大石神社(おおいしじんじゃ)は その名の通り 巨大な花崗岩のご神体〈磐座信仰〉が坐します 社殿の周囲にも数々の巨大な石〈磐座〉があり 不思議な景観となっています 社伝によると 古くは物部神社と称していたとあり 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社となっています
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
大石神社(Ohishi shrine)
【通称名(Common name)
【鎮座地 (Location) 】
山梨県山梨市西2067
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大山祇命(おほやまつみのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
大石神社
山梨市西2067
創建年代は不詳ですが、社殿建築が発生する以前から「磐座」(下記参照)とよばれる古い石信仰の場として崇拝されたとみられています。『甲州噺』(享保17年〔1732〕)には岩手能登守(信盛)が建立したと記載されています。信盛は、甲斐守護 武田信昌の子 縄美の嫡男で、岩手氏は縄美が岩手郷を領有し岩手氏を名乗ったのがはじまりとされます。
信盛・信景・信重と武田氏に仕え、御親類衆・旗奉行という重職につき、東の武田殿ともいわれました。
社名の起こりとなった御影石(花崗岩)の神体石は、高さ12m、周囲68mで首鎧(かぶと)形をしており、上部には平坦面があるといわれています。
ほかにも名が付けられた石が多くあります(烏帽子石、屏風石、影向石、産屋石、胎内石、浮橋石、百足石、笠石、乳石、子守石など)。
磐座(いわくら)
神霊が石に宿るという信仰に基づいて、石を御神体として祀ったことに由来する。
祀られる石は、巨石や陰陽石など石の大きさや他とは違った特徴がみられるものがその対象となった。神社の社殿建築発生の前段階には、この石に神が降り下るとされて祭りが行われた。やがて神が鎮座するところという観念が固定し、石は神聖視され「磐座」と呼ばれるようになったのである。
『古事記』『日本書紀』また『風土記』にその名称が散見され、古代の信仰形態のひとつとなっている。
現地案内板より
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【由 緒 (History)】
大石神社(旧指定村社)
由緒沿革:
社記に社号は古く物部神社と称してゐたが 後代 大石大神、岩手大明神等と称して 現在 大石神社と称してゐる。
甲斐の守護 武田刑部大輔信昌の子 治部少輔縄美この地を領し 氏を岩手と改めて 永正四年(一五〇七)四月九日社殿を造り弓矢を奉納した。
境内の大きな御影石は神体石で 高さ一二米、廻り六七米余りあり、本県随一のものといはれてゐる。その他烏帽子石、屏風石、影向石、産屋石、浮船石等の巨石がある。
山梨県神社庁HPより
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/2068
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・大石神社 御神体
〈御影石(花崗岩 かこうがん)の巨石 高さ十二メートル まわり六十七メートル〉
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・大石神社 社殿
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・大石神社 本殿
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・大石神社 拝殿
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・奇岩群(きがんぐん)
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山梨市八景・大石山(おおいしさん)の奇岩群(きがんぐん)
大石山には大山祇命(おおやまずみのみこと)をまつる大石神社がある。境内の大きな御影石(花崗岩 かこうがん)は御神体 で、高さが十二メートル、まわりが六十七メートルあって、本県随一と言われる。
烏帽子(えぼし)石、屏風(びょうぶ)石、影向(ようご)石、産屋(うぶや)石、浮舟(ふきふね)石、百足(むかで)石、指門(しもん)石、甲(かぶと)石など、全山の奇岩群は目を見張るものばかりで、まさに自然美 の極地といえよう。
この地には古くから「岩手八景」として、岩松晴風、大石夜雨、信盛晩鐘、笛川漁火、中村夕照、唐沢落雁、妙月秋月、物見暮雪が選定され、この八景や奇岩群を訪れる文人墨客、観光客などが跡を絶たない。
陽春のころ、大石山の松の緑と紅(くれない)のつつじの織りなす色彩のコントラスト(対照)もまことに見事である。また、このころ大石神社の祭りが行われ神楽も奉納される。大石山は また、市内外の園児、小学生、家族たちが遠足や散策におとずれている。
社頭の案内板より
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・影向(ようご)石
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・屏風(びょうぶ)石
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・浮舟(ふきふね)石
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・産屋(うぶや)石
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・百足(むかで)石
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・立烏帽子(たてえぼし)石
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・烏帽子(えぼし)石
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・指門(しもん)石
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・参道石段・注連柱
