國中神社(四條畷市清滝中町)〈『延喜式』國中神社〉

國中神社(くになかじんじゃ)は 創建年代は不詳です しかし国中と云う名の如く この地域の中心として 鎮座地が創建より一度も移動した記録は無く四神相応の鎮座地であった事が明白であると伝わる 延喜式内社 河内國 讃良郡 國中神社(くなかの かみのやしろ)です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

國中神社(Kuninaka shrine

通称名(Common name)

別名大蛇宮と称していた

【鎮座地 (Location) 

大阪府四條畷市清滝中町4-48
(旧住所)河内国讃良郡甲可村大字中野字大上山九二三番地

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》常立命(くにとこたちのみこと)

境内若宮社から1850年頃に合祀
《配》菅原道(すがわらのみちざねこう)

〈1918年 逢阪村鎮座 大上宮神社より遷座〉
《合》天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)

〈大正六年二月(1918)逢阪村鎮座大上宮神社より遷座)〉
《合》猿田彦大神(さるたひこのおほかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

五穀豊饒・地鎮方除・導きの神・学問の神・諸願成就・延命息災・家内安全・交通安全に御神徳あり

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

式内 国中神社
鎮座地

大阪府四條畷市清滝中町四番四八号
(旧地名 河内国讃良郡甲可村大字中野字大上山九二三番地)

由緒・沿革

 当社の創建年代は不詳ですが、九二七年に選定された延喜式神名帳には河内国讃良郡鎮座と記載されており当地域の産土神として崇拝されてきました。

 国中と云う名の如く、この地域の中心として、鎮座地が創建より一度も移動した記録は無く四神相応の鎮座地であった事が明白であります。

 又 明治以前には、この地域の人達は口伝ですが別名 大蛇宮と称していたとの記述もあります。

 旧社殿は 一六七三年頃の建築でありましたが、一七七九年に修理した記録につづき一八三三年にも修理した記録があり、その後一九五四年に大改修の記録があります。

 尚、近年に至り 御社殿の荒廃が激しく二〇〇〇年十二月大改修すると共に神具庫・末社を再建し社務所については一九九四年三月焼失の為、一九九五年五月に再建し現在に至っています。

御祭神

 国常立命(くにとこたちのみこと)

 天照皇大神 猿田彦大神(一九一八年 逢阪村鎮座 大上宮神社より遷座)

 菅原道真公(境内若宮社から一八五〇年頃に合祀)

境内末社

 三神社 御祭神 天照皇大神・八幡大神・春日大神
 両宮社 御祭神 天照皇大神 豊受大神
 吉備社 御祭神 吉備大神(清滝村より一八七二年遷座)
 祇園社 御祭神 素戔嗚尊(中野村より一八七二年遷座)
 稲荷社 御祭神 倉稲大神(中野村より一八七二年遷座)

御神徳

 五穀豊饒・地鎮方除・導きの神・学問の神・諸願成就・延命息災・家内安全・交通安全に御神徳あり。

境内地

 一一、二二八平米(三、四〇二坪余)

年間行事

 一月 一日 歳旦祭
 一月十五日 焼納祭
 二月 三日 節分祭
 六月三十日 大祓式
 七月二十五日 夏祭り
 十月 十七日 秋祭り(十六日は宵宮)
 十一月十五日 七五三
 十二月三十一日 除夜祭・大祓式
※毎月一日・十五日は月次祭

氏地(現在の地名)

 大字逢阪・大字大滝・清滝団地・清滝新町・清滝中町・大字中野・中野・中野本町・中野新町・美田町・大字蔀屋・蔀屋本町・蔀屋新町

現地案内板より

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【由  (History)】

由緒

 この神社は延喜式神明帳にのっている式内社で大へん古い神社ですが、創建年代の詳細は不明です。
 寛永年間に天神信仰から道真公を合祀し、大正5年11月に逢坂村の太上神社を合祀し現在に至っています。
 この神社の本殿は建築史上大変貴重な建物で、江戸時代中期に建造されたものです。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

由緒

 当神社の創建時の記録は現存しておりませんが醍醐天皇の御代延長五年(九二七年)に選定された延喜式神明帳には河内国讃良郡鎮座と記載されており古くから当地域の産土神として崇拝されてきました。

