石作神社址(長浜市木之本町千田)〈『延喜式』石作神社の旧鎮座地〉

石作神社址(いしつくりじんじゃあと 慶長七年(1602)『千田村検地帳』に字「石つくり」の地名があり 今尚 石作と称する此地は 開墾され水田となるも田中に小丘の荒地を存し 神聖犯すべからず 若し犯す者は神罸を受くと伝承される 延喜式内社 近江國 伊香郡 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)の旧鎮座地です

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

石作神社址(Site of Ishizukuri Shrine)
〈石作神社の旧鎮座地〉

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

滋賀県長浜市木之本町千田

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社の旧鎮座地

【創  (Beginning of history)】

玉作伊万石作
奈良毘伊麻世登
石作古之御跡者此地ニ曽
在祁留

正七位松岡調撰

現地石碑文より

Please do not reproduce without prior permission.

『滋賀県伊香郡誌』に記される内容

【抜粋意訳】

石作神社ノ古跡

大字千田の南にあり 古昔 石作神社鎭座ありし舊趾なり
今 紅梅の老樹繁茂す

【原文参照】

『滋賀県伊香郡誌』,滋賀県伊香郡教育会,明36.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765717

【由  (History)】

『神社由緒記』に記される内容

【抜粋意訳】

滋賀縣伊香郡木之本町大字千田字里之內鎮座

式內 鄉社 石作神社 玉作神社

祭神 天火明命

合祀 建速須佐之男命(明治十八年九月十九日合祀許可)
   玉祖命

相殿 品陀別命 事代主命

由緒

 當社の創立する其初めを詳にする能はず 國史に依りて溯るときは其傳詳明ならずと雖も一千四十年の往古に達することを得べし其以前は渺茫として知る可からず左に略譜を擧ぐ

仁壽元年正月庚子 正六位上に叙せられ 兩社並びて延喜の頃 神名帳の其隨一に列せり

祭祀もい巖重に行はれしが 永正以降 戦国に入り社地兵燹に罹り社廟漸く衰頽せり

本村(舊村 千田のこと)古名 石作と稱す 當社存在の故なるべし 古昔の杜地 田間に在て今も石作の字を存す 此地堀りしに古祭器を出す 皆千載の古物たり

佐々木 淺井の兩氏 深く當社を信仰して 或は神田を寄せ 或は社頭を莊厳にすと雖も 天正の頃 賤ヶ嶽の争乱に遇ひ 願る衰顛し 元和年中 八幡宮を同殿に合祀し 千田某なるもの神詞を修補し漸く其祈典を継ぐ

明治五年壬申三月十四日 神祇省の許可を蒙り 靈代の神鏡に臺を社頭に納む 古来 兩社號 改替等無之犬上立縣中より確定の式社たり 明治九年十月村社に列せられ 當社の縁由詳なること 石作玉作兩社 考に出づ

今其の要を摘錄せるのみなり

鄉社 石作神社 玉作神社 由緒考証

當社の創祀年代は悠遠にして詳ならざれども 延喜式神明帳に列せられ 古へ官幣供進ありたれば 神徳顕著の神なるを證すべし

石作神社は 天火明命を祭る 之れ石作部連の祖神なるに因れり 石作は火明命六世孫 建眞利根命より出でしこと 新撰姓氏錄に證さる 乃ち左京時に

 石作火明命六世孫 建興利根命之後也 垂仁天皇御世 奉ニ為 皇后日葉酢命 作ニ石棺献之乃賜ニ姓 石作大連公也

垂仁天皇 皇后 日葉酢媛崩御の時 石棺を作り之を献ぜし功を賞し 石作連の姓を賜ひたるなり

和名類聚鈔に 山城國乙訓郡 及び 尾張國中島郡に石作郷あり 又 延喜式神明帳には同じく兩部に石作神社の名を列し 石作郷に石作神社の鎮座を見る 石作連の子孫が諸國に分住せし史蹟此の如し

近江國伊香郡に石作連の子孫が在住せしは 三代實録に見ゆる節婦表頌の文によりて證すべし 乃ち同書に

貞觀七年三月二十八日 近江國言 伊香郡人 石作部廣繼女生年十五始以出嫁三十七失ニ其夫 常守ニ墳墓哭不斷聲專期ニ同穴無心ニ 再嫁量ニ其意操可謂うニ節婦 勅宜叙ニ二階免ニ戸内組 即表ニ門間

