味美白山神社(春日井市二子町)〈『延喜式』物部神社を合祀〉

味美白山神社(あじよし はくさんじんじゃ)は 元は今より南の白山藪(味鋺字堂前898)に鎮座したが 萬治二年(1659)現在地(白山神社古墳の墳丘上)に遷座 同時に 二子山古墳の墳丘にあった物部天神〈式内論社〉を合祀し建立されたと云う 延喜式内社 尾張國 春日部郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

白山神社(Hakusan shrine

通称名(Common name)

味美白山神社(あじよし はくさんじんじゃ

【鎮座地 (Location) 

愛知県春日井市二子町2丁目11番地の3

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》菊理比咩命(くくりひめのみこと)
   伊邪那岐命(いざなぎのみこと)​
   伊邪那美命(いざなみのみこと)

》可美真手命(うましまでのみこと)〈物部神社〉
   天児屋根命(あめのこやねのみこと)〈春日神社〉

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒

 白山神社は養老元年(717)泰澄(たいちょう)大師が加賀(石川県)白山(2702m)に初登拝し白山比咩大神(シラヤマヒメオオカミ)(菊理比売命)の鎮座まします霊山を神体山として開山し、現在全国に2716社の分霊社を擁し総本山(根元社)を白山比咩神社(石川県石川郡鶴来町)としています。 愛知県にも分霊社が220社あります。

 わが白山神社は、万治年(1659)、元春日井郡味鋺村( 名古屋市北区楠町5)白山藪より、この地に遷座し、また二子山古墳にあったといわれる物部神社を合祀して建立されました。

 この神社は県指定文化財(史跡)白山神社古墳(前方後円墳)の上に祀られていることから、本殿が西向きの珍しい神社となっています。

 なお同じく県指定になっているお旅所古墳(円墳)の上にある御旅所は寛延年間(1750頃)までは西方、稲置街道(県道)を越えた春日山古墳の上にあった春日神社でしたが、街道を横断し通行の妨げになるとのことで今の場所に変更されました。その後大正年(1918)春日神社も白山神社に合祀され今日に至っております。
伊藤浩撰文

御祭神

伊邪那岐命(イサナギノミコト)​
伊邪那美命(イザナミノミコト)
菊理比咩命(ククリヒメノミコト)
可美真手命(ウマシマデノミコト)
天児屋根命(アメノコヤネノミコト)

境内社

神明社天照大神
御鍬社豊受比売命)
国府宮尾張大国
津島社須佐之男命
秋葉社火具都智命)
熱田社(倭建命)
金刀比羅社大物主命
厳島社島比売命

社頭の石碑文より

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【由  (History)】

由緒

 菊理比売命、伊邪那岐命・伊邪那美命は、石川県石川郡鶴来町の白山本宮(加賀一の宮)白山比咩神社の御分霊です。この三社の神様は味美の親村、旧名春日井郡味鋺村(現在名古屋市北区楠大字味鋺)の白山薮におまつりしてあったのを、今から310余年前(万次2年8月17日)に現在地へ御遷座したてまつったのです。
当地はその後 天明4年6月味鋺から分村独立し味鋺原新田となり、明治22年10月1日味美村と改名更に明治39年7月16日勝川町大字味鋺となり、昭和18年春日井市制施行後においても、たびたび町名が変更されて今日にいたっています。
ここに白山社をおまつりしたのは、中世(1200余年前から)以来 加賀の白山を信仰して、その霊威を諸国に広めた修験者たちが、とくにこの地をえらんでその御分神を奉祀したものと思われます。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

愛知縣 東春日井郡 鄉社

○愛知縣 尾張國 東春日井郡勝川町字味美小字味鋺原新田

鄉社 白山神社

祭神
 伊邪那岐(イザナギノ)
 伊邪那美(イザナミノ)
 可美真手(ウマシマデノ)
 菊理比賣(ククリヒメノ)

