伊那下神社(賀茂郡松崎町松崎)〈『延喜式』伊志夫神社・伊那下神社・仲大歳神社〉

伊那下神社(いなしもじんじゃ)は 三つの式内社〈伊豆國 那賀郡 伊志夫神社いしふの かみのやしろ伊那下神社いなしもの かみのやしろ仲大歳神社なかをほとしの かみのやしろ〉の論社です 又 三韓征伐の時 この国の人が神功皇后御船を守り 長門豊浦から松崎に来て唐(新羅)征討の住吉三神を祀り俗に唐大明神と称します

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

伊那下神社(Inashimo shrine

通称名(Common name)

・下の宮(しものみや)

唐大明神(からだいみょうじん)

【鎮座地 (Location) 

静岡県賀茂郡松崎町松崎28

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神》海 住吉三柱大神(すみよしみはしらのおおかみ)〈唐大明神〉

相殿神》山 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)〈石火宮〉

《配祀神》水 龍谷水神(りゅうこくすいじん)

Please do not reproduce without prior permission.

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

・産業守護・交通航海守護・健康長寿・学業就職守護・手足守護・良縁成就

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒

 かつて、この地には大山祗神の系統である石火族が住んでいました。昔は山そのものを神としてまつる場としたため社殿なく、牛原山の嶺三本松と呼ばれるところが、祭りをする自然の祭場でした。年が移り土地の発展に伴い、此処に神社が設けられ、産業の守護神でもある彦火火出見尊を石火宮とたたえて尊崇してきました。

 また、この神社を俗に唐大明神と称する起源は、4世紀に新羅征伐の時、この国の人が皇后の御船を守り、長門の豊浦に留まり後にこの松崎に来て、ここに唐(新羅)征討の神功皇后ゆかりの住吉三神を鎮座したためであるといわれています。

 原始の頃より、山の中の祭から始まっているため、創建は不詳です。

  鎌倉時代の建暦元年(1211年)、松崎下宮鰹船免許状が残っており、ここには当時「下宮」と称したことや、「仁科庄松崎」の名も出ており、仁科は西伊那の約であるとの説があります。

 「いな」は新羅の帰化人で、造船術に巧みな猪名部一族がこの地にやってきて、船舶の建造に従事したことをもって、その集落を猪名といっていたとの説などがあります。ところが、後に伊那と変わり港湾を伊那湾と呼び、伊那湾の下の方にある当社を伊那下神社と称するようになりました。

  伊那下神社の称号は宝暦10年(1760年)の神号額に初めて出てきます。「伊那下」を公称したのは、寛政12年(1800年)秋山富南の豆州志稿からで、近くは江川坦庵が「伊那下」の額を書いています。

 二祭神を祭るのは山と海の両面にわたる原始信仰に発したものであり、本社の氏子は彦火火出見尊の石火宮(山を中心)と唐大明神の住吉大神(海を中心)とに分かれていて、松崎東区の一部・中宿南区等牛原山に寄った方面が石火宮氏子、残りの東区・中区・北区の海岸寄りが唐大明神の氏子です。

松崎町役場HPより抜粋
https://www.town.matsuzaki.shizuoka.jp/docs/2019030600010/

【由  (History)】

伊那下神社『神社誌要』に記される内容

【抜粋意訳】

伊豆國賀茂郡松崎町松崎 伊那下神社
由緒 並に沿革

 當社は 往昔より秘神にして石火宮 或は唐大明神とのみ唱へ 御祭神の神名を言はず 四座の中主たる御神像は本郡内最大最古の彫刻にして御神鏡に毛彫せる神像は奈良朝時代の服飾をなし考古學界にて珍らしき参考資料なるよし 神功皇后三韓を征し給ひし時 伊豆國の卜部の祖先 雷臣命は彼國より帰ヘりて長門の豐浦に留まり 後また此地にも來りて皇后の御船を守護し奉りし諸神祇の牛原山 (柴山)に鎭祀す 別に漁者の信依により 彦火火出見尊を相殿に祀りしなり 古くより唐大明神と云ひ傳ふ

日本紀 神功皇后ノ卷に曰はく
三月壬申朔、皇后選吉日、入齋宮、親爲神主。則命武內宿禰令撫琴、喚中臣烏賊津使主爲審神者。因以千繒高繒置琴頭尾、而請曰「先日教天皇者誰神也、願欲知其名。」逮于七日七夜、乃答曰 云々
於天事代於虛事代玉籤入彦嚴之事代主神有之也 云々