 国中と云う名の如くこの地域の中心として所謂る四神相応の御鎮座地として最適な処であった事が今日でも明白であります。

 東に生駒山・飯盛山の麓より流れくる清滝川に沿い西に大阪平野を見晴らかし南に浪速の港より奈良の都へ通じる清滝街道に接し北には清滝古墳群の丘陵地に囲まれた景勝地でもあり創建時より御鎮座地が一度も移動した記述はありません。

 尚 当神社は明治以前にこの地域の人達は口伝ですが別名 大蛇宮と称していたとの記述がありますが何故大蛇宮なのか確定的な資料は見当たりません。

 又旧社殿の建築年代についても詳細は判明しませんが建築様式上から推定すると延宝(一六七三年)頃の建築であると推定されていますが安永八年(一七七九年)江戸幕府による社殿改修許可を得て改修された記録に続き天保三年(一八三三年)にも改修した記録がありますがその後については昭和二十九年一月(一九五四年)本殿の屋根・神具庫の修理に続き昭和四十年(一九六五年)拝殿の改築・本殿の修理の記録があります。

 又社務所については平成六年三月(一九九 四年)焼失につき平成七年五月(一九九五年)に再建され社殿・神具庫については近年に至り荒廃が進み維持管理がむづかしくなり氏子崇敬者の皆様のご協賛を得て平成十二年十二月(二〇〇〇年)社殿・末社(小宮さん)・神具庫を大改築すると共に玉垣建立境内の整備も併せて実施し今に至っております。

2012 大阪神社庁第三支部HPより抜粋
https://osakadai3shibu.kilo.jp/jinja/sijounawate/jinja/kuninaka.html

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・〈本殿向かって左 境内社〉5社合殿

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〈境内社〉両宮社《主》天照皇大神 豊受大神
〈境内社〉三神社《主》天照皇大神・八幡大神・春日大神
〈境内社〉稲荷社《主》倉稲大神(中野村より1872年遷座)
〈境内社〉八坂《主》素戔嗚尊(中野村より1872年遷座)
〈境内社〉吉備社《主》吉備大神(清滝村より1872二年遷座)

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)河内國 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)讃良郡 6座(大1座・小5座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 國中神社
[ふ り が な ](くなかの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kunaka no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

「國中神社(くになかの かみのやしろ)」と『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の式内社と論社について

延喜式内社 山城國 乙訓郡 國中神社(くになかの かみのやしろ)

・綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)

延喜式内社 河内國 讃良郡 國中神社(くなかの かみのやしろ)

・國中神社(四條畷市清滝中町)

延喜式内社 越前國 今立郡 國中神社二座(くになかの かみのやしろ ふたくら)

・国中神社(越前市国中町)

・國中神社(越前市中津山町)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR学研都市線 忍ケ丘駅から東南方向へ約1.7km 車での所要時間は5~6分程度

神社の東南方向へ240m程の所 R163号の楠公里の交差点に「国中神社」の案内板が設置されています

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駐車場は社頭にありますが

境内の西方向へ参道が伸びています
西へ100m程の所に一の鳥居が建てられています

國中神社(四條畷市清滝中町)に参着

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社殿は南方向を向いて建てられています

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社殿の隣には「清滝地車倉庫」があります

拝殿にすすみます

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拝殿の正面には 南側へと下りていく参道石段が設けられています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿は 拝殿 幣殿 本殿が一体となっています

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社殿の向かって右横には5社合殿〈境内社〉両宮社三神社稲荷社・八坂吉備社が祀られています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 國中神社について 所在は゛中野村に在す、今天神と稱す、゛〈現 國中神社(四條畷市清滝中町)〉と記しています

【抜粋意訳】

國中神社

國中は久爾奈可と訓べし

○祭神詳ならず

○中野村に在す、今天神と稱す、〔河内志、同名所圖會〕

類社
 山城國乙訓郡 國中神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 國中神社について 所在は゛ 中野村にあり、゛〈現 國中神社(四條畷市清滝中町)〉と記しています

【抜粋意訳】

國中(クニナカノ)神社、

 中野村にあり、〔河内志、河内國圖、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 國中神社について 所在は゛中野村字大山上(北中河内郡甲可村大字中野)゛〈現 國中神社(四條畷市清滝中町)〉と記しています

【抜粋意訳】

國中神社

祭神

祭日 九月十二日

社格 村社

所在 中野村字大山上(北中河内郡甲可村大字中野)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

國中神社(四條畷市清滝中町) (hai)」(90度のお辞儀)

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河内国 式内社 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)について に戻る

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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