上宮古神社(かみみやこじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 奈良波良神社(ならはらの かみのやしろ)の旧鎮座地とする説があります 江戸時代末期の国学者 御巫清直(みかなぎ きよなお)〈1812~1894年生没〉は 廣泰寺寺地を比定地としています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
上宮古神社(Kamimiyako shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県度会郡玉城町宮古1277 (広泰寺の南域)
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》八柱神・金比羅神・山神
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創立年代不詳
【由 緒 (History)】
明治42年(1909)〈上宮古神社の八柱、金比羅、山神〉は 下外城田神社(玉城町大字小社曽根)に合祀の記録があります
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・神照山(しんしょうざん)廣泰寺(こうたいじ)
隣接する 神照山 廣泰寺の寺地は 式内社・奈良波良神社の旧社地との説あり
神照山(しんしょうざん)廣泰寺(こうたいじ)
当寺は室町時代の中期の十五世紀末、大空玄虎禅師(だいくうげんこぜんじ)の開山である。
大空禅師は一休禅師とほほ同時代の禅者で学問的に特に卓越しているというので虎蔵主(こぞうす)と称されされ時の帝(みかど)後土御門(ごつちみかど)天皇より闊通佛性(かっつうぶっしょう)禅師の称号と紫衣 (紫の衣は僧の最高位をあらわす )の綸旨を賜った。
江戸時代になって、徳川御三家・紀州藩初代頼宣公神宮参詣の節、大空禅師の遺徳を聞き、再三当寺へ参拝になったという。田丸西はずれの大橋から九尺 (今の一級国道並み )の道路があった。宮古の大会式(おおえしき)
大空禅師は永正二年 ( 1 5 0 5 )旧七月二十三日入寂 (六十七才 )、月おくれの八月二十二日二十三日間開山忌を営み、宮古は会式として親類、縁者をもてなし夜は開山への奉納踊りが行われ伝統行事として今も伝承されている。
町文化財指定 山 門
元禄七年 ( 1694 )建立総欅造り 平成六年 ( 1994 )玉城町文化財に指定
境内地 (約三千坪 )に町文化財指定の山門の他本堂 (明暦三・ 1657年再建 )、開山堂•位牌堂、講堂、書院、大庫裡、禅堂衆寮(二階建 )経蔵、鐘楼堂、浴室、土蔵、廻廊、納屋など総建坪は約五百坪。平成八年三月 玉城町 現地案内板より
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・下外城田神社(玉城町大字小社曽根)
〈上宮古神社の八柱、金比羅、山神〉は
明治42年(1909)下外城田神社(玉城町大字小社曽根)に合祀されました
下外城田神社 – しもときだじんじゃ –
由 緒
当社は往古より旧下外城田村各字に鎮座した産土神として祀られていた社を明治41年に現在の小社曽根794に遷したものである。翌42年には岩出産土神社より富士八幡、八雲神社、愛宕神社、金比羅、菅原神社を、宮古より上宮古神社の八柱、金比羅、山神を、下宮古神社の八柱神社、秋葉神社を、昼田より八柱神社、八雲神社、若宮神社を、中角より八柱神社、八雲神社、菅原神社、金比羅神社を、山岡より山岡神社、愛宕神社、八雲神社を、岡出より津島神社、頭塚神社、山神を、小社曽根より八雲神社、菅原神社を それぞれ遷し、合祀。同年3月25日遷座祭が斎行され現在に至る。
三重県神社庁教化委員会HPより
http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%e4%b8%8b%e5%a4%96%e5%9f%8e%e7%94%b0%e7%a5%9e%e7%a4%be/
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
゛神宮の諸社が 祈年 神嘗祭に並預゛と記されます
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】
伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社 山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社右諸社,並預祈年、神嘗祭
以下略
【原文参照】
国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 奈良波良神社
[ふ り が な ](ならはらの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Narahara no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 伊勢國 度會郡 奈良波良神社(ならはらの かみのやしろ)の論社について
・奈良波良神社(玉城町宮古字矢倉戸)〈皇大神宮(内宮)摂社〉
・上宮古神社(玉城町宮古)
〈旧鎮座地とする説あり〉
内宮・外宮の別宮・攝社・末社・所管社について
お伊勢さん125社について
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊勢自動車道 玉城IC入口から東へ約1.1km 車3分程度
宮古の神照山(しんしょうざん)廣泰寺(こうたいじ)の山門を道路沿いに南へ少し進むと社頭となります
上宮古神社(玉城町宮古)に参着
手水鉢があり 社号標゛上宮古神社゛と刻字があり 東を向いて鳥居が建ちます
一礼をして 鳥居をくぐり わずかに上る参道を進みます
上り切ると参道は直角に折れていて 二の鳥居が南を向いて建ちます
二の鳥居の奥には 小祠が一宇 南を向いて鎮座しています
一礼をして 鳥居をくぐり祠にすすみ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 奈艮波良神社について 所在は城田郷宮子村に在す〈現 奈良波良神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
奈艮波良神社
奈良波良は假字也
○祭神 那良原比女命
〇城田郷宮子村に在す 神名略記
○式四、伊勢大神宮 大神宮所摂二十四座の第十八に載す、
〇儀式帳云、橘原神社、稱に大水上兒 那良原比女命、形石坐、倭姫内親王定祝、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 奈艮波良神社について 所在は城田郷宮古村に在り〈現 奈良波良神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
奈艮波良(ナラハラノ)神社
〇按 延暦儀式帳、奈艮波良を楢原に作る
今 城田郷宮古村に在り、神祇本源、神名秘書、延暦儀式解
大水上兒 那良原比女命を祀る、形石に坐す、延暦儀式帳、
醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、延喜式
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 奈艮波良神社について 所在は城田郷宮子村としているが 寬文三年に再興した現在地〈現 奈良波良神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉は 愛須彈正親忠の砦址であり 神社の旧跡ではない
本来の旧鎮座地は 広泰寺に社域をとられて狭くなっているが 上宮子村の産神〈現 上宮古神社(玉城町宮古広泰寺裏)〉であると記しています
【抜粋意訳】
奈艮波良神社
祭神 那良原比女命 (大水上神兒 )
祭日 同上
社格 内宮所攝廿四所之一 (内宮攝社 )所在 三重縣城田郷宮子村 (度會郡下外城田村大字宮古)
今按 神社檢錄に寬文三年 今地に造立せしなれ共其地は愛須彈正親忠の砦址にて矢倉戸と云ふ處なれば古址にあらず
舊社は上宮子村の産神なるが 今は神照山廣泰寺に社域を侵されて狭隘になれりと云へり
【原文参照】
上宮古神社(玉城町宮古)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)