石大神(しゃくだいじん)は 鈴鹿山脈の断層によって形成された断層微地形「ケルンバット」(分離丘陵)で 急峻で錘状岩柱形の岩峯(がんぽう)地形の自然景観は 古代から信仰の対象となっており 社殿はありませんが巨岩を神体とする 延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 石神社(いはの かみのやしろ)の論社とされています 敏達天皇が行幸されたという言い伝えもあります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
石大神(Shakudaijin shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県鈴鹿市小社町字脇の山986-2
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社〈旧鎮座地〉
【創 建 (Beginning of history)】
石大神は 古来より社はなく 石灰岩の巨岩を神体とする 古代人が神と崇めたと伝わるに相応しい巌
土地の古老の口伝゛石大神と敏達天皇の故事゛によれば
第30代 敏達天皇(びだつてんのう)〈在位 572~585年〉が 当国に御幸の時 石大神へ行幸されると 天照大御神と豊受大御神が降臨し この岩上に顕現した 御幣川(おんべがわ)で禰宜(ねぎ)が鮎を獲って御贄(おにえ)としたとあり 伊勢神宮(いせじんぐう)に鮎を献上する御贄神事(おにえしんじ)の元と伝えます
【由 緒 (History)】
県指定文化財・天然記念物
石大神(しゃくだいじん)
平成八年三月七日指定
所有者 椿大神社
鈴鹿山脈には断層によって形成された断層微地形「ケルンバット」(分離丘陵)が点在しています。
「石大神」は、その南西側の鞍部(あんぶ)を通る断層により形成された「ケルンバット」であり、その構成岩石の大部分である石灰岩が溶食作用を受けて生じた急峻で錘状岩柱形(すいじょうがんちゅうけい)の岩峯(がんぽう)地形です。
このような自然景観は、県内において当地のみに見られるもので、古代から信仰の対象にもなっており、敏達(びたつ)天皇が行幸されたという言い伝えもあります。
平成十二年三月 三重県教育委員会 鈴鹿市教育委員会
現地案内板より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
石大神は 石神社の社名に改称 村社に列す〈明治12年 神社合祀政策により椿大神社本殿に合祀〉
・椿大神社(鈴鹿市)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)鈴鹿郡 19座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ]石神社
[ふ り が な ](いはの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Iha no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 石神社(いはの かみのやしろ)の論社
・椿大神社(鈴鹿市山本町)に合祀
石大神は 石神社の社名に改称 村社に列す〈明治12年 神社合祀政策により椿大神社本殿に合祀〉
・石大神(鈴鹿市小社町字脇の山)
〈椿大神社に合祀された石神社の旧鎮座地〉
・石神社(亀山市三寺町)
『三重管内博物誌』巻5に記される゛石大神゛の絵図
【抜粋意訳】
鈴鹿郡八十九ヶ村縮図
鈴鹿郡 小岸村 小社村 石大神 畧圖
巨巌白質 高サ弐百間余 東西五十間余 實測知リ難シ
【原文参照】
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
新名神高速道路 鈴鹿PAスマートICから西へ 約4.1km 車10分程度
小岐須渓谷キャンプ場辺りから 御幣川(おんべがわ)の対岸に石大神が見えます
石大神(鈴鹿市小社町字脇の山)に参着
なるほど 古代人が神と崇めたと伝わるに相応しく
土地の古老の口伝では
第30代 敏達天皇〈在位 572~585年〉が当国に御幸のとき天照皇大神がこの岩上に顕現したと伝えます
遥拝をします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
よこから見ると
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 石神社について 所在は゛小岐須村北の山麓に在す、〔考証、雑記〕今石大神(シャクダイシン)と称す゛〈現 石大神(鈴鹿市小社町字脇の山)〉と記しています
【抜粋意訳】
石神社
石神は伊波賀美と訓べし
〇神號詳ならず
〇小岐須村北の山麓に在す、〔考証、雑記〕今石大神(シャクダイシン)と称す、
雑紀云、石大神は小岐須村の里より十四五町程奥の山の北ノ根也、社とてもなく、岩の高二百間余、幅廿間計にして、突兀したる瞼巌也、
或云、式なる石神社は、此處の事ならんかと云り、」
伴信友云、雨乞するにいつも霊験あり、類社
河内國大縣郡石神社の條見合すべし
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 石神社について 所在は゛今 盡生庄 三寺村にあり、石神社と云゛〈現 石神社(亀山市三寺町)〉と記しています
【抜粋意訳】
石(イハノ)神社
今 晝生庄 三寺村にあり、石神社と云、〔式内社検録 〇按 本書 社前山下の田を石が原と云ひ、東谷を天神が谷、北谷を岩の谷と字し、土人も近村の人も皆よく知て、石神社と云と云り〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 石神社について 所在は゛三ツ寺村字石が原(鈴鹿郡晝生村大字三ツ寺村 石神社晝生大神)゛〈現 石神社(亀山市三寺町)〉と記しています
小岐須村の石大神(シャクタイシン)〈現 石大神(鈴鹿市小社町字脇の山)〉は 論社とされているが確証はない と記しています
【抜粋意訳】
石神社 稱 晝生大明神
祭日
社格 村社所在 三ツ寺村字石が原(鈴鹿郡晝生村大字三ツ寺村 石神社晝生大神)
今按るに 傍注考証以下の諸書に小岐須村の坤位十八丁祓川水源の山の半腹北面に東西五十間高二百間許の白色巨巌あり 土俗 石大神(シャクタイシン)と唱ふ其在所は小社(コヤシロ)村の管地なり 其巨巌を本社に填て異論なし然れ共 其配するに確証ある事なく 勿論 振古神殿を建置せす兆域を詳にする事も能はさる幽遂の地に延喜の昔岩神社を定めむ舊蹟ならさる事論に及ばず
又 龜山藩明細帳に平野村産神社にある八王子祠にも配せれと近世奉祀の小社 無稽の説にて真否を辨するまでもなし 然ると三ツ寺村の産神 晝生大明神と號するを 其村の老少を始め 他の村の者さへ石神社(イシノジンジャ)と称し来れり 尤 社前の田を石が原といへば 石は其地の字なる事見つへし 村内踊場に建たる石標にも石神社拝所と彫せり 其社域 廣大にして 樹木鬱葱千古の舊祠たる事 顕然たり 故に本社は其 口傳に據て判定す
【原文参照】