三島神社(みしまじんじゃ)は 上青市の産土神です 静岡縣神社誌などに式内社「竹麻神社 三座」の論社とされています 末社の高根祠はかつて山の上に在ったが 鯉名沖を往来する船が遥拝しないと必ず災いがあったので この里に遷座したとの伝承を持ちます
目次
- 1 1.ご紹介(Introduction)
- 2 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
- 3 【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
- 4 神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
- 5 神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
- 5.1 『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
- 5.2 『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承
- 5.3 『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
- 5.4 『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
- 5.5 『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
- 5.6 『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承
- 6 伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
三島神社(Mishima Shrine)
(みしまじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
静岡県賀茂郡南伊豆町青市222-1
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》事代主命(Kotoshironushi no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
上青市の産土神
静岡縣神社誌などに式内社「竹麻神社 三座」の論社とされています
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・石祠など多数鎮座
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 竹麻神社 三座
[ふ り が な ](たかまの かみのやしろ みくら)
[Old Shrine name](Takama no kamino yashiro Mikura)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
の式内社〈 竹麻神社 三座 〉の論社について
竹麻神社 三座
・月間神社(南伊豆町手石)
・八幡神社(下田市吉佐美)〈合祀 三島神社〉
・若宮神社(南伊豆町湊)
・竹麻神社(下田市高馬)
・本郷富士浅間神社(下田市)
・三島神社(南伊豆町青市)
・三島神社〈柿崎神社〉(下田市柿崎)〈合祀 武峰神社〉
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊豆急下田駅から R136号を西へ約9.3km 車16分程度
R136号が 鯉名川に沿って走る青市のJAやガソリンスタンドのある辺りから119号へ通じる山道を北上します
集落の左手上の山の斜面に 鳥居が建っています
三島神社(Mishima Shrine)に参着
朱色の鳥居の扁額には「三島神社」とあり 参道は急な石段のみ
一礼をして鳥居をくぐり 長い石段を上がります
階段の上には 大楠があると聞いていましたが 枯れたのでしょうか 伐採されていました
古い手水鉢があり 水道が引かれていますので 清めます
刻まれている文字は「天保丑年午正月吉日」と読めます 天保14年(1843)年の正月となります
境内は草一本生えておらず 綺麗に整地され 正面には拝殿or神楽殿が建ちます
拝殿or神楽殿にすすみます
拝殿の奥の扉から 一段高い檀に本殿の覆い屋が鎮座するのが見えます
回り込むと 本殿の覆い屋の前には 石鳥居の柱跡があり「三嶋神社」と扁額が掲げられています
覆い屋の扉内には 本殿の祠とその両脇に3宇の祠が 計4つの祠が並び鎮座しています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
本殿覆い屋の外 両側にも石祠が多数あり お詣りをして 境内を戻ります
こちらから見ると 境内入口あった大楠の切り株が良くわかります
境内から四方の山を見ると かなり高い位置に鎮座していることがわかります
