賀茂神社(福井市加茂町)〈『延喜式』雷神社〉

賀茂神社(かもじんじゃ)は 養老元年(717)京都賀茂両宮の御神霊を奉斎して賀茂下上大明神(かもしもかみだいみょうじん)と尊称された古社 神職は養老元年 神社創建より代々奉仕し現宮司で45代を数えています 延喜式内社 越前國 丹生郡 雷神社(いかつち かみのやしろ)の論社です

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

賀茂神社(Kamo shrine

通称名(Common name)

養老元年(717)京都賀茂両宮の御神霊を奉斎して賀茂下上大明神(かもしもかみだいみょうじん)と尊称

・賀茂さん(かもさん)

【鎮座地 (Location) 

福井県福井市加茂町7-1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)
   賀茂玉依姫命(かもたまよりひめのみこと)
   大国主命(大巳貴命)(おほくにぬしのみこと)
   伊賀古夜比(いがこやひめのみこと)

《配》神武天皇(じんむてんのう)
   弓矢大神(武甕槌神・経津主神
   鵜草葺不合命(うがやふきあえづのみこと)
   八幡大神(應神天皇・神功皇后)
   稲荷大神(いなりのおほかみ)
   金勢大明神(こんせいだいみょうじん)
   猿田彦大神(さるたひこのおほかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

ゆらい

約一三〇〇年昔(西暦七一七年)京都賀茂両宮の御神霊を奉斎し賀茂下上大明神と尊称。以来 平安時代には源満仲公。南北朝時代には護良親王。戦国時代には朝倉家から代々諸役免除を受け、羽柴秀吉・丹羽長秀の禁制札下付があり、江戸時代には領主の社参が代替わりの度ごとにあった。
 御祭礼の中で大きな神事は睦月神事・葵祭・祇園祭・初午稲荷祭。競べ馬や流鏑馬も盛大に行われていたが、天正年間(安土・桃山時代)の一向一揆の兵火での社殿等の荒廃、明治初年の排仏棄釈神仏分離により中絶。天下泰平・田作・養蚕・五穀豊穣を祈る特殊神事(賀茂神社睦月神事)は 現在も受け継がれ、昭和五十三年国の重要無形民俗文化財に指定される。なお平成二十年に京都 賀茂御祖神社(下賀茂神社)の干支守護社を奉斎する。
神職は養老元年 神社創建より代々奉仕し現宮司にて四十三代なり。

現地案内板より

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【由  (History)】

『式内社調査報告第十巻』昭和59年に記される内容

【抜粋】

越前國 (イカツチノ)神社
【社名】

 武田本、吉田家本ともに、「イカツチ」と訓んでをり、『神社覈録』に「は伊加都知と訓べし」とある。

【所在】

 雷神社の傳承地として次の三社があげられる。

A 武生市廣瀬町第八二號字宮谷一三番地(舊南條郡神山村廣瀬)) 雷神社。
B 丹生郡清水町大森第七號字加茂一番地((舊志津村大森・山内・笹谷・瀧波入會地) 賀茂神社。
C 武生市大虫町第二一號二八番地(舊丹生郡大虫村上大虫) 大虫神社相殿に合祀。

【論社考證】

 『大日本史』に「今在ニ 大森村 稱ニ 賀茂明神」とあり、『越前古名考』には「或云、志津莊大森村加茂神社カト云ヘリ、然レドモ神名ヲ稱フルヲ以見レバ何レノ神社ノ末社ナランカ。」と見え、『大日本地名辭書』に「賀茂娜。和名抄 丹生郡賀茂郷、今 志津村是なり(中略)此郷は往昔より賀茂社領 越前國志津庄段錢とありて、大森は一郷の首里なり、今モ鴨明神を祭る、一書には延喜式 丹生郡 雷神社にやと曰へり。」とある。