於日向国橘小門之水底所居而水葉稚之出居神、名表筒男・中筒男・底筒男神之有也 云々

時得神語、隨教而祭 云々

既而則撝荒魂、爲軍先鋒、請和魂、爲王船鎭 冬十月己亥朔辛丑、從和珥津發之 云々
於是、從軍神、表筒男・中筒男・底筒男三神、誨皇后曰「我荒魂、令祭於穴門山田邑也。」時穴門直之祖踐立・津守連之祖田裳見宿禰、啓于皇后曰「神欲居之地、必宜奉定。」則以踐立爲祭荒魂之神主、仍祠立於穴門山田邑 云々

とある是即ち今の所謂る長門國豊浦郡山田村なる官幣中社 住吉神社なりこの中臣鳥賊津使臣と同族なる雷臣命も同時從軍し給へば此四座大神の神威を感得して凱旋の後 牛原山に祭祀せられたるものなり 一説に

上古 我大八洲國を統營したまひし大國主命の御子神 事代主命此國土を天孫瓊々杵命に譲り奉りて 伊豆に來航して居住し給ヘリ 始め命は先宇久須、多爾夜、哆胡、を經て仁科に達せしに當時 今の岩科村 及び松崎町 中川村の   ー部に燃石を以て火を取る民族 即ち大山祇命の系統なる磐長姫命一派の石火族あり命の進路を防ぎしか 遂に共に力を協せ經營せしにより 其功德を仰ぎ尊み事代主命を宮内村上ノ宮に石火族の主神を下ノ宮に勧請せしを神功皇后三韓征討の後 雷臣命は當地に來りて住吉三柱大神を鎖め祀り雷臣命の子孫を 止めて祭事を司らしめしなりといふ 當社の神域なる牛原山は全部石火郷の内なりしに中川下流の地漸時に発展し那賀郷の膨張せるに從がひ石火郷の名稱自然に消滅したるなりといふ

 神武天皇即位・・・・・・〈中略〉

 雷臣命の子孫なる伊豆のト部は何れの處より分布せしや詳かならざれども當社の傳説を史傳に対照するに 卽ち當地より他の國々へ轉住せしを 想ふに難からず 實に當社は神功皇后の御船を守護し奉れる神祇にまして 唐大明神と傅へ また海幸多き彦火火出見尊を御相殿に祀りしを以て兩輿明神とも傳へしなり

・・・・〈以下略〉

【原文参照】

『神社誌要』,伊那下神社,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/922525

『神社誌要』,伊那下神社,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/922525

『神社誌要』,伊那下神社,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/922525

スポンサーリンク

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・境内案内図

①宝物殿(社務所)②天然記念物 親子いちょう③大足大明神④伊那下の七福神⑤古代祭場亥子岩(占石)⑥龍の道⑦龍谷水神社

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

伊那下神社(賀茂郡松崎町松崎は 三つの式内社の論社となっています

①延喜式内社 伊豆國 那賀郡 伊志夫神社
②延喜式内社 伊豆國 那賀郡 伊那下神社
③延喜式内社 伊豆國 那賀郡 仲大歳神社

①延喜式内社 伊豆國 那賀郡 伊志夫神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 22座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 伊志夫神社
[ふ り が な ]いしふの かみのやしろ
[Old Shrine name]Ishifu no kaminoyashiro

②延喜式内社 伊豆國 那賀郡 伊那下神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 22座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 伊那下神社
[ふ り が な ]いなしもの かみのやしろ
[Old Shrine name]Inashimo no kaminoyashiro

③延喜式内社 伊豆國 那賀郡 仲大歳神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 22座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 仲大歳神社
[ふ り が な ]なかをほとしの かみのやしろ
[Old Shrine name]Nakawohotoshi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

伊那下神社(賀茂郡松崎町松崎は 三つの式内社の論社となっています

①延喜式内社 伊豆國 那賀郡 伊志夫神社
②延喜式内社 伊豆國 那賀郡 伊那下神社
③延喜式内社 伊豆國 那賀郡 仲大歳神社

①延喜式内社 伊豆國 那賀郡 伊志夫神社(いしふの かみのやしろ)の論社について

・伊志夫神社(松崎町石部)

