久延彦神社(くえひこじんじゃ)は 大神神社の境外末社です 御祭神 久延毘古命は 『古事記』に「世の中の事をことごとく知っている智恵の神様〈山田の案山子〉」と記されています 受験合格・学業向上の霊験あらたか 十二月第一日曜は 入試安全祈願祭があります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
久延彦神社(Kuehiko shrine)
[通称名(Common name)]
くえひこさん
【鎮座地 (Location) 】
奈良県桜井市三輪字若宮山
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》久延毘古命(くえびこのみこと)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・受験合格・学業向上の霊験あらたか
【格 式 (Rules of dignity) 】
・大和国一之宮 大神神社 境外末社
【創 建 (Beginning of history)】
『大神神社史〈1975年 大神神社社務所発行〉』によれば 〈久延彦神社(くえひこじんじゃ)は〉神代よりこの地に祀られると伝わります
学業の守護神・知恵の大神
大神神社 末社 久延彦神社(くえひこじんじゃ)
御祭神 久延毘古命(くえびこのみこと)
御例祭 九月一日
入試安全祈願祭 十二月第一日曜(御由緒)
御祭神の久延毘古命は『古事記』に、どこへも足を運ばなくても世の中の事を全て知っている神様で、知恵がたいそう優れておられると記されています。
それゆえに知恵・学問の神様として信仰を集め、学力向上・各種試験の合格をお守りくださり、今日では就職成就はもとより仕事面においても知識・智力の向上・発展に大きな御力を授けてくださります。
現地立札より
【由 緒 (History)】
御由緒(ごゆいしょ)
くすりの神(かみ)、少彦名神様(すくなひこなのかみさま)が 初めて世に御現(あらわ)れになった時、大物主神様(おおものぬしのかみさま)に少彦名神様は 国造(くにづく)りの 無二の協力者であらせられることを教え知らされたのがこの神様です。
知恵(ちえ)が大そう優(すぐ)れていて、居ながらにして天下の事をくまなく知っておられた神様です。
古くは鳴宮(なるみや)とも呼ばれていましたが、入学、進学、就職、安全守護、知恵の神様として 昔から深い信仰を集めておられます。
江戸時代の大学者であり、大思想家であった平田篤胤(ひらたあつたね)先生も大いに 久延彦(くえびこ)さん を信仰しておられた人であります。
特に国史の研究中難解の処にぶつかると夜中の一時頃 静かに 久延彦(くえびこ)さん を祈り 虚空から、その神様のお声を聞いて、学問を進めて行ったと伝えられています。お祭日
五月五日・・・春の大祭
九月一日・・・例 祭
十二月第一日曜日・・・入試合格安全祈願祭拝殿の貼紙より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・神山遥拝所(三輪山遥拝所)
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
久延彦神社(桜井市三輪)は 大和国一之宮の大神神社の境外末社になります
・大神神社(桜井市三輪)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『大神神社史〈1975年 大神神社社務所発行〉』によれば 〈久延彦神社(くえひこじんじゃ)は〉神代よりこの地に祀られると伝わります
大和国 一之宮 大神神社 の 摂社 末社について
大神神社(桜井市三輪)の・境内社・境外社 の記事を見る
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
三輪山の神は 蛇体の神 とする概念
三輪山の神は 『日本書紀』神代記の一書によれば 大国主神の前にあらわれた神が「我は 大己貴神(おほなむちのかみ)の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)である 日本國(やまとのくに)の三諸山(みもろやま)に祀れ」と伝えたと記しています
又 三輪山の神は 人の姿にもなるが 蛇体であるとする概念があります
『古事記』崇神天皇の段には
「その容姿は〈とても美しい〉極正であった活玉依毘売(いくたまよりびめ)には ここに壮夫(おとこ)があって その形姿(かたち)威儀(いぎ)は 時に比べる者も無い程素晴らしい 夜半になると儵忽(たちまち)に到り来るのです ・・・その男を知りたいと思って
赤土(はに)を 床の前にまき散らし 糸巻きに巻いた長い麻糸を針に通して その着物〈男の着物〉の裾(すそ)に刺せ」と教えた
娘は教えた通りにして 旦時〈夜明け〉に見ると 針をつけた麻は 戸の鍵穴を貫け通り 残っていた麻糸はたった三勾(みわ)〈三輪〉だけでした
それで 鍵穴から〈男が〉出て行ったことを知って 糸をたよりにたどっていくと 美和山に至って神の社に留まりました
それで その神の子と知ったのです」とあります
『日本書紀』崇神天皇の段には
「倭迹々日百襲姫命(やまとととひもそひめのみこと)は 大物主神(おほものぬしのかみ)の妻となった しかし その神は 常に昼は見えず 夜しか現れません」そして この神の正体が蛇体であるのを見て驚き 箸を陰部に刺して亡くなられた 箸墓神話が記されています
このように 大物主神は 蛇体神であるともされます
御祭神 久延毘古命(くえびこのみこと)について
『古事記』には「久延毘古(くえびこ)〈案山子〉というのは 今 山田の曽富騰(そほど)〈山田の案山子〉といいます この神は 足では歩あるきませんが 天下のことをことごとく知っている神です」とあります
この 山田の曽富騰(そほど)〈山田の案山子〉の”カカシ”は “カガシ”の転訛だとする説〈民俗学者の吉野裕子氏 日本の古語ではヘビのことを”カガチ””ハハ”あるいは”カ(ハ)”等と呼んだ〉があります
