今社(いまのやしろ)は 『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に載る「清野井庭神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉」の旧鎮座地とされる古社です 今社(いまのやしろ)と呼ぶのは 井庭の社(いばのやしろ)の訛とも伝わります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
今社(Ima no yashiro)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県伊勢市宮町1丁目1−8
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主祭神》
鹿屋野姫命(外宮さんの幸魂)宮町
《合祀神》
八衢比古神(道路の神)宮町
八衢比賣神(交通の神)常盤町
誉田別尊(八幡神)常盤町
大山祇神(山の神)曽祢町 宮川町
大己貴神(大黒神)曽祢町 大世古町
菅原神(天神)曽祢町 宮川町
宇賀御魂神(五穀の神)曽祢町 宮川町
祭神未詳(二座)曽祢町 宮川町
《境内社》
清川稲荷社(商賣神 夫人守護神)曽祢町
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社の旧鎮座地
【創 建 (Beginning of history)】
今社(いまのやしろ)
所 在 伊勢市宮町一丁目一番八号
主祭神 鹿屋根姫命(かやぬひめのみこと)
ほかに八衛比古神・八衛比売神などを合祀
山田産土神の一つ例 祭 九月十五日
特殊神事 二月十一日御頭神事
宝 物 御子頭二個「今」は、宮川分流の清川に面した地名「井庭」、または流水をたくわえる「井庭(いば)」に発した名で、ここは、外宮摂社の清野井庭神社の跡地とも言われるところです。
御祭神はこの沃野にあって五穀豊穣をつかさどる神です。しかし、十九世紀の記録「小祠拾」によれば、昔の本社は「宝殿ナクシテ石壇鳥居アリ、社地広く老樹数株アリ」と言われるように石壇に霊石を奉安したのみの、原始の形をとどめたものでした。
社殿がつくられたのは明治四十四年のこと。
そして、毎年二月、厳寒の御頭神事には、この神苑でドンド火をたきます。現地案内板より
【由 緒 (History)】
由 緒
当社の鎮座する地は、往古、井庭村或は井場村と称した。この井庭村は、宮川の分流清川の沿岸地帯の清野と称する原野の一部であるが、『小祠拾』に「井庭ハ今云フ堰ナリ、古ノ井、今ノ如ク土中ヲ掘リテ水ヲ汲ムコトナク、流ノ涯ヲ穿チテ竹木ヲ以テ井ノ如トク囲ミ、其中ヘ川水ヲ引キテ水ヲクム。是ヲ井又井場トモ言フ。是古ノ井ナリ。後世之ヲ井関トイフ。」とあるように清川に井場「堰」を作り、水を汲んだことからこの名があるという。
当今社は、この古称の村名を以て社号としたものであるが、山田十二社の産土神の一つとして、井庭村の産土神として崇敬された社であり、古くは井庭社、今村社、今村殿などと称されたという。また、『小祠拾』には、「今社上之久保ノ北ニ在、今村社トモ云、宝殿ナクシテ石壇、鳥居アリ、社地広ク老樹数株アリ」とある如く、ただ石壇に霊石を奉安しただけのものだったと言われ、明治44年に神殿、拝殿を造立して、各神霊を奉安したものであると伝えられている。
合祀に関しては、明治41年3月に、常磐横町鎮座の無格社八幡社(譽田別命)、曽祢町細川鎮座の無格社山神社(大山祗神)、曽祢町善光寺竹内世古鎮座の無格社曽祢菅原社(菅原神)曽祢町高柳鎮座の無格社河合稲荷社(宇賀之御魂神)、曽祢町柳の世古鎮座の無格社火除社(大巳貴神)を、翌42年2月には、下仲之郷鳥帽子世古鎮座の無格社神殿社(八衢比古神)常盤茶屋町鎮座の無格社塞神社(八衢比売神)をそれぞれ合祀している。また、合祀年月は不詳であるが、曽祢町今世古鎮座の無格社清川社(神名不詳)、宮川町奥ノ越鎮座の無格社秋葉社(神名不詳)も合祀している。
三重県神社庁教化委員会HPより
http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%E4%BB%8A%E7%A4%BE/
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・清川稲荷社〈社殿の向かって右〉
・天満宮〈社殿の向かって左〉
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
〈現在の清野井庭神社 鎮座地〉
・清野井庭神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
゛神宮の諸社が 祈年 神嘗祭に並預゛と記されます
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】
伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社 山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社右諸社,並預祈年、神嘗祭
以下略
【原文参照】
国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 清野井庭神社
[ふ り が な ](しのゐての かみのやしろ)
[Old Shrine name](Shinoite no kaminoyashiro)
【原文参照】
延喜式内社 伊勢國 度會郡 清野井庭神社(しのゐての かみのやしろ)の論社について
清野井庭神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉は 寛文三年(1663)大宮司・河邊精長により 現在地に再興されたものですが 本来の旧鎮座地は 今社(伊勢市宮町)とする説が通説となっています