とあり 石作部は即ち石作の部曲にして 石作連の分住なり 伊香郡に石作郷あることは 文安元年十一月 及び 同二年十月の京都妙心寺文書に記さる元年十一月妙心寺雑掌が幕府への言上書の始めに

妙心寺雑掌謹支言上

江州石作事者 黑田郷之內也 其謂者 當寺根本知行之時一圓令ニ所務 事實也云々

又 二年十月五日管領細川勝元の運行狀に

近江國伊香庄内 石作郷領家職事云々

と見え 石作は黒田郷の内と謂ひ 又 伊香庄内石作郷とも記す 黒田は千田と接績の地にして 共に現在 木之本町の大字たり 文祿二年十二月の社記には伊香郡石作郷千田村鎭座石作社云々とあり 千田村が石作郷たる的證たり

 次に慶長七年八月千田村検地帳に字「石つくり」の地名あり 今猶 石作と稱す此地は 古へ石作神社の鎭座の古地なり 地開墾され水田となるも田中一小丘の荒地を存し 神聖犯すべからず若し犯す者は神罸を受くと傳稱す 往昔本社舊址たるによれり 明治の始め地券改正に際し 一旦上地され官有地となりしも 明治三十四年古来の縁故を以て當社に拂下を許可せられたり

玉作神社は 石作神社と同じく延喜式神明帳の小社に列する古社なり 玉組命を祭神とす古事記天孫降臨の段に玉祖命は玉祖連の祖と記し 日本紀には玉屋命と記す 叉 天明玉命 櫛明玉命の稱あり 高皇産霊神の御孫なり 新撰姓氏録右京皇別に

玉造連 高魂命孫天明王命之後也 天津彦火瓊々杵尊降ニ幸於葦原中國時與五氏 神部陪審從皇孫降來是時 造ニ作玉壁以爲ニ神幣故號ニ玉祖連

とあり 玉壁を製作する玉作連の子孫 此地に分住して祖神を奉祀せし祭壇たり社蔵に玉壁製作に用ひし砥石と管玉曲玉等あり 古き神寶たり 平戸記 仁治三年十一月四日の條に近江權少椽玉造景里の名見ゆ玉作連の遠裔なるべきか
觀應二年八月足利尊氏弟直義と八相山に戦ひし時 石作神社は直義軍の兵燹に罹り社殿焼亡す 村人等 再建せしに應仁文明の戦禍は近江に伝播し 兵火四方に起り村落の焼土となりしもの多し 文明三年 當村 又 其災に罹り餘火 神殿を島有に帰す 村人等假殿の小字を営みしが黒田荘に地頭たりし佐々木黒田政光は終に兩社を合祀し 更に武神八幡の神を相殿に鎭め神領を寄附し尊崇の誠をせり

一 社格加列 明治十八年三月十七日郷社に列せらる

一 神饌幣帛料供進指定 明治四十一年四月二十九日

一 境內坪數 千五十三坪 民有地第二種 一氏子戶數 百二十戸

【原文参照】

三宅弁造 編『神社由緒記』,滋賀県内務部教育課,大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/943762

三宅弁造 編『神社由緒記』,滋賀県内務部教育課,大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/943762

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

石作神社・玉作神社(長浜市木之本町千田)は 二つの式内社〈石作神社・玉作神社〉を文明年(一四七二)当地の地頭であった佐々木民部少将が両社を合祀したものです

①(近江國 伊香郡 石作神社)
②(近江國 伊香郡 玉作神社)

①(近江國 伊香郡 石作神社)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)近江國 155座(大13座・小142座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)伊香郡 46座(大1座・小45座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 石作神社
[ふ り が な ]いしつくりの かみのやしろ
[Old Shrine name]Ishitsukuri no kaminoyashiro

②(近江國 伊香郡 玉作神社)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)近江國 155座(大13座・小142座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)伊香郡 46座(大1座・小45座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 玉作神社
[ふ り が な ]たまつくりの かみのやしろ
[Old Shrine name]Tamatsukuri no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

