伊豆田神社(土佐清水市)

伊豆田神社(いつたじんじゃ)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)に所載される由緒(格式ある歴史)を持っています 土佐国に鎮座しますが 伊豆の名を持つ 不思議な古社です

目次

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

伊豆田神社Itsuta Shrine)
(いつたじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

高知県土佐清水市下ノ加江字西高知山313

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》伊豆那彦命(Itsunahiko no mikoto)
《主》伊豆那姫命(Itsunahime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

不詳 火災で古記録焼失

【由  (history)】

不詳

伊豆田神社社叢

下ノ加江市野瀬地区の北西2kmの高知山にある伊豆田神社は、平安時代の法令集である延喜式えんぎしき(延喜5年(905))によると、式内社と言われる土佐国で21座・幡多郡で3座として記載されている神社で、その社叢は、鳴川谷から本殿に向かう100段の石段の左右に広がっています。

境内には本殿と末社三島社があり、主木と言われる2本のイチイガシの巨樹やモミやスギの大樹などが、この急傾斜の石段を覆っています。この石段は昼でも薄暗く、樹下にはオオカグマ・オオバノコギリソウ・クリハラン等が繁生しています。

土佐清水市役所生涯学習課 公式HPより
https://www.city.tosashimizu.kochi.jp/kanko/g05_izutajinjya_syaso.html

【境内社 (Other deities within the precincts)】

摂社 三島社Mishima Shrine)

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座
      …大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)土佐国 21座(大1座・小20座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)幡多郡 3座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 ] 伊豆多神社
[ふ り が な  ](いつたの かみのやしろ)
[How to read ]Itsuta no kamino yashiro) 

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)所載社
伊豆那姫命(Itsunahime no mikoto)を祀る その他の式内社

当社は「伊豆那姫命(Itsunahime no mikoto)」を祀る式内社「伊豆田神社(Izuta Shrine)」(高知県土佐清水市)ですが
静岡県 伊豆下田に伊豆奈比咩命Itsunahime no mikoto)を祀る式内社の論社「走湯神社Soto Shrine)」があります

当社の伊豆那姫命(Itsunahime no mikoto)と同じ発音ですが 同神かどうか 関係性は不明です
伊豆の賀茂氏が 当地に移住したのでしょうか?

双方の神社の鎮座する地理的な状況は似ていて どちらも太平洋の黒潮が流れる地域から 河川に入り 山間に鎮座しています

参考までに 皆さんが間違えやすいので
下田の白浜に鎮座する「伊古奈比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)(Ikonahime no mikoto shrine)」とは似ていますが 別の神社です

伊豆奈比咩命Itsunahime no mikoto)を祀る

伊豆国(izunokuni) 賀茂郡(kamonokori)
伊豆奈比咩命神社Itsunahime no mikoto no kamino yashiro)の論社
走湯神社Soto Shrine)(下田市大賀茂)の記事をご覧ください

一緒に読む
走湯神社(下田市大賀茂)

走湯神社は 「(そうとうじんじゃ)or(すとうじんじゃ)」と呼ばれます 『南国伊豆の昔話』によれば 蓮台寺の神様と お湯の取り合いをして 走り戦いましたので「走湯」というと云われています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の由緒(格式ある歴史)を持っています

