木積神社(与謝野町字弓木小字石田宮ヶ谷)〈『延喜式』阿知江神社・木積神社〉

木積神社(きづみじんじゃ)は 江戸時代には山王大神 又 大和國三輪より勧請した三輪大神とも云われていました 罹災等により建築物 社記 古文書等を消失しましたが 2つの式内社〈①丹後國 與謝郡 阿知江神社(あちえの かみのやしろ)②丹後國 與謝郡 木積神社こづみの かみのやしろ)〉の論社となっています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

木積神社(Kizumi shrine

通称名(Common name)

・山王さん(さんのうさん)
木積山王宮(こづみさんのうぐう)

【鎮座地 (Location) 

京都府与謝野町字弓木小字石田宮ヶ谷408
〈旧住所 与謝郡岩滝町弓ノ木408〉

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》五十猛神(いたけるのかみ)

《配》大物主神(おほものぬしのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

樹木、木材家屋、医薬治療、延命息災、国土経営、家運隆昌の祖神

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

延喜式内社 木積(こづみ)神社(旧郷社)

鎮座地与謝郡岩滝町字弓木小字石田宮ケ谷
 五十猛神(いたけるのかみ)(天照大神の弟、素盞鳴尊の子)
     大物主神(おおものぬしのかみ)(素盞鳴尊の子、大国主神の別名)

由緒、沿革
 当神社は「木積山王宮」とも云われる。創立は平安時代 醍醐天皇の御代、延喜(九〇二年)の勅により全国各地における崇敬篤き神社を選び延喜式内社神名帳が作られ当神社はその中で官幣小社として載せられており、よってその創立はそれ以前と考えられる。しかしその後の罹災等により建築物社記、古文書等を消失したため、その沿革等を詳しく知ることはできないが、現存する古文書丹後国式内社取調書』『山王宮社再建寄進帳によると、天明年丙午(一七八六年)に再建され、その後昭和十五年社殿改築がなされ現在の神域となっている。

 また「三輪神社・祭神大物主神」については、創立年代は不詳なれど、慶応月の記録に山王大神・祭神大物主神とあり、明治一七日「三輪神社・祭神大物主神」と改号され「木積神社」に配祀されている。

 「木積神社」「三輪神社」共に、樹木、木材家屋、医薬治療、延命息災、国土経営、家運隆昌の祖神として、古くから氏子はもとより、歴代藩主を始め広く世人に崇敬されている。

社宝
 中務郷有栖川宮殿下御筆「木積山王大神」の神号
 狛犬(石造)二体
 石灯籠二基
 宝筐印塔二基

例祭
 四月三〇 神幸祭
 五月一日  還幸祭
 神事として「神楽」「太刀振り」「ささばやし」を奉納する。

平成十三月吉日 弓木区 石田区

現地案内板より

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【由  (History)】

『与謝郡誌』上,大正12年に記される内容

丹哥府志』には 延喜式内 阿知江神社を當社〈現 木積神社(与謝野町弓木)〉に比定 式内 木積神社を中郡五十河村字久住〈現 木積神社(京丹後市大宮町久住)〉との説を挙げ

【抜粋意訳】

六 木積神社

 岩瀧町字弓木小字石田宮ヶ谷鎭座、指定村社、
祭神 五十猛命、大物主命、由緒不詳、

丹哥府志には延喜式内 阿知江神社を當社に比定し 式内 木積神社を中郡五十河村字久住に揭ぐ。為し當社もと山王権現と云ひ 大和國三輪より勧請し三輪神社ともいふ。
宮津藩寺社名前御取調帳に弓木村美和社 島谷佐渡の條見ゆ 式内 木積神社を久住に比定するは丹後舊事記、丹後一覧集、丹後細見録 皆然り、
此のほか丹後國式内證實考には「明石村、岩ケ鼻村中郡久住村同郡主基村ナトノ説區々ナレ共 何レノ村モ 何ノ由證モ見富ラス云々」とあり是非 未だ斷ずべからず。

社殿、拜殿、舞殿、神與藏、社務所等はり、境内末社稲荷、狹田彦、速玉諸社あり 氏子二百三十戸 明治六年二月村社に列せられ 大正九年二月三日 神饌幣帛料供進指定、祭典五月ー日。

 小字宮ク谷 愛宕護神社、弓木小字野田に水無月神社、同城山に稻荷神社あり無格社なり。

【原文参照】

京都府与謝郡 編『与謝郡誌』上,京都府与謝郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978724

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・〈境内社〉3社合殿〔・稲荷神社・速玉神社・恵比須神社〕
・〈御神木〉親子杉
・〈境内社〉猿田毘古大神(石碑)

