彌彦神社(弥彦村)越後国一之宮

弥彦神社(いやひこじんじゃ)は 創建から2400年以上であるとも云われ 万葉集に詠われる由緒ある歴史を持つ古社す 御祭神は 天照大神の曾孫の天香山命(あめのかごやまのみこと)祀り 人々からは「おやさま」と呼ばれ 信仰を集めてきた越後一之宮です

目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

彌彦神社Iyahiko Shrine)
(いやひこじんじゃ) 

 [通称名(Common name)]

おや彦さま

【鎮座地 (Location) 

新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2887-2

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》伊夜日子大神Iyahiko no ohokami)
御名 天香山命Ameno kagoyama no mikoto)

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【御神格 (God's great power)】(ご利益)

人々の魂・生命に溌剌とした活力を御授けくださる神様
(A god who gives lively vitality to people's souls and lives.)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)
・ 越後国一之宮Echigo no kuni ichinomiya)
・ 別表神社

【創  (Beginning of history)】

越後一宮
名神大社 弥彦神社

祭神 天香山命(あめのかぐやまのみこと)
〈亦の御名 高倉下命(たかくじのみこと)手繰意命(たぐりいのみこと)〉

御祭神は 天照大御神の御曾孫で 天孫御降臨に供奉して降り 紀州熊野に住み 神武天皇御東遷の時 霊剣を奉りて大功をたて、後北辺鎮護国土開発の勅命を奉じて越路に降られ、住民を導き、農耕漁業を始め諸産業を教え、地方文化産業業の基を開かれた大祖神である。
 されば夙く衆人その徳を仰いで この地に社を創建し 崇敬の誠を捧げた古社であり、遠く万葉集には弥彦の神をたたえ、平安期の初め神験の顕著により名神の列に加わり神階を授けられ、延喜式に名神大社と記す。
鎌倉幕府三千貫の社領を寄せ、上杉謙信神助を祈り、徳川氏また五百石の朱印地を奉る。
 明治4 国幣中社に列し、皇室を始め衆庶の崇敬極めて篤く 明治11 明治天皇が、昭和47年には天皇・皇后両陛下、又 昭和56年皇太子・同妃両殿下が御参拝になる。
 昭和22年宗教法人となり神社本庁に属する。
境内案内板より

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【由  (History)】

御由緒

彌彦神社の御創建について、社伝によると天香山命は第六代孝安天皇元年(西暦紀元前392年)二月二日に越の国開拓の神業を終えられ神去り坐して神劒峰(弥彦山)に葬られ、御子である第一嗣・天五田根命が廟社を築き奉祀した事に始まります。下って第十代崇神天皇の御代(御在位:紀元前97~30年)に、第六嗣(天香山命より七代)建諸隅命が勅を奉じて社殿を造営して以来、御歴代の天皇の勅による社殿修造がなされ、第四十三代元明天皇和銅四年(711)には勅により神域の拡張と神戸及び神領の境を定めたと伝えられております。
よって彌彦神社は御創建から二千四百年以上の歴史を有する神社です。

公式HPよりhttp://www.yahiko-jinjya.or.jp/history/yuisyo/index.html

【境内社 (Other deities within the precincts)】

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摂社

妻戸神社(つまどじんじゃ)
《主》熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと) - 天香山命の妃神

武呉神社 (たけくれじんじゃ)
《主》天五田根命(あめのいつたねのみこと) - 天香山命の後継 第1代

船山神社(ふなやまじんじゃ)
《主》天忍人命(あめのおしひとのみこと) - 天香山命の後継 第2代

草薙神社(くさなぎじんじゃ)
《主》天戸国命 (あめのとくにのみこと) - 天香山命の後継 第3代

今山神社(いまやまじんじゃ)
《主》建筒草命(たけつつくさじんじゃ) - 天香山命の後継 第4代

勝神社 (すぐるじんじゃ)
《主》建田背命(たけたせのみこと) - 天香山命の後継 第5代

乙子神社(おとごじんじゃ)
《主》建諸隅命(たけもろずみのみこと) - 天香山命の後継 第6代

末社

二十二所神社(にじゅうにしょじんじゃ)
伊勢の神宮をはじめとする畿内の名社二十二社の御分霊を奉祀
《合》伊勢大御神,石清水八幡宮,加茂大明神,松尾大明神,平野大明神,稲荷大明神,春日大明神,大原大明神,大神神,石上神,大和神,広瀬大明神,竜田大明神,丹生神,住吉明神,貴船大明神,吉田神,広田大明神,北野大明神,梅宮坐神,祇園神,日吉神