また『特選神名牒』には「上廣瀬村(南條郡神山村大字廣瀬)。今按 福井藩神社取調書に大森村 鴨分別雷神社ありて雷神社と傳承す、南條都廣瀬村にも雷神社あり こは廣湍雄推神(ひろはたおうすのかみ)ならんと云れと祭神を以て考るに雷神社なるべし故今之に従ふ。」とあり、
『越前國官社考』では「雷神社は祭神 山雷神にて又ノ御名 大山祇命と申し 大虫大神の御外親成たれば ともに丹生獄に座しが垂仁天皇の御宇 御遷座の砌 御本宮の巽五丁を隔て、御社を建て祭りしが殊更 神異赫々たるより 清和天皇 貞觀三年四月朔日 官社の列に加へられ 廣瀬村にて三十町の田を附せられ〔此村 雷社の御領所たるにより遥拝所を建て氏人等祭りしが今も当村に其拝所あり。〕とする。
更に
同書、國社 廣湍雄推神社の條に、「三代實錄 清和天皇 貞觀二年八月二日越前國 正六位上 廣湍雄推神 授從五位下 此御社は廣瀬村に座し 所祭 大和國 廣瀬御同體 和加字賀賣命也 此大神此村を開き玉て上代より御座ましましけるが 垂仁廿六年より大虫太神宮の御領所となり 其後 貞觀三年 雷ノ神へ此村にて三十町の田を分け率り  雷社の御領となれる故 廣湍雄推神の御殿へ雷神の遙拜として祭りし 以來 雄推 雷 兩號を通稱し奉れり  兩村となれり當社は上廣瀬に鎮座 年中の神事 大虫同樣也。惣神記に正三位廣瀬神とあり。」と記す。
『越前地名考』には「雷神社。大虫神社末社。往古
 上大虫村戶谷口鎭座 即 貴船神雷神。天正亂後雷神ハ上廣瀬村ヘ遷シテ今 全ク鎭座。」とあり、
『大日本地名辭書』の「広瀬」の項には、「今 神山村の大字とす、三代實錄貞觀二年越前國廣神授位とあるは此の地の社ならん。」と考證してゐる。

以上によれば、

 A は、廣湍雄推神ひろはたおうすのかみを祭る神社とするのが妥當のやうである。
 C 説をとる『越前國官社考』、『越前地名考』は、ともに大虫神社々家岡野吉孝の見解であり、『大虫神社々記』にも天正十一年 式內四社(大虫、雨夜、小虫、雷)合祀のことが見える。しかし、『特選神名牒』が「大虫村 大虫神社相殿にます由云るは信じがたし」と記してゐるやうに、その根據は薄弱である。
 B が殘る事となるが、越前惣神分には、正五位雷神と從五位雷神の二座が登載されてゐる。『越前地名考』が「神名ヲ稱フルヲ以見レバ何レノ神社ノ末社ナランカ」と指摘するやうに、確定は難かしい。

【祭神】

・・・
・・・〈中略〉
・・・

【由緒】

A 社傳に廣瀬開闢の産神として、往昔 八幡山の嶺に鎭座したと傳へる。文化三年三月出火して古記等焼失。後、現地に遷座。境内社。八幡社(祭神 應神天皇)。天神社(菅原道眞)。
B 社傳によれば、氏子區域は古く賀茂郷 或は志津荘と、京都賀茂神社の荘園内にあつて、養老元年 現在の社家の祖 廣部民部が京都賀茂兩宮を奉齊したのに始まるといふ。元慶年中 多田滿仲が山内に居住し、特に崇敬厚く、種々の寄進をし、扁額を揮毫したと傅へる。社頭の規模も廣大であつたが、元龜、天正前後 度々兵火に罹り烏有に際した。
・・・
・・・〈中略〉
・・・
C 社記によれば、天正十一年兵亂の後、大虫神社に合祀されたといふ。