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

木積神社(与謝野町字弓木小字石田宮ヶ谷は 2つの式内社の論社となっています

①丹後國 與謝郡 阿知江神社
②丹後國 與謝郡 木積神社

①丹後國 與謝郡 阿知江神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹後國 65座(大7座・小58座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)與謝郡 20座(大3座・小17座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 阿知江神社
[ふ り が な ](あちえの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Achie no kaminoyashiro

②丹後國 與謝郡 木積神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹後國 65座(大7座・小58座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)與謝郡 20座(大3座・小17座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 木積神社
[ふ り が な ]こづみの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kozumi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

木積神社(与謝野町字弓木小字石田宮ヶ谷は 2つの式内社の論社となっています

①丹後國 與謝郡 阿知江神社
②丹後國 與謝郡 木積神社

延喜式内社 丹後國 與謝郡 阿知江神社(あちえの かみのやしろ)の論社

・大虫神社(与謝野町温江)
〈阿知江神社の合祀先〉

・木積神社(与謝野町字弓木小字石田宮ヶ谷)

・加悦天満宮(与謝野町加悦)

延喜式内社 丹後國 與謝郡 木積神社(こつみの かみのやしろ)の論社

・木積神社(与謝野町字弓木小字石田宮ヶ谷)

〈旧鎮座地〉旧 延喜式内 木積神社跡(木積山の山麓)
・木積神社(京丹後市大宮町久住)

・山王宮日吉神社(宮津市宮町)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

京都丹後鉄道宮豊線 与謝野駅から府道2号経由で 北方向へ約2.7km 車での所要時間は6~7分程度

石田地区の旧道沿い 石田公民館辺りに 社号標「式内 木積神社」が立っていて 参道の入口があります

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社頭は東南方向を向いています

木積神社(与謝野町字弓木小字石田宮ヶ谷に参着

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鳥居の扁額には「木積大神・三輪大神」と主祭神と配祀神の2柱神が浮彫で刻まれています
一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて 境内参道を進みます

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境内参道は 太鼓橋〈石橋〉を渡り ゆるやかな石段を上がって行くと 右手に手水舎があり 清めてから さらに石段を上がります

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一段高い壇に建てられている

拝殿にすすみます

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拝殿の向かって右手には

・〈境内社〉3社合殿〔・稲荷神社・速玉神社・恵比須神社〕

・〈御神木〉親子杉

・〈境内社〉猿田毘古大神(石碑)

があります

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 阿知江神社について 所在は゛温江村に在す゛〈現 大虫神社(与謝野町温江)〈阿知江神社の合祀先〉〉と記しています

【抜粋意訳】

阿知江神社

阿知江は假字也、和名鈔、〔郷名部〕謁叡、

〇祭神詳ならず

〇温江村に在す〔舊事記〕

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

式内社 木積神社について 祭神は良くわかっていない 所在は゛皇住村に在す゛〈現 木積神社(京丹後市大宮町久住)〉と記されています

【抜粋意訳】

木積神社

木積は 古都美と訓べし

〇祭神詳ならず

〇皇住村に在す〔舊事記〕

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 阿知江神社について 所在は゛今 温江郷温江村字湯谷に在り、゛〈現 大虫神社(与謝野町温江)〈阿知江神社の合祀先〉〉と記しています

【抜粋意訳】

阿知江(アチエノ)神社

今 温江郷温江村字湯谷に在り、〔神社覈録、宮津藩神社調書、豐岡縣神社取調帳

式内社 木積神社について 祭神・所在は記されず 社号のみが記されています

【抜粋意訳】

木積(キツミノ)神社

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 阿知江神社について 所在は゛温江村〔字温ノ谷〕゛〈現 大虫神社(与謝野町温江)〈阿知江神社の合祀先〉〉と記しています

【抜粋意訳】

阿知江(アチエノ)神社

祭神
祭日 九月二十八日
社格 村社

所在 温江村〔字温ノ谷〕

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 木積神社について 所在は゛(中郡五箇村大字久住)゛〈現 木積神社(京丹後市大宮町久住)〉と記されています

さらに
弓木村゛〈現 木積神社(与謝野町字弓木小字石田宮ヶ谷)〉
府中男山村
岩ケ鼻村゛〈現 山王宮日吉神社(宮津市宮町)〉
石田村 山王社と云は誤なるべし
と諸説あり一定しないと 記しています

【抜粋意訳】

木積(コヅミノ)神社

祭神 五十猛

祭日 九月十
社格 村社

所在 (中郡五箇村大字久住)

 今按 豐岡縣取調記に弓木村とし 神社覈録 府中男山村とみえ
 道志流倍に岩ケ鼻村とし 石田村 山王社と云は誤なるべしと云ひて 諸説一定せず

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

木積神社(与謝野町字弓木小字石田宮ヶ谷 (hai)」(90度のお辞儀)

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