〈旧鎮座地〉埒免古墳・比々多神社 元宮(伊勢原市三ノ宮)

埒免古墳(らちめんこふん)・比々多神社 元宮(ひびたじんじゃ もとみや)は 比々多神社の北西500m程「埒免(らちめん)」という神聖な小高い丘の上にある延喜式内社 相模國 大住郡 比比多神社(ひひたの かみのやしろ)旧鎮座地です 社伝に「正親町天皇 天正の初(1573年~)宮之前なる神官の居屋敷 即ち今の地に遷し奉る」とあります

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

〈旧鎮座地〉比々多神社 元宮(Hibita shrine motomiya)

 埒免古墳(Rachimen ancient burial mound)

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

神奈川県伊勢原市三ノ宮2265番地

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

比々多神社(伊勢原市三ノ宮)の御祭神に同じ

《主祭神
 豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)
 稚日女命(わかひるめのみこと)
 天櫛明玉命(あめのくしあかるたまのみこと)
 日本武命(やまとたけるのみこと)

相殿神〈大化元年(645)合祀〉
 大酒解神(おほさかとけのかみ)
 小酒解神(こさかとけのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

比々多神社 元宮からの眺望

元宮のいわれ

 この高台(旧 宮山)は、比々多神社の社殿が建てられていた「埒免(らちめん)」という神聖な場所で神社の境内地です。
かつては周辺一帯 一万七千坪を有しておりましたが、室町時代の頃より幾多の戦により神地を失い、大半は民地となっています。

 その後、佐野文雄氏が所有されていましたが、昭和五十五年に返還(奉納)の志を賜り小祠をまつり「比々多神社元宮」と称して鎮座しています。

現地案内板・立札より

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【由  (History)】

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

〇神奈川縣 相摸國 中郡比々多村大字三ノ宮

郷社 比々多神宮(ヒヒタノジングウ)

祭神
 稚日女神 木花開耶姫命 豊斟野神
 大山祇命 天櫛明玉命 日本武尊

 創立年月及由緒詳ならず、或は云ふ、崇神天皇年、天社社及神地神戸を定められし時の一なりと、廷喜の制 式内小社に列せられ、当國十三座の一にして、相模三ノ宮たり、後柏原天皇永正年の頃、三浦荒治郎、父義意と共に大住郡岡崎の域主 氏茂と戦ふ、
 其の時の社地は、今の社地の上にあり、(今社地面とし、時々瓦の出る冠塚の附近)一萬七千坪なりしと、戦利あらず、遂に氏茂の兵火の為め社殿、神悉く鳥有に帰し、神地神戸又失ふに至る、

 後 正親町天皇 天正の初宮之前なる神官の居屋敷、即ち今の地に遷し奉る、同十九十一月徳川家康 社領十石の朱印を寄す、明治年上地し、年郷社に列す、
 當社元地名に依り比々多明神ともし、又三宮明神社とせり、明治維新後 今の名に復す、社殿は本殿、覆殿、幣殿。拝殿、境内は千六百七十八坪(官肴地第一種)あり。

 當社祭神を、特選神名牒に、大酒解神、小酒解神とし説あり、曰く、
「今按、社 祭神大酒解神小酒鰹神トスルモノハ、風土記ノ説ナレバ如何アラン、サレド注進状ニ本社イト古キ瓶二ツヲ神トスト云ルニヨレバ、ナシトモ云ベカラズ、故今姑ク之ニ從フ」

 伴信友云、社司大貫氏云、今 社地四千五百坪はかりありて除地也、こは古神主の屋敷也、古の社地は今の社の上の方にて、今は畠となる、其より一町下に御門神とて、門の両脇の如く小社二宇あり、古例にて今も五月五日の祭礼に神輿 其御門の神社の中間を渡り給ふ也、さて其御門神の真向三四町許下に神戸村と云あり、社の神戸なりしなり、五月五日の大祭には、一宮二宮三宮四宮等の神輿、三里許神幸の式あり、時によりて翌日帰座の事もあり、