「 石作(いしつくり)」を郷名や社名に持つ式内社について

延喜式内社 山城國 乙訓郡 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)

・大歳神社(京都市西京区大原野灰方町)
〈相殿に合祀 石作神〉

・早尾神社(京都市西京区大原野石作町)
〈石作神社の旧鎮座地〉

・八幡宮社〈長峰八幡宮〉(京都市西京区)
〈石作神社の旧鎮座地〉

延喜式内社 尾張國 中嶋郡 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)

・石作神社(あま市石作字郷)

・室原神社(一宮市萩原町串作字郷)

延喜式内社 尾張國 葉栗郡 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)

・石作神社(羽島郡岐南町三宅木瀬)

・石刀神社(一宮市浅井町黒岩字石刀塚)

延喜式内社 尾張國 丹羽郡 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)

・石作神社(犬山市大字今井字宮ヶ洞)

・神明社〈石作社〉(江南市石枕町神明)

・八劔神社(江南市北山町)
〈明治8年(1875)八劔神社に合祀の境内社 石作神社〉

・田中天神跡(犬山市天神町)

延喜式内社 近江國 伊香郡 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)

・石作神社・玉作神社(長浜市木之本町千田)

・石作神社址(長浜市木之本町千田)
〈石作神社の旧鎮座地〉

「玉造・玉作」(たまつくり)を郷名や社名に持つ式内社について

いずれも温泉や泉と深く関わっています

延喜式内社 出雲國 意宇郡 玉作湯神社(たまつくりゆの かみのやしろ)

・玉作湯神社(玉湯町玉造)

延喜式内社 伊豆國 田方郡 玉作水神社(たまつくりのみの かみのやしろ)

・玉作神社(沼津市黒瀬町)

・愛鷹神社(三島市三好町)

・神明宮(三島市平田)

延喜式内社 近江國 伊香郡 玉作神社(たまつくりの かみのやしろ)

・石作神社・玉作神社(長浜市木之本町千田)

延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉神社(ゆのいつみの かみのやしろ)

・温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)

延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉石神社(貞)(ゆのいつみのいしの かみのやしろ)

・温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)

玉造部(たまつくりべ)の祖神 玉祖命(たまのおやのみこと) 同神〈・豊玉神(とよたまのかみ)・天明玉命(あめのあかるたまのみこと)〉を祀る式内社について

延喜式内社 甲斐國 山梨郡玉諸神社(たまもろの かみのやしろ)

・玉諸神社 奥宮(甲州市塩山竹森)
〈玉諸神社(甲州市塩山竹森)の奥宮(御神体)〉

・玉諸神社(甲州市塩山竹森)

延喜式内社 周防國 佐波郡 玉祖神社二座(たまのをやの かみのやしろ ふたくら)

・玉祖神社(防府市)

スポンサーリンク

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR北陸本線 木ノ本駅からR8号を南下して 約1.6km 車での所要時間は5~6分程度で

・石作神社・玉作神社(長浜市木之本町千田)に着きます

石作神社・玉作神社(長浜市木之本町千田)から 南方向へ約550m 徒歩で8分程度です

田の中にある

石作神社址(長浜市木之本町千田)〈石作神社の旧鎮座地〉に参着

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

かつては「神聖犯すべからず 若し犯す者は神罸を受く」と伝承される 田の中にある小丘であったが 現在は跡地として養生された敷地に 石碑も建てられています

Please do not reproduce without prior permission.

石碑の正面にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

石碑は西をむいて建てられています

石碑の裏側から西方向をみます

Please do not reproduce without prior permission.