八所神社(はっしょじんじゃ)
鹿島神宮など京都以東の名社八社の御分霊を奉祀
《合》香取大明神,熱田大明神,香島大明神,気比大明神,諏訪大明神,江文大明神,渡津大明神,気多大明神

十柱神社(とはしらじんじゃ)
《合》大穴牟遅命,弥都波能売神,速秋津日子神,速秋津日女神,阿須波神,波比岐神,大山祇神,大地主神,埴山姫神,草野姫神

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

奥宮

御神廟(ごしんびょう)
《主》天香山命あめのかごやまのみこと

・彌彦神社奥宮 御神廟(弥彦山頂上)

摂社

櫻井神社(さくらいじんじゃ)〈 弥彦神社の旧跡
《主》天香山命あめのかごやまのみこと

末社

湯神社(ゆじんじゃ)
《配》大穴牟遅命(おなむちのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)

祓戸神社(はらえどじんじゃ)
《主》祓戸四柱大神(はらへどよはしらのおおかみ)

火宮神社(ひのみやじんじゃ)
《主》加具都知大神(かぐつちのおおかみ)

住吉神社(すみよしじんじゃ)
《主》住吉三神(すみよしさんしん)

上諏訪神社(かみすわじんじゃ)
《主》建御名方命(たけみなかたのみこと)

下諏訪神社(しもすわじんじや)
《主》建御名方命(たけみなかたのみこと)

某神社《主》祭神不詳

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Myojin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦) 

大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに 
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺 
絲(イト)1絇を 布1端に代える

伊夜比古神社 一座 越後国

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越後国 56座(大1座・小55座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)蒲原郡 13座(大1座・小12座)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 伊夜比古神社(貞・名神大)
[ふ り が な ]いやひこの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Iyahiko no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

越後国(えちごのくに)について

越後国(えちごのくに)は 古代日本の行政区分 令制国の一つです 北陸道に属します

7郡34郷有します
頸城郡古志郡魚沼郡刈羽郡三島郡蒲原郡岩船郡

由来としては
7世紀末 文武天皇元年(697年)以前に 越国(こしのくに)の磐船(いわふね)・渟足(ぬたり)の二郡の分割によって成立しました

蝦夷(えみし)政策の拠点国として
大宝2年(702)3月には 越中国から分立〈親不知以東頸城郡 古志郡 魚沼郡 蒲原郡の四郡を割譲〉

和銅元年(708年)には
に領域を伸ばして 出羽郡を新しく設置して 七郡体制となります
和銅5年(712年)9月23日 には 出羽郡が出羽国として分離

天平16年(743年)2月11日に
佐渡国を併合
天平勝宝4年(752年)11月3日には 〈佐渡国 再分立〉元に復し 現在〈新潟県の本州部〉に近い形となります

越後国の一之宮について

越後国には 一之宮とされる神社が三ヶ所あります

・彌彦神社(弥彦村)

・彌彦神社奥宮 御神廟(弥彦山頂上)

・天津神社・奴奈川神社(糸魚川市)

・居多神社(上越市)越後国一之宮

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

弥彦駅から 参宮通り経由約800m 徒歩11分程度

弥彦駅の駅舎は 彌彦神社の本殿を模した木造 入母屋造で 1916年(大正5年)の開業時からのもの 門柱や梁などが朱色に塗色され 鬼瓦には兎が彫り込まれるなど特徴的な意匠を持っています
駅からの沿道には「おや彦さま」の幟が立てられています 駅からの鳥観図もありましたので ご参考まで

