氣比神社(けひじんじゃ)は 里人の伝承には越前國一宮 氣比神宮(敦賀市)の奥宮であると云う 又 伊多伎夜谷(いたきやだに)に鎮座していたと伝わる 延喜式内社 越前國 敦賀郡 伊多伎夜神社(いたきやのかみのやしろ)の論社 山神神社を合祀しており 式内論社にもなっています

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
氣比神社(Kehi shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
福井県敦賀市刀根21-8
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)〈氣比神社〉
神宮皇后(じんぐうこうごう)〈氣比神社〉
日本武尊(やまとたけるのみこと)〈氣比神社〉
《合》大山衹命(おほやまつみのみこと)〈合祀 式内論社 山神神社〉
素佐之男尊(すさのをのみこと)〈合祀 八坂神社〉

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・〈氣比神社に合祀された 山神神社(伊多伎夜谷)が論社〉
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・〈里人の伝承〉越前國一宮 気比神宮の奥宮であると云う
【創 建 (Beginning of history)】
『越前国名蹟考』首巻,巻之2 明治35年(1902)に記される内容
現在 氣比神社に合祀されている 山神神社の事であるとされています
【抜粋意訳】
刀禰村
○伊多伎夜神社 式內
刀禰村持山中有 謂ニ 伊多喜谷 或 上世在ニ 此山中歟〔敷賀神社考〕
【原文参照】

井上翼章 編 ほか『越前国名蹟考』首巻,巻之2,中村興文堂[ほか],明35-36. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/764504
【由 緒 (History)】
『式内社調査報告第十五巻』昭和59年に記される内容
【抜粋】
越前國 敦賀郡 伊多伎夜(イタキヤ)神社
【社名・所在】
一字一音の萬葉假名による社名であり、武田本の訓の通り「イタキヤ」と訓む。
その所在については、岡野吉孝撰『越前國官社考』(安政五年)に次の如く述べてゐる。
刀禰村の内、伊多伎夜谷と云處あり。全く其處に在(マシマ)ししが いつしか廢絶して今 御社はなけれども、村説にいにしへ當社の地也と云傳ふ。〔此村は今 追分より江戸路東近江 柳ヶ瀬(やなせ)へ越す間道也。此村の東に坂あり、刀禰坂といふ。さて又、上古は今の板取より中河内・椿坂と出で、夫より西へ池河内村へ出で、杉箸・刀禰・麻生口・曾々木と過ぎ、疋田へ出しなり。今の如く椿坂より柳ヶ瀬へ通る街道は、はるか後 柴田勝家の開かれたる也とあり。然れば、此刀禰村は古への間道なれば今の様に非ず、殊に繁華なり。〕
今 當村氏神と祭るは氣比太神宮(今、気比神社といふ)、境内に山神社(今、山神神社)・牛頭天王社(今、八坂神社)あり。按るに當社に所祭は大山祇(オホヤマヅミノ)命ならん乎。この山ノ神社といふは全く伊多伎夜谷に祭りし御社を、今 山神社と稱し奉るならんと思ふ。以後の『神社覈錄』『大日本史』『特選神名牒』等はすべてこの説を受け繼いでゐる。
この「伊多伎夜谷」の所在地 敦賀市刀根について述べると、國鐵北陸線敦賀驛から國道八號線を米原に向つて行き、疋田(ひきた)を經て麻生(あそ)口で縣道刀根線に入り山間(やまあひ)の道を柳ケ瀬トンネルに向つて行くと刀根の集落に着く。敦賀驛から約一一キロメートルの所である。刀根は五一戸の東西に長い集落であるが、その東のはづれに『越前國官社考』にいふ「伊多伎夜谷」がある。集落の南東に朝影山(あさかげやま)(五一五・七メートル)があり、その集落に近い尾根と尾根との間に南に向かふ大きな谷である。その谷の前を東から西に向つて刀根川が流れ、その流れに沿って縣道が走つてゐる。その縣道より一〇メートル程高い所を北陸自動車道が東西に走つてゐて、ちゃうどそこに刀根パーキング・エリアがある。即ち、刀根パーキング・エリアから北を望むと、そこに見える一番集落よりの谷が「伊多伎夜谷」である。
土地の人は今その谷を「板木谷(いたぎだに)」と言つてゐるが、草木が生い茂り、「まむし谷」とも言って、恐れてその谷に入る者はゐないといふことである。但し、古老の話では、昔は炭焼きをするために入ったといふことである。「昔神社があつたらしいやうな跡はないか。」との質問に對しては、「そのやうな跡はないが、社が建てられる位の廣さの平らな所は三筒所程はある。」とのことであつた。右に述べたやうに、今「板木谷(いたぎだに)」と言つてゐて、『官社考』にいふやうに「伊多伎夜谷(いたきやだに)」とは言つてゐない。幕末の頃に本當に「伊多伎夜谷」と言つてゐたかどうかはわからないが、古老は古くは「伊多伎夜谷」と言つてゐたと信じてゐるやうである。「伊多伎夜」といふ語の意味はわからないが、「夜(ヤ)」はあるいは「谷(たに)」の古語の「谷(や)」であるかも知れない。
次に、『越前國官社考』が刀根の氏神として氣比神社があることを述べ、その境内社に山神神社があることを以て、
「この山ノ神社といふは全く伊多伎夜谷に祭りし御社を、今 山神社と稱し奉るならんと思ふ。」と述べてゐるのは、十分可能性のある見解であると思はれる。
この氣比神社といふのは、刀根の集落の最も西に位置し、集落の入口にあるそれほど大きくはないが風格ある神社であるが、土地の人は敦賀の気比神宮の奥宮であると言つてゐる。境内社として この山神神社と八坂神社が祭られてゐる。「板木谷」のある同じ山の裾つづきの麓に鎭座してゐることを考へると、祭祀に便利なこの地に後世 遷されたことも考へられる。しかし確かなことは何もわからず、「伊多伎夜神社」そのものは廢亡したとしか言ひやうがない。なほ、『大日本史』に、「舊在ニ 刀禰村伊多伎夜谷、後移ニ 丹生郡鳥井村、曰ニ 春日明神。」と述べ、『神祇志料』は従つてゐるが、『特選神名牒』に、「福井藩神社取調帳に今 丹生郡鳥居村春日明神なりとあれど信がたし」といふやうに、後世の附會の説であると思はれる。
(粕谷興紀)
【原文】