 又云、先年同郡子易村に子易明神といふ淫祠ありけるを、上糟谷村に遷し、三宮神主に内談し、比々多神社のをかり、比々多神社子易大明神と二行の額を掛け、守札に相模國十三座之内比々多神社と記せらる由也と云り、さては地名記に、上粕谷郷子易村比々多神社、祭神吾多鹿葦津姫命と載せたり。今暫く三宮の説に随うて再考をまつ。

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

比々多神社 元宮の祠

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・鳥居

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・〈元宮祠向かって右〉芽取り場「国府祭・大祓神事使用」

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・〈元宮祠向かって左〉展望台

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈現在の鎮座地〉比々多神社(伊勢原市三ノ宮)

元宮は 比々多神社(伊勢原市三ノ宮)の北西 約500m 小高い丘の上にあります

遷座の時期については 社伝に「正親町天皇 天正の初、宮之前なる神官の居屋敷、即ち今の地に遷し奉る」とあり  天正の初(1573年~)頃

・比々多神社(伊勢原市三ノ宮)について詳細はこちらの記事を

埒免古墳

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埒免(らちめん)古墳

 埒免古墳は昭和三十九年に建物の建設中に発見されました。その際、石室内から飾(かざ)り大刀(たち)や鏡、金を貼った馬具など見事な副葬品(ふくそうひん)が出土しました。それらはまさに、相模(さがみ)の最高権力者にふさわしい内容を備えており、伊勢原市指定重要文化財に指定されています。
これらは現在、三之宮比々多神社(さんのみやひびたじんじゃ)の郷土博物館で目にすることができます。

 江戸時代の末に編さんされた「新編相模国風土記稿(しんぺんさがみのくにふどきこう)」によると、この地は、戦国時代以前の三之宮比々多神社があった場所であり、「埒免」と呼ばれていたと記されています。このことから、この古墳も埒免古墳と呼ばれることになったと考えられます。

 その後、平成十二年からの建物の建て替えに伴う発掘調査や平成十四年の石室の再調査などで、墳丘(ふんきゅう)、石室の規模、構造が明らかになり、当地域における埒免古墳の存在は古墳時代後期の相模を知る上で、ますます重要性が高くなってきています。
 平成十七年三月 伊勢原市教育委員会

現地案内板より

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埒免(らちめん)古墳の横穴式石室

  所在地 伊勢原市三ノ宮字宮ノ上一四二三番地

 平成十四年二月に伊勢原市教育委員会は、東海大学考古学研究室の協力を得て、この石室の再調査を実施しました。その結果、石室は南東側に入口をもつ横穴式石室(よこあなしきせきひつ)と呼ばれる構造で、遺体を納める部屋(玄室 げんしつ)は北東側に張り出した片袖式(かたそでしき)という形態であることが分かりました。

 石室は、幅二メートル、長さ四.八メートルの玄室とそれに続く幅一メートル、長さ四メートル程の入口部分(羨道 せんどう)からなります。石室は巨大な石を組み上げて造られており、玄室の正面奥に使われている最大の石は、縦、横二メートルを越す大きさです。

 現在の石室は半分以上が埋め戻されていますが、本来は周囲の石積みの上に巨大な天井石(てんじょうせき)がのり、内部でも一.七~一.八メートルの高さがあったと考えられます。

 また、これより以前の建物の建て替え時の調査では、石室を覆(おお)うマウンドの周囲に巡(めぐ)る大きな溝の跡が見つかっています。それによると埒免古墳の墳丘の大きさは直径四〇メートルとなり、石室とともに古墳時代後期としては地域最大の規模となります。

 さらに、当古墳の出土資料の内容は、銀装(ぎんそう)の大刀(たち)、金を貼った鞍(くら)や轡(くつわ)などの馬具、銅製の鏡といずれも貴重なものばかりです。相模地域の中でこの内容に匹敵する副葬品(ふくそうひん)をもつ古墳といえば、南側に見える尾根上に位置する登尾山(とおのやま)古墳以外に見当たりません。