南方向に見えている円錐形の山は おそらく小谷城のあった長浜市の小谷山(495.1m)だと想います

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 石作神社について 所在は゛在所詳ならず゛不明であると記しています

【抜粋意訳】

石作神社

石作は伊志都久利と訓べし

○祭神 石作連祖神歟

○在所詳ならず

 姓氏録、左京神別下石作連、火明命六世 孫建真利根命之後也、垂仁天皇御世  皇后 日葉酢媛命 作石棺献之、仍賜 石作大連公也、
また、摂津國神別石作連、火明命六世孫 武椀根命之後也、
また、和泉國神別石作連、火明命男 天香山命之後也、
また、山城神別石作、火明命之後也、

〇三代録、貞観二十八日己酉、近江國言、伊香郡人 石作部廣継、女、

類社
(く)

式内社 玉作神社について ゛祭神 在所等 詳ならず゛所在・祭神は不明と記しています

【抜粋意訳】

玉作神社

玉作は、多麻都久利と訓べし

〇祭神 在所等 詳ならず

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 石作神社について 所在は゛千田村 玉作神社に合せ祀る゛〈現 石作神社・玉作神社(長浜市木之本町千田)〉と記しています

【抜粋意訳】

石作(イシツクリノ)神社

 千田村 玉作神社に合せ祀る、〔彦根藩取調書〕

盖 石作氏の祖神を祭る、〔参酌新撰姓氏録、三代実録〕
〔〇按 三代実録 貞観七年三月、伊香郡人 石作部廣あり、證とすべし、〕

式内社 玉作神社について ゛ 千田村にあり゛〈現 石作神社・玉作神社(長浜市木之本町千田)〉と記しています

【抜粋意訳】

玉作(タマツクリノ)神社

 千田村にあり、〔彦根藩取調書、滋賀縣注進状、〕

盖 玉作祖神を祀る、〔新撰姓氏録、土人傳説、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 石作神社について 所在は゛千田村 (伊香郡木之本村大字千田 石作玉作合祠)゛〈現 石作神社・玉作神社(長浜市木之本町千田)〉と記しています

【抜粋意訳】

石作(イシツクリノ)神社 今 玉作神社と合祀

祭神 建眞利根命(タケマリネノミコト)

 今按 三代實録〔貞観七年三月二十八日〕 伊香ノ郡人 石作部廣織女あり これによるに此氏人の祖神を祭れる社なるべし

祭日 正月四日 四月五日 八月十五日
社格 村社(明細帳に明治十八年局一五許可 石作玉作合祠 郷社)(縣社)

所在 千田村 (伊香郡木之本村大字千田) 

式内社 玉作神社について ゛千田村 (伊香郡木之本村大字千田)゛〈現 石作神社・玉作神社(長浜市木之本町千田)〉と記しています

【抜粋意訳】

玉作(タマツクリノ)神社

祭神 天ノ明玉ノ命

祭日 正月四日 四月五日 八月十五日
社格 村社(明細帳に明治十八年局一五許可 石作玉作合祠 郷社)(縣社)

所在 千田村 (伊香郡木之本村大字千田) 

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

石作神社・玉作神社(長浜市木之本町千田)について 三代實録に伊香の孝子 石作部廣継の女等 とあり 石作部氏の住所であると記しています

【抜粋意訳】

〇滋賀縣 近江國 伊香郡木之本村大字千田

郷社 石作(イシツクリノ)神社 玉作(タマツクリノ)神社

祭神 天火明命 建速須佐之男命 玉祖命
相殿 品陀別命 事代主命

 創祀年月詳ならと雖も、三代 貞観年の條に、伊香の孝子 石作部廣継の女等と見えたるを以て見れば、此地 石作部氏の住所にして、其の族の人が祖神を祀りしに起原せるものなるべし、
醍醐天皇 延喜の制 小社に列し(延喜式)、 石作神社 玉作神社 各一社あり、後合して一社となる、
足利氏の末に至りて、佐々木、淺井両氏の崇敬深く、社領の寄進も少からず、後 交戦の巷となるや、数々兵火にかゝりて社頭の頽廃甚しかりしが、後水尾天皇 元和元年 千田某なるもの、大に修理を加へ八幡宮を合祀す、
明治九年十月村社に列し、十八年郷社に進み 建速須佐之男命を合祀す、
境内一千御十三坪(民有地第二種)、社殿は本殿、拝殿、神餞所、神門、井戸屋形等を具備せり。

例祭日 四月二日

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

石作神社址(長浜市木之本町千田)〈石作神社の旧鎮座地〉 (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

近江国 式内社 155座(大13座・小142座)について に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)

Copyright© Shrine-heritager , 2025 All Rights Reserved.