『式内社調査報告第十五巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・〈社殿向かって右横 境内社〉常宮社・天照皇大神宮
・〈社殿向かって左横 境内社〉愛宕神社
・〈社殿向かって左前 境内社〉金比羅神社
・〈社殿向かって左奥 境内社〉稲荷神社
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・氣比神社(敦賀市刀根)については 里人の伝承には「越前國一宮 気比神宮の奥宮」であると伝わっています
・氣比神宮(敦賀市)越前国一之宮ついては 下記の記事を参照
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
氣比神社に合祀された 山神神社(伊多伎夜谷)が論社です
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)敦賀郡 43座(大7座・小36座)[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ]伊多伎夜神社
[ふ り が な ](いたきやのかみのやしろ)
[Old Shrine name](Itakiya no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
越前國 敦賀郡 伊多伎夜神社(いたきやの かみのやしろ)の論社
・氣比神社(敦賀市刀根)
〈(式内社 伊多伎夜谷)氣比神社に合祀 山神神社〉
・春日神社(鯖江市鳥井町)
〈式内社 伊多伎夜神社の後裔とする説あり〉
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR敦賀駅と余呉駅の中間辺り どちらからも車で12~15分程度
当日は 滋賀県側から敦賀に向けて R365号から県道140号へと移ります

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県道140号の右手には 県道より10メートル程高い所を北陸自動車道が走つています

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トンネル内が 一方通行となっている 柳ヶ瀬隧道を抜ければ 福井県に入ります

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柳ヶ瀬隧道を抜けて さらに県道140号を敦賀に向けて進みます

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ちょうど北陸自動車道の刀根PAの北側辺りに「刀根区 愛発(あらち)」の地区案内板があります
この看板の後ろの谷が 式内社 伊多伎夜神社(いたきやの かみのやしろ)があつたとされる「伊多伎夜谷(いたきやだに)」だと伝わっています

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ここから さらに県道140号を西へ500~600メートル程の所に氣比神社があります

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氣比神社(敦賀市刀根)に参着

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里の古老の説には 氣比神社は 鶴賀に鎮座する氣比神宮の奥宮であるとの伝承があるそうです
両部鳥居の氣比神宮と形式は違いますが 同じ朱色の鳥居が建っています
一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて 境内へ進みます

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鳥居をくぐり抜けるとすぐに拝殿があります

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拝殿の手前 手水舎で清めて 本殿へと向かいます

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拝所は本殿に設けられています
拝所にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 伊多伎夜神社について 現在は廃絶していると記し 所在は゛舊地は刀禰村伊多伎谷といふ、其 土地なりと云傳ふ、゛と記しています
【抜粋意訳】
伊多伎夜神社
伊多伎夜は假字也
○祭神詳ならず
○今 廃亡す、舊地は刀禰村伊多伎谷といふ、其 土地なりと云傳ふ、〔官社考〕
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 伊多伎夜神社について 所在は゛今丹生郡 鳥井村にあり、〔○按 神社覈録、舊地は刀禰村伊多伎谷にあり、〕春日明神といふ、゛〈現 春日神社(鯖江市鳥井町)〉と記しています
【抜粋意訳】
伊多伎夜(イタキヤノ)神社、
今丹生郡 鳥井村にあり、〔○按 神社覈録、舊地は刀禰村伊多伎谷にあり、〕春日明神といふ、
凡 其祭六月十七日 九月十八日を用ふ、〔福井縣神社取調帳、神社明細帳〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 伊多伎夜神社について 現在は廃絶していると記し 所在は゛舊地は刀禰村伊多伎谷といふ、其 土地なりと云傳ふ、゛と記し ゛丹生郡烏居村春日明神なりとあれば信がたし゛〈現 春日神社(鯖江市鳥井町)との説もあるが信じられない〉と記しています
【抜粋意訳】
伊多伎夜神社
祭神
祭日
社格所在 廃亡
今按 越前官社考に 今 廃亡す 舊地は刀彌村伊多伎夜谷と云 其土地なりと云傳ふと云れば廃亡右せしなるべし 福井藩神社取調帳に今 丹生郡烏居村春日明神なりとあれば信がたし
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
氣比神社(敦賀市刀根)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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