つまり、両者には六世紀後半から七世紀にかけて当地域を治めた最高権力者が葬(ほうむ)られていると考えられています。

 平成十七年三月 伊勢原市教育委員会

現地案内板より

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・三ノ宮・宮ノ前遺跡

三ノ宮・宮ノ前遺跡

 三ノ宮・宮ノ前遺跡は、三ノ宮比々多神社の境内やその周辺一帯に広がっている遺跡です。これまでに5回にわたって発掘調査が実施され、縄文時代の竪穴住居、敷石住居、土坑、配石、ピットなどが発見されています。

 この案内板前の地点の調査では、縄文時代草創期(今から1万~1万2千年ほど前)の遺物が出土しました。土器50点、石器類629点、礫51点などです。
土器は「微隆起線文土器」と呼ばれる底が丸い深鉢形で、外面にみみず腫れのような細い粘土ひもが貼り付けられています。また、石器には三角形の「有舌尖頭器」があります。弓矢の先として使用されたものです。

 縄文時代以前の旧石器時代は寒冷気候で、人々は大型動物を獲物として生活していました。しかし、今から1万2千年ほど前に訪れた気候の温暖化により増加した小動物、木の実、海産物などを食料とする生活へと変化していきました。縄文時代の始まりです。その変化にはさまざまなものがありますが、なかでも特徴的なものが弓矢の使用と土器の発明です。動きの速い動物を捕るための弓矢、木の実や貝などを煮るための土器が新しい時代を象徴する遺物といえます。

 宮ノ前遺跡の縄文時代中期、後期には人々が定住する集落が営まれていました。中期では竪穴住居、後期では住居の床に石を敷いた敷石住居が発見されています。使用している石には小田原から伊豆半島東岸に産出する根府川石と呼ばれる扁平な石も含まれています。重い石をわざわざ運んできたことになります。また、ひとつの敷石住居からは鹿の角で作った釣針が出土しました。大きさから大型の魚を捕るためのものと考えられます。このように宮ノ前遺跡は縄文時代の中心的な集落であり、当地が気候的にも地形的にも優れた環境であったことを物語っています。

 このほかにも、三之宮比々多神社境内の付近では弥生時代、古墳時代の遺物が出土したり、平安時代や中世の祭祀遺構が確認されたりしており、永い年月にわたり人々が活動していたことがわかります。

 また、ここから北側50mのところには東名高速道路建設時に発見された下谷戸遺跡の敷石住居、配石が三之宮比々多神社のご協力により復元されています。宮ノ前遺跡とも関連する縄文時代後期のものです。

平成31年3月 伊勢原市教育委員会

現地案内板より

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)相摸國 13座(大1座・小12座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大住郡 4座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 比比多神社
[ふ り が な ](ひひたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Hihita no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮」について

相模國は 寒川神社と川勾神社の間で「一之宮争い」があったと伝わっています

この「相模國の一之宮争い」は 現在も国府祭(こくふさい/こうのまち)の神事 儀中の古式「座問答」で再現されています

詳細は 下記の記事を参照ください

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

R246号の比々多の交差点を北へ進み 比々多神社へと向かいます

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比々多神社(伊勢原市三ノ宮)に参着

・比々多神社(伊勢原市三ノ宮)について詳細はこちらの記事を

比々多神社の社頭から向って左側を進みます

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東京農業大学 伊勢原農場があり バス停のあるT字路を曲がり上がっていくと高台に出ました

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ここに 埒免(らちめん)古墳が゛あります

案内板には 次のようにあります

江戸時代の末に編さんされた「新編相模国風土記稿(しんぺんさがみのくにふどきこう)」によると、この地は、戦国時代以前の三之宮比々多神社があった場所であり、「埒免」と呼ばれていたと記されています。このことから、この古墳も埒免古墳と呼ばれることになったと考えられます。

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その先の道を さらに上がって行きます

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ミカン畑があり フェニックスの樹があります

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ミカン畑の横をさらに奥へと

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〈旧鎮座地〉埒免古墳・比々多神社 元宮(伊勢原市三ノ宮)に参着

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社頭は東南方向を向いています

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殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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祠に一礼をして 参道を戻ります

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東南を向いている社頭の先には 遠く湘南海岸までが見渡せます
東南方向の半島のようなものは 湘南平です