【祭祀】

A 例祭 十月八日。境内 四二四坪。氏子一○三戶。宮司 大宮英治氏(兼務)。
B 例祭 四月十五日。境内一、八八八坪。氏子六二九戶。宮司 廣部重紀氏(本務)。
C 例祭 十月十日。境内一、〇〇五坪。氏子三〇○戶,宮司 岡野吉昌氏(本務)。

(西森清隆)

【原文】

『式内社調査報告第十五巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・修復事業を実施予定の社殿
一 本殿(ほんでん)

 現在の本殿は、江戸時代後期の享和元年 (ー八〇ー)に造営されたものであり、三間四方と本殿としての規模は大きい。屋根は銅板ぶき、入母屋造り。

一 脇社(わきしゃ)
 ①祇園社(ぎおんしゃ)(福井市指定文化財)

 江戸時代前期の寛文九年 (一六六九)に造営された。社殿部一間四方の「流れ造り (屋根の一方が、正面前方に長くのびている。)」の小社で、上部にすかし彫りの彫刻が入っている。全体に、中世の神社建築の趣を残している 

 ②白山社(はくさんしゃ)

 江戸時代中期の宝暦八年 (一七五八)に造営された。祇園社の約九十年後に建てられており、建築様式、規模は両社ともに似通っている。

一 大鳥居(おおとりい)(福井市指定文化財)

 高さ九メートル・幅ー〇•五メートル・柱七〇センチと、本県有数規模の朱塗りの両部式大鳥居で、江戸時代中期の元禄年間に建てられたと伝わる。
「賀茂下上大明神(かもしもかみだいみょうじん)」と書かれた、たたみ一畳分もある扁額は福井藩の儒学者・伊藤坦庵の筆による。

現地案内板より

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・〈本殿向かって右 脇社〉祇園社《主》素盞嗚尊,稲田姫命

賀茂神社脇社 祇園社

 清水町指定文化財第 3号
 昭和 51年 7月 1日指定

江戸時代前期の寛文九年(1669)に造営された二間の流れ造りの小社で、社殿部の三方を回廊が囲む、外陣が開放された中世の神社建築のおもむきをのこしています。

 社殿部分は一間四方で、組み物は三斗組二手先で、かえるまたには透かし彫りの彫刻が入っています。

清水町教育委員会
現地案内板より

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・〈本殿向かって左 脇社〉白山社《主》伊弉那岐尊,菊理姫命

・〈拝殿の前〉十二支守護社

平成二十年に京都 賀茂御祖神社(下賀茂神社)の干支守護社を奉斎

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・稲荷社《主》倉稲魂命

・手水舎

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・大鳥居〈朱色の両部鳥居〉・境内参道

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈賀茂神社の境外末社〉犬飼神社(いぬかいじんじゃ)

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滝波町の伝承

5.犬飼神社(いぬかいじんじゃ)

祭神 犬飼大明神は、大むかし鷹狩に用いる犬を飼育する氏人、農産物を荒らす野獣を退治する犬を飼う氏人などの祖先をまつった神社である。

賀茂神社の末社で、もとは賀茂神社の台地に建っていたが、ずっと後になって現在地に移された。

福井市役所HPより
https://www.city.fukui.lg.jp/kankou/kankou/jouhou/introduce_shimizu-den-takinami.html

住所 福井県福井市滝波町50号2番地2

人情噺「黄金包(かねづつみ) 」〈二世曽呂利新左衛門,黄金包,駸々堂 (1890)〉https://dl.ndl.go.jp/pid/891222/1/2

「黄金包(かねづつみ) 」の初めに「ここに越前の国福井の片在 瀧波村と云ふ間狭い村でございまして」とある場所であるとの事

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Englishmen Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)丹生郡 14座(大1座・小13座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 雷神社
[ふ り が な ](いかつち かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ikatsuchi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 越前國 丹生郡 雷神社(いかつち かみのやしろ)の論社

・雷神社(越前市広瀬町)

・賀茂神社(福井市加茂町)

