仲神社(松阪市井口中町)〈『延喜式』仲神社〉

仲神社(なかじんじゃは 中麻績公〈中麻公祖 豊城入彦命〉との関連を示唆される神社で 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 仲神社(なかの かみのやしろ)の論社です 明治42年(1909)大國玉神社に合祀 その後 昭和10年(1935)氏子崇敬者の熱意により旧社地〈現在地〉に分祀され現在に至ります

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

仲神社(Naka shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

三重県松阪市井口中町485-1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)
   須佐之男命(すさのをのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『勢陽五鈴遺響』に記される内容

【抜粋意訳】

式内 仲神社

同處〈中海〉にあり方俗 生土神とす 祭神 豊城入彦命

【原文参照】

安岡親毅 著『勢陽五鈴遺響』9,伊東太三郎,1903. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991425

【由  (History)】

『大神宮叢書』後篇に記される内容

多氣郡仲神社〈現 仲神社(松阪市井口中町)と見ゆるも 仲麻績の神社の義なるべし」と記され 中麻績公〈中麻公祖 豊城入彦命〉との関連を記しています 御祭神 豊城入彦命をして゛彦社゛と呼ぶと記しています

※麻績(おみ)氏は神御衣(かんみそ)を織る麻績部を管掌(かんしょう)する氏族です

【抜粋意訳】

中麻績公

三代實錄、貞観五年八月十九日己卯に、多氣郡百姓外少初位下中麻績公愚麻呂見えたり。是も諸書に見あたらず此氏も地名より起れるならん。
神鳳鈔に、多氣郡中麻績御薗あり。
神名式に、多氣郡仲神社と見ゆるも、仲麻績の神社の義なるべし。
此神社を村人は中河原村の彥社と呼べり。機殿より七十丈あまり隔て此社ありと云中麻績の地は今中海村といふ中海は那古美と訓。中麻績の轉語なるべし。此 中海郷に中河原村りて此神社あり〕

 此氏の祖は、三代實錄、貞観五年八月十九日己卯に、愚麻呂等自款云、城入彦命之後也、と記せり。此皇子は崇神天皇の御子にませり。
村人のに、式內仲神社は此皇子を祭れりといふ。麻績氏の說に此豐城入彥命は八坂入彥命と同神にて、麻績氏の祖也といへるはひが事なり八坂入彥命は、舊事記に、皇孫天降の時、供奉の神達なるを、豊城入彦命は崇神天皇第九皇子にませぱ、いかでか同神なるべき。〕

 されば麻績氏とは異姓なり。

〔此氏のことを此神部のくさぐさひがみいヘる説あれば、今正し改めしるせり。〕

【原文参照】

神宮司庁 [編]『大神宮叢書』後篇,内外書籍,昭和9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1212340

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・大国玉神社(松阪市六根町)

仲神社(松阪市井口中町)は 明治42年(1909)大國玉神社に合祀
その後 昭和10年(1935)氏子崇敬者の熱意により旧社地〈現在地〉に分祀され現在に至ります

延喜式内社 伊勢國 多氣郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 仲神社
[ふ り が な ]なかの かみのやしろ
[Old Shrine name]Naka no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 伊勢國 多氣郡 仲神社(なかの かみのやしろ)の論社

・仲神社(松阪市井口中町)

・仲神社(明和町上野)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄山田線 漕代駅から北上して約2.6km 車で5分程度

西に櫛田川と東に祓川が流れる井口中町の田の中に鎮座します

仲神社(松阪市井口中町)に参着

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特に社号などを示すものはありません

一礼をして 鳥居をくぐり

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 仲神社について 所在は゛中海村に在す、゛〈現 仲神社(松阪市井口中町)〉と記しています

【抜粋意訳】

仲神社

仲は那賀と訓べし

〇祭神 中麻公祖 豊城入彦命

〇中海村に在す、(俚諺)

○神鳳抄云、中麻御園、」
さて此氏人は、三代實録、貞観十九日己卯、伊勢国 多氣郡 百姓外少初位下麻部愚麻呂、麻部廣永等十六人、復本姓中麻公、愚麻呂等自欺云、豊城入彦命之後也

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 仲神社について 所在は゛今 上野村中畑の地にある天王社 即是也、゛〈現 仲神社(明和町上野)〉と記しています

【抜粋意訳】

(ナカノ)神社

 竹中社と云、〔延喜式〕

今 上野村中畑の地にある天王社 即是也、〔神名帳傍注、伊勢式内社検録、〇按 本村名寄帳に、中はたの名ありて、舊址 古宮の南東より産神社の西までを指すと云り、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 仲神社について 所在は゛三重縣多氣郷上野村(多氣郡有爾中村 字爾櫻神社に合祀)゛〈現 仲神社(明和町上野)〉と記しています

※〈現 仲神社(明和町上野)〉は 明治41年6月21日字爾櫻神社へ合祀されましたが 昭和20年再び現在地ヘ分祀されています

【抜粋意訳】

 齋宮式云 竹仲社

祭神
祭日 正月十日
社格 村社

所在 三重縣多氣郷上野村(多氣郡有爾中村 字爾櫻神社に合祀)

 今按 検録に本村産神の社邊に中畠の字ある地あり 齋宮式竹仲社に作る 文安六年十月 田畠内檢帳に仲弘行の署あり至徳三年正月 畠地券文に竹中畠とあり是なるべしと云へり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

仲神社(松阪市井口中町) (hai)」(90度のお辞儀)

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伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る

 

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