創立年代詳ならず、但 古記に治二年八月十七日味鋺村より遷座の由見えたりといふ、

 古老の傳に依れば、右遷座と同時に、從來 二子山に座あらせられし、物部天神社をも奉遷して、當社の相殿に祭祀せも云云、
二子山は當社地
 東南一町の地に在り、一の大なる塚なり、塚上二つに分る、を以て此の名あり、周圍は池にして 四時清水通出す、謂ふ物部氏の 可美真手命之墓なりと、この事 神祇志料 物部神社の注にも聊か見えたり、
云く、
「按 本村(味飯村二子山に周一町にして、四至あり、土人 字麻志麻治命の古陵と云ひ、祭り毎に社人幣を此陵に備ふと云ふ、附て後考を俟つ

物部天神は式の物部神社にして、奉唱國帳の従三位物部天神なり、此の社の所在に付いては 彼の参考集 共に所見なし、蓋 既に巳に其の所在不なりしなるべし、
志料は 尾張式社調に
りて「今 神社東北二町、摂社 天神則是」とし、
尾張名所
圖會は 豊場村の所明神を以て物部神社と確定せるが、
特選神名
は いづれもなければ信がたし、姑附て考を俟つ」といへり、

明治五年五月村社に列せられしが、十六年四月郷社に昇格す。
社殿は本殿、祭文殿、拜殿、寶庫、社務所等を具備し、境内地千六百四十八坪(官有地第一種)あり。

境内神社
 神明社 國府宮社 御鍬社 津島社
 秋葉社 熱田社 金刀比羅社 嚴島社

例祭日 九月二日

神饌幣帛料供進指定年月日 明治四十年十月二十六日 告示第三百六十五號

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

白山神社 社殿

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・〈本宮内末社〉南社・北社

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〈南社〉

神明社【南社】《主》天照大御神(あまてらすおみかみ)
御鍬社【南社】《主》豊受大神(とようけのおかみ)

〈北社〉

国府宮社【北社】《主》尾張大国霊神(おわりおくにたまのかみ)
熱田社【北社】《主》日本武尊(やまとたけるのみこと)
金刀比羅社【北社】《主》大物主命(おものぬしのみこと)

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白山神社 拝殿

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・〈社殿向かって左手前 境内社3社(秋葉社天神社津島社

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秋葉社《主》火具都智神(かぐつちのかみ)
天神社《主》菅原道公(すがわらのみちざねこう)
津島社《主》須佐之男命/津島牛頭大王(すさののみこと/ごずだいおう)

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・参道石段・蕃塀

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・〈参道横池 境内社厳島社《主》市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)

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・年中祭事表

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・三の鳥居

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・和合の木(御神木)

和合の木

皇紀2600年(西暦1940年)の記念として 奈良県橿原神宮より御下賜された樫

御由緒

白山神社の祭神 菊理媛神の御神徳は あらゆる物事の仲介「万物括り結び合わせ給う」との霊験あらたかな神にて 橿原神宮より御下賜された樫木に霊現ありて 縁結び・和合の御神木として崇められている

平成十四年二月

現地立札より

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・社頭の鳥居〈二の鳥居〉

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・一の鳥居

・御旅所古墳(相宮)

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・相宮

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相宮

《主》菊理比咩命(くくりひめのみこと)
   伊邪那岐命(いざなぎのみこと)​
   伊邪那美命(いざなみのみこと)
   可美真手命(うましまでのみこと)〈物部神社〉
   天児屋根命(あめのこやねのみこと)〈春日神社〉

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白山神社 古墳・御旅所古墳

県指定史跡 白山神社古墳・御旅所古墳

昭和五十八年三月三十日指定

白山神社古墳 六、二五〇平方㍍

所在地 春日井市二子町二丁目十一番地ノ三
所有者 白山神社

御旅所古墳 六八五平方㍍

所在地 春日井市二子町二丁目十一番地ノ二
所有者 員外社春日社

両古墳とも標高10㍍ほどの洪積台地鳥居松面の末端部に位置しています。

 白山神社古墳は全長86㍍、前方部幅48㍍、後円部径48㍍、前方部高5㍍、後円部高6.5㍍の前方後円墳で墳丘の両側の くびれ部に造り出しと呼ぶ扇形の張り出しをもっています。
 周濛は変形はしていますがはっきりとその姿をとどめています。

御旅所古墳は直径30㍍、高さ2.9㍍の円墳で円筒形埴輪をめぐらしています。

 これら二基の古墳は国指定史跡 二子山古墳、未指定の春日山古墳とともに味美古墳群を形づくっています。
この古墳群は 春日井市味美から名古屋市味鋺にかけての地域にまたがり かっては数十基もの古墳が群集するという大規模のものでした。