・大虫神社(越前市大虫町)
〈天正11年(1583)大虫神社相殿に合祀 雷神社〉

・加茂廼神社(福井市鮎川町)〈参考〉

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

福井鉄道福武線 浅水駅から県道32号経由で西へ約10.5km 車での所要時間は15~20分程度

県道32号が大森町で志津川に瀧波川が合流する清水地域辺りで 県道6号を左折〈南〉して 県道3号に入ると「秘伝守札300種 賀茂神社」と 秘伝守札と何やら気になる看板があります

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案内看板に従って 坂道を上がり始めるとすぐに社号標が建っています

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坂道を上がって行くと 福井市清水西小学校の裏手となって 賀茂神社の駐車場の案内板が見えてきます

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案内地図がありました

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この位置から大鳥居が見えています

賀茂神社(福井市加茂町)に参着

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駐車場は完備されています

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大鳥居まで戻り 一礼をして朱色の両部鳥居をくぐり抜けて 境内参道にすすみます
養老元年(717)京都賀茂両宮の御神霊を奉斎した事から 扁額には「賀茂下上大明神(かもしもかみだいみょうじん)

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境内参道を進むと正面に拝殿が見えています

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境内に入ると〈拝殿の前〉十二支守護社が7社あります

平成二十年に京都 賀茂御祖神社(下賀茂神社)の干支守護社を奉斎

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今年の干支及び自身の干支社へお参りするとのことです

私の生まれ歳の干支〔酉〕の祠でお参りをします

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ちょつと わかり難いのですが 祠の扉の右下辺り

拡大します

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そうです゛ニホンアマガエル゛が迎えてくれていました
私の信仰する「少彦名命」の神使いカエル です

私の祈りに 微妙に座り位置を変えてくれた様に感じました

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拝殿にすすみます

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拝殿の前には「諸願成就石輪」なるものがあり 「心の中でお願い事をしながら 石輪を☆印より一回転の後 神殿正面でお拝り下さい。」とあります

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この賀茂神社は゛陰陽道゛の様です
陰陽串祓(自己祓)を授与所にて受けます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 境内参道を戻ります

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〔酉〕の祠には まだカエルが見守っていました

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9月少し雨模様の境内を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 雷神社について 所在は 記されていません

【抜粋意訳】

雷神社

 雷は伊加都知と訓べし

〇祭神 山雷神〔官社考〕

例祭 月 日

類社
 但馬国 氣多郡 雷神社

神位
 惣神分云、正五位雷神

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 雷神社について 祭神・所在は 記されていません

【抜粋意訳】

雷(イカツチノ)神社

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 雷神社について 所在は゛上廣瀬村(南條郡神山村大字廣瀬)゛〈現 雷神社(越前市広瀬町)〉と記しています

別説として゛大森村 鴨分別雷神社ありて雷神社と傳稱す゛〈現 賀茂神社(福井市加茂町)〉とも記したうえで

゛大虫村 大虫神社相殿にます由云るは信がたし゛と記して 大虫神社の相殿の説を否定しています

【抜粋意訳】

雷神社

祭神 鴨別雷神

 今按 明細帳に祭神 別雷大神 健角身命 伊可古夜比賣命 玉依比賣命とあれど 其主神は別雷神なる事著ければ一座を記せり

祭日 四月中酉日
社格 村社

所在 上廣瀬村(南條郡神山村大字廣瀬)

 今按 舊福井藩神社取調書に 大森村 鴨分別雷神社ありて雷神社と傳稱す

南條郡廣瀬村にも雷神社あり こは廣瀬雄推神ならんと云れと祭神を以て考るに雷神社なるべし 故今之に從ふ 區別帳に大虫村 大虫神社相殿にます由云るは信がたし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

賀茂神社(福井市加茂町) (hai)」(90度のお辞儀)

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越前国 式内社 126座(大8座・小118座)について に戻る

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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