春日神社(かすがじんじゃ)は 平城京遷都に伴なって〈神護景雲二年(768)の「春日大社」創建の際〉鹿島神宮から武甕槌命の御神霊が奈良〈春日大社〉へ向かう際 立ち寄って一泊した所〈山添村春日〉と云う その跡地に春日神を祀った神社とされ 式内社 春日神社の論社でもあります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
春日神社(Kasuga shrine)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
奈良県山辺郡山添村春日469
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》建御雷命(たけみかづちのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
大比売命(おおひめのみこと)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
山添春日 春日神社 (やまぞえかすが かすがじんじゃ)
鎮座地 山辺郡山添村春日469
電 話 0742-94-0550
交 通 奈良市内より奈良交通バスで春日下車徒歩5分、または天理市内より奈良交通バス・三重交通バス山添インター下車、東へ徒歩15分【御祭神】 武甕槌命、経津主命、天児屋根命、大比売命
【由 緒】 口碑や伝承によると、「春日さんは名張から来られた」とか「薦生から来られた」と言われている。
このことは、『波多野村史』に、『伊勢考』を引き「神護景雲元年6月21日 鹿島を立って伊勢地に至り、壬生野の里中山を越え、酒解の御厨にやすらう、北山村の宮地に遷座、阿保の大村社に滞し、夏目に遷し、同年12月7日薦生の中山に宮居し、明年正月9日大和国安部山に遷座し、11月9日三笠山に垂迹」や、伊賀、伊勢、志摩三国地誌による鹿島の武甕槌命の遷座の道順が「壬生野(伊賀町)―布引村(大山田村)―勝地(阿保山町)―比々岐神社―大村神社(阿保山町阿保)―霧生(同村)―比奈地―夏見積田神社―名張宇留布志根神社―薦生中山神社―波多春日―波多上津―添上郡田原村」からも先の伝えを伺うことができる。
また『山辺郡誌』下巻に「式内村社 春日神社祭神 武甕槌命、経津主命、天児屋根命、大比売命大字エオンに座す 社地東西二十五間三尺、南北六十六間三尺六寸なり。『大和志』に春日村十三村の民相共に祭祀に預る式載せて添上郡にあり。
『大和名所図会』に春日村にあり 神名帳出十三村の氏神なりと 即此例祭は九月二十四日にして 十三ヶ村の郷社たりしが 明治の初年村社となる 末社あり天忍雲根命、猿田彦命を祀る」と当社の由緒が見られる。例祭は古く『山辺郡志』に9月24日と記されているが、現在は12月の申の日をあてている。また、例祭には山添村無形文化財指定の菅生春楽社による金春流の能楽が奉納されるなど盛儀になっているほか20年ごとの式年造替の制がある。
最古の棟札としては永禄4年(1561)のものが現存している。
【宝 物】 奉納絵馬額7面
【例祭日】 春日祭(さるまつり)=12月申の日(ただし、申の日が2回の年は上の申の日、3回の年は中の申の日)
【祭 祀】 元旦祭=1月1日/祈年祭=2月21日/神嘗祭=11月21日全国春日連合HPよりhttp://kasugarengou.jp/list/2016/03/post-198.html
【由 緒 (History)】
春日神社(山添村)(かすがじんじや/やまぞえむら)
概要
県道沿いの鳥居から200メートルほど上ったところに建つ神社。
武甕槌命(たけみかづちのみこと)ほか三神を祭る。本殿は奈良県指定文化財、鎌倉時代につくられた石燈籠は村指定の文化財である。
師走の申(さる)の日に行われる「春日神社申祭り」では、能楽「翁舞」が奉納される。参考
所在地:奈良県山辺郡山添村春日469
拝観時間:境内拝観自由奈良県HPよりhttps://www.library.pref.nara.jp/nara_2010/0173.html
【境内社 (Other deities within the precincts)】
〈本殿の隣に鎮座〉
・摂社 若宮社《主》天押雲根命
〈拝殿の両脇に境内社が祀られます〉
〈拝殿の向かって左手〉
・津島神社
〈拝殿の向かって右手〉
・神武天皇御陵逢拝所
・大ノ宮神社
・八幡神社
〈神武天皇御陵逢拝所の正面〉
・石燈籠
山添村指定文化財
(昭和四十一年九月二十日指定)石燈籠 春日神社
正中二年(一三二五)
六角型の総高一九三cm。円柱の上節に「正中二年乙丑四月□日大願」の銘がある。