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旅館街抜けて 一の鳥居前には 奉納された幟旗「おや彦さま」とあり 社号標には「名神大社 越後一宮 彌彦神社」と刻まれています
朱色の両部鳥居に「彌彦神社」の扁額が掲げられています
弥彦神社Iyahiko Shrine)に参着

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参拝日は7月26日で「燈籠神事」の祭日です

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一礼をして 一の鳥居をくぐります  参道には 御神燈がずらりと掲げられています

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すぐに石橋が架かっていて 左手には明治末の社殿焼失以前には拝殿前にあったとされる「玉の橋(たまのはし)〈神様がお渡りの橋〉」があります

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表参道の途中に手水舎があって ここには 御神木や宝物殿があります

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ここで左へと折れて 東南を向いている社殿から真っ直ぐに伸びている参道へと続いていきます
二の鳥居が建ち 一礼して深い杜へと 御神燈がずらり並ぶ参道を進みます

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隋神門建つ 右手前には 鳥居の建つ参道があり 摂社末社が鎮座しています お詣りをします

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表参道に戻り 隋神門への階段をあがります あまり見かけないタイプの狛犬が座していて 狛犬に会釈をして 隋神門をくぐり抜けます

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隋神門の中は 社殿の建つご神域で 社殿の背後には 神体山の弥彦山が聳えています この日は祭日で 境内には舞台が建てられています

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拝殿にすすみます 燈籠神事「献華奉茶祭」の行事が終わったばかりのようで 拝殿内は多くの方々が昇殿されておられます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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本殿は三間社流造向拝付 幣殿・祝詞舎に入母屋造向拝付の拝殿が続き 拝殿の南に神饌所 北には祗候所・祈祷殿が連なっています

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境内から社殿に一礼をして 参道を戻ります

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一の鳥居を抜けてから 弥彦山の山頂に向かいます

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・彌彦神社奥宮 御神廟(弥彦山頂上)

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『万葉集(Manyo shu)』〈7世紀前半~759年頃〉に詠まれる歌

第十六巻の 題詞越中國歌四首」として 詠われています

【意訳】

第十六巻 [歌番号]3883

弥彦山は ああ ほんとうに
神々しくて 青空に
白い雲のたなびく日でも
小雨がしとしと降っている

第十六巻 [歌番号]3884

弥彦山(いやひこやま) 神のお山の麓で
鹿が今日あたり
寝ているだろうか 毛皮をまとい
頭に角(つの)をつけたまま

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『萬葉集』刊本 寛永20年[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

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『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承

伊夜比古神(いやひこのかみ)として (ひでり)に(えき)〈疫病〉を救い 名神に預かっています

【意訳】

天長10年(833)7月3日(戊子)

越後国(えちごのくに)蒲原郡(かんはらのこおり)
伊夜比古神(いやひこのかみ)に
しむ (の)を名神(みょうじん)に

って (か)の部れば (ひでり)に(えき)〈疫病〉 
し (なり)

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伊夜比古神(いやひこのかみ)に 神階の奉授が記されています

承和9年(842)10月壬戌(2日)

(サズ)くに
安房国(アワノクニ)
従五位下 安房大神(アワノオオカミ)に 正五位下
無位 第一后神 天比理刀咩命神
信濃国 無位 健御名方富命 前八坂刀売神
阿波国 無位 葦稲葉神
越後国(えちごのくに)
無位(むい)伊夜比古神(いやひこのかみ)

常陸国 無位 筑波女大神
(ならび)に 5

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』〈延喜元年(901年)成立〉に記される伝承

弥彦神(いやひこのかみ)に 神階の奉授が記されています

【意訳】

貞観3年(861)8月3日甲辰)の

越後国(えちごのくに) 従五位上
弥彦神(いやひこのかみ)

大神神
居多神
(ならび)に (さずく)に 従四位

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

神階 社伝などを引用しています

【意訳】

伊夜比古(イヤヒコ)社 名神大

続日本後紀
天長10年(833)7月3日(戊子)・・名神に預か
承和9年(842)10月壬戌(2日)・・5

日本三代実録
貞観3年(861)8月3日甲辰)の・・従四位

萬葉集
第十六巻 題詞越中國歌四首[歌番号]3883 3884
いやひこ おのれ神さび 青雲の 棚引く日すら こさめそぼふる
いやひこ 神の麓に 今日らもか 鹿の伏すらむ 皮服(かわころも)着て 角つきながら