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・狛犬
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・参道下の境内
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・社頭鳥居
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
かつて 大石神社(山梨市西)は 浅間神社(笛吹市一宮町)の境外 末社とも云う
延喜式内社 甲斐國 八代郡 淺間神社(名神大)(あさまの かみのやしろ)
・浅間神社(笛吹市一宮町)〈甲斐國一之宮〉
論社
-
浅間神社(笛吹市一宮町一ノ宮)〈甲斐國一之宮・延喜式内社〉
浅間神社(あさまじんじゃ)は 社伝には 第11代 垂仁天皇8年(約2000年前)山宮神社の地に3柱の神を祀り創始されます その後〈富士山〉貞観大噴火時〈貞観7年(865)〉鎮火神として木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)1柱を現在地に遷座し創建されたと云う 国府も近く 甲斐國一之宮とされる延喜式内社 名神大社です
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現在 大石神社(山梨市西)は 大井俣窪八幡神社(山梨市北)が兼務されています
延喜式内社 甲斐國 山梨郡 大井俣神社(おほいまたの かみのやしろ)
・大井俣窪八幡神社(山梨市北)
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
卷七 貞觀五年(八六三)六月八日己亥
○八日己亥
授に
武藏國 從五位下 氷川神に正五位下
甲斐國 從五位下勳十二等 物部神 美和神に 從五位上
近江國 正六位上 建部神に從五位下
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
【抜粋意訳】
卷十二 貞觀八年(八六六)三月廿八日甲辰
○廿八日甲辰
甲斐國 從五位上勳十二等 物部神 美和神に 並に授くに正五位下 從五位下 宇波刀神に從五位上
大和國 平城京内田地十六町三段百廿歩 賜從四位下行山城權守在原朝臣善淵 先是 善淵奏言 奉爲平城太上天皇 建精舍於陵次 買得舊京荒地 墾闢爲田 修理精舍之資 而内藏寮稱格旨 收爲勅旨田 請頼恩弉 永爲私田 詔許之
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
【抜粋意訳】
卷十二 貞觀八年(八六六)閏三月十八日癸亥
○十八日癸亥
授に甲斐國 正五位下勳十二等 物部神に從四位下を
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
【抜粋意訳】
卷二十九 貞觀十八年(八七六)七月十一日丙戌
○十一日丙戌
授に
甲斐國 從四位下勳十二等 物部神 越中國 新川神に 並に從四位上
甲斐國 正五位下 美和神に正五位上
美濃國 正六位上 兒安神 越中國 櫛田神に 並に從五位下を
丹後 美作兩國飢疫 賑に給す絶乏に
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
【抜粋意訳】
卷卅七 元慶四年(八八〇)二月八日壬辰
○八日壬辰
授に
甲斐國 從四位上勳十二等 物部神に正四位下 正五位上 美和神に從四位下
岩見國 正六位上 椙尾國社神 常世國社神に 並に從五位下を
左京人從四位上 行左馬頭兼伊勢守興基王に賜に姓を源朝臣と 興基は人康親王之子也
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
『日本紀略(nihonkiryaku)』〈11世紀後半~12世紀頃 編纂と伝わる〉に記される伝承
神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
天慶三年(九四〇)九月四日丙寅
奉授
山城國 正二位 稻荷神 從一位
大和國 瀧倉神 正二位
左京 從三位 太詔戶神 伯耆國 從三位 倭文神 正三位
左京 正四位上 隼神 大和國 正四位下 高屋安倍神 甲斐國 正四位上 物部神 隱岐國 正四位上 天建金草神 並從三位
大和國 正五位上 河內神 甲斐國 正五位上 大井俣神 並從四位下
伊勢國 從五位上 能原神 正五位下
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブ 『日本紀略』写本 延暦01年 - 長元09年[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047774&ID=M2019041909454036553&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブ 『日本紀略』写本 延暦01年 - 長元09年[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047774&ID=M2019041909454036553&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)山梨郡 9座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 物部神社
[ふ り が な ](もののへの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Mononohe no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載 「物部神社」の名称を持つ式内社の論社について
太古の大和朝廷では 物部氏は 神道を奉じ軍事を司る氏族として「八十物部(やそのもののべ)」と云われ 絶大な勢力を保持していました
その後 神道を奉じる物部氏の宗家〈物部守屋大連〉は 仏教を信奉する蘇我氏〈蘇我馬子 大臣〉と戦い敗れ〈用命天皇2年(587)〉 物部氏は徐々に衰退をして行く事になります
『延喜式(Engishiki)』(927年12月編纂)の時代となっても かつての物部氏の勢力の大きさを示すように 広範囲に物部の神社は分布しています
東海道
「伊勢國 飯高郡 物部神社」
・伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈合祀〉
一緒に読む