 二つの古墳の築造時期は 古墳の形態と御旅所古墳の埴輪からみて 古墳時代中期の5世紀末から6世紀初めと考えられ 古墳時代最盛期に庄内川 右岸中流域あたりを拠点としていた豪族の勢力範囲を示めす資料として高い価値を持っています。

白山神社
愛知県教育委員会
春日井市教育委員会

現地案内板より

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈物部神社 旧鎮座地〉味美二子山古墳(春日井市二子町)

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『式内社調査報告第巻』昭和59年に記される内容

延喜式内社 尾張國 春日部郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)

萬治二年(1659)白山神社に合祀されて現在に至つています

【抜粋】

張國 春日部郡 物部神社

【所在】 春日井市二子町二の十一の二(東春日井川町大字美字東月三、八四三番地〉。白山神社に合祀。

【祭神】 社および『神名帳考證』も、宇摩志摩治命としてゐる。物部氏の祖先神である。

【由緒】

 神社明細帳によれば、「古老傳ニ曰、二子山鐵座有之侯。物部天神社右同時遷座随 而 祭祀候。右子山者、該社地ヨリ一町計東南〔而〕ナル塚也」とある。

 現在は、白山神社に合祀されて現在に至つてゐる。白山神社は、現在の社地より南の、白山(味鋺字堂前八九八番地)にあったものを、萬治二年(一六五九)に現在地の白山神社古墳(前方後墳)の墳丘上に遷座してるゐる。萬治二年に、二子山古墳の墳丘にあった物部天神を合祀したが、現在は、物部神社の傳承は失なはれてる。

また、二子山古墳の被葬者は、物部氏遠祖、可美真手命之御といふ先の考ありとする社はつてる。白山神社は、社に列せられてゐる。また『特選神名』では、物神社は、「藤木庄松本村 諸大明神ならん」といふもみられるが、根據は不明である。

【豪族・古墳】

 物部氏は 六百年代初頭よりこの地方に勢力をはり、この地域は、物部氏の居住地と考へられる。(春日井市鄉土史研究會編「春日井の神社』より)

尾張には、物部神社は、春日部都の他、愛智郡にもみられ、宇摩志摩治命または味間見命を祀る神社もみられることから、物部氏との連が考へられるが、それらをするものはみられない。
この地域は、古代において大きな勢力を持つた豪族がゐたことが、附近にみられる古墳群から考へられる。

 白山神社を中心とするところには、南に二子山古墳(國指定史跡)、春日山古墳、御旅所古墳(塚・圓墳)、そして白山神社古墳など、味美古墳群と呼ばれてゐる。
指定史蹟の二子山古墳は、この地域では最大の前方後圓墳である。全長九メートル。後四九メートル。同高さ六・六メートル。前方部幅四六・四メートル。同高さメートル。尾張部第三位の規模を持ち、墳丘全周濠に取りまれてる。
白山神社古墳は、二子山古墳の北約四〇メートルにある前方後墳である。全長八一メートル。後圓部徑五〇メートル。同高さメートル。前方部幅四七ートル。同高さ五メートル(方部は削りとられてゐる)。周に取り間まれてる。
春日山古墳は、二子山古墳の西北四〇メートルにある前方後圓墳である。全長七一メートル。後圓部徑三七・六メートル。前方部幅五九メートル。前方後部共に高さ五・七メートルである。(銀持悦夫)

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【原文】

『式内社調査報告第八巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)春日部郡 12座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 物部神社
[ふ り が な ](もののへの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Mononohe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

古代豪族 物部氏(もののべうじ)と「式内社 物部神社(もののへの かみのやしろ)」について

物部氏(もののべうじ)は 太古の大和朝廷で 神道を奉じ軍事を司る氏族として「八十物部(やそのもののべ)」と云われ 絶大な勢力を保持していました その後 神道を奉じる物部氏の宗家〈物部守屋大連〉は 仏教を信奉する蘇我氏〈蘇我馬子 大臣〉と用命天皇2年(587)戦い敗れ 物部氏は徐々に衰退をして行く事になります