下りの参道を上から見ると この石段参道がいかに急斜面であるかが一目瞭然です こちらから社殿を振り返り一礼をして 石段を下ります
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
三島明神と称していて 末社の高根祠はかつて山の上に在ったが 鯉名沖を往来する船が遥拝しないと必ず災いがあったので この里に遷座したと記されています
【意訳】
三島明神 青市村
上青市の土ノ神なり 応永7年の上梁の文に 蒲谷郷 青市村と誌るせり
末社の高根祠は 旧 遠木伝 山の上なり 鯉名沖の往来 船帆を下げ遥拝せざれば必ず災いを得 故に ここ社中に移すと云う
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=
『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承
式内社 竹麻神社 三座の創建について
三島大明神の本后「阿波咩命」は 神津島に鎮座しているが 三宅島に鎮座する後后の「伊古奈比咩命」が 先に叙位を受けたことに嫉妬 怒り狂い 神津島を噴火させたと『続日本後紀』承和七年九月に記述があり
伊豆国の報告を受け 大和朝廷は 伊豆半島から上対馬〈神津島〉を遥拝するように創建されたのが竹麻神社三座とされています
【意訳】
承和7年(840)9月23日(乙未)の条
伊豆国(役人が使いを遣わし)申上するには
『(伊豆国)賀茂郡に造作の島がある 本の名を「上津嶋」という この島に鎮座する「阿波神」 は「三嶋大社」の本后である また同様に鎮座する「物忌奈乃命」は 即ち前の社(三嶋大社)の御子神である 云々〈中略〉
「上津嶋」の島全体は 草木が繁茂し 東・南・北方は山や崖が険しく高く 人や船がはいることはできない ただわずかに島の西だけ(船が)停泊することができる浜があり(草木が)焼かれ(険しく高かった山崖が)崩された(からで)海に陸地をなす砂浜は およそ二千町ばかり 島の東北の角には新しく造られた神院がある(島の東北には)丘があり(その丘の)高さは五百丈ばかり 周囲は八百丈ほど 丘の形は鉢を伏せたかのようである 云々〈中略〉さる承和五年七月五日の夜に噴火し 上津嶋の左右の海中を焼く 炎は野火のごとく 十二の童子(分裂した炎)が互いに接してするどく光り 海に入って火をつけ 諸童子(炎)が海を席巻する姿は 地面のように広がり 陸地にいたって地上に進入する姿は水のよう(変幻自在)である
大きな石は 雲にまで達するがごとく持ちあがり 火は辺りを焼きくだく 炎は盛んで天にまで達し その形はおぼろげで定まらない ところどころに炎が飛びかう こうしている間にも十日がたち 灰の混じった雨は部内に降り覆ったそこで諸々の祝(はふり)刀祢(村の主な者)を召集し その祟りの原因を占って求めた
『「阿波神」は「三嶋大社」の本后であり 三嶋との間に五子をもうけた後后「伊古奈比咩命」には冠位(神階)を授けたのに 私 本后にはいまだに(神階が与えられる)兆しに預からない そこで私はことのほか怪異を示して冠位(神階)に預かろうと思う もし祢宜や祝等で この祟りについて申上しない者がいたならば 麁火(あらあらしい火)を起こして祢宜等を亡ぼすだろう 国司や郡司で(神階授与に)労を尽くさない者がいたならば, その国司郡司を亡ぼすだろう もし私が望むことを成就するならば 天下(全国)の国・郡は平安し 産業は栄え豊かになるであろう』と今年(承和七年(840))の七月十二日 遠めにかの島(上津嶋)を望むと
もやが四而(四面)を覆って 全く状態が窺えなかったが 漸して元の状態に近いほどに戻って 雲霧がはれ明るくひらけた 神作院・岳等の類がはっきりとそのすがたをみることができた これも我々の努力に神(阿波神)が感じるところであろう』と
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
竹麻神社 三座は 各々に座していて・本郷村高馬〈現 竹麻神社(下田市高馬)〉・本郷土濱〈現 本郷富士浅間神社(下田市)〉・柿崎村 武峯山の半腹〈現 三島神社〈柿崎神社〉(下田市柿崎)〈合祀 武峰神社〉〉と記しています
【意訳】
竹麻(ツクマ)神社 三座
和鈔 月間
志
一坐は 当郡 本郷村高馬に坐す 今は八幡と申す
一坐は 本郷土濱の一岩山の上に坐す 元禄6年の文に御年漏竹彦明神と この山 富士に似たり因て 又 富士山とよび遂に その具神し浅間とす
一坐は 柿崎村 武峯山の半腹に坐す 今 武峯権現とす古き棟札に伊豆国賀茂郡武山大権現 当初 役行者勧請 熊野山三所大権現
永正18年の札に 稲沢本郷 崩之山 爰(ここ)第1に社檀号 熊野権現云々 再興
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
竹麻神社 三座は 各々に座していて・本郷村高馬〈現 竹麻神社(下田市高馬)〉・本郷土濱〈現 本郷富士浅間神社(下田市)〉・柿崎村 武峯山の半腹〈現 三島神社〈柿崎神社〉(下田市柿崎)〈合祀 武峰神社〉〉と記しています