羅山文集
15有 越後国 伊夜比古神(いやひこのかみ)旧記 甚だ詳しく案内
社記に曰く
考安天皇元年2月2日崩し玉ふ 陵神劔峯南加止弥
在6世孫 建諸隅命(たけもろずみのみこと) 磯城瑞籬宮第10代崇神天皇が営んだ宮〉の御宇 大御代大臣成時 祖神の功を奏 天皇勧請 櫻井々宮柱云々

天香山命は 天神ニニギノ天孫降臨の時 供奉32神の御神なり 又 社司云う 上古 紀伊国新宮 神倉大明神 この国へ臨幸の伊夜比古大明神の御前名の神克に神歌とて唱え2首の〈万葉〉中16に見えたり
いやひこ おのれ神さび 青雲の 棚引く日すら こさめそぼふる

もう1首は
いやひこ 神の麓に 今日らもか 鹿の伏すらむ 皮服(かわころも)着て 角つきながら

神克 正月26日より2月3日まで 3月26日より4月3日まで 10月26日より11月3日までの云々 奉銭を投る鉄鉢の銘 嘉歴元年9月5日云々 伊良彦御鉢と云々 神主 髙橋氏 弥彦一邑の庄司なり

〇又云う 伊夜彦 櫻井々弥彦駅 御朱印5百石 祭神 天香山命
累系 饒速日等の子にて 妃は天道日姫命なり 天香山命の妃は 熟穂屋姫命の子
天五田根命(あめのいつたねのみこと)
天忍人命(あめのおしひとのみこと)
天戸国命 (あめのとくにのみこと)
建筒草命(たけつつくさじんじゃ)
建田背命(たけたせのみこと)
建諸隅命(たけもろずみのみこと) 以上 案内に云う

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

越後国の一之宮であると記しています

【意訳】

伊夜比古神社 名神大

伊夜比古仮字なり
〇祭神 天香山命 頭注
〇櫻井郷 弥彦駅に在す 名寄案内
〇当国 一宮なり 一宮記
〇式三 臨時祭 名神祭285座 中略 越後国 伊夜比古神社一座
〇萬葉集16巻に越中国歌
いやひこ おのれ神さび 青雲の 棚引く日すら こさめそぼふる
いやひこ 神の麓に 今日らもか 鹿の伏すらむ 皮服(かわころも)着て 角つきながら
社記云う
考安天皇元年2月2日崩し玉ふ 陵神劔峯南加止弥
在6世孫 建諸隅命(たけもろずみのみこと) 磯城瑞籬宮第10代崇神天皇が営んだ宮〉の御宇 大御代大臣成時 祖神の功を奏 天皇勧請 櫻井々宮柱云々

社司云う 上古 紀伊国新宮 神倉大明神 この国へ臨幸の伊夜比古大明神の御前名なり

神位 名神
続日本後紀
天長10年(833)7月3日(戊子)・・名神に預か
承和9年(842)10月壬戌(2日)・・5
日本三代実録
貞観3年(861)8月3日甲辰)の・・従四位

社領
当代 御朱印高5百石

雑事
朝野載云う 永暦4年6月10日 秦亀卜御體御卜 中略 坐に越後国 伊夜比古神社云々 以下前に同じ

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

國幣中であると記しています

【意訳】

伊夜比古神社 名神大

祭神 天香兒山命
神位
淳和天皇 天長10年(833)7月3日(戊子)・・名神に預か
仁明天皇 承和9年(842)10月壬戌(2日)・・5
清和天皇 貞観3年(861)8月3日甲辰)の・・従四位

社格 國幣中社
所在 櫻井弥彦村 (西蒲原郡弥彦村大字弥彦)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

彌彦神社(Iyahiko Shrine)に (hai)」(90度のお辞儀)

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越後国 式内社 56座(大1座・小55座)について に戻る        

 

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