・清野井庭神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
・今社(伊勢市宮町)
〈清野井庭神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉の古社地〉
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)』について
延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)は 伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に関する儀式書『皇太神宮儀式帳』と豊受大神宮(外宮)に関する儀式書『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)を総称したもの
平安時代成立 現存する伊勢神宮関係の記録としては最古のものです
両書は伊勢神宮を篤く崇敬していた桓武天皇の命により編纂が開始され
両社の禰宜や大内人らによって執筆されました
皇大神宮と豊受大神宮から 神祇官を経由して太政官に提出されて
延暦23年(804)に成立しました
今社(伊勢市宮町)は 清野井庭神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉の旧鎮座地です
『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)〈延暦23年(804)〉に載る 古社です
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR参宮線 山田上口駅から東へ約600m 県道37号沿い徒歩9分程度
今社(伊勢市宮町)に参着
鳥居が二連に建ち 二の鳥居の前には「不浄除け」「透垣」「籬」などとも呼ばれる゛蕃塀(ばんべい)゛があり
社号標には゛今社゛と刻字
更に側面に゛清野井庭神社旧地゛とあり この今社(いまのやしろ)が 本来の清野井庭神社の舊鎮座地であると刻まれています
一礼をして鳥居をくぐり
正殿にすすみ 賽銭を納め お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼 境内社にお参りをして 境内を戻ります
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【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 清野井庭神社について 所在は沼木郷大間社東野〔今俗云小間社〕に在す〈現 清野井庭神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〉と記しています
祭神について 検証をしています
【抜粋意訳】
清野井庭神社
清野は幾與能と訓べし、井庭は為婆と読り、
○祭神 句々廼馳命
〇沼木郷大間社東野〔今俗云小間社〕に在す、〔神名略記〕
○式四、〔伊勢大神宮〕度會宮所攝十六座の第九に載す、
〇御鎮座本紀云、屋船命、草木霊、今號に度曾郡坐清野井庭神社也、神名略記に、祭に草野姫〔草神〕と云り、
連胤 按るに、御鎮座本紀に、屋船命と云ひ、大殿祭祀詞に、汝屋船命爾天津奇護言乎以弖言壽鎮白久、云々、平〔氣久〕安久奉護留神御と乎白久、屋船久々能遅命、〔是木霊也〕とあれば、草野姫とは差定めがたし、故に今是を改む、略記は、神名秘書に草神とのみあるより混れたるベし、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 清野井庭神社について 所在は沼木郷大間社東野〔今俗云小間社〕に在す〈現 清野井庭神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〉としているが この地は旧跡ではない 旧跡の所在は下中之郷町上之久保の北に今社と云あり〈現 今社(伊勢市宮町)〉である と記しています
【抜粋意訳】
清野井庭(キヨヌノヰニハノ)神社
今 沼木郷山田村 大間社の東にあり、神名秘書、神境紀談、神名帳考証
〇按 伊勢式内検録云、社記傍注に、大問社東野とあるに、今の地は大間の社内なれは舊址にあらず、下中之郷町上之久保の北に今社と云あり、今は井庭の轉にて、大間社東野と云に叶ひ、其社北に清川と稱する河あるもの清野の遺構なるを証と云り
醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、延喜式
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 清野井庭神社について 所在は宇治山田市大字常磐町〈現 清野井庭神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〉に寛文三年に再興されているが この地は旧跡ではない 旧跡の所在は上之久保の北にある今村社〈現 今社(伊勢市宮町)〉である と記しています
今社(いまのやしろ)と呼ぶのは 井庭の社(いばのやしろ)の訛と記しています
【抜粋意訳】
清野井庭神社
祭神
祭日 六月九月十二月並十八日
社格 外宮所攝十五所之一 (外宮攝社 )所在 三重縣沼木郷山田大間廣北 (宇治山田市大字常磐町)
今按に 檢録にこの社以て寬文三年今の地に造立しつれど 舊社は其東方なる上之久保の北にある今村社とも今村殿とも云神社是なり いまの社と稱するは井庭の社の訛なりと云へり
【原文参照】
今社(伊勢市宮町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)