・伊那下神社(松崎町松崎)

②延喜式内社 伊豆國 那賀郡 伊那下神社(いなしもの かみのやしろ)の論社について

・伊那下神社(松崎町松崎)

・舟寄神社(松崎町江奈)

スポンサーリンク

大歳神(おとしのかみ)について

大歳神は 記紀神話『古事記』によれば 須佐之男命と神大市比売命〈大山津見神の娘〉の間に生まれた御子神〈大年神(おとしのかみ)〉で宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の兄弟神とされています
穀物や豊穣を司る神として信仰され 年神(歳神)とも呼ばれることがあります

「大歳神(おほとしのかみ)」を社名に持つ式内社について

延喜式内社 山城國 乙訓郡 大歳神社(大 月次 新嘗)(おほとしの かみのやしろ)

・大歳神社(京都市西京区大原野灰方町)

延喜式内社 大和國 高市郡 大歳神社 二座(おほとしの かみのやしろ ふたくら)

・大歳神社(橿原市石川町)

延喜式内社 攝津國 住吉郡 草津大歳神社(鍬靫)(くさつおほとしの かみのやしろ)

〈旧鎮座地〉式内 草津大歳神社趾(大阪市住吉区苅田)

〈合祀先〉大依羅神社(大阪市住吉区庭井)

・大歳神社〈住吉大社 境外摂社〉(大阪市住吉区住吉)

延喜式内社 和泉國 大鳥郡 大歳神社(貞・鍬)(をほとしの かみのやしろ)

・等乃伎神社(高石市取石)
〈等乃伎神社に合祀 大歳神社(高石市西取石)〉

延喜式内社 遠江國 長上郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)

・大歳神社(浜松市中央区天王町)

・蒲神明宮(浜松市中央区神立町)

延喜式内社 駿河國 安倍郡 大歳御祖神社(おほとしみおやの かみのやしろ)

・静岡浅間神社(静岡市)

・別雷神社(静岡市)

③延喜式内社 伊豆國 那賀郡 仲大歳神社(なかおほとしの かみのやしろ)

・神明神社(西伊豆町中)

・伊那下神社(松崎町松崎)

・仲神社(松崎町那賀)

・伊那上神社(松崎町宮内)

延喜式内社 但馬國 二方郡 大歳神社(おほとし かみのやしろ)

・大歳神社(美方郡新温泉町居組字宮ノ前)

延喜式内社 石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)

式内社 大歳神社について 所在は゛大年神社は當郡中 數多ありて 何れを式内と定め難し゛と 大年神社が多数あって決め難いとされます

・大年神社(江津市都野津町)

・大年神社(江津市和木町)

・大年神社(江津市渡津町塩田)

・大歳神社(江津市千田町大年迫)

・大歳神社 (浜田市元浜町)

・大歳神社(浜田市弥栄町小坂)

大歳神社(浜田市大金町)

・大年神社(浜田市国分町)

大歳神社(浜田市三隅町下古和)

・大歳神社(浜田市金城町波佐)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊豆急行下田駅からR414号・県道15号経由で北西方向の西伊豆 松崎町へ約262.2km 車での所要時間は35~40分程度

松崎町のR136号沿いに鎮座します

神社の向かいには゛長八記念館゛があります
長八とは「文化12年(1815)伊豆国松崎村に生まれた「左官の名工」伊豆の長八(本名・入江長八)のことで 漆喰(しっくい)と鏝(こて)で 絵を描き あるいは彫塑(ちょうそ)して彩色するという独自の方法を編み出し 26歳で江戸日本橋茅場町にあった薬師堂の御拝柱の左右に『昇り竜』と『下り竜』を造り上げて、名工「伊豆の長八」として名を馳せた人物です」

Please do not reproduce without prior permission.

社頭は北北西を向いています

伊那下神社(賀茂郡松崎町松崎に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をして鳥居をくぐり抜けます

Please do not reproduce without prior permission.

手水舎です

Please do not reproduce without prior permission.

手水口は龍頭となっています 草が生えていて 最初は自然の湧水と勘違いしました

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます

拝殿の手前に「母いちょう」がありました

Please do not reproduce without prior permission.