続きを見る

スポンサーリンク

神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

中村駅からR321号経由約17.3km 車23分程度
新伊豆田トンネルを越えて県道346号へ右折

三原方面へ左折 どうやらこの道は「四国遍路道」のようです

県道から 枝分かれをして 参道への入り口 付近は少しわかりにくいです

良く見ると 参道入口には 遍路39番札所「延光寺」22kmの立札
社号標「伊豆田神社」が建てられていますので 判るとおもいます

社号標を良く見ると文字が刻まれています

「鳴川谷に沿って 0.8キロ 高知山を背に鎮座」

ここで車を降りて 徒歩にした方が無難です
しばらく轍の残る道を進むと 鳥居が建っています

鳥居の扁額には「伊豆田神社」と刻まれています

一礼をして 鳥居をくぐります
鳥居の先には石灯篭が建ち参道が続いています

参道の左手に渓流があり 谷になっていますので これが社号標の案内にあった「鳴川谷」なのでしょう

参道に注連縄が張られていますので ご神域です 一礼をして踏み入れます

左前方の沢に架かるのは 石橋のように見えます

近づくと 橋のたもとには 古い苔生した手水鉢があります

橋の先には急な石段が続いています

橋の名は「伊豆田橋」昭和6年竣工(1931)と刻まれています

急峻な石段を上がります 石段の上には 社殿が建っています

石段の中段辺りまで来ると 深い林から抜けて やっと日が差し込んできます

拝殿にすすみます 

狛犬が構えています

拝殿の扉は開くことが出来て 拝殿内に 賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

拝殿内には奉納された「三社宮 ひご唄」の 音頭 囃子 が春夏秋冬で書かれています

社殿は 山間の僅かな境内に建っています 社殿の前面は 石段のある崖です

高知山を背に鎮座していますので 後ろにも余裕はありません

向かって左手にある覆屋が 境内社の「三島社Mishima Shrine)」でしょうか お詣りをします

下りの石段は 踏み代が小さく急なので 雨の日などは注意が必要

石段を下がり 振り返り一礼をします

石段に落ちていた 枝を片付けながら 橋の手前まで戻ります

谷沿いの参道を下ります

しばらく歩けば 鳥居の辺りまで戻ります

鳥居をくぐり 振り返り一礼をします

スポンサーリンク

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『土佐国式社考(Tosanokunishikishakou)』に記される伝承

玉石(ギョクセキ)二枚を以って ご神体(シンタイ)と為(ナ)す と記されています

意訳

伊都多神社(イツタノカミノヤシロ)

伊豆多坂(イズタサカ)の西鳴川谷 高知山に在り
玉石(ギョクセキ)二枚を以って ご神体(シンタイ)と為(ナ)す
里人(サトビト)伝えるに
当社は 昔 坂本川の高知山にあり ここに何れの代に徒すか不知らず

「著者の 谷重遠(秦山)」重遠 言う
高知の字 しばらく里人の語に従う 河内と相近し 正説いまだ知らず

渡会(ワタライ)氏いわく
伊豆国(イズノクニ)伊豆奈比咩命神社(イズナヒメノ カミノヤシロ)

出雲国(イズモノクニ)飯石神社(イイシノ カミノヤシロ)
出雲国風土記(イズモノクニ フドキ)にいう
飯石郷 伊毘志郡幣命(イビシツベノミコト)天降り(アメクダリ)座す

考えてみるに 稲霊(イナタマ)大御食都姫命(オオミケツヒメノミコト)
万物の始め 人これ 天とする 所なり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『土佐国式社考』成立年 宝永二自跋(1705)著者:谷秦山 [旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局 刊本(跋刊) ,享保05年

伊豆田神社Itsuta Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

「伊豆奈比咩命Itsunahime no mikoto)」を祀る

伊豆国(izunokuni) 賀茂郡(kamonokori)
伊豆奈比咩命神社Itsunahime no mikoto no kamino yashiro)の論社
走湯神社Soto Shrine)(下田市大賀茂)の記事をご覧ください

一緒に読む
走湯神社(下田市大賀茂)

走湯神社は 「(そうとうじんじゃ)or(すとうじんじゃ)」と呼ばれます 『南国伊豆の昔話』によれば 蓮台寺の神様と お湯の取り合いをして 走り戦いましたので「走湯」というと云われています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の由緒(格式ある歴史)を持っています

続きを見る

「伊毘志郡幣命(イビシツベノミコト)」を祀る

出雲国(イズモノクニ)飯石神社(イイシノ カミノヤシロ)の記事をご覧ください

一緒に読む
飯石神社(雲南市三刀屋町多久和)

飯石神社(いいしじんじゃ)(多久和)は 「伊毘志都弊命(iishitsube no mikoto)」の天降られた盤石を御神体としています その「磐座(iwa kura)」は荒垣で囲まれて拝殿の奥に坐ます 直接神体を拝むことができ 磐境 磐座という古代の聖地形態を伝えています 境内社の託和神社(たくわじんじゃ)は 吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祀ります

続きを見る

土佐国 式内社 21座(大1座・小20座)について に戻る 

 

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.