穂雷神社(ほのいかづちじんじゃ)は 『日本三代実録』〈延喜元年(901年)〉に゛保沼雷神゛として 神階の奉授が記されます しかし 当社本来の神は 火の神゛軻遇突智命゛であろうとされ 廣瀬大社の相殿に祀られる穂雷神と並び 延喜式内社 大和國 廣瀬郡 穂雷命神社(ほのいかつちの かみのやしろ)の論社とされます
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
穂雷神社(Honoikazuchi shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
奈良県北葛城郡広陵町安部733
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》手力男命,天照大神,武雷神,保沼雷神,栲幡千千姫命
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
穂雷神社々誌
初め火雷神を祭る。貞観七年(八六五)神階正六位を授け奉らる。中古祭神の傳を失う。
今は
天照大神 天手力男命 栲幡千千姫命
を鎮祭し奉る。伊勢の内宮に倣う。
明治六年(一八七三)村社に列し、馬見一村の崇敬神社たり。安部区が奉祭。昭和二十年(一九四五)安部区民の氏神様として今日に至る。
平成二年(一九九〇)七月
現地案内板より
【由 緒 (History)】
『奈良県史』第5巻 神社〈平成元年発行 奈良県史編集委員会編集〉 に記される伝承
【抜粋意訳】
穂雷命神社
(安部字仏ケ谷七三三)
現在、安部集落西方丘陵上の神社を式内社 穂雷命神社にあてられているが、一説には広瀬神社相殿の穂雷神社をあてる説もあり、三吉にも同名の神社がある。当社伝によると、河合町川合の広瀬神社相殿神の水穂雷命の霊を、天文二年(一五三四 )に広瀬神社から勒請したという。
『三代実録』貞観七年 (八六五 )十月九日の条に、大和国正六位上武雷神・保沼雷神に従五位下を、同九年八月十六日に従五位上を授与とみえる。『大和志』では、穂雷命神社を『三代実録』にある保沼雷社にあてているが在所未詳と記している。
祭神は上記のように、穂雷神で火の神 軻遇突智命が、当社本来の神であった筈であるが、現在は天照皇大神•手力男命・榜幡千々姫命の三神を奉斎している。
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・金比羅宮
〈本殿の向かって左〉
・愛宕宮
・太神宮社《主》天照大神
〈愛宕神社と金刀比羅神社の間 鳥居の後ろに゛天照皇大神宮゛と彫字の石燈籠〉
・狛犬・道の向こうに地蔵菩薩・笠石
・手水舎・二の鳥居
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
゛保沼雷神゛として 神階の奉授が 記されています
【抜粋意訳】
巻十一 貞觀七年(八六五)十月九日〈丁巳〉
○九日丁巳
讃岐國
從五位上 田村神 大水上神 並授 正五位下
從五位下 大麻神 城山神 賀茂神々谷神 等並從五位上大和國
正六位 上武雷神 保沼雷神
出雲國
從六位上 女月神 等並從五位下
【原文参照】
【抜粋意訳】
巻十四 貞觀九年(八六七)八月十六日〈壬午〉
○十六日壬午
周防國
正五位上 出雲神 石城神 比美神 並授從四位下
從五位上 劔 神 二俣神 並正五位下豐後國
從五位上 火男神 火神 並正五位下大和國
從五位下 生竜穴神 正五位下
從五位下 武雷 神 保沼雷神 並從五位上
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
大和國 廣瀬郡 穂雷命神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)広瀬郡 5座(大1座・小4座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 穂雷命神社
[ふ り が な ](ほのいかつちの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Honoikatsuchi no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
火雷大神(ほのいかづちのおほかみ)について
神名の示す通り゛雷神゛
別名を・火雷神(ほのいかづちのかみ)・雷神(いかづちのかみ)・八雷神(やくさいかづちのかみ)とされ
農耕民族であった古代日本人の信仰から生まれた神で 雷に対する畏れ 稲妻と共にもたらされる雨の恵みをもたらす神と考えら 水神とも結びついています
『記紀神話』では 火雷大神(ほのいかづちのおほかみ)とは
