小社神社〈皇大神宮(内宮)末社〉

小社神社(おごそじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)末社〉は 『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に所載される古社です 中世に頽廃して社地も不明となりましたが 明治13年(1880)小社村の産土神を以て本社の舊地と爲して再興されたものです

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

小社神社(Ogoso shrine

通称名(Common name)

・雨の宮さん

【鎮座地 (Location) 

三重県度会郡玉城町小社曽根(おごそそね)字小社山1955

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》高水上命(たかみなかみのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

〈皇大神宮(内宮)末社〉

【創  (Beginning of history)】

『神宮要綱』昭和3年〉に記される内容

【抜粋意訳】

皇大神宮 所管

皇大神宮末社 小社神社

鎭座地 三重縣度會郡下外城田村大字小社曾根

殿舎
正  殿 神明造、板葺、南面・・・壹宇
玉垣御門 猿頭門、扉付・・・壹間
玉  垣 連子板打・・・壹重
鳥  居 神明造・・・壹其
右神宮司廰造替

小社(ヲゴソ)神社は倭姫命の祝ひ定め給ふ所にして祭神大水上神の御子 高水上(タカミナカミ)命に坐すこと儀式帳に見えたり。建久の年中行事に記せる荒木田氏一門の氏社 小社湯田野禮は、卽ち本社なるべし。古へは每年四月初申の日の氏神祭に氏人等此の社に参向したりしが、.室町時代に至りては之を宇治郷なる岩井田山に勧請して、其の所に氏神の祭を行ふことゝなれり。神宮典略に本社の附近はもと有田村なる湯田方面より連續せる一帶の廣野なりしを、文政二年に開拓して田畠となせることを記せり。本社も中世以後社地湮滅して明かならざりしを、何時の頃か其の廣野中のー小祠を以て本社に擬することゝなり、爾來現今に及べり。然れども明治三年に神宮より神祇官の出張所に呈せし文書には、小社村の産土神を以て本社の舊地と爲す。同二十五年上地官林三段六畝二十四步を復して、現狀を見るに至れり。

【原文参照】

神宮司庁 編『神宮要綱』,神宮司庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189814

【由  (History)】

『神宮摂末社巡拝』下昭和18年〉に記される内容

【抜粋意訳】

小社神社(おそじんじゃ)

 先つ豫定のコースに從って、小社神社に参拝のため、靴の紐を締め直す。小社(をこそ)に行くには田丸の町を通って、東の方外城田橋の所へ出で、こゝから南に折れる。田圃や桑畠の間を拔けて約二十町程行くとコンモリ茂った社叢を見出す。こゝは下外城田村大字小社曾根(をこそね)の地で、小社の部落から見ると、この西北寄りの地になってゐる。神社の入口に天保三年三郷若連中から奉納の水盤が置いてある。

 本社は皇大神宮の末社で、社名を小社(をこそ)神社といってゐる。皇大神宮延磨儀式帳に、その名を載せてゐる垂仁天皇の御宇、倭姫命の御時 ,祝ひ定められ、且つ御造管のためには御刀代田(みとしろだ)が定められてゐたといふことが見えてゐる。一千年以上の昔から、この小社の地の産土神として鎭座してゐた神である。御祭神は高水上命(たかみなかみのみこと)申し、儀式帳に大水上神(おわみなかみのかみ)の兒と申し傳へてゐる。南の大日山の容間から発する水が、下外城田村を貫流して宮川に注いでゐるが、この川が小社の田野の灌漑用水に供されてゐるので、この川の水の御蔭を尊んで高水上命と申し上げたものである。

 この神社は、皇大神宮の神主荒木田氏が、この地方を開拓した當時、産土神として尊んだ神である。荒木田氏は後、字治の方に移り住むやうになったが、後々までもこれを氏神の一つとして尊び、建久年中行事によると、每年四月の初の申の日には ,氏神参りといって、荒木田神主が一族を引きつれて、本     社に参拜したことが見えてゐる。

 室町戰國時代に入り、他の攝末社が退轉したとき、本社も亦社殿頽廃し、社地すら不明となったものであるが、地人よく昔の由緖を畏みて、現今の森の中に小祠を建てゝ祭って來たものである。

 この地は、又小社祭主神(をこそのさいしゅ)といはれた平安時代延久年間の神宮祭主大中臣朝臣輔經神(すけつね)の邸のあった所である。

【原文参照】

猿田彦神社講本部 [編]『神宮摂末社巡拝』下,猿田彦神社講本部,昭和18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1033626

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

小社神社は 皇大神宮(内宮)末社です

・皇大神宮(内宮)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)について

延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)は 伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に関する儀式書『皇太神宮儀式帳』(こうたいじんぐうぎしきちょう)と豊受大神宮(外宮)に関する儀式書『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)を総称したもの
平安時代成立 現存する伊勢神宮関係の記録としては最古のものです

両書は伊勢神宮を篤く崇敬していた桓武天皇の命により編纂が開始され
両社の禰宜や大内人らによって執筆されました
皇大神宮と豊受大神宮から 神祇官を経由して太政官に提出されて
延暦23年(804)に成立しました

小社神社〈皇大神宮(内宮)末社〉は 『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に所載される古社

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

内宮・外宮の別宮・攝社・末社・所管社について

お伊勢さん125社について

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR参宮線 田丸駅から南東方向へ約2.4km 車7分程度

小社曽根(おごそそね)の田圃の中に鎮守の杜があります

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入口は 境内の南東にあります

小社神社〈皇大神宮(内宮)末社〉に参着

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一礼をして参道を進みます

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社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます
古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待ちます〉

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殿にすすみ お祈りをしま
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式外社 小社神社について 所在は湯田郷小社村に在す〈現 小社神社〈皇大神宮(内宮)末社〉〉と記しています

【抜粋意訳】

小社神社

祭神 高水上命

〇湯田郷小社村に在す、神名略記、

〇儀式帳云、大水上兒、高水上命、形石坐、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

小社神社〈皇大神宮(内宮)末社〉 (hai)」(90度のお辞儀)

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お伊勢さん125社について

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