海神社(かいじんじゃ or うみじんじゃ)は 本殿背後に古墳もあり 古くからの社地と思われますが 創立年などは不詳です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載社とされていて 近世になって江戸時代には 別府村の「六社大明神(rokusha daimyojin)」と称されていました
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
海神社(Kai shrine or Umi shrine)
(かいじんじゃ or うみじんじゃ)
[通称名(Common name)]
・六社大明神(rokusha daimyojin)・六社さん(rokusha san)
【鎮座地 (location) 】
島根県隠岐郡西ノ島町別府409
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
祭神不詳
海神(wata tsumi)二座 を唱える
《主》海神(wata tsumi)
海神(wata tsumi)
【御神格 (God's great power)】
・家内安全
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
海神社または(わたの)
通称 六社さん由緒・沿革
創立不詳。延喜式内社、隠岐国知夫郡七座の内の小社。
近世は 六社大明神と称え、祭神、住吉三座、志賀三社と付会しているが、延喜式にあるごとく 海神二座が古来からの祭神であった。
この地に先住の海人族の祀りしものと思われる。現在は鎮座地別府の氏神として崇められている。棟札の古いところは元禄二年(一六八九)のものがある。本殿背後に古墳もあり、古くからの社地と思われる。西ノ島の神社(松浦康麿)より
http://takuhi-shrine.com/material.html
【由 緒 (history)】
神社由緒 別府区の氏神として鎮座。延喜式内社 特殊神事 隔年に神輿渡御が執行される
島根県神社庁HPより
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・伊勢社(ise sha)
《主》天照大御神(amaterasu omikami)
・稲荷社(inari sha)
《主》倉稲魂命(ukanomitama no mikoto)
・耳浦山神社《主》大山祇命
鎮座地 別府耳浦
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)隠岐国 16座(大4座・小2座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)知夫郡 7座(大1座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 海神社 二座
[ふ り が な ](あまの かみのやしろ)
[How to read ](amano kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
海神社(Kai shrine or Umi shrine)の海に向かう参道について
参道は 境内から真っ直ぐに 南方向の海に延びていています
鳥居から 振り返ると 直ぐに海があります
この南方向の海の先には 何があるのだろうかと
試しに 地図上で その参道の線を南方向に延ばすと 別府湾を越えて 焼火山の脇を抜けて 知夫里島に鎮座する もう一つの式内社「海神社 二座(amano kamino yashiro)」の論社 「渡津神社(watatsu shrine)」に到達するのは偶然でしょうか?
隠岐の式内社〈16座〉について
隠岐国には16座(大4座・小2座)の式内社があります
その論社も含めてご紹介します
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
西ノ島 別府港ターミナルから県道319号経由 約1km
県道沿いに出雲型の狛犬が構えて 鳥居が建っています
海神社(Kai shrine or Umi shrine)に到着
一礼して鳥居をくぐり抜けて 真っ直ぐな参道をすすみます
来待石で出来た古い狛犬が構える二の鳥居をくぐり抜けます
阿吽の狛犬は 顔が苔に覆われていますので かつては鬱蒼とした木があったのでしょう 一方は崩れかけています
社殿の建つ境内は もう一段高くにあります
階段を上がると 左手に 古い奉納の「石灯篭」「自然石」の手水鉢に水道が引かれています
左手に神輿舎があり 正面に社殿が建ちます
拝殿にすすみます
拝殿の扁額には「式内 海神社二座」天日隅宮御杖代 兼 國造出雲宿祢尊孫 とあります
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥 本殿を仰ぎます
本殿の後方に 境内社があり お詣りします
南に向かう参道を戻ります
鳥居をくぐり抜けて 振り返り一礼します
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
海神社(Kai shrine or Umi shrine)(隠岐 西ノ島)の式内社の論証について
海神社(Kai shrine or Umi shrine)は
近世になって 江戸期には 別府村「六社大明神(rokusha daimyojin)」と称されていました
「志賀三社 綿津見三神(watatsumi sanshin)」
「住吉三社 住吉三神(sumiyoshi sanshin)」のそれぞれ3柱の計6柱を祀っていました
元禄16年(1703年)の『島前村々神名記』には『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』の「海神社(amano kamino yashiro)二座」として
「志賀三社を一座・住吉三社を一座」を計2座と成して 比定社としています
明治5年には 式内社と定められました それ以来 祭神は「不詳」とされています
しかし 綿津見三神(watatsumi sanshin) 住吉三神(sumiyoshi sanshin)は近世の付会であって
本来は 先住の海人族たちが祀った「海神(wata tsumi)二座」が 古来からの祭神であったとも云われています
渡津神社(watatsu shrine)(隠岐 知夫里島)の式内社の論証について
『大日本史神祇志(dainihonshi jingishi)』や
伴信友『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』では
渡津神社(watatsu shrine)が 知夫村の「渡島(watasu no shima)」(現在の島津島)に鎮座していると記されています 島の西の崎に「渡明神(watasu myojin)」と号する神社があり これが「和田酒明神(watasu myojin)」であり 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』の「海神社(amano kamino yashiro)」であろうとしています
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』隠岐国 知夫郡 7座に所載されている
もう一つの「海神社 二座(amano kamino yashiro)」の論社
「渡津神社(watatsu shrine)」の記事をご覧ください
海神社(Kai shrine or Umi shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)