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伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈式内論社3社〈大神神社・物部神社・堀坂神社〉を合祀〉
伊勢寺神社(いせでらじんじゃ)は 寛正2年(1461)当村で疫病が流行し多くの村人が亡くなり 疫病鎮めの神として一志郡多気村の牛頭天王社を当地に勧請し高福大明神と称したのが始めと言う 明治41年(1908)式内社の論社3社〈大神神社・物部神社・堀坂神社〉を含む35社を合祀します 昭和5年(1930)伊勢寺神社と改称
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「伊勢國 壹志郡 物部神社」
・物部神社(津市新家町)〈山辺の行宮〉
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物部神社(津市新家町)〈山辺の行宮〉〈延喜式内社〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 古代この地方を支配した物部氏の一族 新家氏の氏神とされます 寛保元年(1741)の洪水により 古記録等が流失し創立当時の確かな記録はないが 当社は所替せず古来の地にあると云う 〈山辺の行宮〉の跡地ともされる 延喜式内社 伊勢國 壹志郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)とされます
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「尾張國 春日部郡 物部神社」
・味美白山神社(春日井市二子町)〈合祀〉
・味美二子山古墳(春日井市二子町)〈旧鎮座地〉
・諸大明神社(春日井市松本町)
・八所神社(豊山町豊場木戸)
「尾張國 愛智郡 物部神社」
・物部神社(名古屋市東区筒井)
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物部神社(名古屋市東区筒井)〈御神体の霊璽゛一塊の巨大な石゛〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 御神体の霊璽が゛一塊の巨大な石゛で 初代 神武天皇の御代に当地の凶魁を討たれ この石〈俗に要石 鎮撫石 根石とも云う〉を国の鎮めとされ 石神様とも呼ばれます 第11代 垂仁天皇の御代 初めて社殿が造営された云う 延喜式内社 尾張國 愛智郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です
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・御器所八幡宮(名古屋市昭和区)
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御器所八幡宮(名古屋市昭和区御器所)〈八所大明神〉
御器所八幡宮(ごきそ はちまんぐう)は 第54代 仁明天皇の勅願所として熱田社の鬼門を守護するために創建と社伝に云う 御器所(ごきそ)の地名は『吾妻鏡』に この地で熱田社の神事に使う土器を焼いていたことから名付けられたと記述があり 尾張國 愛智郡の二つの式内社〈・高牟神社・物部神社〉の論社となっています
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「甲斐國 山梨郡 物部神社」
・御室山〈大蔵経寺山〉(笛吹市春日居町)〈旧鎮座地〉
・物部神社(笛吹市石和町)
一緒に読む
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物部神社(笛吹市石和町松本)〈『六国史』物部神・『延喜式』物部神社〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷の使者として武内宿禰(たけのうちのすくね)らが東方巡察の折 物部氏の従者により創祀されたと云う 『六国史』には゛物部神゛に神階の奉授が記され 『延喜式』に甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)と所載されます 当初 御室山に鎮座し 鎌倉時代に現在地に遷座と云う
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・大石神社(山梨市西)
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大石神社(山梨市西)〈巨大な花崗岩のご神体が坐します〉
大石神社(おおいしじんじゃ)は その名の通り 巨大な花崗岩のご神体〈磐座信仰〉が坐します 社殿の周囲にも数々の巨大な石〈磐座〉があり 不思議な景観となっています 社伝によると 古くは物部神社と称していたとあり 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社となっています
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・大石神社(甲州市塩山赤尾)
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大石神社(甲州市塩山赤尾)〈延喜式内社 物部神社の論社〉
大石神社(おおいしじんじゃ)は 社伝に 第21代 雄略天皇御宇 詔(みことのり)により海部直赤尾物部兎代宿禰(あまのあたいあかお もののべのとよのすくね)によって勧請されたと伝わります 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社とされ 明治時代には 物部神社と称したと云う
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・白山建岡神社(山梨市上栗原)
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白山建岡神社(山梨市上栗原)〈上栗原村〔小市明神〕を合祀か?〉
建岡神社(たておかじんじゃ)は 江戸時代には〔白山権現〕と呼ばれていました 同じく上栗原村にあった〔小市明神〕は 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)であるとの一説もあります 現在〔小市明神〕は 建岡神社に合祀されているのか?