拝殿の向かって右手の境内社は「伊那下の七福神」
〈向かって左側から・大足大明神(大足さん) 手足腰の健康の神 ・厳島神社(べんてんさん) 交通航海安全の神 ・秋葉神社(あきはさん) 火防の神・愛宕神社(あたごさん) 鎮火の神 ・津島神社(てんのうさん) 疫病退散の神 ・金毘羅神社(こんぴらさん) 福徳の神 ・天神神社(てんじんさん) 学業、書道の神〉

Please do not reproduce without prior permission.

龍神が彫られた拝殿の扁額には「伊那下」の文字が刻ざまれています

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

 龍谷水神(りゅうこくすいじん)が祀られているので 水場があります

先程の手水舎

Please do not reproduce without prior permission.

神池

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

神明水

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

境内を戻り 社頭に一礼

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 伊志夫神社について 所在は゛石部(イシブ)村に在す、今賀茂郡に属す゛〈現 伊志夫神社(松崎町石部)〉と記しています

【抜粋意訳】

伊志夫神社

伊志夫は假字也、和名鈔、郷名部石火、

○祭神詳ならず

○石部(イシブ)村に在す、今賀茂郡に属す、〔國圖志、〕

例祭

 伊豆志に、神は上古石ヲ祀ル、此神ノ古キ牛王松崎村ニ存ス、石火宮印ト刻ス、祠中ニ古鏡一 古鈴二 ム、と云り、

神位
 國内神階記云、從四位上いしひの明神、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

式内社 伊那下神社について 所在は゛松崎村に在す、今 唐(モロコシ)大明神と゛〈現 伊那下神社(賀茂郡松崎町松崎〉と記しています

【抜粋意訳】

伊那下神社

伊那は前に同じ、下は資母と訓べし、

○祭神詳ならず

松崎村に在す、今 唐(モロコシ)大明神とす、今 賀茂郡に属す、〔國圖志、〕

例祭

 伊豆志に、相傳フ神功皇后 新羅ヲ征シ玉ヒシ時、彼國人御船ヲ守護奉リテ、長州豊浦ニ留リ、後此ニ鎭坐ス、故ニ唐大明神ト書来レリ、と云り、

神位
 國内神階記云、從四位上いなしもの明神、

式内社 仲大歳神社について 所在は゛中村海名(カイナ)野に在す、今 神明と稱す、゛〈現 神明神社(賀茂郡西伊豆町中〉と記しています

【抜粋意訳】

仲大歳神社

仲は前に同じ〈仲は郡名に同じ、那賀と訓べし、〉大歳は於保登志と訓べし、

〇祭神 大歳神歟

〇中村海名(カイナ)野に在す、今 神明と稱す、

例祭

 伴信友云、按に、仲は地名也、大歳神は大山祇神の外孫也、廣瀨神社の下考合すべし、

【原文参照】

Please do not reproduce without prior permission.

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 伊志夫神社について 所在は゛今 賀茂郡 雲見郷 石部村にあり、石火明神といふ゛〈現 伊志夫神社(松崎町石部)〉と記しています

【抜粋意訳】

伊志夫(イシフノ)神社

〔〇按 伊豆國神階帳、伊志夫を石火に作る、〕

今 賀茂郡 雲見郷 石部村にあり、石火明神といふ、〔天文十二年上梁文 豆州志

凡 其祭九月十七日を用ふ、〔足柄縣式社取調書

式内社 伊那下神社について 所在は゛今 賀茂郡 松崎村 稲下山にあり、唐大明神と云ふ、゛〈現 伊那下神社(賀茂郡松崎町松崎〉と記しています

【抜粋意訳】

伊那下(イナシモノ)神社

今 賀茂郡 松崎村 稲下山にあり、唐大明神と云ふ、

凡 正月 九月 十一月廿日祭を行ふ、〔豆州志伊豆雑志神名帳打聞、足柄縣式社取調書〕

式内社 仲大歳神社について 所在は゛今 中村海名野にあり、神明といふ、゛〈現 神明神社(賀茂郡西伊豆町中〉と記しています

【抜粋意訳】

仲大歳(ナカノオホトシノ)神社

今 中村海名野にあり、神明といふ、〔豆州志〕

盖 大年神を祭る、此は建速須佐之男命、大山津見神 女神 大市比賣に娶て生坐る神也、〔参酌古事記、延喜式、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 伊志夫神社について 所在は゛石部村(今属 賀茂郡)゛〈現 伊志夫神社(松崎町石部)〉と記しています