伊邪那美命の体に生じた8柱の雷神それぞれが 雷が起こす現象を示す神として描かれています
・大雷神は強烈な雷の威力を
・火雷神は雷が起こす炎を
・黒雷神は雷が起こる時に天地が暗くなる事を
・咲雷神は雷が物を引き裂く姿を
・若雷神は雷の後での清々しい地上の姿を
・土雷神は雷が地上に戻る姿を
・鳴雷神は鳴り響く雷鳴を
・伏雷神は雲に潜伏して雷光を走らせる姿を
火雷神(ほのいかづちのかみ)は この8柱の雷神〈火雷大神〉の1柱です
『山城国風土記逸文』によれば 火雷大神のうちの1柱 火雷神(乙訓坐火雷神社の祭神)は のちに丹塗矢となって賀茂建角身命の子 玉依日賣のそばに流れ寄り 賀茂別雷命が生まれたと伝えます
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『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される 火雷神社(ほのいかつちのかみのやしろ)と その論社について
律令時代には 宮中大膳式に祀られ 火の神としても信仰され 『延喜式』にも記載されています
宮中神36座
大膳職坐神 3座(並小)(おほかしわでのつかさにますかみ みくら)
・御食津神社(貞)(みけつの かみのやしろ)・火雷神社(ほのいかつちの かみのやしろ)・髙倍神社(たかへの かみのやしろ)
山城國 乙訓郡 乙訓坐 大(火)雷神社(名神大 月次 新嘗)(をとくににます おほいかつち(ほのいかつち)の かみのやしろ)
・角宮神社(長岡京市井ノ内南内畑)
・〈向日神社に合祀の火雷神社〉向日神社(向日市向日町北山)
・菱妻神社(京都市南区久世築山町)
大和國 廣瀬郡 穂雷命神社(ほのいかつちの かみのやしろ)
・穂雷神社(広陵町安部)
・〈相殿 穂雷神〉廣瀬大社(河合町川合)
大和國 忍海郡 葛木坐火雷神社二座 並名神(かつらきにます ほのいかつちの かみのやしろ)
・葛木坐火雷神社〈笛吹神社〉(葛城市笛吹)
大和國 宇智郡 火雷神社(ほのいかつちの かみのやしろ)
・火雷神社(五條市御山町)
和泉國 大鳥郡 火電神社(いなひかりの かみのやしろ)
・愛宕神社(堺市中区福田)
〈火電神社の古社跡地〉
・陶荒田神社(堺市中区上之)
〈火電神社 現在の合祀先〉
上野國 那波郡 火雷神社
・火雷神社(玉村町下之宮)〈上野國八之宮〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄大阪線 築山駅から北方向へ約2.4km 車8分程度
参道の入り口は住宅街になっています しかし 一の鳥居が建ちますので 鳥居をくぐり 参道を進みます
穂雷神社(広陵町安部)に参着
坂道を上がると 石垣の上に境内が見えます
石段の上に 二の鳥居が建ちます
二の鳥居をくぐると境内になります
拝殿にすすみます
向かって左手には 境内社が祀られています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 穗雷命神社について 在所は不明として ゛考証云、保田村゛と記されています
【抜粋意訳】
穗雷命神社
穂雷は保乃伊加都知と訓べし
○祭神明か也
○在所詳ならず考証云、保田村乎、今属城下郡、
神位
三代實録、貞観七年十月九日丁巳、授大和国正六位上武雷神、保沼雷神、從五位下、同九年八月十六日壬午、大和国從五位下武雷神、保沼雷神、從五位上、連胤云、考証は軻遇突智命として、神位をぱ別社とす、祭事記、大和志等は、神位を当社に定め、比保古は火雷命(山城国乙訓坐)とす、未熟れか是なるを志らず、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 穗雷命神社について 所在などは記されていません
【抜粋意訳】
穗雷命(ほのいかづちのみことの)神社
蓋 伊弉冉尊の御子 火雷(ほのいかづちの)神を祭る、日本書紀、古事記
清和天皇 貞観七年十月丁巳、正六位上 保沼雷神に従五位下を授け、九年八月壬午、従五位上に叙さる、
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 穗雷命神社について 所在は安部村〈現 穂雷神社(広陵町安部)〉と記されています
【抜粋意訳】
穗雷命(ほのいかづちのみことの)神社
祭神 軻遇突智命(かぐつちのみこと)
神位 清和天皇 貞観七年十月九日丁巳、授大和国正六位上武雷神、保沼雷神、從五位下、同九年八月十六日壬午、大和国從五位下武雷神、保沼雷神、從五位上、
祭日 九月二十一日
社格 村社
所在 安部村(北葛城郡馬見村大字安部穂雷神社)
【原文参照】
穂雷神社(広陵町安部)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)