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「武蔵國 入間郡 物部天神社」
・北野天神社(所沢市小手指元町)
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北野天神社(所沢市小手指元町)〈正式名称゛物部天神社 國渭地祇神社 天満天神社゛〉
北野天神社(きたのてんじんしゃ)は 三社を合殿に祀る総称で 正式名称は゛物部天神社・國渭地祇神社・天満天神社゛です 元々は 日本武尊が祀ったと伝わる入間郡の式内社 物部天神社とされ さらに国渭地祇神社を(一説には出雲祝神社も)合祀すると云う 長徳元年(995)京都より北野天神を勧請し 坂東第一北野天神と称しました
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東山道
「美濃國 厚見郡 物部神社」
・伊奈波神社(岐阜市伊奈波通)
・伊奈波神社 旧跡(岐阜市赤ケ洞)
・岩戸八幡神社(岐阜市長森岩戸)
・岩戸神社(岐阜市長森岩戸)〈参考論社〉
北陸道
「越中國 射水郡 物部神社」
・物部神社(高岡市東海老坂)
「越後國 頸城郡 物部神社」
・物部神社(上越市清里区)
一緒に読む
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物部神社(上越市清里区南田中)〈延喜式内社 物部神社(もののへの かみのやしろ)〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「越後國 頸城郡 物部神社」です かつては 武士(もののふ)村に鎮座し 山王権現〈日吉神〉と呼ばれていました その後 田中村新田に遷座 昭和46年4月 圃場整備事業のため現在地〈南田中〉に遷座しました
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「越後國 三嶋郡 物部神社」
・二田物部神社(柏崎市西山町)
一緒に読む
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二田物部神社(柏崎市西山町二田)〈『延喜式』物部神社〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 祭神 二田天物部命は 天香山命に奉仕て 高志国(越国)に天降りしたと云う 二田を献上する者がおり その地に居を定め その里を「二田」と称したと伝え 命は薨(こう)じて 二田の土生田(はにゅうだ)の高陵に葬られたと云う 延喜式内社 越後國 三嶋郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です
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「佐渡國 雑太郡 物部神社」
・物部神社(佐渡市小倉)
一緒に読む
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物部神社(佐渡市小倉)〈『續日本紀』物部天神・『延喜式』物部神社〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)が養老二年(722)佐渡配流の謫居二十年の間 小祠に物部氏の祖神゛宇麻志麻治命゛を祀り 祈り続けたと云う 『續日本紀』〈延暦10年(791)物部天神 従五位下〉と神位の奉叙が記されている 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 物部神社(もののべのかみのやしろ)です
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山陰道
「丹後國 與謝郡 物部神社」
・物部神社(与謝野町石川)
一緒に読む
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物部神社(与謝野町石川物部)〈延喜式内社 物部神社〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 『朝野群載』承暦四年(1080)に 御卜〈天皇の身体を亀甲で卜い 卜兆に現れたところを奏上する儀式〉にて゛丹後國 物部神の神祟あるを以て社司に中祓を科す゛と記されており 神威ある神社でした 延喜式内社 丹後國 與謝郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です
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「但馬國 城崎郡 物部神社」
・韓國神社(豊岡市城崎町)
一緒に読む
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韓國神社(豊岡市城崎町飯谷)〈延喜式内社 物部神社〉
韓國神社(からくにじんじゃ)は 第25代 武烈天皇の命を受け 物部眞鳥(もののべのまとり)が 韓國へ派遣された後 但馬の楽々浦に着き 都へ報告に上った その功績により 韓國連を賜わり 物部韓國連眞鳥と称し その子・墾麿(こま)は 城崎郡司に任命され その孫・物部韓國連 鵠(くくひ)が創建した物部神社とされます
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「石見國 安濃郡 物部神社」
・物部神社(大田市)石見国一之宮
一緒に読む