宝珠(ほうじゅ)の一部が欠損しているが、基礎には複弁の反花を刻み、下端の六角面に二区に分ち格狭間(こうざま)を表している。
また、中台の各側面にはそれぞれ走る獅子を陽刻し、火袋(ひぶくろ)には丸窓二面の周囲に蓮弁(れんべん)を刻み、残りの二面には月輪内に梵字(ぼんじ)を刻むなど、各部ともよく均整がとれ、鎌倉時代にふさわしい細部様式をそなえている。
山添村現地立札より
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
〈神社境内の南の森〉
・愛宕神社・金比羅神宮
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)添上郡 37座(大9座・小28座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 春日神社
[ふ り が な ](かすかの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kasuka no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳927 AD.』所載 春日神社(かすかの かみのやしろ)の論社
春日に坐ます神とされます
大きく四説に別れます
①春日大社の創建以前から 春日山に坐ます地主神との説
・榎本神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)
・浮雲神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)〈参考〉
➁〈建御雷命〉が鹿島神宮から春日大社へ遷座の途 滞在した坐ました所
・春日神社(山添村春日)
➂〈天児屋根命・比賣神〉が枚岡神社から春日大社へ遷座の途 滞在した坐ました所
・宅春日神社(奈良市白毫寺町)
④櫟井臣同族なる春日朝臣の祖神なるを以て神社も櫟本(いちのもと)村に坐ます所
・春日神社〈奈良山の春日社〉・神明神社〈楢神社 上の宮〉〈参考〉
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄大阪線 名張駅から 名張川に沿って県道80号を北上し 国道25号を西へ進むと 山添村の春日(かすが)に着きます
一の鳥居は 国道25号沿いに北向きに建っています
春日神社(山添村春日)に参着
一の鳥居の横には 社号標があり「式内 春日神社」と刻まれています やはり式内社を意識しています 本来は 一の鳥居をくぐり抜けて 参道を南へと進みます
車では 鳥居の脇から南へと続く道を進むと 神社の正面に駐車場があります
北〈一の鳥居〉からの参道を進むと 境内に出てから丁度180度方向転換をします 社殿と境内は 南を向いて境内の入口には二の鳥居が建てられています
一礼をして二の鳥居をくぐります
参道の正面には拝殿があり 向かって左手に境内社 津島神社 向かって右手に境内社 神武天皇御陵逢拝所・大ノ宮神社・八幡神社が祀られています
拝殿にすすみます
拝殿内には 牛若丸と弁慶の絵馬が懸けられています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥に一段高い檀があり 本殿 その脇に若宮が祀られています
社殿に一礼をして 参道を戻ります
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『五畿内志(Gokinaishi)』〈享保14年(1729~1734)編纂〉に記される伝承
江戸幕府による最初の幕撰地誌と見なされる『五畿内志(Gokinaishi)』
※著者の並河 誠所(Namikawa seisho)〈江戸時代中期に活躍した儒学者・地理学者〉は『五畿内志』を編纂する調査の過程で『畿内』の数々の延喜式式内社の比定も行こないました
式内社 春日神社について 山辺郡山添村春日の春日神社 も論社と記しています
【抜粋意訳】
五畿内志 中巻 大和志 山邊郡の条
春日神社
春日村 十三村の民 相共に祭祀 預る 式載 添上郡に在る
〈春日村及十三村の民が 相共に祭祀を預かる 延喜式に載る 添上郡にある 〉
【原文参照】
『大和名所図会(Yamato Meisho Zue)』〈寛政3年(1791年)刊〉に記される伝承
春日神社(山添村春日)について 春日村にある と記しています
【抜粋意訳】
山邊郡 春日神祠(かすかのしんし)
春日村にあり
【原文参照】
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 春日神社について 春日地主 榎本社〈現 春日大社境内社 榎本神社〉であると記しています
