『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』は 733年(天平5年)出雲国造「出雲臣広島(izumo no omi hiroshima)」の監修の下 秋鹿(aika)郡の人「神宅臣金太理(kanyake no omi kanatari)」の手によって編纂されました
目次
- 1 『風土記(fudoki)』とは
- 2 「風土記逸文(fudoki itsubun)」について
- 3 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』の編纂 について
- 4 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』の内容 について
- 5 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』の構成・特徴について
- 6 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』の特筆すべき「神社の所載」について
- 7 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載の神社の数と「各郡の条」の神社所載の一覧
- 8 『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る
『風土記(fudoki)』とは
『風土記(fudoki)』は
(「第43代 元明天皇(gemmei tenno)」の詔により) 和銅6年5月甲子(713年5月30日)奈良時代初期 風土記編纂の官命による官撰の地誌 各律令制の各国庁が編纂
(律令制の整備として) 朝廷が 諸国の事情を一望できるように『風土記(fudoki)』編纂を命じ 地方統治の指針としました
(「第45代 聖武天皇(shomu tenno)」に奏上された) 天平5年(733年)2月30日に完成したと云われています
『風土記(fudoki)』は「写本 5つ」が現存します
多くの各国『風土記(fudoki)』は 経年に散逸してしまい「写本」として現存するものは つぎの「5つの風土記」のみです
・ほぼ完本 『出雲國風土記』(izumo no kuni fudoki) ・一部欠損 『常陸国風土記』(hitachi no kuni fudoki) ・一部欠損 『播磨国風土記』(harima no kuni fudoki) ・一部欠損 『肥前国風土記』(hizen no kuni fudoki) ・一部欠損 『豊後国風土記』(bungo no kuni fudoki)
このように各国の現存する『風土記(fudoki)』のなかで 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』のみが 編纂者・完成年月日等がわかり 一番完本に近いので「ほぼ完本」と呼ばれています
国立公文書館デジタルアーカイブ『常陸国風土記』写本 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像取得先
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「風土記逸文(fudoki itsubun)」について
『釈日本紀(shaku nihongi)』など 後世の書物に引用される形式で残っている各国の『風土記(fudoki)』は「風土記逸文(fudoki itsubun)」と言われています
国立公文書館デジタルアーカイブ『摂津国 風土記逸文』写本 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像取得先
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『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』の編纂 について
713年(和銅6年)太政官が発した官命により 風土記編纂が開始されます 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』は 出雲国国司が 出雲国庁にて「出雲国造(izumono kunino miyatsuko)出雲臣果安(izumo no omi hatayasu)」を招いての編纂を委嘱します
『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』は 733年(天平5年)出雲国造「出雲臣広島(izumo no omi hiroshima)」の監修の下 秋鹿(aika)郡の人「神宅臣金太理(kanyake no omi kanatari)」の手によって編纂されました
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『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』の内容 について
朝廷より 諸国に下された『風土記(fudoki)』の編纂命令には 記すべき内容として 下記の五つ(主に漢文体で書かれた)がありました
1 郡郷の名(好字を用いて) 2 郡郷の産物の品目 3 土地の肥沃の状態 3 山川原野の名の起源 4 古老(ころう)が伝えている旧聞異事
※この「諸国の郡郷の名に好字を用いて」とは 郡郷の名を漢字二字の嘉字(kaji)に改める命令 以上を史籍に記載して 提出がなされています
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『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』の構成・特徴について
「構成」としては
・出雲國(izumo no kuni) 総記 ・意宇郡(ou no kori) 条 ・島根郡(shimane no kori)条 ・秋鹿郡(aika no kori) 条 ・楯縫郡(tatenui no kori) 条 ・出雲郡(izumo no kori) 条 ・神門郡(kando no kori) 条 ・飯石郡(iishi no kori) 条 ・仁多郡(nita no kori) 条 ・大原郡(ohara no kori) 条 ・出雲國(izumo no kuni) 条 ・巻末条 から構成されています
次のように 各郡の条には 例えば 自然の地形の項では その地形の様子と特産品の情報などが 記されています
【1】 〇〇郡 総記 【2】 〇〇郡 郷 【3】 〇〇郡 寺院 【4】 〇〇郡 神社 【5】 〇〇郡 山野 【6】 〇〇郡 河川・池 【7】 〇〇郡 海岸地形 【8】 〇〇郡 通道 【9】 〇〇郡 群司
「特徴」としては
「国引き神話」を始めとして 出雲に伝わる固有の神話などが記載されていて記紀神話とは異なる伝承が残されています
『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』の特筆すべき「神社の所載」について
出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された当時の神社の様子を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています 現存する他の国の『風土記(fudoki)』には 神社帳の記載はありません
『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載の神社の数と「各郡の条」の神社所載の一覧
各郡の条には 神祇官(jingi kan)に報告すべき神社(官社と官社でない)が各々所載されています
この箇所は 風土記の冒頭に書かれています
原文 『出雲國 総記の条』 『合 神社参佰玖拾玖所 壹佰捌拾肆所在神祇官 貳佰壹拾伍所不在神祇官』
意訳 『合わせて 神社は「399所」
「184所」 は神祇官社(jingikan sha)
「215所」 は不在神祇官社(fuzai jingikan sha)』
※ここに所載される「神祇官社(jingikan sha)」は 後の平安時代中期 延長5年(927年)に編纂された『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』所載の式内社と同じ神社になります
国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用