『延喜式(Engishiki)』(927年12月編纂)の時代となっても かつての物部氏の勢力の大きさを示すように 広範囲に物部の神社は分布しています

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR城北線 味美駅から東方向へ約500m 徒歩での所要時間7~9分程度

二子山公園となりにあり 5世紀末~6世紀初頃につくられたとされる前方後円墳白山神社古墳」の上に鎮座しています

味美白山神社(春日井市二子町)に参着

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社頭の鳥居〈二の鳥居〉に一礼をしてから くぐり抜けて参道を進みます

社殿 境内 社頭 参道 ともに西を向いています

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鳥居の脇には 由緒書きの石碑が設置されています

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参道を進むと 三の鳥居が建ち 手水舎が設けられており 清めます

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張り紙があり「月次祭 毎月一日・十五日 午前七時斉行」とあります

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池があり 石橋の御神橋を過ぎて 石段を上がり境内へと向かいます

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石橋の御神橋の手前に「愛知県指定史跡 白山神社古墳 御旅所古墳」の石柱があります

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石段を上がると蕃塀が設けられています

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蕃塀を廻り込りこむと境内です

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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境内向かって左手には境内社3社(秋葉社天神社津島社)が祀られています

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社殿に一礼をして石段を下り 参道に戻ります

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参道を社頭まで戻ります

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白山神社は 白山古墳の上に鎮座していました

又 御旅所は社頭のすぐ脇の御旅所古墳の上にあり 相宮が祀られています

更に 物部神社の旧鎮座地とされるのは 二子山古墳です

位置関係は 下の写真にて確認

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社頭のすぐ脇の御旅所古墳です

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御旅所古墳の上には 相宮が祀られていますが 参道の入口は西側です

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鳥居をくぐり抜けると 参道は円墳に沿うように 弧を描く石段になっています

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円墳の上は 御旅所となっていて整地されています

そこに相宮が祀られています

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祭神は 白山神社と同じで

《主》菊理比咩命(くくりひめのみこと)
   伊邪那岐命(いざなぎのみこと)​
   伊邪那美命(いざなみのみこと)
   可美真手命(うましまでのみこと)〈物部神社〉
   天児屋根命(あめのこやねのみこと)〈春日神社〉

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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御旅所古墳から二子山古墳へは 二子山公園の中を抜けて270m程です

二子山古墳は
延喜式内社 尾張國 春日部郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の旧鎮座地です 萬治二年(一六五九)白山神社に合祀されて現在に至つています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 物部神社について 所在は゛在所詳ならず゛〈不明〉と記しています

【抜粋意訳】

物部神社

物部は毛乃倍と訓べし

〇祭神 宇麻志麻治命歟

○在所詳ならず

類社
 伊勢國飯高郡 物部神社の條見合すべし

神位
 國內神名帳云、從三位 物部天神、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 物部神社について 所在は゛味鋺神社 東北二町、摂社 天神 即是也゛〈現 味美二子山古墳(春日井市二子町)〈旧鎮座地〉〉と記しています

【抜粋意訳】

物部神社

 味鋺神社 東北二町、摂社 天神 即是也、〔尾張式社調、〕

 間見 宇麻志麻を祭る、
〔参取舊事紀、本社 傳説、神体佛銘、〇按 本村 二子山に周一町餘にして、四至 堀あり、土人 宇麻志麻の古陵と云ひ、祭り毎に社人幣を此陵に備ふと云ふ、附て後考を俟つ、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 物部神社について 所在は記入されていません

諸説として三つを挙げています
篠木庄松本村諸大明神゛〈現 諸大明神社(春日井市松本町)
一色圧豊場村八所明神゛〈現 八所神社(豊山町豊場木戸)
味鋺村なり゛〈現 味美二子山古墳(春日井市二子町)〈旧鎮座地〉

【抜粋意訳】

物部神社

祭神
祭日
社格
所在

 今按 本社 篠木庄松本村諸大明神ならんと云へど 諸と物部と音の近きよりの考にて定めがたし 一色圧豊場村八所明神と云も この邊に和名抄山田郡神と云地名廣くのりたれば 春日郡にはあらじ  味鋺村なりと云説もあれど確なければ信がたし 姑附て考を俣

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

味美白山神社(春日井市二子町) (hai)」(90度のお辞儀)

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尾張国 式内社 121座(大8座・小113座)について に戻る

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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