う 五十猛命と称す
政文の記に 弘仁元年 白道明神を祀ると云う
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
式内社の杉桙別命神社の所在について 八幡(ハツマ)村に 木ノ宮明神〈現 来宮神社(伊豆市八幡)〉と記しています
【意訳】
杉桙別命神社
杉桙別は 須伎保古和気と訓ずべし
〇祭神 明らかなり
〇八幡(ハツマ)村に在す 今 木宮明神と称す 大見16村の総鎮守なり伊豆志に「相伝ふ当社は 式内社 杉桙別命なりと 正保2年の札に云う 貞和中(1345~49)藤原朝臣祐義公 新宮殿造立」
又 云う
田中村に来宮明神有り 五十猛命を祀る 或いは云う 杉桙別命なりと 川津17村の総鎮守なり 慶長の札に木野大明神とあり 云々
〇伴信友云う この正保の札の文によれば 貞和年中の新建にて 田中村の来宮を遷せるなるへし と云えり按るに 新に宮殿を造立とあれば いかにも新建のように聞こえれど ここは宮殿を新たに造営したるなるが 書様の悪しきならん 今に式内社と申伝ふるぞ造なるべき 故に 今は 八幡村の方に従う 尚考えべし
神位 国内神階帳記云 従4位植えほこわけの明神
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015 『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
式内社の杉桙別命神社の所在について 田中村に来宮明神〈現 川津来宮神社(河津町田中)〉と八幡(ハツマ)村に 木ノ宮明神〈現 来宮神社(伊豆市八幡)〉の2つを挙げて 八幡(ハツマ)村は 田中村から遷したものであろうと 田中村「来宮明神」に軍配を上げています
【意訳】
杉桙別命(スキホコワケノミコトノ)神社
祭神 杉桙別命
今按〈今考えるに〉
この神を五十猛命と云説あるは 木宮と云うよりの謬なるべし
式社考證に 木野と云うは 地名にして 古く社辺りを木野とも云いたる由 物に見えたれば 木野明神と唱え遂に木宮と唱える事となりたるなれば 只 杉桙別命は ほこわけの明神と云う神と心得て妨げあるべからずと云える穏やかなり 思うにこも 三島神の御子なるべし祭日
社格 郷社所在 (賀茂郡下河津村 大字 田中)田中村
今按〈今考えるに〉
豆州志に 八幡村 木宮明神 大見16村の総鎮守なり 相伝を式内社 杉桙別命なりと 正保2年の札に云う 貞和中 藤原朝臣祐義公 新宮殿造立又 田中村 来宮明神あり 五十猛命を祀る 或いは云う 杉桙別命なりと 川津17村の総鎮守なり云々
伴信友云う この正保の札の文によれば 貞和年中の新建にて 田中村の来宮を遷せるなるへし
式社考證にも 田中村鎮座 木野明神これなり
社記に ほこわけの明神とみえて 古老は然称したる由なるが 神階帳に 従4位上 ほこわけの明神と有るに符合すと云えり 故 今これに従う
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』1 『特選神名牒』2
『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承
式内社の杉桙別命神社の所在について 田中村に来宮明神〈現 川津来宮神社(河津町田中)〉と 記しています
【意訳】
杉桙別(すぎほこわけの)命神社
賀茂郡 田中村鎮座 ほこわけの明神 神階帳及び社伝
旧称 木宮(きのみや)明神これなり 社伝国圓式攷考証注連特選
今云う世に 河津の木宮と称し 神験 著しく明るして衆庶の欽仰浅らざるは 遍称く人の知るご如し
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6 編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『伊豆国式社攷略』