生夷神社(勝浦郡勝浦町大字沼江字田中)〈延喜式内社〉

生夷神社(いくいじんじゃ)は 新撰姓氏錄゛長公(おさのきみ)は 大奈牟智神兒 積羽八重事代主命之後也゛と記載されている 長の地は 阿波国 那賀郡の地に由縁があるので その氏人〈長〉の祖神として祀られたものであろうとされています 延喜式内社 阿波國 勝浦郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)の論社です

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

生夷神社(Ikui shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

徳島県勝浦郡勝浦町大字沼江字田中71

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》事代主命(ことしろぬしのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

生夷神社

 ゑびすさんの生まれた勝浦町

 勝浦町は、往古「生夷荘(いくいそう)」と呼ばれていました。
勝浦町史に
生夷荘は、夷(えびす)生まれし地なりと書かれています。
また、生比奈(いくひな)という町名の比奈(ひな)もえびすのことですから、勝浦町は、まさにえびすの生まれた町ということです。
 平安時代に書かれた延喜式(えんぎしき)神名帳(じんみょうちょう)にも勝浦郡に式内社(しきないしゃ)事代主(えびす)神社があると記録されています。

比奈(ひな)の町、勝浦から始まった「ビックひな祭り」はゑびすさんの誕生と子供の成長を祝うかのようです。

ゑびすさんといえば鯛ですが、勝浦は山間部ですから鮎釣りをしていたのです。

 鮎は文字が示すように魚に占うと書きます。
古事記に書かれる鮎占いをしていたのではないでしょうか。下流の徳島市には式内社の勝占神社があります

当遥拝社殿(とうようはいしゃでん)は式内社 事代主(ことしろぬし)神社に比定される「生夷神社」(いくいじんじゃ)から拝領した霊験あらたかな社殿てす。
事代主神の名前「コトシロは「言知る」の意で、ご託宣(たくせん)「神様のお告げ」を伝える神様です。

 古くから阿波では、事代主神の父神の大国主(おおくにぬし)神は 阿南市長生町に祀られ、弟神の建御名方(たけみなかた)神は、石井町浦庄に祀られています。
阿波古事記研究会

案内紙より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)阿波国 50座(大3座・小47座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)勝浦郡 8座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 事代主神社
[ふ り が な ](ことしろぬしかみのやしろ)
[Old Shrine name]Kotoshironushi no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

御祭神 事代主神(ことしろぬしのかみ)について

『古事記』に 大国主神(おほくにぬしのかみ)と神屋楯比賣命(かむやたてひめのみこと)との間に生まれた

『先代舊事本紀』では大国主神(おほくにぬしのかみ)と高津姫神(たかつひめのかみ)〈多岐都比賣命〉との間に生まれた と記される神

『記紀神話』では 国譲りの段に 出雲の三保の御崎にまします神〈大国主神が 国譲りの決断をゆだねる御子神〉として登場します

延喜式内社 出雲國 島根郡 美保神社 (みほ かみのやしろ

事代主神を祀る 出雲神話の地 美保神社(島根県松江市)

・美保神社(島根県松江市)

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゛事代主神゛の社号を冠する 3つの式内社について

大和国 大神神社(奈良県桜井市)に祀られる大物主命の子にあたることから 大神神社の別宮とも称されます

①延喜式内社 大和國 葛上郡 鴨都波八重事代主命神社二座(貞改号・並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(かもつは やへことしろぬしのみことの かみのやしろ

・鴨都波神社(御所市宮前町)

阿波國には 二つあります

②延喜式内社 阿波國 阿波郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)

・事代主神社(阿波市市場町伊月)

③延喜式内社 阿波國 勝浦郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)の論社

・生夷神社(勝浦町沼江田中)

・蛭子神社(勝浦町沼江一楽)〈大将軍神社の境内社〉

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR牟岐線 立江駅から県道28号・22号経由で西へ約7.2km 車15分程度

勝浦川の東岸 県道22号沿いに゛ゑびっさんが生まれた所 生夷神社゛の看板があり 参道の入り口になっています

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生夷神社(勝浦町沼江田中)に参着

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一礼をして鳥居をくぐり
拝殿にすすみます

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拝殿の前には 新旧の狛犬が座します

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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祭の案内板

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一礼をして 境内を出ます

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 事代主神社について 所在はわからない
当國には 阿波郡にある事代主神社〈現 事代主神社(阿波市市場町伊月)〉 名方郡には大御和神 多祁美刀彌神等が坐すなど 皆 神縁があるとも記しています

【抜粋意訳】

事代主神社

事代主は 古登志呂奴志と訓べし

〇祭神 明か也
〇在所 詳ならず
〇當國阿波郡 事代主神社あり 當國阿波郡にも齋祀り、名方郡に大御和神、多祁美刀彌神等坐すなど、みな神緣のある事なるべし、

類社
大和國葛上郡 鴨都味波事代主命神社の條見合すべし

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 事代主神社について 所在は 生夷郷沼江村にあり、愛美須社と云〈現 蛭子神社(勝浦町沼江一楽)〈大将軍神社の境内社〉or生夷神社(勝浦町沼江田中)〉と記し
祭神は 大己貴神(おほなむちのかみ)の御子 積羽八重事代主命(つみはやえことしろぬしのみこと)を祀る 長直(ながのあたい)の祖神である と記していて 長直が祀った神社としています

【抜粋意訳】

事代主(コトシロヌシノ)神社

今 生夷郷沼江村にあり、愛美須社と云、阿波志、式社畧考、
大奈牟智神の兒 積羽八重事代主命を祀る、新撰姓氏録、延喜式、
長直の祖神也、参酌新撰姓氏録、續日本紀、三代実録、

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 事代主神社について 新撰姓氏錄にある長公〈積羽八重事代主命之後〉で 長は 阿波国の那賀郡の地に縁があり ・績日本紀・三代實錄に阿波國勝浦郡の長直とあり その氏神を祀ったものであろうとし

所在は 沼江村に大小の両社〈現 蛭子神社(勝浦町沼江一楽)〈大将軍神社の境内社〉or生夷神社(勝浦町沼江田中)が在ると記しています

【抜粋意訳】

事代主神社

祭神 積羽八重事代主命

今按 新撰姓氏錄 長公 大奈牟智神兒 積羽八重事代主命之後也とある 長は本國 那賀郡の地に由ありて 績日本紀 寶亀四年五月辛巳條に 阿波國勝浦郡 郡領長費人立また前郡領長直枚夫と云人みえ 三代實錄貞観十三年にも阿波郡人長直大富賣と云もあれば 其氏人の祖神として祭れるものとみえたり 上の勝占神社も疑らくば 當社の縁故によりて祭られしなるべし

祭日 九月三日
社格 村社

所在 生夷郷沼江村 (勝浦郡小松島村大字沼江 ) 

今按 阿府志に江村に在り 是神久しく鎮座まします故にや 是地を都(すべ)て 生夷名谷(イクヒナタニ)と云 夷はえびすと訓す 沼江村に惠美須両社あり 大なるは中古より領主の勧請なり 小社は卽 式内の神也とみえ 阿波志また式社略考ともに同説なり 一説に昔は長田大明神と申し 社邊の地を長田と云しと云り これも亦由あり

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

生夷神社(勝浦町沼江田中) (hai)」(90度のお辞儀)

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