志寶屋神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉

志宝屋神社(しおやじんじゃ)は 『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に土賣屋社゛と載る古社 明応7年1498大地震の津波により大鹽村ともども流失 その後 村民によって再興 寬永21年(1644豊受大神宮(外宮)末社と確認され 明治25年(1892)復旧して現在に至ります

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

屋神社Shioya shrine

通称名(Common name)

・鵜の森
・明神さん・湊の明神さま・塩屋明神

【鎮座地 (Location) 

三重県伊勢市大湊町字明神24

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》塩土老翁(しおつちのおじ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

海路守護の神

【格  (Rules of dignity) 

〈豊受大神宮(外宮)末社〉

【創  (Beginning of history)】

『神宮要綱』昭和3年〉に記される内容

【抜粋意訳】

屋神社

鎭座地 三重縣度會郡大湊町大字大湊

殿舎
正  殿 神明造、板葺、南面・・・壹宇
玉垣御門 猿頭門、扉付・・・壹間
玉  垣 連子板打・・・壹重
鳥  居 神明造・・・壹其
右神宮司廰造替

志實屋(シホヤ)神社は儀式帳に土賣屋社に作る。神祇本源所引の儀式帳には、士賣屋社に作れり。然るに長徳檢錄に鹽屋社、箕曲郷大湊以西に坐すと見ゆ。土賣屋社は、蓋し士實屋社を誤れるなるべし。祭神に就ては古記の徴すべきもの無きも、大湊の地が古來伊勢海の要津なるより推し、海路の守護神として、鹽土老翁(シホツチノオヂ)を祀れるものと解せらる。本社は明應の大地震に流失せしを後村民によりて再興し、寬永二十一年豊受大神宮末社なることを確認せられ、明治二十五年上地官林六畝十步を復舊して、現狀を成すに至れり。

【原文参照】

神宮司庁 編『神宮要綱』,神宮司庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189814

神宮司庁 編『神宮要綱』,神宮司庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189814

【由  (History)】

『大神宮叢書』前篇昭和7-9年〉に記される内容

【抜粋意訳】

屋神社

此社、帳に土屋社とあり。〔神境紀談に、志賣屋社、一説に、賣は寶の誤にて鹽屋社なるべし、未詳、といひ、神名略記に、賣字可レ作レ寶乎、疑轉爲之誤、とあれば、外宮の諸書みな此字あやまれるなるべし。予所蔵の帳古本には志寶屋とあり。〕
志寶屋は地名なり。祭神知がたし。社地は神祇本源に、鹽屋社、坐に箕曲郷大湊以西、とあり。今も大湊の西の口、路傍の森中に此社あり。〔鹽屋は里人の説に、大湊の古名なり。明應七年八月の高波に崩失て ,其地狹くなりしかば、家宅をなしがたく、東力に遷りたるなり、といへり。今も大湊の西の口、墓墳の處を鹽屋といへり。今按ふに、此里人の説いささか違ヘり。此地の西は鹽屋村・東は水戸なりしに、西の方の地狹くなりしかば、二村のひとつ處となりしにこそ。されば鹽屋は大湊の古名とのみも云がたし。〕

【原文参照】

神宮司庁 [編]『大神宮叢書』前篇,内外書籍,昭和7-9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1212315

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

志宝屋神社は 豊受大神宮(外宮)の末社です

・豊受神宮(外宮)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)』について

延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)は 伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に関する儀式書『皇太神宮儀式帳』と豊受大神宮(外宮)に関する儀式書『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)を総称したもの

平安時代成立 現存する伊勢神宮関係の記録としては最古のものです

両書は伊勢神宮を篤く崇敬していた桓武天皇の命により編纂が開始され
両社の禰宜や大内人らによって執筆されました

皇大神宮と豊受大神宮から 神祇官を経由して太政官に提出されて 延暦23年(804)に成立しました

志宝屋神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉 『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉には゛土賣屋社゛と載る 古社です

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

内宮・外宮の別宮・攝社・末社・所管社について

お伊勢さん125社について

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

R23号の宮川ICから宮川を下るように北東へ約4.7km 宮川の河口 伊勢市の港「大湊」に鎮座します

境内の北側に入り口があります

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社頭には 鳥居があります

志宝屋神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉に参着

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社号標には゛豊受大神宮末社 屋神社゛と刻字があります

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一礼をして鳥居をくぐり 参道を進むと右〈東方向〉へ参道は曲がっていて 南を向く社殿の前に出ます

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社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます
古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待ちます〉

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殿にすすみ お祈りをしま
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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静止画ですとわからないのですが 潮風が吹き付けていて 木々が音を立て 海鳥が鳴き けっして静寂ではありません

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式外社 屋神社について 祭神 在所等は不明であると記し この神社の社名に゛志宝屋神社゛とするのは誤りであると考察しています

【抜粋意訳】

屋神社

祭神 在所等 詳ならず

神名略記云、賣字可作寶乎、疑轉為之誤、
神祇本源云、鹽屋社坐に箕曲郷大西、今猶存、鹽屋潮祖海神、

連胤按るに、は長德檢錄田社十四前の中に見えて外宮儀式帳八處とは別也、然れば田社十四前の中一前関る也、また當社を志寶屋と書るもの一つも考へ得ず、必 社撰の妄想也、

件 伊我神社より八社は、外宮儀式帳に、未栽官帳とあり則外宮の攝社也、故にす、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

志宝屋神社〈豊受大神宮(外宮)末社〉 (hai)」(90度のお辞儀)

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お伊勢さん125社について

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