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物部神社(大田市)〈延喜式内社・石見國一之宮〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷が出雲の勢力を牽制するために 御祭神の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が 大和の地から物部氏の一族をひきいて尾張・美濃・越国を平定され さらに播磨・丹波を経て石見国に入り この地に宮居を築かれ 祖神として祀られたものと伝わります
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山陽道
「播磨國 明石郡 物部神社」
・可美真手命神社(押部谷町細田)
一緒に読む
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可美真手命神社(押部谷町細田)〈延喜式内社 物部神社〉
可美真手命神社(うましまでのみこと じんじゃ)は 成務天皇十九年(149)に創建されたと伝えられる 延喜式内社 播磨國 明石郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)とされ 又 天平勝宝六年(754)摂津国住吉大社の社家「津守連」が楯神・鉾神と共に住吉大神を勧請したと伝えられる押部谷 住吉神社 最初の鎮座地です
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・惣社(神戸市西区伊川谷町)
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伊川谷惣社(神戸市西区伊川谷町上脇)〈延喜式内社 物部神社〉
伊川谷惣社(いかわだに そうしゃ)は 神功皇后が三韓征伐の帰途 明石川から伊川を船でのぼり ここで一休みして「大国主命をここに祀れ」と命じたのが創始であると伝わります 『国内鎮守大小明神社記』では 延喜式内社 播磨國 明石郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)としています
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西海道
「壱岐島 石田郡 物部布都神社」
・物部布都神社跡(壱岐市郷ノ浦町田)〈旧鎮座地〉
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物部布都神社跡(壱岐市郷ノ浦町田)
物部布都神社跡(もののべふつじんじゃ あと)は 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉で 式内社と比定された物部村に鎮座していた布都ノ宮〈物部布都神社〉の跡地です 昭和40年(1965)5月 天手長男神社に合祀されました
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・天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町)〈物部布都神社を合祀〉
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天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町田中触)〈壱岐嶋一之宮〉
天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)は 鎌倉時代の元寇により荒廃 その後廃絶し 所在も不明となっていました 延宝4年(1676)平戸藩主の命により藩の国学者 橘三喜が 現地の地名「たなかを」から(たながお)推定し比定したものです それ以前は 天手長男神社の由緒は無いとされていた 櫻江村 若宮と云われた式外社でした
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・國津神社(壱岐市郷ノ浦町)
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國津神社(壱岐市郷ノ浦町渡良浦)〈延喜式内社〉
國津神社(くにつじんじゃ)は 三つの式内社の論社〈『延喜式神名帳927 AD.』所載 壱岐嶋 石田郡・国津神社(くにつかみのやしろ)・津神社(つの かみのやしろ)・物部布都神社(もののへのふつの かみのやしろ)〉とされます 神功皇后が「異国退治して無事帰朝せれば この所の守護神と成る」との伝説があります
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR中央本線 山梨市駅からR140号経由で北へ約6.3km 車で12分程度
大石神社(山梨市西)に参着
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一礼をして 鳥居をくぐります
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長い石段をあがります
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山梨県偉人 手塚藤兵衛翁頌徳碑があります
手塚藤兵衛翁頌徳碑
手塚藤兵衛は東山梨郡岩手村(現山梨市)東四六八番地に尊父一雄母堂菊野の長男として大正九年(1920)四月十二日に誕生する
翁は岩手小学校高等科を卒業 昭和十三年(1938)三月 単身中国大陸へ渡り 北京中央鉄路学院を卒業 濟南鉄路局に勤務中に終戦を迎えられた
帰国復職後の混乱期の中 懸命に化学を学び 千葉県船橋市田喜町に移居 二男三女に恵まれながら 昭和三十二年(1958)東都化成株式会社を設置された 昭和四十四年には新技術に基づく 純国産エポキシ樹脂第一号を開発し 国際的名声を博すると共に 多くの傘下企業を経営 昭和四十五年には韓国に進出し国都化学工業株式会社を設立 平成元年に至っては 株式証券市場に上場することに成功された