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祠の向かって右手には 国府祭・大祓神事使用とある「芽取り場」があります

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祠の向かって左手は 展望台の様になっています

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眺望できる場所が案内板に載せられています

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同じ位置の実際の展望写真です

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展望台の前から 高台を戻ります

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ミカン畑のミカンが 無人売店で売られていました

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高台から比々多神社へと戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 比比多神社について 所在は゛白根郷三宮村に在す、今三宮とす、゛〈現 比々多神社(伊勢原市三ノ宮)〉と記しています

又゛上粕谷郷子易村比々多神社゛〈現 比比多神社〈子易明神〉(伊勢原市上粕屋)〉の説も紹介しています

【抜粋意訳】

比比多神社

比比多は假字也、和名鈔郷名部日田、

○祭神 大酒解神、小酒解神、風土記

○白根郷三宮村に在す、今三宮とす、社説

 例祭  日、

惣國風土記残云、相摸國大墨郡 比比多伊神社、天万日天皇乙巳月、所祭大酒解神、小酒解神也、神貢三十束、

○東鑑十二云、建久日、早旦以後、御所御産氣、云々、相摸國神社佛寺奉神馬、云々、三宮、冠大明神

 伴信友云、按るに、比々他伊ト伊ノ字ヲ添テイヘル也、同風土記駿河國伊穂原郡ニ 阿蘇宇伊卜云地名ヲ記シ、次ニ 阿蘇宇伊神社もあり、今 由井駅の西に阿蘇宇といふこれ也と國人云り、東國にて同例也、地名に某里と里を添て呼るがある如く、ただ何なく添へて呼ならへるなるべしと云り、

○社司大貫氏云、今社地四千五百坪ばかりありて除地也、こは、古神主の屋敷地也、古の社地は今の社の上の方にて、今は畠となる、其より一町下に御門神とて、門の雨腋の如く小社二宇あり、古例にて今も五月五日の祭禮に、神輿其御門の神社の中間を渡り給ふ也、さて其御門神の眞向三四町許下に神戸村と云あり、杜の神戸なりし処也、五月五日の大祭には、一宮二宮三宮四宮等の神輿、三里許神幸の式あり、時によりて翌日帰座の事もあり、

○又云、先年同郡 子易村に子易明神といふ淫祠ありけるを、上糟谷村に遷し、三宮神主に内談し、比々多神社のをかり、比々多神社子易大明神と二行の額を掛け、守札に相摸國十三座之内比々多神社と記せる由也と云り、さては地名記に、上粕谷郷子易村比々多神社、祭神吾多鹿葦津姫命と載たり、今暫く三宮の説に随うて再考をまつ、

社領
 當代御朱印高(缺

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 比比多神社について 所在は゛ 白根三宮村にあり、゛〈現 比々多神社(伊勢原市三ノ宮)〉と記しています

【抜粋意訳】

比比多神社、

 白根三宮村にあり、〔松屋外集、神名帳考土代〕〔〇按 本社は神戶日向村に近し、日向は和名抄日田郷是也、

後鳥羽天皇 三年八月已酉、源頼朝 神馬三宮冠大明神に奉り、妻 政子の産氣を祈る、盖是神也、〔東鑑〕

凡 每年五月五日祭を行ふ、〔神名帳考土代〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 比比多神社について 所在は゛三之宮村 (中郡比々多村大字三之宮 )゛〈現 比々多神社(伊勢原市三ノ宮)〉と記しています

【抜粋意訳】

比比多神社

祭神 大酒解神 小酒解神

 今按 社傳 祭神 大酒解神 小酒解神とするものは僞風土記なれば如何あらん されど注進状本社いと瓶二つを體とすとるによらば據なしともべからず、故今姑

祭日 四月二十二日
社格 郷社

所在 三之宮村 (中郡比々多村大字三之宮 )

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

〈旧鎮座地〉埒免古墳・比々多神社 元宮(伊勢原市三ノ宮) (hai)」(90度のお辞儀)

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相摸国 式内社 13座(大1座・小12座)について に戻る

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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