【意訳】
竹麻神社 三座
竹麻は 都久末と訓ずべし 和名鈔 郡名部 月間
〇祭神 詳らかならず
〇三座各々に在す
一座は 月間郷 本郷村 高馬に在す 今 八幡と称す
一座は 本郷土濱一岩山上に在す 今 浅間と称す
一座は 柿崎村 武峰山半腹に在す 今 武峰権現と称す 志神位 国内神名帳云 従4位上 月まの明神
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』①
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
古くは海湾であったところに鎮座したが この海口が ことごとく陸地と成り 人々が異動し 村里が分かれて 竹麻神社 三座も分祀されていった
式内社として有力なのは
一座は 手石村鎮座 月間明神〈現 月間神社(南伊豆町手石)〉
一座は 吉佐美村鎮座 三島明神〈現 八幡神社 合祀 三島神社(下田市吉佐美)〉
一座は 湊村鎮座 若宮八幡〈現 三島神社(南伊豆町青市)〉
と記しています
【意訳】
竹麻神社 三座
祭神
三島大神 称 月間明神(明細帳に手石 月間神社あり)
阿波咩命 称 三島神社
物忌奈命 称 若宮八幡祭日 9月17日 11月中酉日
社格 郷社 手石村 雑社 吉佐美村 湊村(郷社)
所在(賀茂郡 竹麻村 大字 手石)手石村 吉佐美村 湊村
今按〈今考えるに〉
式社攷證 湊村 月間の地鎮座 今は各所に分祀す
竹間は 和名抄に所載 賀茂郡 月間郷 神階帳に所謂 月間 同じ地の称なるが 湊 手石2村の北20許町 吉佐美 青市田牛王村の境界に接したる所に有りて 古くは海湾 この辺り迄至り 湾内甚だ広く船舶 輻輳(ふくそう)の所と聞こえたるを 後にこの海口ことごとく陸地と成り 人居を東南の岸に遷し 村里の区分起こりしより総鎮守とある竹麻神社三座を各所に遷祀ることと成りて今の如く髣髴(ホウフツ)しく成りたるなれば 社地の沿革とに留意せずば有可らずその一座 手石村鎮座 月間明神と称す 神階帳に所載 月間の明神これなり 豆志 未定の部に云 月間明神 手石湊青市 旧一村なり 今の三村の鎮守なり 湊村に月間の地名存す 古額に正一位 参島大明神と刻す 社伝に往古 神津島より遷座と伝へたるは既く 竹麻神社三座は 三島大神と阿波咩命 物忌奈命なるべく思想せるに符合ひ 当社は古額に参島大明神とみえ打任せて月間明神と云う称あるを思うに三座の第一の神にして三島大神なる事論ひ無し
その一座は 吉佐美村鎮座 三島明神と称す この村 月間の地に接して同郷中なりしが 村里の分かれたる時 遷祀たるなり 村称の吉佐美は后宮の省略にて 竹麻神社三座の内 第二座に当り給う后神を遷祀たるより起きた
呼称なること云うまでもあらず 旧記に豆州17番の御神云々と有るも 神階帳に所載 賀茂郡内地21座の内 月間明神と有を三座と数えるに この神 則17番目に当れるは彼在庁の奉幣の第17に当る神なりと云伝のありしを その儘記されたると聞こえて所縁あるを思うべし
第三座は 諸説あれど湊村にある若宮八幡と云 社ここにて若宮は 三島神の后神 阿波咩命の御子神とます 物忌奈命ならんい云るによ因りて
県の注進にも 月間明神
三島大神は 手石村三島神
后神 阿波咩命は 吉佐美村
若宮八幡 物忌奈命は 湊村と定めたるに従えり
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』①1 『特選神名牒』①2
『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承
式内社 竹麻(つくまの)神社 三座として有力なのは
一座は 手石村鎮座 月間神社〈現 月間神社(南伊豆町手石)〉
二座は 吉佐美村鎮座 三島神社〈現 八幡神社 合祀 三島神社(下田市吉佐美)〉
三座は 湊村鎮座 若宮神社〈現 三島神社(南伊豆町青市)〉
と記しています
【意訳】
竹麻(つくまの)神社 三座
月(つき)まの明神 神階帳
各所に分祀す
その一座は 同郡 手石(ていし)村鎮座 月間神社 これなり 式攷攷證注進特選その二座は 吉佐美(きさみ)村 三島神社なりとす 攷證注進特選
その三座は 湊(みなと)村 若宮神社なるべし 攷證の一説注進特選
今云う この三座を豆志に 本郷村八幡神社 同村一岩山 竹彦(たけひこ)神社 柿崎村 武峯(たけぶ)山神社に当らせて適はず 攷續攷等に弁明をるを見て知るべし
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』 萩原正平 著 出版年月日 明15.6 編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『伊豆国式社攷略』
三島神社(Mishima Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)