【抜粋意訳】
春日(カスカノ)神社
姓氏 大春日朝臣出自 天帯彦国押人命 春日地主 今 榎本社
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 春日神社について 祭神は 春日地主神 所在は不明と記しています
【抜粋意訳】
春日神社
春日は加須加と訓べし、和名鈔、(郷名部)春日、假字上の如し
○祭神 春日地主神(考証)
○在所詳ならず
〇姓氏録(左京皇別下)大春日朝臣、出自孝昭天皇皇子 天足彦國押人命也、仲臣令家重千金、委糟為堵、于時大鷦鷯天皇、(諡仁徳)臨幸其家、詔號糟垣臣、後改為春日臣、桓武天皇延暦二十年、賜大春日朝臣姓、考証云、今榎本社、春日記、依託宜景雲元年十一月九日御鎮坐云々、
○大和志云、春日村、今属山辺郡、
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 春日神社について 所在は櫟本(いちのもと)村〈現 天理市櫟本町〉にある楢神社 上の宮〈神明神社〉と並列して鎮座する・春日神社〈奈良山の春日社〉と記しています
【抜粋意訳】
春日(カスカノ)神社
祭神
今按〈今考えるに〉
土人の説に当社を大和日向神社と云へれど他に證なければ信じがたし 又 祭神 天照大御神 春日大神い云るもいかが こは櫟井臣同族なる春日朝臣の祖神なるを以て神社も櫟本(いちのもと)村にますならん祭日 九月十四日
所在 櫟本村字奈良山
【原文参照】
『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承
式内社 春日神社について 野田四恩院〈現在の奈良春日野国際フォーラムのあたりにあったとされる興福寺四恩院(こうふくじ・しおんいん)大和国にあった興福寺の子院で 若草山の南西麓〉の境内 浮雲宮〈春日大社末社 浮雲神社〉という説があるが 據なし と記しています
【抜粋意訳】
春日神社
延喜式神名帳に添上郡 春日神社と見ゆ
但し官幣大社の春日社にあらず或いは云ふ 野田四恩院境内なる浮雲宮なりと 據なし
【原文参照】
『奈良県史 第五巻 神社〈平成元年 奈良県史編集委員会 編集〉』に記される伝承
式内社 春日神社について 春日大社の境内社 榎本神社を充てているが 一説として 山辺郡山添村春日の春日神社の説も記している
【抜粋意訳】
神社解説 一、奈良市 鼓阪地区
春日神社(榎本神社)
春日大社の境内摂社で、廻廊内西南隅に鎮座する。「皇代記断簡」(『奈良市史』書籍編)の応徳元年(一○八四)に榎本明神とみえるが、明治九年八月式内春日神社と改称、同十年三月摂社春日神社となる。文録二年(一六九三)の『春日御社記録』に「榎本、巨勢姫明神 猿田彦ト云説アリ」と記されているが、寛文三年(一六〇三)の「春日神社記」には猿田彦大神とある。一説にはまた山辺郡山添村春日の春日神社をあてる説もある。
山辺郡山添村春日の春日神社については 式内社については特に記載事項はない
【抜粋意訳】
神社解説 一、山邊郡 2山添村
春日神社
建御雷命・経津主神・天児屋根命・比売大神を祀る旧指定村社である。創祀について記録はないが、伝承に鹿島の神が大和国に神幸の節、名張を経て波多の当地から安倍山に遷座、三笠山に垂迹されたとの故伝によって春日四神を勧請されたものと考えられる。鎮座地の春日はもと大字大西の別所として成立した集落であったが、当社の創祀に因んで春日の地名を称するようになったと考えられる。
境内社の春日若宮神社に天押雲根命を、猿田彦神社に猿田彦命を祀る。もと神宮寺であった東明寺の建物は平素物置にし、例祭の能楽のある時の楽屋となり、ここから橋懸、能舞台へと連絡すると『波多野村史』に記されている。明治初年の神仏分離以前は神仏習合時代の祭祀形態をとっていたが分離令で東明寺は廃寺となった。
大字上津字宮ノ木も奈良春日神社祭神が鹿島から遷座の時、途中御休所になった所と伝え、春日四神を祀っている。
山添村の民話の伝承
小さな民話①
掲載日付:2014年7月1日
【春日神社の宝刀】
昔、奈良の方から身分の高い武士が来て、祓戸橋から転落した。ふしぎに何ひとつけがをしなかった。これはこの神社のお陰と、腰のひと振りの刀を奉納した。
三条小鍛冶宗近の銘があり、鍔の中央に宗典の名がある。現在も神殿の奥深く、ご神体の守り刀として納められている。
山の神の祭りには、ネムの木で刀を作り、三条小鍛冶宗近の名を書き入れるならわしがある。山添村町役場HPよりhttps://www.vill.yamazoe.nara.jp/life/folktales/3113
春日神社(山添村春日)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)