【抜粋意訳】

伊志夫(イシフノ)神社

祭神 大山祇命

 今按 神階帳從四位上いしひの明神とあり 豆州志に伊志夫神社ハ大山祇ノ命也 神主は上古 石を祀る神田にあり 此神の舊き牛王 松崎村に存す石火宮 寶印と刻す云々 又 石火石神田と云處の人家の後に有ニ牝牡二石 牡石高ー丈五尺圍リ七丈餘上 平にして其中窪なる處 深黑色也 村人之を昔 土神 火を燃し給ふ跡也と云ふは 火ノ字に因て附會せし也 牝石は差少にして横臥するが如し 上古は山川若くは木石を祀る事有 村人は斯石を今に石火明神と號し崇敬する事良ニ有レ故哉とある 思ふに此牝牡兩石は此神に由ある石にて如此云傳しならん 姑く附て考に備ふ

祭日
社格 村社

所在 石部村(今属 賀茂郡)

 今按 豆州志 本社天文十二年上梁文に仁科ノ庄雲見ノ郷石火村寬文十二年なるは 那賀郡仁科ノ庄雲見ノ郷石部村と延喜式火作レ夫誤冩也 火は靈也 古語に靈をひと云 天文中 火災数起るを以て 火を部に改る由 上梁文に見ゆとあるが如く 石部村の稱あり 石火の牛王あり 棟札もありて 其證正しければ之に從ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 伊那下神社について 所在は 記載なし

ただし2説を挙げています
江奈村 舟寄明神なるべし゛〈現 舟寄神社(松崎町江奈)〉
松崎村 下宮を當たれ゛〈現 伊那下神社(松崎町松崎)〉

【抜粋意訳】

伊那下神社

祭神
祭日
社格
所在

 今按 式社孜證に江奈村 舟寄明神なるべし 其は此 江奈の村名  伊奈にて 舊此邊の總稱と思はるゝを 此村は所謂 中川の川尻なるより 伊奈下と唱へ 此より川上 櫻田 中村 建久寺 吉田 船田等の村々を伊那上と唱へて 此は川に添たる上下と聞ゆるが 現地の有狀を檢察するに 江奈村の地能伊那下の稱に協へる所なるを以てなり
豆志に松崎村 下宮を當たれど他に證無れば非事なりとあるを 縣の注進狀には賀茂郡松崎村を以て當社に當たるは故あるか疑ふべし

式内社 仲大歳神社について 所在は゛無記入゛不明

ただし 諸説を挙げています
仲ノ大歳ノ神社在ニ中村海名野゛〈現 神明神社(賀茂郡西伊豆町中
伊那下神社と唱へたる賀茂ノ郡 松崎村下ノ宮゛〈現 伊那下神社(松崎町松崎)〉
仲神社゛〈現 仲神社(松崎町那賀)〉
縣の注進には江奈村の神社゛〈現 舟寄神社(松崎町江奈)〉

【抜粋意訳】

仲大歳(ナカノオホトシノ)神社

祭神
祭日
社格
所在

 今按 式社考證に豆志に云 仲ノ大歳ノ神社在ニ中村海名野〔今云 那賀郡仁科中村也〕亦 神明と稱す云々と有ど 仲ノ大歳は仲と同所の地名にして 必ず仲神社の近邊と聞ゆるに 此地〔仁科中村〕は彼 仲神社の地〔舊説の中村 今按の宮内村〕よりは所謂 江奈山を隔て各一區別ある所にて 古に仲と云し地内に非ること明瞭なれば 適はざる事判然なるに
 因て考ふるに 舊説に伊那下神社と唱へたる賀茂ノ郡 松崎村下ノ宮なむ仲大歳神社なるべく思はる 此社は豆志に相傳ふ神功皇后 新羅を征し給ふ時に彼國人 皇后の御船を守護し奉りて長州豊浦に留り後此に鎭座す 故に額に唐大明神と書來れり云々と云るが如く
 仲神社は舊説に伊那上神社と云る宮内村上宮なるべく 彼社とは僅に八町許を隔てゝ上宮下宮と唱へ來れるなど 緣由有て聞ゆるは更なり 此邊に當社より外に舊社と思はるるは有事無きを以て證とすべしとあるを 縣の注進には江奈村の神社と定められたるは疑はし 猶よく考べし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

伊那下神社(賀茂郡松崎町松崎 (Thai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2025 All Rights Reserved.