大鳥美波比神社(大鳥大社 境内)

大鳥美波比神社(おおとり みはひじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に所載され 又 大鳥大社を筆頭とした「大鳥五社大明神」の一つで 由緒正しい神社です 御祭神の天照大神(amaterasu okami)が 「鳳」と化して降臨をしたとする由来があり まさしく「大鳥(otori)」あるいは「鳳(otori)」にふさわしい伝承を持ち 大鳥大社 境内に坐ます

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

  大鳥美波比神社(otori mihahi shrine)
 (おおとりみはひじんじゃ

 [通称名(Common name)]

 【鎮座地 (location) 】

大阪府堺市西区鳳北町1-1-2(大鳥大社境内)

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天照大神(amaterasu okami)

その他 近隣から 諸神が合祀されます

明治42年(1909)4月 鳳村北王子の村社「押別神社」を合祀
《合》押別命(woshihakeno mikoto)

明治42年(1909)4月 野代村他の「菅原神社」3社を合祀
《合》菅原道真公(sugawarano michizane ko)

大正3年(1914)浜寺村の「天神社」を合祀
《合》国常立尊(kunino tokotachi no mikoto)

大正3年(1914)浜寺村の「市杵島神社」を合祀
《合》市杵嶋姫命(ichikishima hime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
大鳥五社大明神

【創 建 (Beginning of history)】

垂仁天皇8年 天照大神が「鳳凰」と化して「襲峯(oiso no mine)」に降臨されたと伝

その後
・現大鳥神社境内に遷座する以前は 北王子村に鎮座
・明治6年(1873)教部省通達により現大鳥神社境内に遷座
・明治12年7月  旧 神鳳寺の五重塔趾に遷座
・昭和9年(1934)現在地(旧 神鳳寺の本堂趾)に遷座と伝えられています

【由 緒 (history)】

本社の境内東側に鎮座、もと当社は北王子村に鎮座であったが 明治十二年に現在地に遷座した。

主神の外七柱を合祀する。

大鳥大社 公式HPより

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.

本殿「大鳥美波比神社」と合祀「押別神社」の2つの式内社の論社となっています

①本殿

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)和泉国 62座(大1座・小61座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大鳥郡 24座(大1座・小23座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社名 ] 大鳥美波比神社
[ふ り が な  ](おおとり みはひの かみのやしろ)
[How to read ](otori mihahino kamino yashiro)

➁合祀
「式内社 押別神社(woshihakeno kamino yashiro)」(鳳村 北王子の村社)を明治42年4月合祀

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)和泉国 62座(大1座・小61座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大鳥郡 24座(大1座・小23座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社名 ] 押別神社
[ふ り が な  ](をしはけの かみのやしろ)
[How to read ](woshihakeno kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

大鳥美波比神社(otori mihahi shrine)の当初の鎮座地について

大鳥美波比神社(otori mihahi shrine)は 大鳥大社を含めて「大鳥五社大明神」と言われ『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社です 

由緒は正しく 天照大神(amaterasu okami)が 「鳳」と化して降臨をしたとする まさしく「大鳥(otori)」の由来をもちます

当初の鎮座地は 式内社「国神社」の旧鎮座地(大阪府堺市南区鉢ヶ峯寺)と伝わります

国神社の由緒によれば

垂仁天皇8年 天照大神が 鳳凰と化して「襲の峯」に降臨し 景行24年 神託により武内宿禰に命じて社殿を造営したが 同55年に 鳳凰は千種の森に移り 今の大鳥社がこれです 大鳥神社の元社(モトツヤシロ)とされている

大鳥神社の元社とは「大鳥美波比神社」をさしています 天照大神が「鳳」と化して降臨をしていますことからも 大鳥(おおとり)の由来を持つ  由緒ある名社であることに頷けます

国神社 旧鎮座の記事もご覧ください

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

鳳駅から 約450m 徒歩6分程度(大鳥大社境内)

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大鳥大社の境内に入り 大鳥大社の拝殿・本殿は南を向いて建っています

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鳥居をくぐり振り返り一礼 本殿の域を出ます 左へ進むと境内社が建ちます お詣りします
摂社:大鳥美波比神社(otori mihahi shrine)は 東を向いて建ち 広い参道の突き当りに 鳥居が建ち 社を構え建ちます

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玉垣に囲まれた境内地があり 社号標「摂社 大鳥美波比神社」とあり 鳥居の先に拝殿が建ちます

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玉垣を過ぎて 鳥居の手前 左手の末社にお詣りします

末社:四社合祀殿
ご祭神:火鎮大神・宗像大神・稲荷大神・織姫大神

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一礼して 鳥居をくぐります

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参道の両サイドにおびただしい数の「献灯」があります

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拝殿にすすみます 扁額には「大鳥美波比神社」と掲げられています 

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賽銭箱には御神紋「鳳凰」があります

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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境内を後にします

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鳥居をくぐり 振り返り一礼

大鳥大社の記事もご覧ください

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『大鳥太神宮 并 神鳳寺縁起帳』に記されている伝承

大鳥美波比神社(otori mihahi shrine)が 現在 鎮座している地は「旧 神鳳寺の本堂趾」とされています

神鳳寺とは「大鳥山勧學院神鳳寺」のことで かつての別当でしたが 明治の神仏分離政策の中で廃寺となりました 

和銅元年(708)に行基が大鳥大社の神宮寺として創建されました
行基大僧正は 堺の出身の名僧で 生涯に建てた寺は49寺院もあり その中でも神鳳寺は家原寺とならび 本堂・不動堂・五重塔・経蔵・鐘撞堂などを備えた大寺院であったと伝わります

この『大鳥太神宮 并 神鳳寺縁起帳』写本に神名帳があり

 「大鳥美波比神社(otori mihahi shrine)」と「押別神社」が 各々 記されています

『大鳥太神宮并神鳳寺縁起帳』(作成年)延喜22年(922)写本 [旧蔵者]編修地志備用典籍 国立公文書館デジタルアーカイブ
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000040485&ID=&TYPE=&NO=画像利用

大鳥五社(otori gosha)について

大鳥五社大明神とも呼ばれ いずれも和泉国大鳥郡(大阪府堺市周辺)の式内社で「大鳥(otori)」を冠する五つの神社の総称です

大鳥大社の御祭神「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」を中核として 境内外の摂社で構成され 残る4社の内 3社では「日本武尊の妃神を一柱ずつ奉斎」1社では祖神「天照大神」を祀ります

※それぞれの神社の記事をご覧ください

大鳥大社   【和泉國大鳥郡 大鳥神社 名神大 月次新嘗】
《主》日本武尊(yamato takeru no mikoto)

大鳥美波比神社【和泉國大鳥郡 大鳥美波比神社】
        【和泉國大鳥郡 押別神社】
《主》天照大神(amaterasu okami)

(当社です)

大鳥北濱神社 【和泉國大鳥郡 大鳥神社 鍬靫】
《主》吉備穴戸武媛命(kibino anatotake hime no mikoto:日本武尊の妃)

大鳥羽衣濱神社【和泉國大鳥郡 大鳥濱神社 鍬】
《主》両道入媛命(futajino irihime no mikoto:日本武尊の妃)

大鳥井瀬神社【和泉國大鳥郡 大鳥井瀬神社】
《主》弟橘姫命(ototachibana hime no mikoto:日本武尊の妃)

天照大神(amaterasu okami)が 「鳳」と化して降臨をしたとする 大鳥(otori)の由来をもちます
大鳥美波比神社(otori mihahi shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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和泉国 式内社 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))について に戻る   

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