翁は日頃多忙な業務に専念される傍ら 深く郷里に思いを寄せられ 山梨市役所新庁舎建設 山梨市民会館新設 母校岩手中学校に『手塚文庫』を開設 更に大石神社本殿拝殿の改築 菩提寺信盛院開山堂他の寄進等数多く ふるさと発展のための事業に巨額の御芳志と多大な御尽力を頂いた
仍ってここに多数の関係者が集い 翁の御高徳を讃えると共に奇特な愛郷の心を永く後世に伝えることを願ってこの碑を建立することとした。
平成元年十月二十三日 山梨市長 三枝勇雄 撰併題額 渡邉正書
現地石碑文より
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うえに上がると 眼下に西川が流れ 塩山 勝沼の街並みがあり
ほぼ真南には 富士山が山頂をみせています
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拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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拝殿の後ろに本殿が祀られています
その後ろには 御神体の石があります
こうした 巨石信仰の場は 写真ではその大きさや荘厳な存在感を伝えきれないのですが 是非 ご参拝して下さい
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御神体石の間には 御神木があります
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社殿に一礼をして 参道石段を下ります
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社頭の鳥居を抜けます
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 物部神社について 所在は゛松本邑に在す、゛〈現 物部神社(笛吹市石和町松本)〉と記しています
【抜粋意訳】
物部神社
物部は毛乃々倍と訓べし
○祭神物部氏祖十神、〔名勝志〕
○松本邑に在す、〔参考〕例祭月日、
類社
伊勢國飯高郡物部神社の条見合すべし
神位
三代実録、
貞観五年六月八日己亥、授甲斐國從五位下勲十二等物部神從五位上、
同八年三月廿八日甲辰、甲斐國從五位上勲十二等物部神、授正五位下、
同年閏三月十八日癸亥、授甲斐国正五位下勲十二等物部神從四位下、
同十八年七月十一日丙戌、授甲斐國從四位下勲十二等物部神從四位上、
元慶四年二月八日壬辰、授甲斐國從四位上勲十二等物部神正四位下、
日本紀略、
天慶三年九月四日丙寅、奉授甲斐國正四位上物部神從三位、
社領
当代御朱印高二石四斗五升
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 物部神社について 所在は゛舊 御寶山にありしを、後 松本村に移す、物部十社明神と云ふ、゛御寶山〈大蔵経寺山〉より遷座して〈現 物部神社(笛吹市石和町松本)〉と記しています
【抜粋意訳】
物部(モノノベノ)神社
舊 御寶山にありしを、後 松本村に移す、物部十社明神と云ふ、〔甲斐名勝志、甲斐國志、〕
盖 物部連祖 饒速日命を祀る、〔新撰姓氏録、舊事記、延喜式〕
清和天皇 貞観五年六月巳亥、従五位下勲十二等 物部神に従五位上を授け、
八年七月丙戌、従四位上を加へ、
陽成天皇 元慶三年九月丙寅、正四位上より従三位に進めらる、〔日本紀略〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 物部神社について 所在は゛松本村(東山梨郡岡部村大字松木)゛〈現 物部神社(笛吹市石和町松本)〉と記しています
又 一説として゛一説赤尾村 大石大神なりと云ひ゛〈現 大石神社(甲州市塩山赤尾)〉
゛物部郷大石社と記せり゛〈現 大石神社(山梨市西)〉を紹介しています
【抜粋意訳】
物部神社 稱 十社明神
祭神 饒速日命
今按 社傳 祭神 饒速日命より物部氏の祖神十座なりと云へど こは十社明神と云より 十座の祖神と云るものなるべし 故今とらず
神位
清和天皇 貞観五年六月八日巳亥 授に甲斐國從五位下勳十二等 物部神 從五位上
八年三月廿八日甲辰 甲斐國從五位上 勳十二等 物部神 授に正五位下
閏三月十八日癸亥 授に甲斐國正五位下 勳十二等 物部神 從四位下
十八年七月十一日丙戍授に甲斐國從四位下 勳十二等 物部神 從四位上
陽成天皇 元慶四年二月八日壬辰 授に甲斐國從四位上勳十二等 物部神 正四位下
朱雀天皇 天慶三年九月四日 奉贈に甲斐國正四位上 物部神 従三位〔朱雀以下 日本紀略〕
祭日
社格 村社
所在 松本村(東山梨郡岡部村大字松木)
今按 一説赤尾村 大石大神なりと云ひ 慶長十三年の制札に、物部郷大石社と記せりと云へれど 他に證あるに非ず
且つ松本村 今は松本寺の境内にありて 小社なれど神さぴたる森のさま いかにも式内社なりとみゆると云へば 今は之に從へり
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
大石神社(山梨市西)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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甲斐國 式内社 20座(大1座・小19座)について
甲斐国(かひのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 甲斐国には 20座(大1座・小19座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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