これによれば ・鏡(ヘビの目)・鏡餅(とぐろを巻いたヘビの身の餅)・ウワバミ(大蛇)・かかし(カガシ)・カガチ(ホオズキの別名 三角形に近い実の形状からヘビの体や頭部を連想)などがあり ・神(カ「蛇」ミ「身」)もヘビを元にするとしています
実際に 大物主神は勿論 出雲の神々は 龍蛇神とされることが多くあります
『古事記』に 久延毘古命が 知っていたとされる
「小名毘古那神(すくなひこなのかみ)と久延毘古(くえびこ)の段」では
「大国主神(おおくにぬしのかみ)が 出雲の御大御埼(みほのみさき)においでになつた時に 波立つ上に 天羅摩船(あまのかがみのふね)〈ガガイモの船 or 蛇蛇の船〉に乗って 鵝(ひむし)の皮を剥いで作った衣を着て 寄り帰り来る神がいました」
小名毘古那神が乗られていた「天羅摩船(あまのかがみのふね)」とは 天の龍蛇船であって 通説にある ガガイモの船は間違っているように想えます
参考 ヒンドゥー教のナーガ(Nāga)〈蛇神〉
久延毘古命(くえびこのみこと)(智恵の大神・学業の守護神)
久延毘古命は智恵が大そう優れておられ「足は行(ある)かねど 天下のことを尽(ことごと)に知れる」神様といわれており、何処(いずこ)にも足を運ばないけれども、居ながらにして世の中のことを全て知っておられる神様です。
知識が比類なく豊かなことより智恵の神様として学力向上・各種受験の合格・資格取得・技能向上・進学や就職などの成就を お守りくださる神様です。
また、仕事面においては業務推進の上で得難い暗示や示唆を授けて下さり、知識・智力の活性化をはかって下さる神様です。拝殿内案内より
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
大神神社 二の鳥居から 北へ約230m 徒歩5分程度
知恵の神様 久延彦神社 の社号があり 注連縄柱と参道が丘へと続いています
久延彦神社(桜井市三輪)〈大神神社 末社〉に参着
大神神社 狭井神社にお詣りした後は 裏参道からも通じています
途中 ・大美和の杜・展望台 では 見上げると三輪山があり
眼下には 広がる大和盆地を見渡し 三輪の大鳥居 大和三山 二上山などが一望できます
案内のままに 細い道をそのまま進みます
拝殿の横にすすみ出ます
拝殿内の扁額には「久延彦社」と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 表参道を戻ります
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承
久延毘古命は 世の中の事をことごとく知っている神様と記されています
【抜粋意訳】
小名毘古那神(すくなひこなのかみ)と久延毘古(くえびこ)の段
そこで 大国主神(おおくにぬしのかみ)が 出雲の御大御埼(みほのみさき)においでになつた時に 波立つ上に 天羅摩船(あまのかがみのふね)〈ガガイモの船 or 蛇蛇の船〉に乗って 鵝(ひむし)の皮を剥いで作った衣を着て 寄り帰り来る神がいました
その名を聞きましたけれども答えません
また 御従者の神たちに お尋ねになられましたが 皆知りませんでした
ところが 多邇具久(たにぐく)〈ヒキガエル〉が言うには「これは 久延毘古(くえびこ)〈案山子〉がきっと知つているでしよう」と申しましたその久延毘古(くえびこ)〈案山子〉を呼んでお尋ねになると「これは神産巣日神(かみむすひのかみ)の御子(みこ)小名毘古那神(すくなひこなのかみ)です」と申しました
依って 神産巣日神(かみむすひのかみ)に申し上げたところ「正〈まさ〉に わたしの子だ 子どもの中でも わたしの手の股またからこぼれて落ちた御子だ あなたは 葦原色許男命(あしはらしこおのみこと)と兄弟となってこの國を作り堅めなさい」と仰せられました
それで それから 大穴牟遅(おほなむち)と小名毘古那(すくなひこな)の二柱の神は 並んでこの国を作り堅めました
その後 その 小名毘古那神(すくなひこなのかみ)は 常世国(とこよのくに)へと渡られました
この 小名毘古那神(すくなひこなのかみ)のことを申し上げた 久延毘古(くえびこ)〈案山子〉というのは 今 山田の曽富騰(そほど)〈山田の案山子〉といいます この神は 足では歩あるきませんが 天下のことをことごとく知っている神です
【原文参照】
『大三輪神三社鎮座次第(Ohomiwanokami sansha chinza sidai)〈 嘉禄2年(1226年)成立〉』〈群書類従 神祇部巻18〉に記される伝承
神社名の曽富止(そほど)とは 「山田のそほど」久延毘古命(くえびこのみこと)の事です
【抜粋意訳】
曽富止神社
久延彦命 立社奉斎年号 未考
【原文参照】
『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承
『古事記』には「久延毘古(くえびこ)〈案山子〉というのは 今 山田の曽富騰(そほど)〈山田の案山子〉といいます」とあり 神社名の曾富止(そほど)とは「山田のそほど」久延毘古命(くえびこのみこと)の事と記しています
【抜粋意訳】
曾富止(そほど)神社
異本鎮座次第 別宮小社之章に「曾富止神社は 久延彦命 立社奉斎年月 未考」とあれども その在所を記せず。
越氏三輪社記に「鳴宮久延彦(なるみやくえひこ)」と見ゆれば、中世 鳴宮と称せらる。鳴宮の事 記録に所見なし。同氏 享保記録に「御鈴宮 表行 三尺二寸 奥行 五尺四寸 屋根板」とあり、鈴は鳴を主となす。鳴宮、御鈴宮、義に於いて異なるなし、疑らくは同所なるべし。
註 神社明細帳に、境外末社 久延彦社、祭神 久延毘古命(くえびこのみこと)とあり。
【原文参照】
久延彦神社(桜井市三輪)〈大神神社 末社〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)