神明宮(浜松市浜名区内野)〈『延喜式』朝日波多加神社〉

神明宮(しんめいぐう)は 創立年代不詳ですが 鎮座の地「内野(うちの)」が「宇治乃(うぢの)」と呼ばれていた頃 伊勢神宮より勧請したと云い 又 神明宮由緒によると寛永二年(1625)正月十五日 現在地に創建したと云います 延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)の論社です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

神明宮(Shinmeigu shrine

通称名(Common name)

内野神明宮(うちのしんめいぐう)

【鎮座地 (Location) 

静岡県浜松市浜名区内野713

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天照皇大神(あまてらすすめおみかみ)
   豊受姫大神(とようけひめのおかみ)
   天手力男命(あめのたぢからみこと
   栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒

一、社名 神明宮

一、祭神 天手力男命 天照皇大神 豊受姫大神 栲幡千々姫命

一、由緒
 創立年代不詳なるも、当地を宇治乃と称せし、時代に伊勢皇大神宮より勧請し、祭主藤原氏市右エ門道次神主又左エ門管姓三良エ門 に祭祀す。
 大日本史によれば、
朝日波多賀神社は宇治乃(内野)にあり神明社と称し天照大神を祀り
長上郡式内五座の一社なり 遠江風土記神鳳抄に遠江国宇治乃御厨にて神明社、朱符之神田高三石とあり、

現地案内板より

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【由  (History)】

内野 神明宮 由緒

鎮座地 浜北市内野七一三番地

祭神
 天照皇大神 天手力雄命 豊受姬大神 栲幡千々姫命

例大祭
 前夜祭 每年九月最終土曜日(旧二十七日)
  祭 毎年九月最終日曜日(旧二十八日)

神明宮由緒によると寛永二年(一六二五年) 正月十五日(約三百七十年前) 現在地に創建したとある
現拝殿は大正年間に造営され 氏子の深い信仰をあつめている

御神木

 樹種  樹齢 約二百三十年 樹高 約二十四米
 樹周り 約二米三十糎(県林業技術センター調べ)

此の様に由緒歴史のある御神木を氏子の皆さんと共に末永く大切に育てましょう
 平成十年九月吉日(指定)

内野神明宮 宮司
内野 内野台 氏子総代

現地案内板より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)遠江國 62座(大2座・小60座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)長上郡 5座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 朝日波多加神社
[ふ り が な ]あさひはたかの かみのやしろ
[Old Shrine name]Asahihataka no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたの かみのやしろ)の論社について

・神明宮(浜松市浜名区内野

六所神社(浜松市中央区半田町

有玉神社(浜松市中央区有玉南町

・蒲神明宮(浜松市中央区神立町)

稲荷神社(浜松市中央区飯田町

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

遠鉄電車 遠州小松駅から西方向へ約3.0km 車での所要時間は8~10分程度

内野台と呼ばれる台地の東側に鎮座しています

この地「内野(うちの)」が「宇治乃(うぢの)」と呼ばれていた頃 伊勢神宮より勧請したと云います

境内の南側に社頭があり 社号標に゛神明宮゛と刻まれています

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神明宮(浜松市浜名区内野に参着

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又 社頭には由緒書きの案内板もあります

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鳥居をくぐり抜けて 参道を進むと御神木があり こちらにも案内板が設置されていました

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参道は木々に覆われていましたが 石灯籠の先 境内の木々は伐採されていて 広々とした平地の境内の中に 社殿が建っています 社殿の後ろには 木々が残っています

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には幣殿 玉垣に囲まれた神域に本殿が祀られています

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 朝日波多加神社について 所在は゛飯田村に在す、今稻荷社とす、゛〈現 稲荷神社(浜松市南区飯田町)〉と記しています

【抜粋意訳】

朝日波多加神社

朝日は阿左比と訓べし、波多加は假字也、

○祭神詳ならず

〇飯田村に在す、今稻荷社とす、土人説

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 朝日波多加神社について 所在は゛今 半田の隣堺 内野村、邊多の地にあり゛〈現 六所神社(浜松市東区半田町)〉と記しています

【抜粋意訳】

朝日波多加(アサヒノハタカノ)神社

今 半田の隣堺 内野村、邊多の地にあり、〔遠江風土記傳〕〔〇按 和名抄、鞘多郷 今 邊多といふ、即 半田村盖是也、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 朝日波多加神社について 所在は記載なく 諸説について゛共に明證あらざれば今從ひがたし゛と記しています

諸説については
゛蒲郷神立村 蒲神宮゛〈現 蒲神明宮(浜松市中央区神立町)
゛半田村 朝日山六所明神と云説゛〈現 六所神社(浜松市東区半田町)〉
゛有玉村神明宮゛〈現 有玉神社(浜松市東区有玉南町)〉
゛内野村 神明社゛〈現 神明宮(浜松市浜北区内野)〉

【抜粋意訳】

朝日波多加(アサヒハタカノ)神社

祭神
祭日
社格

所在

 今按 注進狀に蒲郷神立村 蒲神宮を以て本社にあてたれども こは式外の蒲大神と聞ゆれば此社にはあるべからず
 又 半田村 朝日山六所明神と云説もあれど こは山號の朝日と半田村の波多加に通ふより云るに似たり
 又 有玉村神明宮をあてたるは 其地 畑屋村に績きて 往古 畑家とかけりと云によりて附會したるが如く聞え
 風土記傳に 内野村 神明社地を野波多氣とも邊多とも云によりてあてたるも疑はしく 共に明證あらざれば今從ひがたし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

神明宮(浜松市浜名区内野 (hai)」(90度のお辞儀)

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